Mya

「ふー」


 やはり緊張する。タキシードも着慣れない。


 長く息を吐いてしまい――すっかり彼女の癖が伝染うつってしまったなと、頬が緩んでしまう。


 すると、机の上に置いていたスマホがヴー、と一度震えた。


『新郎さん。緊張してるかい?』


 俊だ。


『緊張しない訳がない。人生に一度しかないんだからな』

『そう気ぃ張るなって。産まれてくる赤ちゃんが緊張してると思うか?』

『割としてるんじゃないか?』

『確かにそうかもしれん』


 あの頃と変わらないやり取り。多分わざとである。


 その言葉に苦笑していると、今度は電話がかかってきた。


『お兄ちゃん! 緊張してるの?』

「紫苑。俊から聞いたのか?」

早波はやなみさんから!』


 早波はやなみさん、とは俊の恋人である。確か大学で知り合ってから交際してるんだっけか。いつの間に仲良くなったのだろう。


『お兄ちゃんなら大丈夫だよ! なんせ紫苑達のお兄ちゃんなんだからね!』

「そうだな。紫苑達のお兄ちゃんだもんな」


 本当に――良く育ってくれたものだ。

 自己肯定感が高まりすぎて、わがままに育つんじゃないかと一時期は心配していたが。本当にただの杞憂だった。


 紫苑は『保育士』となるべく勉強を頑張っていた。

『お兄ちゃんとお姉ちゃんみたいに。お母さん達みたいになりたい』と言われた時はみんなで号泣してしまった。


『紫苑! 次は僕の番だからね!』


 その声が聞こえて、また頬が緩んでしまう。


『とーやにぃ!』

「ああ、茜」

『えへー!』


 可愛い。……十年前からやり取りが変わらないな。


『あのねあのね!』

「なんだ?」

『とーやにぃとお姉ちゃんが出てくるの、楽しみにしてるね!』

「……頑張るよ」

『もし失敗しても帰ったらみんなで慰めてあげるからね!』

「出来れば労いの言葉の方が聞きたいんだけどな」

『じゃあそうする! いっぱい頭撫でてあげるね!』


 茜、というか三人とも、事あるごとに俺やミア、そしてお母さん達の頭も撫でようとしてくる。恐らく、自分がされて一番嬉しい事だからだろう。


「ああ。帰ったら頼もうかな」

『任せて! マッサージもしてあげるからね!』

「バスケ部直伝のマッサージは少し気になるな」


 茜はバスケ部に入り、めちゃくちゃ凄い活躍をしている。地区大会優勝、そして全国大会準優勝。それを一年生ながらレギュラーに入って成し遂げた。次こそは全国大会優勝をと頑張っている。将来の夢は日本代表だ。きっと茜ならなれるだろう。


『茜ー? 次私ー!』


 どこか間延びした声。すぐに誰なのか分かった。


『お兄ちゃんー!』

「ああ、柚。お昼寝してないか?」

『してないよー! ……ちょっとうとうとしてたけど、紫苑にほっぺたつんつんされて起こされたもんー!』


 それはセーフなのだろうか。というかその光景も見たかったな。めちゃくちゃ微笑ましい。


 柚も元気にすくすくと育っている。いっぱい眠ったせいか、背が高くなってモデルさんみたいな体型に近づきつつある。


 更に、イラストレーターとしても活動中だ。SNSのアカウントが最近バズったらしく、フォロワーが五千人を越したらしい。めちゃくちゃ凄い。これからも頑張るらしいので楽しみだ。


