第3話 守りたいもの、守るべきもの



ミヤコソウ

守りたいもの、守るべきもの


 幕を下ろせ、喜劇は終わった。        ラブレ―








「おはよー、おっちゃん。酒と煙草くれ。」


「若いもんが昼間っから何だ。身体に毒だ!」


「いや~、俺じゃねぇんだよ。もう明日を迎えられるか分からねぇ俺の爺さんがよ~。」


「何っ!?そりゃいかん。ほら、持ってけ泥棒!!」


「あんがとよ~!じゃーな。」


「おうっ!また来いよ・・・ん?おい!おめぇ、この間爺さん亡くなったから酒くれって言いに来たじゃねーか!!」








「・・・隼さん。嘘ついちゃダメじゃないっすか。」


翔はケラケラと笑いながら、煙草と酒を買えて、満足そうにしている。


「まあ、そう言うな。あーでも言わねえと、売ってくんねーんだよ。あそこの親父。」


ニット帽を直したかと思えば、買ってきた煙草を早速吸い始めた。


「ただいま~。」


家に入ってすぐ酒を机に出して、御猪口とコップを出してきた。無駄に準備がいい。


部屋の奥から、英斗と英明、潤とみなが出てきた。トランプをして遊んでいたようで、手にはトランプが握られていたが、まだ勝負がついていないらしい。


トランプを手に持ったままソファに座ると、英明は翔が買ってきた煙草を一本拝借し、火を付けた。さらに、御猪口に注いだ酒を口に含む。


―・・・煙草吸うか、酒呑むか、どっちかにしてくださいよ。榊さん・・・。


「次、みなだぞ。」


そう言って、みなの前にトランプを差し出す。みなが選びやすいように、高さを合わせてあげている。みなは『うーん』と唸りながら、その中の一枚を勢いよく引いた。


「ババ!!」


「クスッ。みなちゃん、言っちゃダメだよ。」


「あっ!」


みなは、もう手遅れだというのに、口に人差し指をつけた。


―小さい子のああいう仕草って、なんか可愛いよな。大人がやればただの馬鹿なんだけど、不思議なもんだよな。


「あ、そういえばね、さっき連絡があったんだ。みなちゃんの伯母さんから。今日の夕方に迎えに来るって。」


みなの手からトランプを抜き取る英斗。潤はそれをコソッと盗み見しようとして、英明にドつかれた。


「そっか!良かったな、みな!」


「うん!」


みなの頭をぐしゃぐしゃと撫でる翔。


―あーあ・・・折角綺麗にセットしたのに・・・。


一刻も早くババを手放したいみなは、ババのトランプだけを少し・・・いや、結構高めにセットして、『取ってください』という合図を出していた。


本人はバレていないと思っているんだろうけど、小さい子ってよくやるアレである。


みなの心情を察して、明らかに罠と分かるトランプを引いた英斗が大人だと感じる。


それが見事にババだったらしく、みなは嬉しそうに返事した。英斗も、一見残念そうに演技していた。


「あ、俺アガリ。」


一位は英明になったようだ。ゆっくりと煙草を吸いながら、パラッと出して、終了・・・。


「みな、ビリ嫌!」


「俺もヤダ!」


―潤くん・・・。君は一応成人なんだから、大人の対応を求めるよ。


翔はみなの近くに行って、『頑張れよー』ってエールを送っていた。








  紀貴たちが、みんなで協力して復興させようと、最初に国民の人達に言ったときは、ものすごい反発を喰らった。


金が無い、食い物がない、衣服もない、家もないで、どうするんだと言われたのだ。


あんなことがあって、当然と言えば当然の反応だった。自分のことで精一杯なのは良く分かった。


明日食べるものも無くて、どうやって生きろっていうんだと言われたのも覚えている。


石やら木の枝やらも投げられた。翔がみなに当たらないように、後ろに隠した。


英斗も翔も潤も紀貴も、腕やら顔やら、体中に当たったけど、耐えていた。怪我が酷かった潤を、英斗が庇うように立っていた。


みなが心配そうに紀貴達を見ると、それに気付いた翔が、ニカッて笑って、『平気だ』って言ってた。


 そんな時、紀貴達の前に出て、煙草を吸いながら一喝したのは、英明だった。


「なら、ただ死ぬのを待つか?」


その言葉に、さらに怒った人もいた。とにかく、冷静にならなければいけない状況下で、逆に挑発するようなことを言うのは、この人たちくらいなものだ。


「何もしねぇで死ぬつもりなら、構わねぇ。好きにすりゃあいい。あれが無い、これが無い。誰が悪い、何が悪い。文句ばっか並べても進まねぇ。人を非難する暇があんなら、少しでも何か行動しろ。」


