第4話 天海さんのハプニング

「おにいちゃん! えほんよんで!」

「とうやにぃ! おえかきしよ!」

「おにいちゃん。おひるねしよー」


 腕を引っ張られ。背中をよじよじと登られる。懐かしいな、この感覚。


「こーら。お兄ちゃんは一人しかいないんだから。一つずつお願いしな」


 料理の下準備をしながら天海が注意をする。


 天海の家は小さなアパートの一室だった。1Kの部屋で、キッチンとリビングの位置が近い。


 俺としてはそんなに気にならないのだが。


「じゃあおえかき!」

「じゃあおひるね!」

「じゃあえほん」


 紫苑が茜の。茜が柚の。柚が紫苑の要求を伝えてきた。

 仲良し姉妹である。その可愛さに癒され、笑ってしまった。


「ああ、そうだ。その前に飴、食べるか? 三人とも」

「たべるー!」

「たべる!」

「たべるー!」


 はーい、と。元気よく手を挙げる三人は微笑ましい。


「まずはさっき寝てて食べられなかった柚だな」

「わーい」


 鞄から袋を取り出して。飴の包装を切り、中から白色の球体を取り出す。りんご味だ。


「飲み込まないよう気をつけるんだぞ。あーん」

「あーん」


 小さく口を開ける柚の口に飴を転がす。


 あまり人の家の子にお菓子を与えるのもなと思うが。天海が何も言わないという事は大丈夫……のはずだ。一応後で確認しておこう。


「ほい、次はどっちだ?」

「ぼくー!」

「はい。喉詰まらせないようにな」

「わーい! あーん!」


 いきなり喉の方にいかないよう、少し下を向かせてから口の中に入れる。


「最後は紫苑だな。あーん」

「ありがとーございます! おにいちゃん! あーん!」

「はい、どういたしまして。お礼言えて偉いぞ」


 口の中に飴を入れた後に頭を撫でる。「んふふー」と、飴が口の中から出ないように笑う紫苑。可愛い。……いや可愛いな、ほんと。


「と、とーやにぃ! ぼくも、ありがとーございます!」

「ありがとーございます、おにいちゃん」

「ああ、どういたしまして。二人も偉いぞ」


 紫苑の次に二人の頭に手を置く。えへへと笑う茜と柚。こちらも可愛い。


「うちの子にしたい」

「ダメだからね。三人とも私の天使だから」

「確かに天使だ」


 子供は生意気だとか言う人も居るが、俺からしてみれば愛嬌の塊でしかない。

 特にこの三人。そこそこ子供とはふれてきたが、格別に可愛い。可愛すぎる。あまり人の子と比べるのもあれなのだが。それくらい可愛いのだ。



 交互に三人を撫でると、順番に「えへへー」と笑う。大天使か?


