おまけ その4 紫苑の運動会 後編

「ちょっとのんびりしちゃったな」


 障害物競走だというのに紫苑を褒めすぎた。

 全然褒め足りないし、ぎゅーってして頭を撫でたいくらいなのだが。それは終わってからにしよう。


「たのしかったー! でもまけたくなーい!」

「……ああ。一緒に頑張ろうな」

「おー!」


 あの障害物を乗り越えるのは俺達の方が早かったのだが、ちょっと褒めてる間に先を越されてしまった。……いや。そこそこ褒めてたかもしれない。


 最後は園をぐるりと回る感じで走る。ここだけは親子、もとい保護者と子で手を繋いで走らないといけないらしい。


 今は絶賛紫苑と走ってる最中だ。


「紫苑、疲れてないか?」

「だいじょーぶ! かつもん!」


 紫苑の目からは絶対に勝つという意志を感じる。それなら俺も頑張らないと。


「がんばるー!」


 紫苑の言葉に微笑みながら走っていると、気がつけばゴールはすぐ目の前。隣には颯君親子が居て――



 一度。颯パパと目が合った。小さく口が動く。


 ――負けない!


 たかが幼稚園の運動会で、などとは言えない。子供にかっこいい所を見せるためならば、いくらでも本気になれる。


 そして――



 俺達はゴールした。



「一位は、紫苑ちゃんとお兄ちゃんさんです! 二位は颯君とパパさんでした!」


「えへー! いちいー!」


 折り紙で作られた金メダルを見て、ニコニコとする紫苑。


「ああ。紫苑がいっぱい頑張ったからだぞ」

「ちがうもん!」


 俺の言葉に紫苑が首を振った。


「おにーちゃんとしおんが頑張ったからだもん!」

「ごめん。お兄ちゃんちょっと泣きそう」

「え!」


 やばい。鼻の奥がツンとしてきた。



 紫苑が心配そうに顔を覗き込んできた時だった。


 視界の端にとある親子が映る。


「にい……」

「ごめんね、颯。パパのせいで勝てなくて」

「……うぅ」


 折り紙で作られた銀メダルを見る颯君親子。


 俺達が一位という事は、颯君親子は二位という事だ。

 颯君は今にも泣きそうで。しかし、それだけならまだパパさんがどうにかするだろうと思った。思っていた。


 その「目」を見て。嫌な予感がした。


「紫苑。ちょっとまっててくれ」

「……?」


 よく分からなくとも頷く紫苑。一度頭を撫でると、嬉しそうに笑った。


 俺は彼らの元へ近寄る。


「颯はよく頑張ったよ。だから泣かないで」

「いや!」


 お父さんの手を振り払う颯君。お父さんは困ったように、しかし申し訳なさそうに微笑んでいた。


「……うぅ」


 その目尻には涙が溜まっている。そして――


「パパなんて、パパなんて、だいっ――」

「颯君」


 その言葉に割り込んだ。そして、颯君の上げた手を優しく握る。


「颯君」

「……っ!」


 颯君は俺を見て、手を振りほどこうとする。

 でも、さすがに子供に力負けはしない。痛くしないように気をつけた。


 颯君は俺を蹴ってきた。


「颯! やめなさい!」

「大丈夫です。……吐き出すのは大事ですから。特に子供は」

「しかし……」

「本当に大丈夫ですよ」

「す、すみません」


 保育園に居た頃も多少のイタズラはあった。子供に本気で怒るほど子供ではない。……叱りこそすれど。


 大人しく颯君に蹴られる。子供とはいえ少し痛い。


 でも、これで良い。


「きらい! おまえなんてきらい!」

「うん、良いよ。お兄ちゃんの事は嫌いで良い。大っ嫌いでも良いよ。……でもね」


 嫌いなのは承知の上で、話を聞いて貰わないといけない。


 颯君のもう片方の手を掴んで。ハッとした颯君と目を合わせる。


「言葉は包丁さんと一緒だよ。使い方を間違えたら、怪我をさせてしまう」

「うるさい!」

「うん、ごめんね。良いよ。お兄ちゃんの事はどれだけ悪く言っても」


 その頬に両手を合わせて目を合わせる。


「だけどね。ちょっとだけ聞いて欲しい」


 少しだけ強く。彼を見た。


「その包丁さんは、お兄ちゃん以外の――ましてや、大好きな人達に向けないで欲しいな」


 大切な人にいきなり包丁を向けられたら、どうなるだろうか。


 悲しい、凄く。向けられた人は凄く悲しくなるだろう。


 そして――


「いつか、後悔する事になる。だからね。その言葉は絶対に大好きな人に向けちゃいけない。大好きだって思った事がある人には言ってはいけない」

「……」


 もちろん、本気で関係を終わらせようと思うのならば、話は別だが。今はそうじゃない。しかも、まだ五歳とか六歳なのだ。



 気づけば、颯君が暴れる事はなくなっていた。


「お父さん。休みの日は遊んでくれたりする?」


 そう尋ねると、颯君は小さく。本当に小さく頷いた。