そう言葉を投げ捨てると、英明は紀貴達に『帰るぞ』と言ってきた。翔がみなを抱っこして、英斗は潤を支えて、家に向かった。


次の日、どういう心境の変化か、文句を言ってた奴らが紀貴達のところに来て、『何からすればいいか分からない』、『何も残っていない』と不安を漏らしてきた。


みんな、本当は何とかしたかったのだ。希望を捨てたくなかったけど、希望がみつからなかった。そして何より、方法がわからなかった。


そんな彼らに、まず英明が煙草を吸いながら、言った言葉はコレ。


「城に行けば衣服や食料は確保出来る。壊れた家も、建て直していく。それは俺達も手伝う。」


お金も城にあると思ったけど、もう全部あの女が使ってしまったようだ。


  英明の言葉を聞いて、みんなホッとしたようだ。胸を撫で下ろすとは、こういうことなんだろう。


それでも不安を完全には払拭出来ない。


・・・と思っていたら、英斗たちも出てきた。


「クスクス。大丈夫ですよ。みなさん、こうして行動に移し始めたんですから。」


「そーそー!見返り無しの助け合いだ!!」


「ま、やるしかねぇしな。なんとかなんだろ。」


「みなもやる!!」


  そんな事があって、みんな協力し出した。


まず怪我人は英明が治療して、力仕事は潤と翔と・・・みな。英斗は隣国に応援を頼みに行った。交渉事が上手そうだからという理由だそうだ。


紀貴は英明の手伝いをしたり、必要ならば力仕事もした。だから、意外と早く立ち直らせることが出来た。








「やったー!みな、二位!!」


おっと。頭が飛んでた。みなが無事二位。ビリにならずに済んだそうだ。


その後すぐに、英斗があがって、潤がビリになった。


 夕方になって、みなの伯母さんが来て、みなを連れていった。


「ご迷惑かけてすみません。」


「本当にありがとうございました。」


何度も何度も頭を下げられ、何度も何度も感謝の言葉を言われた。


―・・・なんか恥ずかしい。


「みな、めいわくかけてないよ。」


みなの言葉に、おばさんが困惑していた。


―仕方ないです。子供ですから。


「ああ。迷惑かけられてねぇよ。」


翔がみなに言った。


「みなちゃん、俺達と遊んでくれたんだよね。」


英斗もそう言った。すると、嬉しそうに『うん!』と声をあげた。


みなが紀貴達を見て、小指を出してきた。きっと、『指切りげんまん』をしようと言ってるのだろうと、感じ取ることが出来た。


翔が、『おっ』という顔をして、膝を曲げてヤンキ―座りをし、みなと目線を合わせて、小指を絡めた。


みなは翔との『指切りげんまん』を終えると、潤の許へ行き、同じことをした。


英斗ともして、紀貴もやった。最後に英明のところへ行って、『おじちゃんも!』と言っていた。


―・・・『おじちゃん』は止めてあげてね。


最初はみなの顔と小指を眺めていたが、観念したのか、ヤンキ―座りをした。


―似合う。夜のコンビニの前に、絶対いる。俺はいつも視線を合わせないようにして入る。


「・・・ほら。」


小指を差し出すと、嬉しそうに笑って絡めた。満足したのか、伯母さんのところへ戻り、大きく手を振ってきた。伯母さんはまたお辞儀をした。


みなは何度も何度も振り返って、紀貴達に手を振ってきた。


―腕取れないよな・・・。すごい勢いで振ってるけど・・・。


  あの小さな背中に背負ったものを、紀貴達は軽くすることが出来るだろうか。きっと、みんな紀貴と同じことを思いながら、あの背中を見ている。








「「「プッ・・・」」」


「!?」


「「「ハハハハハ!!!おじちゃんだってよ!!」」」


姿が見えなくなったころ、我慢が出来なくなったようで、壁をドンドン叩きながら笑いだした。


あ、勿論、紀貴以外の三人が。紀貴だって最初は笑いそうになったけど、英明の視線に殺されそうになるのは御免だ。


「・・・てめぇら・・・。」


英明の額に青い筋が見えた。


―あ・・・ヤバいんでない?


