第27話 天海さんのお母さん

「ご両親が……」


 ミアのお母さんが小さく呟く。


「はい。交通事故でした」


 正確には――


「トラックの居眠り運転。正面衝突して、亡くなったと聞いています。トラックの運転手も」

「それは……」

「俺はその場に居合わせていませんでした。あの日は俺の誕生日でしたから」

「……」


 また要らない事を言ってしまったかもしれない。言ってしまった事は仕方ないが。


「誕生日のケーキとプレゼントを取りに行く最中でした」

「柊弥君はその時……」

「サプライズ、と言われて。家で待ってました」



 だけど、帰ってくる事はなかった。


 お昼になって。

 夕方になって。

 夜になっても。



 帰ってくる事はなかった。誰も。


「電話は鳴ってたんですが。親からは電話がかかってきても出なくて良い、と言われてたんです。叔母からの電話だって、もっと早く気づけたら良かったんですが」


 固定電話。それも、番号しか表示されないタイプ。


「夜中。叔母が家まで迎えに来てくれて、その時知らされたんです」


 その時にはもう、誕生日は終わっていた。



「すみません。重い話をしちゃって」

「……いいえ。話してくれてありがとう、柊弥君。その後は?」

「しばらくは叔母さんの所で暮らしました。……その後不登校になっちゃいましたが。中学二年生の時に思ったんです。あの家に戻りたいって。だから、勉強を頑張りました」


 その判断は決して間違っていない。そう思う。


「ミアに。紫苑に茜、柚に出会えました。もちろんミアのお母さんにもこうして会えましたので。頑張った甲斐がありました」


 まだ、全然吹っ切れていないが。


 ミアの手の甲を撫でながら。俺はまた呟く。


「ミアと比べるつもりはありません。……それでも、ミアは俺よりずっと強い。そう思います」


 ミアは、強い。俺よりもずっと。どこまでも。


「さっきのやり取りを見てて、思ったんです」


 一つ。決定的に俺と違う所。


「ミアは貴方を……お母さんだと、受け入れて。前を向いている」


 それに比べて、俺は。


「俺は、叔母さんを……受け入れられなかった。叔母さんは凄く優しくしてくれた。それなのに、俺は壁を作って。内に閉じこもった」


 ――それが、ミアと俺との大きな差。


 全て、俺が悪いのだ。


「そんな事、ない」


 その言葉に俺は顔を上げる。



 次の瞬間。俺はミアのお母さんに抱きしめられていた。


「君は。柊弥君は、しっかり前を向いている。ミアを助けてくれたのは、他の誰でもない君だよ」

「……」

「君は前を向こうとしている。ただ、時間と助けが必要なだけだよ」


 その手が――暖かい手が。頭に置かれた。


「……ありがとう、ございます」

「良いのよ、お礼なんて。でもこんなおばさんがしゃしゃり出て来る訳にはいかないわね」


 俺は離され。そして、ミアのお母さんがじっと。見つめてきた。


「大丈夫よ。柊弥君には私達の娘がついてるんだから。四人に比べたらあれだけど、私も居るわ。絶対に。もう一切悪い方向へは進まないわよ」

「……そう、ですね」

「ええ」


 ミアのお母さんは嬉しそうに。楽しそうに笑う。


「紫苑。可愛いでしょ?」

「はい。めちゃくちゃ」


 まるで本当の妹のように。懐いてくれた。とても可愛かった。


「茜。可愛いでしょ?」

「はい。めちゃくちゃ」


 まだ遊びたいと伝えてくるあの子も、子供らしくて。とても可愛い。


「柚。可愛いでしょ?」

「はい。めちゃくちゃ」


 いつも眠たげにしていて。眠る時にぎゅっと抱きついてくる姿は、とても可愛い。


「ミア。可愛いでしょ?」

「……はい」


 同級生に言うのは少し恥ずかしかったけど。そう言えば、満足そうにミアのお母さんが頷いた。


「柊弥君があの子達を大切に想ってるのと、同じかそれ以上に。柊弥君も大切に想われてるのよ。だから、大丈夫。ミアの言った通り一人にはならないわ。いいえ。一人にはしない」


