第7話 天海さんがガムを噛む理由

 もう誰か来る事はないだろう。

 一息ついて、俺はコンビニで買った唐揚げ弁当を広げた。


「というか天海。昼は?」


 天海は未だに窓の縁へと寄りかかっている。俺の言葉にピクリと眉を動かし。さっと視線を逸らした。


「あー。私、あんまり食べない人だからさ」

「……あんまり?」


 あの日。俺が天海の家に行った日はカレーもちゃんと食べていたはずだが。


 そう思って聞き返し。その手に持っているガムの袋を目にしてまさか、と呟いてしまった。


「ガムで昼済ませてる訳じゃないよな」

「……あー」


 思えば天海がご飯を食べている所は見た事がなかった。

 ないのだ。一度も。


「天海?」

「や、その。ほら、うちってあんまり――」

「食べろ」


 その言葉を遮るように。俺はパンを天海へ渡した。菓子パン。クリームパンである。


「え? い、いや。悪いって」

「遠慮しない。食べないと力も出ないし。倒れたら心配するぞ。色んな奴が」


 誰が、とは言わない。あの子達を引き合いに出すのは少し卑怯な気もしたが。


「……ん、分かったよ」


 天海がパンを受け取って前の席に座った。前を向く訳でもなく、俺の方を向いて。


 また周りからじっと見られる。


「嫌じゃないの?」

「天海が誤解を受け続けるよりはずっとな」

「ふーん」


 正直、人の視線には慣れていないが。一切後悔はしていない。


「天海こそ……大丈夫か?」

「私は別に慣れてるし。だいじょーぶだよ」

「それなら良いんだが。いや、良くはないか」


 天海の誤解は解いていくとして。もっと親しみやすいのだと周りに伝わるようにしたいな。本人が望めば、の話になるが。


 そうして話していると、周りの声が耳に入ってくる。


「あれ本当に付き合ってるのかな?」

「天海さんらしいっちゃらしいけど」

「うーん。どうなんだろ」


 天海にもその言葉は聞こえていたらしく。小さく笑い、少し楽しそうに俺へと問いかけてきた。


「らしいけど。彼氏君、どーする?」

「……とは言ってもな」


 しかし、余り疑いは掛けられたくない。

 何故か楽しそうに俺を見つめる天海を見ていると、一つ良い事を思いついた。


「ほら、口開けてくれ」

「……ふぇ?」


 唐揚げを一つ、箸で持っていくと。天海が間の抜けた声を漏らした。


「ふぇ? じゃなくてあーんだ」

「今のは忘れて……ん」


 パンだけだと栄養が偏る。というか単純に腹が持たないだろう。

 タンパク質やら他の栄養素も取らせなければと次は野菜を取った。


「や、これ結構恥ずいんだけど」

「先に言ってきたのは天海だぞ」

「それはそうなんだけど。……ん」


 こちらとしてもかなり恥ずかしい。

 そうして何度か天海の口へと運び。これくらいで良いかと箸を戻す。


「……全然躊躇しないじゃん」

「何か言ったか?」

「や、なんでも」


 俺に言った訳ではないのだろう。全然聞き取れなかった。

 まあ良いかと弁当を食べていると。天海がクリームパン片手に自身のカバンを取った。


「あ、そうだ。パン代今のうちに払っとくね。いくらだった?」

「いや、別に要らないぞ。払うくらいなら明日の自分の昼代に回してくれ」


 天海は首を振ろうとしたが、俺も首を振った。ご飯はちゃんと食べるべきである。健康の為にも。


「……分かった」

「よろしい」

「じゃあその代わり、でもないんだけどさ」


 天海がクリームパンを一口齧り。もっもっと咀嚼して飲み込んだ。


「アンタが良ければ。明日から弁当作ってきてあげる」

「……まじ?」

「まじ。明日以降はお金出して貰うけど。それでも良いならね」


 めちゃくちゃ助かる。普段は惣菜パンやおにぎりぐらいだし。今日は珍しくコンビニ弁当だったが、普通の弁当も食べたいなと思っていたのだ。いや、それなら自分で作れという話なのだが。