紀貴は本能的に避難した。


ソファの陰に隠れたら、その瞬間、翔が吹っ飛んできた。


「ごめんごめん。プッ・・・。俺も同じくらいのっ・・・年齢だから・・・っ。」


―柏木さん・・・。メチャクチャ笑ってるじゃないっすか。あ。潤くんが吹っ飛んできた。


目の前を、まな板やらボールやらお茶碗やらが飛んでいた。


―いや、柏木さん。ソレ、俺の茶碗なんですけど・・・。




「梶本。」


「あ、はい。」


ふいに呼ばれたから驚いたけど、英明のとこまで行った。なぜだか、翔と潤と英斗で物を投げ合ってる。


「ご苦労だったな。」


「へ?何がですか?」


紀貴はキョトンとしてしまった。英明の口から、そんな言葉を聞く日が来るなんて思っていなかったし、そんなこと言われる様なことしていない。


「・・・フッ」


「あ。鼻で笑うの止めてくださいよ。」


「・・・悪ィ。いや、梶本がいてくれて助かったよ。」


「何がっすか?」


「・・・色々だよ。色々。」


そう言って、煙草に火を付けた。


―なんだか、むず痒い・・・。


英明にそういう事言われると、嬉しい半面、もぞもぞする。そんな気持ちのまま、その日の夜になった。








  夜になって、やっぱり紀貴は今日も眠れなかった。色んな事が一気にあり過ぎて、頭がグルグル回ってる。


―みなちゃん、元気にやってるかな。伯母さんも優しそうな人だったし、大丈夫だと信じたい。


―何より、みなちゃん自身がしっかりしてるから。


―・・・でも、しっかりしてると決めつけるのは良くないな。無理しているのかも知れないし・・・。


  部屋を出ると、そこにはいつもの背中が見えた。煙草の煙が、夜風に乗って流れている。


その背中の脇には、すでに半分にまで減っている酒瓶と、透明な小さめのコップが置いてあった。


「んなとこ突っ立ってねぇで、こっち来い。」


―後ろに目がついてんのか、この人。


「・・・疲れたか?」


「そりゃ、疲れますよ。まだ頭も身体もついていけてないです。」


「ハハッ・・・そうか。」


「・・・。」


少し寒い風が、紀貴の頬をかすめていく。


―上着着てきてよかった・・・。


「呑むか?」


「あ、じゃあ、少し・・・。」


思えば、英明と肩を並べて酒を呑んだことが無い。呑めないわけじゃないけど、そういう気分じゃなかった。


でも今は、心に余裕が出来たというか、ゆとりが出来た。


英明の呑んでた酒は、少し強くて、紀貴は一瞬頭がクラッとしたが、なんとか耐える。


英明も少し眠いのか、もともとなのか分からないけど、目を細めて、眠そうにしていた。


「あの、えっと・・・弟さん、いたんですか?」


「・・・ああ。」


―聞いていいものか・・・聞いちゃいけないのかもしれない。でも、聞きたい。


「弟さんが、クレイザーになりかけてるって聞いたんすけど、どうだったんすか?」


「・・・。」


「あっ、すみません。」


咄嗟に謝ってしまった・・・。


―なんか、無言の圧力を感じるんだけど。


「・・・クレイザーというよりは、改造されてた、っていう方が合ってんのかもな。」


「改造・・・。」


「ああ。傷ついても再生する身体だったんだ。」


「え、再生できるって・・・。よく倒せましたね。」


「頭撃った。」


「そ、そうなんですか。」


―確かに、脳は再生させるのは・・・ねぇ。それが出来たら、人類の進化だ。


―進化?改造だから違うか。それは人類の進化では無く、人類に対する冒瀆だ。


―いや、そうではなくて、そういう事まで淡々と言われると、なんて言えばいいのかわかんない。


「お前、兄貴がいるっつってたよな。」


今度は紀貴が英明に質問された。


「あ、はい。」


「仲良いのか?」


「んー・・・。仲良いとは言われますけど、自分ではそんなこと思わないっすね。」


