第35話 東俊という男

 夏休みに入った。


 遂にである。

 遊び放題の夏休みである。


 ……去年までの俺なら、夏休みだなんだと引きこもるか、叔母の保育園の手伝いに行くしかしなかったのだが。


 今年はそこそこやる事がありそうである。もう、一人ではないのだから。


 とか思っていた矢先の事である。


『あー、ごめん。ちょっと今週末、朝からお昼にかけて三人とやりたい事があってさ。ほんとごめん。夕方にはそっち行くけどさ。あ、月曜からはとーやのとこに入り浸りになるつもりだけど』


 という事で、週末の昼は暇になってしまった。と思えば、とある男から連絡が来た。


『カラオケ行こうぜ』


 俊である。そういえば最近は遊んでなかったなと思い、すぐに返した。


『ああ。行きたい』

『おっしゃ。土曜行くぞ』


 という事で、俊とカラオケに行く事になった。


 ◆◆◆


「おーっす。おひさ柊弥」

「学校で会ってからそんなに時間経ってない気がするが」

「遊んだのは半月ぶりくらいだろ? そりゃもう久しぶりよ、久しぶり」

「それは……そうか。そうだな」


 俊がうんうんと頷き、さてと歩き始める。

 カラオケはすぐそこであり、軽く雑談しながら中へと入った。


「柊弥はコーラでいいよな?」

「ああ、助かる」


 俊が飲み物まで入れてくれ、そのまま部屋へと入った。


 荷物を置いて、ふうと息を吐く。


「さて、柊弥よ」


 ソファーにどかっと座った俊がじっと、俺を見てきた。改めて見ても顔が良い奴だ。実に絵になる。


「なんだ?」


 その対面に座って俺も俊を見る。



「柊弥。天海さんと付き合ってるっての、嘘だろ」



 いきなりの言葉に目を見開く。

 ……かなり、あからさまな反応をしてしまった。


「ああ、安心してくれ。別に誰かに言おうって訳じゃない。てか柊弥なら分かるだろ?」

「まあ……話さないとは思うが」


 そこは大丈夫だとして。もう隠す必要はないだろう。


「どうして分かったんだ?」

「勘」

「めちゃくちゃシンプル」

「俺とお前の仲だしな」


 とは言っても俊とは高校生からの仲。精々三ヶ月の仲である。


「精々三ヶ月の仲――とか思ってないよな?」

「当たり前のように心を読んでくるな」

「ははっ。俺とお前の仲だからな。三ヶ月だろうが一年だろうが、友達は友達だからな」


 自分で言うには恥ずかしくなる事も、この男が言えば様になる。……嬉しいと思ってしまっている俺も俺なのだが。


「……そうだよ。ミアとは付き合ってない」

「ほう? となるとあれか。あの時は勢いで言って、その後天海さんと話し合って恋人を演じてるみたいな流れか」

「エスパーかよ」

「ちょっと考えれば察しくらいつくって」


 しかし、そうなると話は早い。さすがにミアに確認も取らずに話す訳にはいかないが。


「あー、ちょっと待ってくれ。ミアにどこまで話していいか聞いてみる。今日用事があるらしいから、返事があるかどうかは分からないけど」

「おうよ。返事あるまで歌っとこうぜ。時間はいくらでもあるんだからよ」


 その言葉を聞いてスマホを取る。


『俊にバレた。口が堅いのは保証する。どこまで話していい?』


 とだけミアへ送り、カラオケらしく歌い始める。


 俊と俺を三週した所でスマホが震えた。


『全部話しても良いよ。三人の事も』

『分かった』


 ミアへとそう返信し、俊を見る。俊はマイクを置いて、じっと俺を見ていた。


「全部話していい、とは言われた。長くなるから、かいつまんで話すぞ」

「おう。頼んだ」


 それから俺は、ミアとの事を話した。


 迷子の子供を見つけたら、それがミアの妹であった事。

 それから仲良くなった事。あの噂が事実と異なる事。


 そして、あの日の事を話した。俺がミアを『恋人』だと言った日の事を。


「なるほどなぁ。お前中々凄い事になってたんだな」

「まあ、そこまででもないかな。楽しい事には楽しかったしな」


 それなら良いけど、と頷く俊。かと思えば、その黒い瞳はじっと俺を見据えた。


「んで? 好きなのか?」

「また随分ド直球に聞くんだな」

「俺達の仲で遠回しに聞くのも変だろ」


 それもそうかと思い。しかし、改めて口にするのは気恥しい。


 目を瞑り、一度だけ深呼吸をする。


「……好きだよ」

「んじゃもう付き合ってるのか?」

「いや……」

「どうしてだ?」


 俊の言葉は茶化すようなものではなく……純粋な疑問から来ているようだった。


『どうして』