 そう言って、柔らかく微笑む。どこかで見た事があるような笑い方で――



 ああ。そっか。ミアに似てる……違うな。ミアが似てるんだ。



「ミアの家族なら私の家族でもあるのよ。何か困った事があれば言うのよ。遠慮なんて捨てちゃって」

「……ありがとう、ございます」


 また。その手がぽんと頭に置かれて。


「ミア達はきっと、辛い時に寄り添ってくれる。……出来れば、ミア達が辛い時も寄り添ってくれると嬉しい。私もなるべく傍にいられるようにするつもりだけど」

「もちろんです。任せてください」


 ミアのお母さんは良い人だ。仕事を放り出してでも、ミアの所に来るくらい。


 それでも今日のように、俺の方が早く来れる事はあるだろう。


「一つ。聞いても良いかしら」


 ミアのお母さんの言葉に首を傾げつつ。はい、と頷く。


「柊弥君の誕生日はいつかしら。……辛いなら、私達と一緒に居れば良いのよ。もちろん柊弥君の保護者の方も一緒にね」

「……ありがとうございます。八月二十日が誕生日です」


 その言葉にミアのお母さんがあら、と目を丸くした。


 柊弥という名前なのに夏に生まれたから。それが疑問なのだろう。


「この名前はお父さんが付けてくれたんですが。俺がお腹に居る、と分かったのが十二月の始め頃だったらしいんです。それで勢い余って、名前を『柊弥』にしようと。決めたらしいんです」


 人によっては、その名前の付け方はおかしいとか言われそうなものだが。それでも、この名前は大切なものだ。


「そうだったのね」

「はい。俺はこの名前、好きですよ」

「ええ。とっても良い名前だと思うわ」


 ニコリとミアのお母さんが笑い。一旦話が途切れてから。改めて笑いかけられた。


「折角だし、学校でのミアの事とか。聞いても良いかしら?」

「……はい!」



 そうして。ミアの寝ている隣で、起こさないように小さな声を出しながら。ミアの事を話したのだった。


 ◆◆◆


「ん……ぅ」

「あ、起きたか。ミア」

「とー……や?」


 ミアが小さく目を開けて。その頭を押さえた。まだ頭が痛そうである。


「ミアのお母さんがお粥を作ってくれたんだ。食べられそうなら食べて欲しい。薬も飲める時間だし」


 時刻はもうお昼である。ミアが、ゆっくり。小さく頷いた。


「おかーさんは?」

「スポーツドリンクを買いに行ってくれてる。……さっき、買うの忘れてたんだ」

「そっか」

「待っててくれ。今持ってくる。さっき作ってもらったばかりだからまだ温かいぞ」


 もし起きたら食べさせておいて欲しいと言われたのだ。


 お粥を持ってくると。ミアがぼーっとしていた。


「……なんか、あんま覚えてないんだけど。とーやにすっごく恥ずかしい事言った気がする」

「覚えてないのか?」


 ミアがこくりと頷いた。熱で朦朧としていたのだろう。



「や、なんか恥ずかしい記憶はあるけど……でも多分嘘は言ってないから。嘘つけるよゆーないし」

「……そうか」


 ミアがふー、と。熱の篭った息を吐いた。


「さっきよりちょっとだけすっきりしてるかな」

「良かった。はい、お粥だ。まだ温かいからな」


 机にお膳を置いて、お粥とスプーンを手に取る。


 お粥は刻んだ梅干しが散りばめられていた。ミアがそれを見て、小さく笑う。


「好きなのか?」

「お父さんの得意料理だったんだ。お粥が得意料理だなんて、って思うけど。お母さん。血の繋がったお母さんが体弱かったからさ」

「そう、か」

「そ。紫苑達も大好きだよ、これ。茜は梅干し大好きだし」


 スプーンでお粥を掬うと。ミアが小さく口を開ける。

 湯気が経っていたのでふー、ふーと冷ましてから。ミアの口へと運んだ。


「……おいし」


 もぐもぐと咀嚼して飲み込むミア。


 食欲はあるらしく、どんどんミアは食べ進めていき。ぺろりと平らげた。


「さ、次は薬だ。飲めそうか?」

「よゆー」


 錠剤が三つに粒剤が一つ。結構多い。

 水を用意し、ミアが飲み終えた頃。ミアのお母さんが帰ってきた。


「ミア。お薬飲めた?」

「紫苑達でも粉薬も飲めるんだよ。大丈夫だって。……あと、お粥。美味しかったよ。ありがとー、おかーさん」

「そう? 良かった」


 とても嬉しそうに笑うミアのお母さん。そのままスポーツドリンクを机の上に置いた。


「買い物もしてきたから。柊弥君のご飯も作っちゃうわね」

「あ……ありがとうございます」


 だから帰ってくるのに少し時間がかかったのだろう。


 ミアはまた横になった。そして、手をぽんと。膝に置いてきた。


「にぎって」

「分かった」


 風邪を引くと、人肌が欲しくなる。その気持ちはとても分かる。


 手を握ると。ミアは頬を緩めて目を閉じた。薬を飲んだからすぐに眠れるはずだ。


 手を握り、そのサラサラな髪の毛に手を伸ばす。ミアは嫌がる事もなく、ただ撫でられていて。



 予想通り、すぐにミアは眠ったのだった。まだ顔は熱っぽいものの、うなされる事もなく。



 ……ただ、ずっと手を離してくれなくて。危うくミアのお母さんにあーんで食べさせられる所だった。

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