第32話 世良柊弥は悩み続ける

「おはよ、柊弥」

「ああ、おはよう。ミア」


 今日も今日とて学校が始まる。

 一つ気づいた事があった。


「視線、減ってきたな」

「お陰様でね」


 学校に着いて、いつも通りミアの近くの席に座る。


 いつの間にか『いつも通り』になってるな。そこまで時間は経ってないと言うのに。


 ミアは俺の前の席に座る。肘をついて気だるそうに俺を見つめていた。なんか新鮮だな。


 ミアは三人と居る時はお姉ちゃんになる。溌剌としているとまでは言わないが、そこそこ元気であった。


 だけど、学校に居る時はいつも気だるそうにするのだ。


 しかし、じっとその表情を見つめていると。少し違う事に気づいた。

 確かに気だるそうにはしている。……しているのだが、前までと少し違う。


「ん、違うと思う?」

「……心を読んできたな」

「分かるよ、そんな見られたら。ん」


 ミアが姿勢を正して、ちょんちょんと手の甲をつついてきた。手を出してと言っているのだ。


 なんだろうと手のひらを差し出すと。手を合わせられた。手の大きさを測るように。


 そして、その指が滑り。指を絡めるように、握られた。


「私が変わったって言うんだったら。とーやのお陰だね」


 ふわりと。日が当たった花が咲くように――ミアは笑った。



 ドクン、と。強く心臓が脈打った。


「最近さ。楽しいよ、私。学校はヤだったけど。最近は違う」


 更にその手をもう片方の手で包み込まれる。手のひらが暖かく、覆われた。


「楽しいよ。とーやと話が出来るの。こうやって、触り合えるの」


 ミアがその手を引き寄せ――自身の、ほっぺたに当ててきた。


「ふふ。とーや、あったかいんだね」


 すり、とそのすべすべなほっぺたが擦り付けられ――


 その表情からは彼女達の面影が感じられる。半分は血が繋がって……いや。きっと、ずっと一緒に居たから伝染ったのだろう。


 その時だった。


「朝からイチャイチャしてる……」

「ありがとうございます!」

「天海さん可愛い……」


 例の三人の言葉に俺は息を詰まらせる。


 そうだ。学校では恋人という事になってるから、ミアもこうして……



 本当に?



 いや、そうだ。そのはずだ。


「とーやの手、結構おっきいよね。私と比べてもこんなにあるし」


 ミアは三人の言葉など意に介さないかのように振舞っている。


「それに、あったかい」

「……ミアだってあったかいぞ」

「お互い様、って事だね」


 ミアが小さく笑って――


「どっちだと思う?」


 小さくそう呟いた。また、心を読むように。


「……」

「ふふ」


 何も返せずにいるも、ミアは笑って俺の手を弄り始めた。


 その綺麗な指が小さく手の甲をくすぐる。手のひらをぐにぐにと揉まれる。


 そうしていると――始業を告げる鐘が鳴り響いた。席に戻らなければいけない。


 ミアに手を離して貰って、立ち上がり。戻ろうとした瞬間。


「とーやがそうであって欲しい、って思ってる方で合ってるよ」


 ピタリと。足を止めてしまった。振り返ると――


 ミアは楽しそうに笑っていた。決してからかってる訳でもなさそうで――


 それから俺は。ずっとその事について考えてしまったのだった。


 ◆◆◆


 授業中。俺は考えていた。


 先程のミアの笑顔の事。その他諸々。


 頭の整理が必要だった。色々と。



 まず一つ。俺とミア、距離が近すぎるんじゃないかという事。

 いや、断言出来る。近い。色々と麻痺してしまっていた。


 紫苑と茜、柚と同じ感覚でやってしまっているからだ。


 しかし……それを直すべきか、と言われると素直に頷けない。学校では恋人という事になっているため、いきなり距離を離しては怪しまれてしまうからだ。


 よって、直さなくて良い……と思う。ミアも……嫌がっていないはずだから。そう信じたい。



 次。どちらかと言えば、こちらの方が本命である。


 もうぶっちゃけよう。自分に素直になろう。



 ――俺。ミアの事が好きなんじゃないか。



 自分で言いながら、思わず目を瞑ってしまう。


 ない……とは言いきれないが。あるとも言いきれないが。


 そもそも、誰かを好きになった事自体がなかった。……家族以外の人を。叔母さん達も家族に入れるとして。


 ミアの事が好きかと言われれば、簡単に頷ける。

 しかしそれがどの『好き』なのか。まだ分からない。


 友人としての『好き』ではない。俊とは違う。


 となると、家族としての『好き』……という可能性もなくはない。


 多分。紫苑と茜、柚に抱いているものはそれに近いと思う。妹のような感覚だ。もしかしたら娘のような……は考えすぎかもしれないが。


 となると、三人と同じ『好き』?