 その言葉に俺は目を瞑る。


「不安は、ある。男として見られていないとか」

「……めちゃくちゃ可能性は低いと思うけどな」

「自意識過剰だと思いたくないが、俺もそう思う」


 絶対とは言えないが。少なくとも嫌われてないはずである。


 それは良いとして。一番は――



「怖いんだ。失うのが」



 小さく呟いた。


 怖い。それが俺の本音だ。


「誰かが居なくなるのが――好きな人が居なくなるのが、怖い」


 俊はじっと。俺の言葉を聞いていた。


「五年前。俺の両親は亡くなった。いきなりの事だった。それから、怖くなったんだ」


 話すつもりではなかった。でも、気がついたら話し始めていた。


「大切な人が居なくなるのが、怖い。凄く、怖いんだ。また居なくなるんじゃないかって」


 どんどん声は小さくなってしまっていて。最後の方は俊に聞こえているかも分からなかった。


 大切なものだろうが、いつかは壊れる。その事を改めて実感してしまった。


「……なるほどな」


 俊は神妙な面持ちで頷いた。そして――



「柊弥。俺はこれからめちゃくちゃ不謹慎な事を言う。後で一発殴ってくれても良い」



 そう前置いた。そうまでして言いたい事とはなんだろうか、と。俺は俊を見た。



「もし、柊弥が何かの拍子で明日死ぬ事になったとして。後悔しないか?」



 その言葉に俺は目を見開いた。



「死ぬ瞬間。お前は後悔しないのか? あの時言えばよかった、って」



 俊の言葉に俺は押し黙る。

 何も、返せない。


「俺がモデルになりたいって思った理由。まだお前に話した事なかったよな」

「……ああ」

「単純だ。なりたいって思ったからだ」


 俊は即座にそう答え。目を薄く閉じ、どこか遠くを見つめた。


「五歳くらいの頃。テレビに出ていたモデルに一目惚れしたんだ。一目惚れって言っても、恋愛的な方じゃない。こんな人になりたい、って思いだ」

「そうか」

「ああ。んで、めちゃくちゃ親に反対された。……いや、小学生くらいまでは良かったんだけどな。中学高校って上がるにつれて、親は良い顔をしなくなった。当たり前と言えば当たり前だろうな」


 俊は小さく笑う。どこか自虐的な笑みにも見えた。


「いつまでも夢見る子供。そんなふうにしか見られてなかったんだろうよ。実際間違ってはいない。……でも、俺は諦めなかった。どうしてかって言うとだな」


 俊は目を見開いて。俺をじっと見た



「後悔したくないからだ」

「……後悔」

「ああ。人生は一度しかない。もし普通のサラリーマンの人生を送ったとして。老衰だろうがなんだろうが、死ぬ直前に俺は後悔するね。『あの時ああしておけば良かった』って」


 どこか俊らしい答えでもある。じっと。その事について考えた。


「何にせよ、後悔はすると思う。でも俺は、『やらない後悔』より『やった後悔』の方が良い。どうせ百年後には死ぬんだ。それならやりたい事をやった方が良い」

「そう、かもしれないな」

「ああ。だから俺は今、お前に向けて言ってる。言わなかったら後悔すると思ったからな。寝る前に。ふと思い出した時に。死ぬ時に。絶対後悔すると思ったから」


 その言葉に思わず笑ってしまった。


「本当に俊らしいな」

「ああ。俺は俺だからな。だが、お前はお前でもある」


 俊が手を組んで俺を見る。


「俺はお前の人生を歩んでいない。だから、俺は割と言いたい放題言ってる。その自覚はある」

「……そうかもしれない」

「でも、こんなのは俺くらいしか言えないと思う。だからこそ言わせて貰うぞ」


 その瞳は鋭くも、優しくもある。



「お前はそれで、本当に後悔しないのか?」



 まっすぐと向けられたその言葉。



『後悔』



「しない訳、ない」



 そう答えると。俊がふっと笑った。


「そうか。それが聞けて満足だよ」


 俺はまた考えようとし……。


「ま、俺から言えるのはこんくらいだな。俺も満足したし。んじゃ、歌おうぜ」

「……そうだな」


 随分と勝手な発言に聞こえはするが、気分転換は大切である。

 今日、俊が連れ出してくれたのはこの為でもあるのだろう。


 ここで考えたら俺は、俊にアドバイスを求めるかもしれない。

 違う。これは俺一人で考える事だ。俺が決める事だ。



 一度リフレッシュして、終わったらまた考えよう。俺がどうするべきなのか。


 どうしたいのか。悩んで、答えを出そう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る