第2話 天海さんのお家に行こう

「アンタ……世良柊弥せらとうやだっけ。何飲む?」

「いや。自分で払うぞ」

「お礼は素直に受け取ってくれると嬉しいんだけど。……もっかい聞くけど何欲しい?」

「お水、お願いします」


 不良だとは思わない。しかし、それはそれとして圧がある。

 その圧に押し負けて水を頼んだ。


 水を受け取り、ベンチで三人で座って一息つく。先程何があったのかを話した。


「――って時に天海が来たんだ」

「そう、だったんだ」


 天海は驚いた顔をした後に。一瞬目を伏せた。


「ごめん。正直疑ってた。私の妹天使だから」

「まあ、可愛いとは思うが。別に俺はロリコンじゃないしな」

「むー! わたしかわいいもん!」


 しおんちゃんはそう言ってぴょんと飛び降り。俺の前に来て。ぴょんと膝の上に飛び乗った。


 頭を撫でると、しおんちゃんはえへへと可愛らしく笑った。


「えへー。わたしかわいいでしょー?」

「ああ。可愛い可愛い」

「……すんごい懐いてんじゃん。これじゃどっちが家族か分かんない。良いんだけどさ」


 そんな俺としおんちゃんを見て、天海が複雑そうな顔をしていた。

 それに苦笑しつつ。しおんちゃんの頭を撫でると。また嬉しそうに笑う。


 くっついてきて正直暑さはある。もう七月だし。

 だけど、この笑顔を見るととても離れろとは言えない。幸せな気持ちにもなるし。


「紫苑、行くよ。茜達の迎えにいかないと」

「はーい」


 天海が立ち上がり、しおんちゃんを呼んだ。


 ……この様子だと、名前は紫苑なんだろうか。それとも詩音とかなのか。はたまた天海ミアという名前のようにシオンなのか。


 まあ、それは別に何でも良いか。


「ふと気になったんだが。他にも妹が?」

「ん、この子合わせて三人ね。この子と一つ歳下で、双子の子。あかねゆずって子でさ。保育園に迎えに行かなきゃいけないんだ」

「そうか」


 行く方向も違うようだし、ここでお別れのようである。


「それじゃあ。しおんちゃんも、もう迷子にならないようにね」

「うん! ありがとー! おにーちゃん! またねー!」


 ぶんぶんと手を振るしおんちゃんに頬が緩みながらも、歩こうとすると。


「世良!」


 名前を呼ばれた。

 振り返ると。……天海が顔を赤くして。指で髪留めを触り、少し恥ずかしそうにしながら。


「……ありがと。紫苑が居なくなって、すっごく焦ってたから。ほんと、ありがと」


 そう、言ってくれた。

 思わず俺も顔が綻んでしまう。自分では戻せそうにない。


「ああ。どういたしまして」


 そう返してから、その場を去ったのだった。


 話す機会はあったものの。もう、関わる事はないだろうな。

 天海が学校で話しかけてくるかと言われれば疑問だし、俺から話しかけにいくのも迷惑だろう。


 少し。ほんの少しだけ寂しくなったのだった。


 ◆◆◆


 日常が戻ってきた。


「なー。カラオケ行かね?」

「別に良いぞ。誰つれてくんだ?」

「いや、たまにはお前と二人で行こうと思ってね」

「えー……」

「ガチで嫌そうな顔すんなよ。泣くぞ。教室のど真ん中で。大声で」


 恐ろしい事を言い出す俊。こいつが泣けば百パーセント俺が悪いと責め立てられる。本当に恐ろしい。


「ま、とか言いながら喜んでるんだろ? ん?」

「はっ倒すぞ」


 そんな会話をしている時だった。


「ねえ。ちょっと顔貸して」


 少しハスキーがかった、低めの声。しかし、耳に心地好い声が聞こえてきた。


 見ると、天海ミアが俺の隣に立っていた。

 その緑色の瞳は俺をじっと見つめていた。誰に向かって言ったのか明確だ。


 しんと。騒がしかった教室が静まる。


「えーと。天海?」


 じとっとした目で俺を見ていて。いや、これがデフォルトか。妹と一緒に居る時はもっと柔らかかったが。ここは学校であるのだから。


 しかし、いつもと違ってその真っ白な頬はほんのり赤くなっている。よく見ないと気がつけないくらいだが。


 そして、珍しく俊も唖然としていた。

 天海から話しかけてくるなんて今までなかったから、仕方ないのかもしれない。


「ッ……。良いから、こっち、来て」


 強引に俺は手を取られ。教室から出た。そのまま天海はずんずんと歩く。周りから奇異の目で見られていた。


「ど、どこ行くんだ?」