「三人はいつも通りみたいで安心したよ」

『……いつも通りじゃないよー?』

「そうなのか?」

『うん! いつもよりすーっごく楽しみだもんー!』


 柚の言葉。三人の言葉を聞いて、緊張はどんどん息となって漏れ出ていた。


「そっか」

『うん!』

『柚ー! 次また紫苑が話すからねー?』

『僕も話したい!』


 柚の言葉に。そして二人の言葉に無限に頬が緩み続けてしまいそうになる。大丈夫かな。ほっぺた落ちてないよな。


「柚……というか三人とも」

『はーい?』

『はーい!』

『はい!』


 スピーカーにしてるのか、それとも単に聞こえていたからか。三人は仲良く返事をした。


「きっと、ミアも緊張してると思う。ミアとも話してくれないか?」

『分かったー!』

『次はお姉ちゃんだね!』

『お姉ちゃんも楽しみだね!』


 時間は近づいてきている。ミアもきっと俺と同じで緊張している……と思う。


『じゃあ後でねー! お兄ちゃん!』

『後でねー!』

『また後でね!』

「ああ。後でな」


 電話を切って、また机の上に置く。


 鏡を見ると、先程よりは随分マシな顔立ちになっていた。


「……ありがとう」


 後で三人に改めて伝えなければならない。


 スマホを改めて取って、写真フォルダを開く。この気持ちを補強するように。



 今まで撮った写真を眺めた。


 紫苑とパフェを食べに行った時の2ショット。

 茜と久々にバスケをした時の2ショット。

 柚とお昼寝をしてる時にミアが撮った2ショット。



「これから反抗期が来るのかな」


 出来れば来ないで欲しいなと思いつつも、三人は良い子だから、反抗期が来たとしても大事には至らないだろうと思う。

 もし盛大に反抗期が来たとしても、みんな一緒なら大丈夫だ。絶対に。


 そのまま写真をさかのぼった。


 体育祭でダンスをする紫苑の写真。

 バスケで3Pシュートを決めた茜の写真。

 コタツで居眠りをしてる柚の写真。


 茜と柚の中学校の入学式の写真。その一年前は、紫苑の入学式の写真。


 大学の卒業式の写真。

 俺とミアの就職内定が決まった時の写真。


 まだまだいっぱい、たくさんある。



 そうして写真を遡り、どんどん幼くなっていく俺達を。三人を見て――


「ああ、そっか。最初はこの写真だったよな」



 紫苑を抱きしめて、そのおでこにキスを落とすミアの写真。



 今見ても――とても綺麗だ。この時の俺は写真を撮るのに慣れていないというのに。


 凄く、凄く綺麗だった。


 その時。

 こん、こんと。扉がノックされた。


「新郎様。新婦様の準備が整いました」

「……はい、分かりました。今出ます」


 その言葉にすら一瞬息を飲みそうになって。スマホを置いて部屋の外へ向かう。


 スタッフさんに案内をされて。ミアの居るプライズルームへと向かった。


「では、またお時間になりましたらお声掛け致します」

「はい。ありがとうございます」


 スタッフさんが遠ざかるのを見送ってから一度、深呼吸をしてから。




 コン、コンと。ノックをした。


「どうぞ」


 聞き慣れたはずの声。いつも、疲れを癒してくれる声。


 それが、今ばかりは心臓がドクンと強く跳ねるスイッチとなっていた。


 一度強く鳴り始めた鼓動は弱まる事を知らず。ただ、全身に強く血液を送り届ける。


 ドアノブを握る手に汗が滲む。ゆっくりと扉を開くと――


 椅子に座って、ベールで顔を隠した彼女の姿がそこにあった。


 一歩。また一歩と近づく。


 心臓の音はどんどん強くなっていく。そのはずなのに、この込み上げてくるものは一体何なのだろうか。


 緊張?

 違う。


 高揚?

 違う。


 興奮?

 違う。



 ――期待、なのかもしれない。


 どれだけ綺麗になっているのか。

 ただでさえ、女神ですらも羨むような美貌をしている彼女がどうなっているのか。



 気がつけば、ミアの目の前に来て。



「ベール、上げるよ」

「ん」



 ベールを上げると――





「――ッ」




 そこに、『ミア』が居た。


 透明感のある肌。卵のように真っ白な肌。


 唇は赤く、艶やかで。目を惹かれる美しさを持っている。

 その目は宝石のようにキラキラとした緑色。妖精のようだ。


 頭の上に乗せられたティアラが、彼女の清純さを表している。



 とても、とても綺麗だ。しかし、一目で『ミア』だと分かる。



『ミア』らしさを120%。いや、200%引き出したその姿に――



「どう、かな」

「綺麗だ」


 即座にそう答えた。ミアは小さく笑う。


「その、凄く。凄く綺麗なんだ。……でも、俺は知らない。この気持ちをどうやって表現したら良いのか分からない」


 どうすれば伝わる?

 どうすれば俺の気持ちを伝えられる?


「ふふ、だいじょぶ。分かってるよ」


 ウエディンググローブに包まれた手がそっと、俺の手を握った。


「だって、一緒だもん。すっごく。すっごくかっこいいよ、とーや」

「……ありがとう」


 その握られた手から、彼女の体温が。気持ちが流れ込んでくるようだ。


「しかし、本当に。凄く綺麗だ」

「凄いよね。メイクさん」

「もちろんメイクさんも凄い。……でも、綺麗なのはミアなんだ」


 ここまで。もう、ミアの可愛さ。綺麗さは十分分かっていたと思っていたが。


「良かった。とーやがそれだけ喜んでくれたなら」

「ああ。本当に良かった」


 今の俺は、ミアから目を離す事が出来なくなっている。



 気がつけば、じっと二人で見つめ合っていた。


「ね、とーや」

「……なんだ?」

「大好きだよ」


 唐突に告げられたその言葉。

 何度も言われたはずのその言葉は、強く胸を打ち付けてきた。


「俺も、大好きだよ」


 そう返せば、ミアははにかむように笑った。一つ一つの笑みがもうとても綺麗で可愛らしい。


「また一つの節目だね」

「そうだな」



 交際。プロポーズを経て、結婚式。



「次は――」


 ミアは言おうとして、しかしやめて。

 小さく俺に笑いかけてきた。


「また挨拶、行かないとね」

「ああ。ミアの両親にも」

「ん。終わったら行こっか」



 すると、コンコンと扉がノックされた。


「お時間が近づいて参りましたので、ご準備のほどよろしくお願い致します」

「ありゃ。時間が経つのは早いね」

「……ミア」



 手を差し出すと、ミアは俺の手を取り。立ち上がった。


 そして、俺と手を繋いで前を歩いた。


 普通ならば新郎がエスコートする場面。しかし、ミアはそれは望まない。



 俺とミアは隣同士、支え合って歩いていくのだから。


「さ、行こ!」

「ああ!」



 ミアの隣に立って、歩き始める。



 その足取りは羽根のように軽い。今ならどこまでも羽ばたいて行けそうだ。


 ――いや。どこまでも羽ばたけるだろう。



「ね、とーや。言いたい事あるんだ」

「俺も、言いたかった事がある」



 顔を見合わせて。俺達は笑う。



「愛してるよ、とーや」「愛してる、ミア」


 これからもずっと、笑い続けられる。ミアと、みんなと一緒なら。








 ――――――――――――――――――――――


 あとがき

 次回のエピローグで完結です

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る