第42話 世良柊弥の一歩目


 夜遅く。日が変わってから、電話が来た。


『おにーちゃん! たんじょーびおめでとー!』

『おめでと!』

『おめでとー!』

『ごめんね、夜遅くに。三人ともお兄ちゃんに言うんだって聞かなくてさ』


 八月二十日。俺の誕生日だ。


「いや、嬉しいよ。ありがとう、ミア。紫苑。茜。柚」

『えへー!』

『にこー!』

『えへにこー!』


 可愛い。電話越しでも可愛い。


「よく寝るんだよ、三人とも」

『はーい!』

『いっぱいねる!』

『ねるー!』


 しかし、夜更かしは毒である。特に子供には。


 三人の言葉に頷き、笑う。


『じゃあ今日行くからね』

「了解だ。叔母さんはお昼過ぎくらいに来るらしい」

『おっけ。おかーさんもそんくらいから行けるって』

「ああ、分かった。それじゃあ」

『ん、おやすみ、とーや』

『おやすみ!』

『またねー!』

『あしたー!』


 三人の言葉を聞いて、電話を切る。


 そのまま俺はベッドに寝転がった。



「眠れない」



 毎年そうだった。


 誕生日は嫌いだった。両親の命日だから。



 待ち続けた。

 でも、帰って来なかった。

 どれだけ待ち続けても。大好きだったあの人達は帰ってこなかった。



 眠るのが怖かった。

 眠ったら、お父さんもお母さんも帰ってこなくなるんじゃないかって思った。もう帰ってこないと分かっていたのに。

 でも、眠れなかった。



 八月二十日。いや。十九日から二十一日にかけて、俺は眠れない。眠れなかった。



 あれから一度も、眠れた事がない。

 ホットミルクを飲もうが、睡眠導入剤を飲もうが、眠れなかった。ただ頭が痛くなって、吐き気を催すだけだった。



 そのはずだったのに。



「……どこまでも、俺を変えてくれるんだな」


 重くなっていく瞼の中。そう呟く。



「ありがとう」



 この言葉は改めて伝えよう。


 そう考えたまま、俺は眠りに落ちたのだった。


 ◆◆◆


「やほ、とーや。寝れた?」

「ああ、凄くよく眠れた。びっくりするくらい」


 それで――


「夢を見た」

「へえ、どんな?」

「みんなでケーキを食べる夢だ」


 ミアと、紫苑と、茜と、柚と、四人のお母さんと、叔母さん。


 それを、お父さんとお母さんが遠くから見つめている夢


「ふふ、そっか。良い正夢じゃん」

「……正夢、か」

「そ、正夢。みんな居るんでしょ?」

「ああ。そうだな」


 みんな、居た。居たのだ。……お父さんとお母さんも。


 でも、起きた時。不思議と寂しくならなかった。


「おにーちゃん?」

「どーしたの?」

「だいじょーぶー?」

「……ああ、大丈夫だよ」


 三人が心配そうに見つめてくる。

 俺は一度、深呼吸をして。三人を抱きしめた。


「ありがとう。紫苑、茜、柚」

「……? どーいたしましてー?」

「どーいたしまして!」

「どーいたしましてー!」


 三人は暖かく、優しくて、心地良い。


 一度ぎゅっと抱きしめてから、俺は離れた。


「ミア」

「ん」


 ハグして良いか、と聞こうとして。しかし、ミアは俺の言葉より早く腕を広げた。


「……」


 それ以上聞かなくて良い、とその目は告げている。


 手を取って、その体を引き寄せる。抵抗は一切ない。


 細く、しかし柔らかな腰を抱いて。強く抱きしめる。


「ありがとう、ミア」

「ん、どーいたしまして」


 強く。強く抱き締めてから、ミアを離そうとして――


「もーちょい」


 しかし、今度はミアが強く抱きしめる番だった。


「私こそありがと、とーや」

「……どう、いたしまして」

「ふふ」