「文句言ったり、喧嘩したりすんのか?」


「そりゃ、しますよ。時には殴り合いにもなりますよ。」


「・・・梶本もか?」


「まあ、殴り合うってのは、小さいころですけど・・・。今でも頭叩かれたりはしますよ。俺はあんまりやり返したりはしませんけど・・・。」


  紀貴の兄貴も、英明みたいに優秀だ。コツコツと勉強して、良い会社に就職した。


紀貴は、学校での成績で比べられるのが嫌いだった。いつも『兄貴はもっと点数取ってた』って。兄貴は部活動に入っていなかったというのに。


部活のことを言い訳にするわけじゃないけど、部活に入れば、放課後も土曜日も日曜日も時間がなくなる。その時間が無い中でも、頑張っていたのに、それを分かってもらえなかった。


紀貴に何を期待してるのか知らないけど、紀貴にとって『比較』は、とても気分の悪いものだった。


「梶本らしいな。」


「そうっすかね?」


まだ残ってる酒を口に放り込むと、喉が焼けるように熱くなる。


  パタン・・・と音がして、誰か起きたのかと振り返ったら、紀貴の持っていたコップを奪って、酒を注いで一気に呑み干した。


こんなに強い酒を一気に呑み干せるのは、英明とこの人くらいだ。


「っか~!!やっぱ、これがなくちゃな!!」


「翔。耳元で大声出すな。」


翔だ。ニット帽を首に巻き付け、お父さんが着るグレーとか黒とかの首元が丸くなってて、ゴムになってるやつ。そのパジャマを着ている。


まあまあ、と英明の肩を叩き、紀貴の隣に座った。


―・・・なんか、失礼かもしれないけど、お父さんみたいな安心感って言うか・・・。


―いや、別に親父臭いとか、おっさん臭いとか、おじさん臭いとか、そういうわけじゃない。あ、同じ事言っちゃった。


まあ、とにかく、安心できるということなのだろう。


「こら。二人で紀くん挟んで煙草吸ってたら、紀くんの鼻がもげちゃうでしょ~。」


―どうしてみんな起きてるんだよ。睡眠時間少ないだろ。


「あれ、英斗。珍しいな。」


「ま~ね。最初は多少不安あったけど、今じゃ皆無償の助け合いしてるから、なんとなく感動しちゃったよ~。」


英斗は英明の隣に座ると、英明に向かって、『臭いなんて、思ってないよ』とか、正々堂々と厭味を言っている。


いや、『目は口ほどにものを言う』って言葉通り、英斗の目はとても不愉快そうにしていた。煙が英斗を襲うと、掌でヒラヒラと榊さんの方に返している。


「小さい子が笑えば、大人も笑える。すごいよね~。」


みなの事を思い出したのか、翔が微かに笑っていた。


「子供は大人ほど事の重大さが理解出来てない。だからこそ、笑っていられる。」


英明が煙草を灰皿に押しつけながら言った。大人は子供よりも生きている。当たり前な事だけど。


だから、蓄積された知識や情報から導き出した先見が、逆に先入観を生み出してしまう。


その結果、分かりもしない未来に怯えて、将来が不安になって、自分の能力を決めつけてしまう。


それを考えると、大人よりも子供の方が視野が広い。出来もしない事に挑戦しようとする、無謀ともいえる一種の勇気がある。


疲れをしらないという点も、子供の特権だと思う。


我慢や理性の能力が低いことが欠点だと思う人もいるかもしれないが、それは欠点ではない。大人が言えない事を、本当は心の中で思っていることを、代弁してくれているのだ。


―・・・と、俺は思ってるけどね。


「その笑顔や行動が、俺達大人の活気にもなる。」








―・・・ん?今までのおっさん達の声に交じって、ちょっと若い声が聞こえてきた。


―いや、ここの家で俺より若い人なんて、一人しかいないんだけども。


「潤。おめぇ、なーにしてんだよ。」


翔が紀貴の背中の方に向かって話しかけた。いつもなら、一度寝たらぐっすりと、それはもう、ぐっっっっっすりと寝てしまう潤が起きてきた。目をこすりながら、大欠伸をしている。