 いや。違うと思う。違うはずだ。


 となるとやはり――


 ふう、と息を吐いた。


 ああ、そうか。



 俺。ミアの事、好きなのか。いや。好きだ。



 ゆっくり。静かに目を開ける。幸いにも先生は板書をしていて、こちらに気づいていない。


 目だけ笑動かして。その席を見ると。



 ミアと目が合った。その、緑色の瞳は確かに俺を見ていた。


 ずっと、その口の端は持ち上がっていて。そこから更に少しだけ持ち上がった。

 学校にいる時、普段はつり目だと言うのに。その目はすこし垂れ、柔らかく俺を見つめていた。


 小さくその手が振られる。ニコリと笑い、小さくウインクをしながら。



 瞬間。俺の心臓は痛いぐらいに強く脈打ち始めた。


 バクバクと。手で押さえても、誰かに聞こえてしまうんじゃないかと思うくらい。


 そして、それと同時に確信してしまった。




 俺。ミアの事好きになってる。めちゃくちゃ。



 ◆◆◆


 学校が終わる。

 ミアと共に三人を迎えに行って、家へと帰り。俺は断りを入れてから自室でずっと考えた。色々と。



 しかしどうしても頭の片隅で――両親の事がチラついていた。


 また居なくなるんじゃないかって。そう思ってしまう。そして、そうなってしまえば――俺は耐えられないだろう。



 居なくなる。それは決して『死』だけでない。普通に気が合わなくなったり、喧嘩をしたりして……疎遠になる可能性だってゼロではない。


 今の俺ならば、それだけで……


『手ぇ、離さないでよ。私も絶対離さないから』


 プールの時に言われた言葉が、脳を反響した。


 強く、何度も首を振って。違う。そういう意味じゃないと。


 ふうー、と。長く息を吐いた。


「めちゃくちゃ重いな」

「なにが?」


 その言葉に肩が跳ねた。

 振り向けばミアがそこに居た。


「や、ご飯そろそろ出来るから呼びに来たんだけどさ。ノックしても名前呼んでも返事なかったから。何かあったのかなって。ごめんね」

「ああ、いや。悪い。少し考え事をしてて。今行く」


 もう一度だけ頭を振って、立ち上がる。


「……ん。じゃあ準備するね」

「ああ。手伝うよ」


 ミアと共にキッチンへと向かう。今日はシチューのようだ。


「このお皿さ。綺麗だよね」


 棚から一枚のお皿を取り出したミアはそう呟いた。


 雪の結晶や雪だるまが描かれている、少し大きめなお皿。涼し気なそれは――


「俺が生まれた時、父さんと母さんが買ってくれた奴だな。……あまり装飾に凝る人じゃなかったんだが、この時だけは俺に合いそうなものを選んで買ったらしいんだ」

「へえ。良いじゃん。でも普通に使っちゃってるけどだいじょぶ?」

「もちろん。使った方が二人も喜ぶはずだ」

「それもそっか」


 ミアが小さく頷いて。シチューを入れてくれた。


 それを持っていこうとすると……扉の方からじっと見てる姿があった。


「おてつだいするー!」


 紫苑である。


「大丈夫だよ。お兄ちゃん達がやるから」

「やー! するー!」


 紫苑がぶんぶんと首を振って近づき。んー! と両手を出してきた。


「……熱いし重いぞ?」

「だいじよーぶ!」


 端のほうを持たせれば大丈夫かと思いつつ。近くに置いていたタオルで下の方を包んだ。


「じゃあこれ、お兄ちゃんの所に運んで貰おうかな」

「がんばるー! しんちょーに!」


 もしかしたら、先程の言葉を聞いていたのかもしれない。


 そう思いながらもゆっくりと紫苑へと渡す。紫苑は言葉通り、凄く慎重に受け取った。可愛い。


 しかし紫苑は受け取ってから、小さく首を傾げた。


「ざらざらするー!」

「……? ざらざら?」


 紫苑がお皿のとある部分を触りながらそう言った。


 嫌な予感がした。


「紫苑。一旦お皿――」



 その時。



 パキン、と。お皿が割れた。真っ二つに。


「紫苑! 手離して!」


 俺の言葉に紫苑がビクリ、として手を離す。それと同時に俺は紫苑を抱き上げた。



 ガシャン! と。けたたましく音が鳴り響いた。紫苑の耳を塞ぎながら強く抱き締める。


「怪我、してないか?」


 音が止んでから、そう尋ねた。


 多分、どこかのタイミングでヒビが入ってしまっていたのだろう。俺もミアも気づけていなかった。


 紫苑に怪我がないか……火傷やお皿の破片で怪我をしていないか尋ねるも。紫苑は呆然としていた。


「ごめ……さい」


 そして、その瞳が潤み始めて。


「ごめんなざい……」


 泣き始めてしまったのだった。


「大丈夫。紫苑は何も悪くないよ」


 紫苑の頭を撫で、微笑みかける。


 悪くない……誰も悪くない事だ。強いて言うのなら、運が悪かった。

 いや。紫苑を泣かせてしまったから、俺が悪い。もっと早く気づけば良かった。




 それなのに。

 俺の心はぽっかりと穴が開いてしまったように。



 何か、大切なものがなくなってしまっていたようだった。……物理的に大切な物を失ってしまったのは確かなのだが。

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