 ミアの笑い声が耳をくすぐる。


「……だよ、とーや」

「……ミア?」

「んーん、なんでもない」


 ミアの言葉は口の中で呟かれたもので、ほとんど聞こえなかった。


「なんでもないよ。まだ、ね」


 その言葉は強く。頭の中に残っていた。



 ◆◆◆


「柊弥」

「久しぶり、叔母さん。……ミア達のお母さんもお久しぶりです」

「ふふ。一週間ぶりくらいね、柊弥君」


 目の前にはとても綺麗な女性が二人立っていた。

 茶髪をポニーテールにして、少し肌の焼けた三十代の女性。

 俺の叔母さん。世良玲香せられいかである。お父さんの妹だ。


 叔母さんとハグをしてから、もう一人の女性を見る。


 そして、もう一人。黒髪を伸ばした綺麗な女性。ミア達のお母さんである。



「えーっと。……もしかして叔母さん、ミア達のお母さんに会った?」

「ついそこでね。少しめいちゃんと話し込んじゃって遅くなったの。ごめんね、柊弥」


 ……めい? ……ああ。ミア達のお母さんの名前か。そういえば聞いていなかった。


「いや。仲良くなれそうなら良かったよ」


 紹介の手間が省けたのだから。



 と、その時である。


「お母さん、おかえ……あ」

「おかーさん!」

「おかえり!」

「……?」


 ミア達が顔を見せた。紫苑と茜、柚はお母さんを見て……叔母さんを見て、首を傾げた。


「ミア、紫苑、茜、柚。紹介するよ。俺の保護者で叔母さんの……」

「世良玲香よ。よろしくね、ミアちゃん」

「天海ミア、です。よろしくお願いします」


 ミアは礼儀正しくお辞儀をした。そして、叔母さんがちょいちょいと三人を手で招いた。


「紫苑、茜、柚。叔母さんは優しい人だから大丈夫だよ」


 てててーっと走ってくる三人。そして、さっと俺の後ろに隠れた。


「……は、はじめまして! あまがい、しおん、です」

「あまがいあかね、です」

「あまがいゆずー、です」

「あらー! 偉いね偉いねー! はじめまして」


 叔母さんはテンションを高くしながらしゃがむ。


「よろしくね、紫苑ちゃん、茜ちゃん、柚ちゃん。紫苑ちゃんがお姉ちゃんなのかな?」

「は、はい!」

「ふふ、やっぱり。ちゃんと二人のお姉ちゃんしてるのね。あ、チョコ食べる?」

「チョコ!」


 やはり現役保育士。子供の扱いはお手の物である。……いや、紫苑と飴玉で仲良くなった事を話していたので、それを覚えていたのだろう。


「はい、チョコレート」

「わーい……! ありがとーございます!」

「ありがとーございます!」

「ありがとーございますー!」


 叔母さんからチョコレートを貰って喜ぶ三人。嬉しいが……。


「なんか三人が食べ物で釣られそうで怖い」

「ふふ。大丈夫だと思うよ」


 ミアが近づいてきて。チョコをもぐもぐと食べている紫苑の頭を撫でた。


「紫苑。知らない人から食べ物は?」

「もらっちゃだめー!」

「ならどうして貰ったのかな?」


 紫苑がきょとんと首を傾げる。


「……? おにーちゃんのおかーさんからもらった!」


 ――おにーちゃんの、おかーさん。



 紫苑の言葉が頭の中で反響した。



「ってな感じでね。信頼する人からしか食べ物は貰わないんだよ」

「……そう、か。そうだな」


 ミアの言葉に頷きながらも。俺は考えた。


 いや。考えるな。



 俺も。進む時が来たのかもしれない。いや、来た。


『お前はそれで、本当に後悔しないのか?』


 するだろうな。ここで言わなかったら、俺は二度と言えなくなってしまうだろう。


 そして、必ず後悔をする。



 それは嫌だ。



「叔母さん」

「はい、柊弥」

「叔母さんが良かったら、なんだけどさ」


 昔、聞かれた事があった。


