第19話 天海さんはちょびっとだけ後悔するし、気づいてしまう

「……や」


 帰りたくないと首を振って伝えてくる茜。

 なんとなく予想してたものの、思わず笑ってしまう。


 それに続いて紫苑と柚も首を振った。ミアが困っているが……少しだけ嬉しく思ってしまった。


 その時。

 あ、と何かを思い出したようにミアがスマホを見た。


「今日の夜はお母さん帰ってくるって言ってたんだけどなー」

「ほんと!?」「ほんと!?」「おかーさん!?」


 ミアのお母さん……というと。


「いつも仕事で忙しいんだったか」

「そ。会社勤めとその他の時間はパート。帰ってくるのは大体深夜だね」

「とんでもないな?」

「三人もすーぐ小学生に上がっちゃうからね。中学高校ってなったらもっとお金も掛かるし」


 そう考えれば……一人だとかなり厳しいか。


「私もバイトして、なるべく助けたいんだけどね」

「……ああ、そうだ。ミア。少しだけ良いか?」


 その言葉に、以前言おうとして忘れていた事を思い出した。


 あまり三人の前で話す事でもないので、ミアを呼び。客室へと移動する。



「んで? どしたの?」

「……正直迷った。これ、ある意味ミアの負担が大きくなる事でもあるから。だけど一応聞こうと思ってな」


 そう前置いて。ミアを見る。


「放課後。俺が紫苑達を見ていれば、ミアのアルバイトも遅い時間にならないんじゃないかなって」

「……! え、いや、でも……」


 ミアの緑色の目が大きく見開かれる。もちろん、と俺は続けた。


「無理にとは言わない。ミアのアルバイトの時間が増えるかもしれないし」

「や、そうじゃなくて」


 ミアが小さく首を振って。驚いた顔をそのまま、俺へと向け続ける。


「……負担じゃない?」

「負担よりも楽しいが上回る。別に毎日でなくとも、週に一、二度でも良い。それなら夕飯は弁当屋で買ってきても良いしな。栄養バランスが良いを売りにしてる所が近くにあるんだ」