「良いお父さんだよ。颯君の事が大好きで大好きで堪らないから。休みの日も一緒に遊んでくれるんだよ」

「……わかってるもん。おとーさん、おしごとからかえってきたらすぐねちゃうし」

「……! そっか。でも、お休みの日は一緒なんだね」


 返事をしてくれて嬉しくなる。そしてまた俺の言葉に颯君は頷いた。


「颯君」


 思わず笑顔になってしまう。手を離すも、颯君が逃げたりする事はなかった。


「言葉は包丁さんだよ。傷ついちゃうこともあるけど、正しく使えば相手を嬉しくする事も出来るんだ」


 その頭に手を置く。颯君はこくりと頷いた。


「ほら、お父さんにぎゅってしてごらん」

「……ん」


 颯君の頭から手を下ろすと。颯君は走って、お父さんに抱きついた。


「ごめんなさい、パパ」

「――」


 そして、そのお父さんはと言うと――泣いていた。めちゃくちゃ。男泣きである。


「ぼく、ぼくね。パパのこと、だいすきだよ。……ごめんなさい、わがままいって。まけちゃって、ごめんなさい」

「――良いんだよ、颯。お父さんらしい所、あんまり見せられなかったかな」

「そんなこと、ないもん! パパ、かっこよかったもん!」


 颯君をぎゅっと抱きしめるパパさん。


「パパがいちばんかっこいーもん!」


 もう、大丈夫だろうな。この言葉が聞けたなら。



 二人を見て微笑み、戻ろうとして――颯君が一瞬だけ、俺を見た。


 ――ご、ごめんなさい


 そう口パクで伝えてきて。お父さんに似てるんだなとほっこりした。『いいんだよ』とだけ口パクで返して紫苑の所に戻る。



 紫苑はじっと。俺を見つめていた。


「ほわぁ……」

「……紫苑?」

「おにーちゃん」


 紫苑はどこかぼうっとしていて。手を広げてきたので抱きしめる。


「なんか、なんかね」

「……?」

「すごかった」

「凄かった?」


 オウム返しにすると、紫苑がうんうんと頷いた。


「なんか、なんか。すごかった。かっこよかったの」

「ふふ。ありがとう」

「うーん。でもね、なんかね、ちがうの」


 紫苑は上手く言葉に出来ないようで、ぎゅーっと俺を抱きしめていた。


「なんかね、なんかね。おにーちゃん、すっごくかっこよくて。かっこいーんだけどね。……すごいの!」

「凄いのか」

「そー! それでね……あ!」



 紫苑はあっと声を上げた。何か良い言葉が思いついたらしい。


「もっと、もっとね! おにーちゃんがすきになったよ!」

「……そっか」

「うん! だいすき! おにーちゃん!」

「お兄ちゃんも紫苑の事、大好きだよ」

「でも! おにーちゃんはしおんたちのおにーちゃんだもん!」


 手を掴んで自分の頭へ誘導してくる紫苑。多分、颯君の頭を撫でたのが気に入らなかったのだろう。


 ミア達の方を見る。

 茜と柚も少しぼうっとしていたものの、すぐにほっぺたを膨らませた。戻ってからいっぱい撫でてあげないといけないかもしれない。



 しかし――覚えているものだな。



『柊弥。言葉は包丁さんなの』

『いいかい? 柊弥。大好きな人に包丁さんを向けられたら、とてもショックなんだよ』

『そうなの。今は良くても、後々すっごく後悔する事になっちゃうの。柊弥にはそんな思いをして欲しくないの』

『でも、どうしても耐えられないって事があったら。お父さんに向けなさい。それで、終わってからいっぱい仲直りするからね』

『お父さん。……柊弥。向けるならお母さんにしてね。大丈夫。子供は感情の制御が難しいから。それに、お母さん達は柊弥の事を一回や二回で嫌いになったりしないのよ。ただ、お母さん達は柊弥が後悔する顔を見たくないから。あんまり向けないように、って思ってね』



 覚えているよ、お母さん。お父さん。

 今でもずっと覚えてる。絶対忘れる事はない。


 三人はとってもお利口さんだから、この言葉を使う機会は今までなかった。……でも、お利口さんだからこそ、これから大変な事がいっぱいあるかもしれない。



 その時はまた、俺なりの言葉で伝えるよ。

 ミア達といっぱいお話をして、導くよ。三人の事を。


 ありがとう、お父さん、お母さん。二人のお陰で今の俺がいるから。


 ◆◆◆


「……とーや」

「なんだ?」

「次、私の番だから」

「……ふふ。ミアも甘えんぼさんになったわね」

「いーじゃん。恋人なんだし」

「そうだな。いっぱい甘えてくれ」


 三人に続いて、ミアの頭も撫でたのだった。


 ちなみに颯君との所はお義母さんに動画に撮られていて、お母さんがそれを見て大号泣しながら俺を抱きしめてくれたのだった。

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