『柊弥が良かったら、お母さんって呼んでくれたら嬉しいな。新しいお母さんじゃなくて、二人目のお母さん、どうかな?』


 ごめん、叔母さん。あの時は何も返せなくて。何も言えなくて。



 もう、遅いかもしれない。でも――



「これから、お母さんって呼んで……良いかな」


 叔母さんが許してくれるのなら、そう呼びたかった。



「もちろん」


 ぎゅっと、抱きしめられる。強く。暖かく。


「柊弥が呼んでくれるなら。ううん。呼んでくれなかった時も。ずっと私は柊弥のお母さんで居たのよ」

「ありがとう。……お母さん。ごめん。あの時、言えなくて」

「良いの。謝る事なんて一つもないからね」



 やっと。


 五年もかけてしまったが――



 俺と叔母さんは家族になれた。


 これが、俺の一歩目だ。



 ◆◆◆


「ミアちゃん、料理上手ね。私が作るご飯より美味しいわよ」

「ふふ、ありがとうございます。全部得意料理なんです」


 夕ご飯はとても豪華であった。


 ローストビーフにパンプキンスープ。山盛りのサラダにローストチキン、そしてポテトサラダなどなど。



 その全てが美味しかった。


「あ、そうそう。柊弥、誕生日プレゼント。買ってきたのよ」

「ああ、ありがとう。……お母さん」


 まだ少し呼ぶのが照れくさい。でも、呼んだら嬉しそうにしてくれる。


「はい、柊弥。誕生日おめでとう」


 お母さんから渡されたのは、細長い箱に包装がされたもの。


「開けてみても良い?」

「もちろん」


 お母さんから許可を取って、箱を開けるとそこには――



 ネックレスが入っていた。シルバーネックレスだ


「柊弥もオシャレとかしたい年頃かなって思ってね」

「……! ありがとう、お母さん。嬉しい」


 アクセサリー。今まで興味はなかったものの、ミアと出会ってから、少しだけ気になり始めていた。


「ふふ。貸してみて。付けてあげる」

「ああ、お願い」


 お母さんへと手渡して。首に付けてもらう。


「うん、もっとかっこよくなった」

「……ありがとう、本当に」


 振り向いて、ミア達へと見せる。


「どうかな」

「ん。もっと、すっごくかっこよくなった。似合ってるよ、とーや」

「かっこいー!」

「にあうー!」

「すごいー!」

「ふふ。もっと男前になったわね、柊弥君」


 その言葉が嬉しくて。頬が緩んだ。


「でも良かった。私も柊弥君にプレゼントがあったのよ」

「……本当、ですか?」

「ええ。会社の若い子に聞いてね。はい、柊弥君。誕生日おめでとう。開けてみて」


 そう言って渡されたのは、長方形の箱。


 開けると――


「香水、ですね! 嬉しいです!」


 香水であった。シトロン系の爽やかな香りのものだ。


「ふふ、良かった。喜んで貰えたみたいで」

「はい! すっごく嬉しいです!」


 香水はこの歳では手を出すのは難しい。使い切ったらまた買わないといけなくなるから。一度買うまでが難しいのだ。


 だからこそ、背中を押してくれたようで。嬉しかった。


「大切に使いますね」

「ええ。いっぱい使ってちょうだい」


 箱ごと抱きしめて、更に頬が緩んでいく。


「……とーや。私達からもあるんだけどさ」

「ミア達からも?」

「ん」


 ミアが頷いて、小さく笑う。そして、お母さん達を見た。


「ちょっとだけ、とーやと話したいから。良いかな。終わったらすぐに呼ぶから」


 ミアの言葉に察してか、二人が頷く。


 二人が部屋から出るのを見届けながら――一体、何を贈ろうとしているのな。俺は首を傾げるのだった。

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