 ミアが小さく俯いた。

 じっと、何かを考えているようだった。


「なんなら俺が紫苑達を迎えに行っても……っと。これは幼稚園とか保育園的にだめか?」

「……いや。帰りが遅くなったら親戚の人とかに迎えに来てもらう人もいるし。説明すれば大丈夫だけど」

「それなら俺が迎えに行って、そのまま図書館で時間を潰したり……家でご飯とか風呂に入れても大丈夫だ。ミアが良ければ、の話だが」


 正直。難しいと自分でも思う。これだけ仲良くなったとは言え、俺とミアは他人だ。

 他人に自分の大切な妹を預ける。さぞ難しい事だろう。


 そんな俺の考えを察してか。ミアが首を振った。


「や、別に柊弥を信用してない訳じゃないから。柊弥、子供の扱いめちゃくちゃ慣れてるし。……叔母さんが保育士だっけ」

「ああ」

「それなら、何かあればその人に相談……とかは出来る?」

「めちゃくちゃ出来る。なんなら毎日連絡来る」

「……じゃあ」


 ミアが小さく悩み。うん、と頷いた。


「毎日、まで言わない。言えない。……週に一回か二回、お願いして良いかな。もちろん紫苑達と相談してからになるけど」

「ああ。任せてくれ」


 ミアの言葉に胸を叩いて答えた。


 ちなみに場所を移したのは、紫苑達がミアにとって『負担』だとか、そんなふうに思って欲しくないからだ。


 ただ、ミアはかなり頑張りすぎている。

 アルバイトに紫苑達の保護者としての役回り。そして勉学。

 とても高校生がやっていい量ではない。


 アルバイトと勉学は俺にやれる事はない。だけど、紫苑達を見ている事くらいなら出来る。


「柊弥」


 ミアに名前を呼ばれ、意識を戻す。ミアは――



 目を細めて。笑っていた。


 とても、自然な。柔和な笑顔。


 今まで見てきた中で一番――綺麗な笑顔だった。



「ありがとう。嬉しい。凄く」



 ドクン、と心臓が跳ねた。強く。大きく。


 ミアに聞こえたんじゃないかと思うくらいで。自分でびっくりしてしまう。


「紫苑達がって言うか。柊弥がそこまで私の事を考えてくれてたって。それが嬉しい」


 ミアの白い肌がほんのりピンク色に染まり。手がクローバーの髪留めをいじっている。


「……そ、そうか」

「うん」


 小さく頷いて。ミアが背を向ける。


「三人のとこ行こ」

「あ、ああ」


 そう返しながらも。心臓の音は――まだうるさく鳴り響いていた。


 ◆◆◆


「ついたー!」


 てくてくと歩いて。ミア達の家に辿り着いた。


「ほんとに泊まっていかなくていいの?」

「いや……今日はやめておくよ」


 ミアから提案があった。『泊まっていかないか』と。

 めちゃくちゃ驚いたし、紫苑達は猛プッシュしてきた。だけど断った。


 折角の家族水入らずの機会なのだから。


「そっか。お母さんも柊弥に会いたがってたけど」

「す、少し怖いな」


 そう言えばミアがくすりと笑う。良い人だろうと思うが。やはりまだ少し怖い。


「じゃあまた今度って事で。送ってくれてありがとね」

「ああ。三人も――」


 紫苑達に声をかけようとしたら。じっと、三人は何かを言いたそうにしていた。


 なんだろうと思いながら。ミアもきょとんとしているようだった。


「おにーちゃん!」

「なんだ?」

「しゃがんで!」


 紫苑に言われた通りしゃがむ。紫苑達と目線が合うように。


 すると、紫苑達が近づいてきた。すぐ目の前まで来て――


「おにーちゃん、だいすき!」


 ほっぺたに。ちゅっとキスをされた。


 それに驚いていると、今度は茜が来た。


「とーやにぃ、だいすき!」


 またちゅっと。ほっぺたにキスをされる。そして最後に――


「おにーちゃんだいすきー!」


 柚が。またちゅっとほっぺたにキスをしてきた。


 それが嬉しくなり。笑ってしまった。


 子供なりの、最高の愛情表現だと分かったから。


「紫苑、茜、柚」

「はい!」「はい!」「はーい!」


 名前を呼ぶと、元気に返事をする三人。そのまま腕を広げると。


 ぱあっと顔を輝かせて飛び込んできた。ぎゅーっと、少し強めに三人を抱きしめる。


「お兄ちゃんも三人の事が大好きだぞ」

「えへー!」

「えへへー!」

「えへへへー!」


 もちもちなほっぺたを擦り付けてくる三人。可愛い。


 そうして三人を解放する。ミアが暖かい目で俺を見てきた。


 しかし。



「つぎはおねーちゃんのばんだよ!」


 という言葉に、ミアの笑顔が固まった。まるで時間が止まったかのようだ。


「……ん?」

「おねーちゃん! おにーちゃんにちゅーして!」


 にこーっと良い笑顔をミアに向ける紫苑。


「……と、柊弥と?」

「うん! おにーちゃんと!」


 ミアの顔がボンッと。一気に赤くなった。


「あ、や、その。紫苑」

「……しないの?」


 紫苑の目がうるうるとして。ミアはあたふたとしている。


「かぞくだったらするっていったもん!」

「し、紫苑? その、ね? あ、いや、その。嫌とかじゃなく」


 珍しい姿である。やはり妹には勝てないらしい。

 いや、勝ってもらわないと困るのだが。


「……ぅ」


 今にも泣きそうな紫苑に。ミアが俺を見た。


「……する?」

「ミア?」

「な、なんでもない。忘れて。……ほら、紫苑。あれだから」


 ミアの目がぐるぐるとしていて。顔も真っ赤だ。

 その桃色の唇が小さく動くも、上手く言葉は出てこないようだった。


「……こ、今度。今度ね」

「ほんと?」

「うんうん。今度。今度するからさ」


 完全に後回しである。……いや。今のところはこれで良いのかもしれない。


「ほら、お兄ちゃんとはいくらでも会う機会あるじゃん?」

「……わかった」


 渋々ながらも頷く紫苑。ミアがホッと息を吐いた。暑いのか、服をパタパタとさせている。


 その瞳が一瞬俺を見てきて。揺らいだ。ぶんぶんと頭を振って、笑顔が取り繕われる。


「じ、じゃあ。今度こそまたね」

「またあしたねー!」

「とーやにぃ、またあそぶからねー!」

「おひるね! する!」


 ぶんぶんと手を振る天使三姉妹。


「ああ、またな」


 彼女はまだ顔を真っ赤にしていた。……いや。俺も人の事は言えないな。


 四人を見つつ、手を振り返し。帰りの道を歩く。



 頭の中は――ミアと、という事を想像してしまって。心臓がまだ早鐘を打ち、顔は火照っていた。


 夏のせいだという事にして。足を早めたのだった。


 ◆◇◆◇◆


 洗面所の前で、ばしゃばしゃと何度も顔を洗う少女の姿があった。


「……なんで戻らないかな」


 その少女は鏡を見る度、そう呟く。

 また顔を洗おうとし。しかし意味が無い事に気づいてやめた。


 顔を拭いて。その場に座り込んだ。


「こんなん、あれみたいじゃん。私が……」


 そう呟いて。その薄い桃色をした唇に自身の指を当てた。


「……しとけばよかった」



 誰に聞かせる訳でもない、独り言。



 そう呟いた後に、洗面台を掴んで立ち上がり。鏡を見た。



 その顔はリンゴのように真っ赤なままだった。何度顔を洗っても簡単には赤みが取れない。


 そして――


「こんなん、さぁ……あんな、言われてさぁ」


 彼女が自分の胸に手を置いた。


 その心臓はドクドクと。早いペースを保っていたのだった。


「……にならない訳、ないでしょ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る