第67話 地上の物は魔王(オレ)の物(十)
「それにしても君、伯父上にきちんと挨拶したのかね。彼の健闘あっての救出だよ」
「まあ、伯父様。これは、大変失礼いたしましたわ」
親戚同士の気のおけない会話が始まる。その間に、ちっ、という舌打ちのような音が聞こえた気がしたが、私は反応を示さなかった。
十分離れてから、副官が私の隣にやってくる。なにげない様子で、彼は口火を切った。
「うまく誤魔化しましたね」
「ここが整った折、と言っておけば時期は不明だからな。無限に引き延ばしできる」
じらしすぎてもいらぬ反発を呼ぶが、向こうにも立場があるから、今回みたいな反発はそうそうできないだろう。
「……相手はその言質を取りたかったようですがねー、女性を使ってその芽を摘むとは実に姑息です」
「仕方なかろう。あいつは全くの無能ではないが、宰相や大将軍の器があるわけでもないからな。今、ここを渡すほどの価値はない」
「しかし、何もなしというわけにはいきませんからね。どこか領地を振り分けるか、美術品の下賜でよしとするか……」
副官も冷静に考え始めた。
私も公爵も正義の味方ではない。腹の底では相手の真意を探り合い、自分が思いつくあらゆる可能性について考えている。これを偽善と呼ぶ者もいようが、勝手な正義で国を荒らす奴よりよっぽどマシだ。
「ああ、明るくなってきたぞ。続きは、総理を追い払ってから考えるか」
月明かりが消え、かわりに地平線から太陽がのぼり始めていた。
公爵と副官、それに兵たちを帰らせて迎賓館に戻った私と婚約者は、散らかっている台所を見て呆然とした。
「まあ、すっからかん」
「……困った奴らだな。もう任務は終わったというのに」
準備していたご飯が、あらかた食い尽くされている。念のためにと置いてあった炊飯器はフル稼働し、しゅんしゅんと白い煙をあげていた。
米(またはそれを使用した料理)食い放題。それが私が人間に提示した報酬だった。キャッキャ言いながら乗ってきた時点である程度予想はしていたが……まさかここまで食うとは。若い肉体はやはり、総理より消費量が多いらしい。
「これは、給仕を呼んでおいて正解でしたねえ」
孫娘はこの台所の給仕統括、兼料理人として呼んだのだ。もちろん自衛官の料理担当はいるが、なかなかハードな仕事といえよう。私たちは相手の対応に魔力を使うので、なんでもかんでもおかずを出して来られないためである。
何も言わなすぎたせいで、本人はなんか桃色の推測をして怯えていたようだが、そんなもの私の知ったことではない。
命令解除していないので、孫娘はまだ忙しく立ち働いていた。
「終わったんならあんたも手伝えよ! 今日は天ぷらだから、揚げるの大変なんだって!!」
もちろん彼女の要請は無視する。天ぷらは食う。ちょっと端っこが焦げているが美味い。
「あんたまで食うな──ッ!! ああ、もうダメ、絶対追いつかない!!」
孫娘が天を仰いで絶叫した時、戸口からかすかな物音がした。そこから姿を現したのは、品の良い朱色の和服を身にまとった老婦人。
「なかなか帰ってこないと思って見に来てみれば。ご用はまだ終わらないのかしら」
「お、おばあちゃあああああん」
「ほらほら、泣かないの。綺麗な顔が台無しですよ」
総理夫人はたすきで和服の袖をきりりと締めあげ、厨房に入り手を洗う。そして現状を確認し、てきぱきと素材の下ごしらえを始めた。
「海老の尾には包丁を入れておきますから、あなたは油を入れ替えて。ご飯が炊きあがるまではもう少しありますから、焦らなくて大丈夫よ」
「わ、分かった」
私はその様子を見ながら、そっと空になった皿を押しやった。
「ほら、本気で働け孫娘。手が止まってるぞ。追加を揚げろ」
「あまりいじめないでくださいましね。奔放に育てはしましたが、悪い子ではないのですよ」
「そうですわ、魔王様。わたくしもお手伝いしましてよ」
形勢が変わったのは一目瞭然だった。女性陣の結束に我が魔法も劣ると判断した私は、台所から戦略的撤退を実行した。
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