「だけど、手間とか掛かるよな」

「そりゃね。でも一人分も二人分も三人分もそんなに変わんないし。……あと、お礼って思っといて」

「お礼?」


 後半の言葉は小さく言われ、こちらも小さくオウム返しにした。


「そ。お礼」


 何のと聞こうとして、先程のかと一人で納得する。

 気にしなくても、と言いたいが。そういえば夕飯にお呼ばれしたのも紫音を助けたからだったか。全然助けてなどいなかったのだが。


「じゃあお願いしようかな。いや、お願いします。もちろん無理のない範囲で」

「はい、任されました、と」


 小さく天海が笑って。こちらも笑ってしまう。


「天海」

「ん?」

「ちょっとじっとしててな」


 天海の顔へ指を伸ばす。天海は言われた通りじっとしていた。


 その唇の横には黄色いクリームが付いていたのだ。ご飯粒をほっぺたに付けたあの子達を思い出してしまう。


「ほら、クリーム。クリームパンって食べてると思いもよらない所から飛び出てくるもんな」

「……ッ」


 つい先日、紫音達にやっていたので完全に感覚が麻痺していた。


 相手は同級生の女子高生である。

 しかも、ここは学校。人の目があるのだ。


 一瞬だけ。その瞳が俺を見て。



 ぱくり、と指を食べた。周りが更にざわついた。


「わ、悪い。つい昨日の事を思い出して」

「……ほんとばか」



 天海はその色白な肌をほんのり赤く染め、そう言った。だけど――


 その表情には『怒り』以外のものも含まれてる気がした。

 さすがに思い過ごしだろうが。


 ◆◆◆


「ね」


 帰り際。天海に呼び止められた。


「放課後ひま?」

「まあ、やる事はないな。俊も部活だし。暇だ」


 俊は陸上部に入っている。どちらかと言うと緩めの部活で、割と自由ではある。


「それならさ。今日も家来ない?」


 天海の言葉に周りがざわついた。どちらかと言うと、『今日も』という部分に食いついてるようだが。


 そして、その言葉の意味もなんとなく分かった。紫苑達だろう。


「じゃあお邪魔しようかな」

「ん、歓迎するよ」


 どうせ暇であり、また紫苑達に会えるのも楽しみだ。


「じゃあ、行こ」



 天海がそう言って。手を差し出してきた。


 思わず固まってしまった。天海はじっと。俺を見ている。


「仲良いアピ、しないと」


 その口が小さく動き。小さく呟かれた声が耳に入る。


 そっと、その手を取る。細く、柔らかく。暖かい。


 おおっと周りから声が聞こえるが無視する。


「行こ」

「あ、ああ」


 天海は俺の手を引いて進んだ。下校途中の生徒達から凄い目で見られるものの、天海は気にしな――


 いや。耳がほんのり赤くなっている。


 その事に気づいた瞬間。天海が歩くスピードを落とし、隣に来た。


「今日。ありがとね」

「いいよ。そんなにお礼を言わなくても」


 何度も聞いた言葉に苦笑してそう返すも。天海は首を振った。


「何回言っても足りないよ。ほんとにさ」


 ぎゅっと。握られる力が強くなる。


「出来る限りお礼はするから」

「……別に、お礼が欲しくてやった訳ではないけどな。というか弁当の件もあるし」

「あれはノーカンだから。それに、そんくらい分かってるし」


 天海が少しムッと表情をする。その手を強く握り返した。


「しかしまあ、貰えると言うのなら貰っておこうかな」

「……そーして。まだ何するのかとか考えてないけどさ」


 そう言って、俺達はまた歩き始める。



 女子と手を繋ぐ、なんて慣れない事をしたせいか。

 俺の心臓はずっとバクバクと――大きな音を鳴らしていた。

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