第6話 天海さんの『偽装恋人』になりました

 つい走馬灯のように、今までの事を思い出していた。


 やってしまった、という思いはある。


 だが、後悔はしていない。

 覚悟を決めろ、俺。


「まじ?」

「……まじだ。それと、『天海が売春をしている』とかいう噂。全部ガセだから。恋人が売春とか、正直聞いていて不快にしかならん。二度と話しかけてくるな」


 つい語気が強くなってしまった。

 どう立ち回ろうか。とりあえず天海のデマは否定できた。次はどうするべきだ?

 俊を見るも、まだ唖然としていた。



 その時、ガタンと机にぶつかる音がした。見ると、天海が勢いよくこちらへ向かおうとしてきて。机を直し、改めて近づいてくる。


「ち、ちょっと来て」


 俺の手を引いて。そのまま教室の外へ飛び出そうとする。


 勝手な判断をした事は承知だ。既に数発くらいなら殴られる覚悟は出来ている。

 大人しく天海に手を引かれて歩く。


 周りからの視線がかなり痛い。

 しかし天海と俺は歩き続けた。


 そうして辿り着いた場所。



 ――一日ぶりの屋上であった。


 それと同時に、始業を告げる鐘の音が鳴った。


「ごめん。もうちょい顔貸して」

「いや、大丈夫だ」


 今更遅刻など気にしない。多分俊辺りが先生にも言っておいてくれるだろう。


 それより、今は天海だ。


 天海は俺からゆっくりと手を離して。振り向いた。


「ばか」


 その目は赤くなっていて。ぽろぽろと涙を零していた。


「……ごめん」

「アンタが、謝る事……ないでしょ」


 手のひらで乱暴に涙を拭って。天海が目を合わせてくる。


「なんで、とか。今更言わない。分かるよ。アンタがどうしてあんな事を言ったのかくらい」


 そう言いながらも目からは涙が溢れ出ていて。ふと、ポケットにハンカチを入れていた事を思い出して。天海へと渡した。


「これ。まだ使ってないから」

「……ありがと」


 目元を押さえる天海は――怒っているように見えなかった。


「ただ違うって言えば良いのに。あんな事言ったらさ。すぐ広がっちゃうよ?」

「すまない、とは思っているが。それが狙いだ」

「ばか。謝んな。そこは別に良いんだけど……恋人って言った方が都合が良い事は分かるよ。言葉を濁したり、ただ違うって言っても伝わんない人も居る。私もよく分かんない誤解からあんな噂が出回った訳だし」

「……ああ」


 天海の言う通り――あそこは迷うべき場面ではなかった。変な挙動を取ればそれだけ邪推される。違うと言っても、信じようとしない者も居ただろう。


 仮に信じたとして。どうして天海と会ったのか、仲良くなったのかとか聞かれる可能性もある。


 そもそも話して良いのか。それを天海に聞く時間もないし、聞いていた所でまた周りに変に邪推されるかもしれない。



「『恋人』って言えば、そういう話が好きな女子が勝手に広めてくれる。それで、噂は噂で掻き消される、って事だよね」

「そう、だな。印象に残る噂は印象に残る噂で掻き消す。それが狙いの一つだ。……特に天海の噂がデマだという事は俊にも拡散して貰おうと思ってな」


 目には目を、という奴だ。これが一番確実だと考えた。

 すると天海が、じっと。その緑色の瞳を俺へと向けてきた。


「ん。アンタはそれで良かった訳? その。私と、付き合うだなんて言って」

「もちろん。良くなかったらあんな公の場で言ってない。……ああするしかなかった、と今でも思ってるが。勝手な事をしてすまなかった」

「だからいーよ。私の為にやってくれたって分かったし。そりゃ驚いたけど。嫌じゃないし」


 喉から変な音が漏れそうになった。小さく頭を振り、邪念を消す。


 少し頭を整理しよう。


 もしあの場で『違う』と言ってあの場をどうにか乗り切ったとして。

 天海と話す事は難しくなるかもしれない。外で会って、紫苑達と会うのなら尚更だ。『やはり買っていたのでは』とか言われるかもしれない。



 そして、『付き合ってる』と言った、一番の理由。それは色恋沙汰に結びつける事だ。

 色恋沙汰が広まるスピードはとんでもない。それは中学の三年間を通して分かった。


 ついでに言っておくと、この状況もこちらに都合が良い。先生は割とちゃんとしてる人のため、今回で天海の噂について知る事だろう。ついでに注意喚起及び指導をしてくれるはずだ。デマの拡散。これ普通に名誉毀損だし。