「あんまり人いないとこ」


 短くそう返され。辿り着いた場所はと言えば。


 屋上であった。


「……ここなら、いっか」

「えーっと。天海?」

「ちょっとお願いがあってね。アンタに」


 その時。天海がその視線を落とした。

 ぎゅっと、天海の手が俺の手を握っていた。


「ご、ごめん。気づかなかった」

「いや。別に良いけども」


 それにしても……この様子だと噂は嘘な気がする。まだ完全には分からないのだが。


「それよりどうしたんだ? いきなり」

「いやさ。ちょっと頼み事っていうか、お願いというか。……お礼というか」

「お礼?」


 天海は赤くなった頬をぽりぽりと掻き、目を逸らしながら。


「……あー。紫苑がさ。アンタに会いたいっつうから。家、来ない?」


 そう言ったのだった。



「……あー。なんて?」

「え? 何? 鈍感系主人公? 私そういうの嫌いなんだけど」

「いや。普通に聞き間違えかと」


 その言葉が余りにも現実味がなさすぎて。思わず聞き返してしまった。


 天海がふー、と息を吐いて。じとっとした目を向けてくる。


「家来てって言ってんの。返事は?」

「は、はい! 喜んで!」


 思わずそう返してしまった。

 悪い、俊。カラオケはまた今度になりそうだ。


「おっけ。んじゃ、昨日のベンチで待ってるから」

「あ、ああ。分かった」


 それだけ言って、天海は戻って行った。


 隣から見えたその横顔は――少しだけ、微笑んでいたような気がした。


 ◆◆◆


「お、来たきた」

「おにーちゃん!」


 小さな影が飛び出してきた。紫苑ちゃんである。

 ちなみに名前の漢字も無事教えて貰った。紫苑ちゃんに茜ちゃん。柚ちゃんである。


 紫苑ちゃんは頭に紫色のお花の髪留めをつけた女の子である。黒髪を後ろで結んでいて可愛らしい。


「おー。昨日ぶりだな。紫苑ちゃん」

「ちゃんづけいや!」


 頭を撫でようとするも、紫苑ちゃんが首を振った。


「……?」

「あー。なんかそういう時期なんだよね。普通に紫苑って呼んであげて」

「あ、ああ。分かった。紫苑」

「うん! おにーちゃん!」


 満面の笑みを見せてくれる紫苑。天海は苦笑してしゃがみ、紫苑に視線を合わせた。


「おにーちゃんって……世良お兄ちゃんって呼びにしよっか。じゃないとどこのお兄ちゃんなのか分かんなくなるから」

「……? おにーちゃんはおにーちゃんだよ?」

「や、それはそうなんだけどさ」


 天海の言いたい事はなんとなく分かりつつも、まだこの年の子には難しいのかもしれない。


「まあ、別にどう呼んでも良いぞ」

「わーい!」


 遠慮なく抱きついてくる紫苑。可愛らしいものである。


「……相変わらずすご。うちの子、人見知りで近所じゃ有名なんだけど」

「そうなのか?」

「初対面は基本話せない。買い物とかで話しかけてくる近所の人とかはやっと話せるようになったけど。それでも二、三年かかってるかな」


 まじか。めちゃくちゃ人懐こいんだが。ちょっと心配になるレベルで。


「だっこー!」

「ちょ、紫苑。いくらなんでも――」

「別にいいぞ」


 一度しゃがんで、紫苑に抱きついてもらってから持ち上げる。


「やったー!」

「……ごめん。後で言い聞かせとくから」

「本当に気にしてないぞ?」


 きゃっきゃと喜ぶ紫苑に笑いながら、バランスを崩さないよう背中を支える。


「案外手馴れてる?」

「叔母が保育士でな。……何年か前はよく手伝いに行ってたんだよ」

「あー、そういう。なるほどね」


 泣いてる子への対応は叔母さんがやっていたが。だっこくらいなら出来る。


「……もしかしたら下の妹達も頼んでくるかもしれないけど」

「任せてくれ。それとも教育的に良くなかったりするか?」

「や。やってくれるならお願いしたいけど。……私達、お父さん居ないからさ」


 その言葉に一瞬言葉が詰まったものの。俺は頷いた。


「お母さんもさ、ずっと仕事で居なくて。ぶっちゃけると助かるよ。ありがと」


 ほんのりと頬を染めながら言う天海に驚いた。


 その表情は学校で見たものよりもずっと柔らかくて。


「……ど、どういたしまして」


 少しだけ、言葉に詰まってしまったのだった。

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