「撫で倒したい」

「分かる。めっちゃ可愛いよ。一回三人が寝るまで撫で倒した事あるけど」

「何それ見たい」


 そうして三人を撫でていると、紫苑ちゃんがハッ! と目を大きく開けた。


「おにーちゃん! おねーちゃんにもあめあげて! ほしいです!」

「ん? ……ああ」

「や、私は別に良いんだけど」

「や!」


 天海の言葉にぶんぶんと首を振る紫苑。苦笑する天海を見つつ、カバンから飴を一つ取り出した。


「ほら、お姉ちゃんにあげておいで」

「や! おにーちゃんがあげるの!」

「……え?」


 紫苑の言葉に思わず固まってしまった。


 紫苑を見る。

 ニコニコと笑っていた。


 茜を見る。

 ニコニコと笑っていた。


 柚を見る。

 こっくりこっくりと船を漕いでいた。飴を舐めてる途中なので危ない。肩を揺すって起こした。


「……あー。紫苑があげた方が喜ぶと思うぞ?」

「や!」


 その言葉に苦笑した。

 仕方ないと立ち上がり、キッチンへと向かう。


「という事でほれ、天海」

「……今手、色々触っちゃってるから。あー」

「天海?」


 天海は決してこちらを見ようとせず。お皿を洗いながら、小さく口を開けた。


「早くして」

「……ふふ」

「笑うな」

「悪い悪い。ほら、ちゃんと口開けてくれよ」

「ん」


 天海の口へ向かって、飴を運んだ。

 しかし、上手く天海と連携が取れなかった。


「あ」


 天海の口の中に入った飴がぽろっと下に落ちそうになった。


「おっと。ほら、ちゃんと口閉じてくれ」

「んむっ」


 手のひらでその飴を受け止めて。改めてその口へ入れた。今度はこぼれ落ちないよう、手のひらごと押し当てて。


 手のひらにふにゅんと当たった柔らかい……唇の感触にあっと。声が漏れた。


 から、ころ。と。飴が口の中に入った音が聞こえて。

 天海がじっと。俺を見てきていた。


 今のはつまり。天海の口の中に入ったものを手のひらで受け止めた訳で。


「あー、いや。その」

「……手、貸して」

「え?」

「早く」


 天海に言われて手のひらをさっと差し出した。すると、天海がピーラーを置いて。俺をシンクの所へ誘導した。


「洗うよ」

「……はい?」


 天海が水を出して、俺の手を掴む。さーっと水をかけられてから。天海が手で石鹸を泡立てた。


「あ、天海?」

「動かないで。洗えないから」

「は、はい」


 気圧されて。思わず俺は頷いてしまった。


 泡立てられた手が俺の手を包み込んだ。

 その柔らかい手が、俺の手を優しく揉み込む。


 飴の当たった手のひらを中心に。指のすきまから指先までをなぞられ――爪の間まで丁寧に現れる。

 めちゃくちゃくすぐったい。

 というか何かの扉を開きそうである。


「……よし、おっけ。ほら、おててきれいに――」

「おてて?」


 天海の顔が固まる。その瞳が揺らいで。かあっと、熱を帯びていく。


「や、なんでもない。忘れて。忘れろ」


 腕で顔を覆い隠す天海。しかしかなり強い口調である。

 思わずあー、と声が漏れた。


「紫苑達か」

「今すぐ忘れるか、それとも忘れ去られるか。どっちが良い?」

「後者が怖すぎるが。……まあ、忘れられるよう努力はする」


 サッと。お互いに視線を逸らす。

 偶然にも――いや。当たり前か。


 俺と天海は紫苑達の方を見ていた。


 三人は仲良く絵本を読んでいた。その光景に思わずほっこりしてしまう。


「じゃあ俺は紫苑達のところ戻るぞ」

「ん」


 小さく返事をする天海。背を向けて歩き始めた瞬間。


「飴、美味しいよ。ありがとね」


 そう言われた。


「どういたしまして」


 笑いそうになる口元を押さえながら小さく呟いて、三人の所に戻ったのだった。


 ◆◆◆


「おいしそー!」

「しそー!」

「むにゃ。しそー」

「柚、食べる時は起きないと。お姉ちゃんが全部食べちゃうよ」

「おきてる! おいしそー!」


 天海の言葉に柚がハッと目を開けて万歳をした。可愛らしいものである。


 そして、机の上に置かれているのはカレーライスだ。めちゃくちゃ美味しそう。


「あ、完全に言うの忘れてた。……甘口だけどだいじょぶ?」

「ん? ああ、全然。甘い方が好きだぞ」

「良かった」


 紫苑達の事を考えると甘口にせざるを得ないだろう。俺も甘口の方が好きだし丁度いい。


「はい、それじゃみんな手ぇ合わせて」


 天海の言葉に三人がパン、と手を合わせた。俺も続いて手を合わせる。


「いただきます」

「いただきます!」「いただきます!」「いただきます!」

「いただきます」


 湯気が立っているほかほかのご飯と具だくさんのカレールー。


「茜。ちゃんとふーふーしないと。口の中やけどするから」

「はーい」


 すぐ口に運ぼうとしていた茜が、天海の言葉に大きく開けた口を閉ざした。前もやったのだろうか。


 口を揃えてふーふーと冷ます三人。見ているとほっこりしてしまう。


「かわいいっしょ。私の妹達」

「ああ。めちゃくちゃ」


 しかし、ずっと見ている訳にもいかない。


「おいしー!」


 とスプーンを口に突っ込んで言う三人を横目に、俺も口へと運んだ。


「どう? 美味しいっしょ」

「……! ああ! 美味しい」

「そ、良かった」


 カレー。最近はレトルトのものもかなり美味しくなっているが、やはり手作りのものは違う。


 野菜の旨味が溶けだしていて、お肉はほろほろで。ご飯も美味しい。


「おねーちゃんのごはんおいしーでしょー!」

「……ああ。紫苑、ほっぺにご飯粒付いてるぞ」


 にこにこと自慢げに胸を張る紫苑だが、ほっぺにご飯粒が付いている。


「とってー!」


 わざわざ立ち上がって近づいてきた。そのほっぺたに……おお。ほっぺた柔らかっ。


「あ、気づいた? 紫苑……というか三人ともほっぺたぷにぷにもちもちなんだよね」

「……かわいい」

「にひひ。おにーちゃん、くすぐったいよー!」


 思わずそのほっぺをつついてしまって。紫苑がくすぐったそうに身を捩った。


「ごめんごめん。ほら」

「あーん」


 ほっぺたからご飯粒を取り、その口の中に入れる。


「とーやにぃ! ぼくも!」

「わたしもー」

「ちょ、二人とも?」


 続いて茜と柚がほっぺたにご飯粒を付けてやってきた。……わざとだな?


「あーもう、ご飯中だっていうのに……」

「まあ、すぐ終わるからな。……でも、これからはわざと付けたりしないように。お行儀悪いからね」

「はーい」「はーい」


 ほっぺたからご飯粒を取り、二人に食べさせる。


 行儀は良くないが。こうして甘えられるのは素直に嬉しかった。


 そして、カレーも美味しくて。気がつけば、全員完食をしていたのだった。

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