 『恋人』とする事で、メリットは他にも色々と出てくる。


 ――お互い、本当は付き合っていないという事実を除けば。これが最善だと思ったのだ。


「でも、だからってさぁ。あんな事する? 普通」

「……本当に悪いと思ってるよ」

「や、だからほんとーに怒ってないって。……って言っても、今のは私の言い方が悪かったね。ごめん。どっちかと言うと、感謝してるって言うか」


 天海の目から溢れ出ていた涙はやっと止まり。少し赤く腫れた目で俺を見た。



「あ、ありがと……アイツに不快だって言ってくれて。デマだって言ってくれて。怒ってくれて、嬉しかったよ」



 潤んだ瞳に見つめられて。心臓が一段と高く跳ねる。


「あ、ああ」


 思わぬ自分の反応にまさか、と思いながらも。俺は天海から視線を外した。


「……も、もちろん! その、あれだから。天海にも天海の人生がある訳で。あくまであの場を乗り切る言葉だったから」

「あー……ま、そーだよね。私達仲良くなって数日だもんね。ん、分かるよ」


 そうなのだ。

 あんな事を言っておきながら、俺達は一週間どころか、一週間の半分程度の付き合いでしかない。


 さすがにここで、『だから付き合ってくれ』なんて事も言えない。


 天海もそれは分かっていたからか。ふんふんと頷いていた。


「じゃああれね。『偽装恋人』って認識でいーの?」

「そう、だな。もちろんいつ解消して貰っても良い」

「んー……まあ、今すぐ解消ってのも意味ないだろうし」


 すぐに恋人を解消した所で……いや。すぐ解消すると余計変な噂が増えるかもしれない。


「ま、いつまでとか。期限は良いとして。学校で『恋人』って噂を広めるには、それなりに仲良くしとかないといけないと思うけど。その覚悟はあるの?」

「ああ。もちろん」


 これで簡単に解決、などと楽観視している訳ではない。

 周りから嘘だとバレないようにしなければいけないから。少なくとも、しばらくの間は。


 天海がその細く、綺麗な手を差し出してきた。


「分かった。じゃあ、よろしくね。彼氏君?」


 少しハスキーがかった、低めの声。しかしどこか聞きやすくもある。


「……ああ。よろしく」


 そうして。俺達の奇妙な関係は始まったのだった。


 ◆◆◆


 とりあえずやる事はたくさんあった……という程でもない。

 基本、皆が勝手に広めてくれたから。


 あと俊がなんとなく察したのか、大勢に広めてくれた。

 天海が売春をしているという噂がデマだという事を主に。俺、世良柊弥が恋人だからと根拠付けをする形で。


「それにしても、まさか昼には全校生徒に広まるとか。凄いね」

「そうだな」


 昼。お互い一人で食べるのもあれなので、一緒に食べる事になった。屋上でも言ったように仲が良いアピールである。

 俊はお節介を効かせて別の友人達と食べているようだった。同じ教室には居るのだが。


 しかし、今のように。こちらをじろじろと教室の外から伺ってくる輩も居る。


「なあ。世良っつった? お前」


 へらへらと笑いながら近づいてくる男子生徒。ふう、と息を吐いて立ち上がる。


 十中八九、あの手の輩だろう。


「天海と俺が付き合ってるのか、と聞きたいのなら事実だ」


 天海と恋人であれば。もう一つ、大きなメリットがあった。


「それを踏まえて、聞きたい事はあるか?」


 怒る事が出来る。

 天海に降りかかる火の粉を払う事が出来る。


 どうして怒っているのか。恋人が売春をしているのかと聞いて、怒らない奴は居ない。それが分からないほど馬鹿ではないと思う。

 最初の馬鹿はともかく、他はジャン負けで誰か聞いてこいとかそういうノリのやつばかりだ。今も教室の外からちらちら見てくる集団がいる。


 面白がってるだけか、本人の口から聞きたいのか。またはその両方か。


 先んじて不機嫌ですアピールをしておけば、相手は言葉が詰まる。



 友人だから怒ってる、よりも。恋人だから怒ってる、の方が相手に怒りが伝わりやすいし説得力が出てくる。曲解をされる余地もほとんどないのだ。


「俊。こいつは?」

「2組の野郎だな。誰と仲が良いのかまで分かるぜ。言った方が良いか?」

「いや。もし『報告』する事になったら一緒に来て欲しい」

「おうとも」


 少しわざとらしいやり取り。しかし、『本気で怒ってる』という事が伝われば良い。


「ご、ごめんなさい」

「分かったならさっさと戻れ。ついでに『あの噂は悪質なデマだった』と。疑ってる奴がいたら伝えてくれ」

「は、はいぃ!」


 教室から飛び出す生徒を一瞬目で追い、元の席。天海の近くの席へと座る。


「かっこいいとこ見せてくれるね。ありがと」

「俺としても純粋に不快だからな。……本当に。今まで放置してきてすまなかった」

「いーよ。私もあの頃はそんな気にしてなかったし。それに、今助けてくれてるからね。そっちの感謝の方がずっとおっきいよ」


 そう言ってくれると助かる。

 今まで助けられなかった分。頑張らねばならない。


「ありがと。ほんと。……家族以外の人に助けられるのって初めてだから。かっこよかったよ」


 最後の方は他の人に聞こえないような、小さな声だった。


「別に。天海の為でもあるが、俺の為でもあるから」

「ふふ。そっか」


 小さく返すと。天海はまた笑ったのだった。

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