「みんなこそ何してんだよ・・・。俺がモンスターのボスと戦ってたのに、急に氷の世界になって、俺、寒くて起きちまったよ・・・。」


―夢の話をしている・・・。なんで夢で寒くて起きられるんだ。


潤は紀貴の背中に頭をくっつけて、正座して寝そうになっていた。それを翔が引っ張って、ソファに寝かせて毛布をかけ、また紀貴の隣に座った。


「ったく。」


文句を言ってはいるが、やっぱり翔は面倒見が良い。


ちゃんと毛布を肩までかけるあたりとか、潤の少し捻じれたパジャマを直してあげてるとことか。


「そういえば、隼さんって年幾つなんですか?」


「あれ?言って無かったっけか?」


「はい。榊さんと柏木さんは最初に会ったときに聞きましたし、潤くんもなんやかんやで知ってますし・・・。」


―何歳なんだろう・・・。もしかしたら、一番ミステリアスな人なのかもしれない・・・。


「俺、紀貴とそんな変わんねえよ。」


「えっ・・・。」


―ま・・・まあ。見た目は若いし、お兄さんって感じするから、年上なんだろうとは思ってた。


英明とか英斗と同じと言われても、それも違うのは分かってた。


―でも、なんていうか・・・俺よりも大人っぽいし、しっかりしてるし・・・。


「紀貴、お前、俺を何歳だと思ってたんだよ。」


煙草の煙をプカプカ吐きながら聞かれた。


「えっと・・・。二六、七歳くらいかと・・・。」


「・・・あ?」


少し不機嫌になったと思い、慌てて訂正した。


「いや、俺より大人びてるんで・・・。」


あたふたしているのが自分でもよくわかる。それを見て、一斉にふき出した。


「ハハハッ!!別に怒ってねぇよ!!んな慌てんなって!俺今二三。意外と若ぇだろ。」


「二三!?俺の兄貴よりも若い・・・。」


「クスクス。翔、自分で『意外と』言わないよ、普通。」


「翔もだんだん老けてきたからな。」


―老けるの早ぇよ。ピチピチしてるわけでもないけど、何でだろう・・・。


―なんか、包容力かな?ドシッと構えてくれてるところがあるし。それとも、榊さん達w三十路と一緒に暮らしているからだろうか・・・。でも潤くんはそうでもないし。


  また酒をグイッと呑んで、プハーっと幸せそうにしている翔。


―・・・。もしかしたら、これのせいかもしれないな。この居酒屋の似合う感じ。


『オヤジ、もう一本つけてくれ』なんて頼んでいそう。会社勤めのサラリーマンが上司やら部下やら家の愚痴を、飲み屋の親父に言う空気。それを漂わせている。


翔がコップをプラプラさせながら続けた。


「ま、誰でも年は取んだよ。じーさん、ばーさんになって、足腰弱くなっていくんだよ。あーあ・・・俺もそのうち入れ歯とかになんのかなー。あっ、その前に禿げるか。今のうちからケアしておかねーと・・・。」


「安心しろ、翔。禿げんのは頭を使ってる人間だけだ。心配なのは、お前らに苦労かけられてる俺の方だ。禿げるか若白髪かどっちかだ。どうしてくれる。」


「なにそれ。俺が頭使ってねーみてーじゃん。一応使ってんだよ。使ってんだけど、有効活用が出来てねーだけなんだよ。そこ、勘違いすんな。」


「まあまあ、二人とも~。見た目より老けて見えるのは間違いないんだから。禿げようが白髪が出来ようが、誰も気にしないから~。」


英明と翔の攻防戦に英斗が加わることで、火に油状態。


でも、これが日常。これが楽しい。


しばらくの間、紀貴は三人のやり取りを聞いていた。その途中で、英斗から、「ね~?紀くん?」とか、翔から「なっ!?紀貴!』とか、英明まで『梶本からも何か言ってやれ』とか言われて、紀貴は曖昧な返事を繰り返していた。誰を敵に回しても怖いから・・・。


言い合いが終わって疲れたのか、翔がグテンと後ろに身体を倒した。


―・・・くしゃみした。


今気付いたことだが、英斗だけ青汁に酒を混ぜている。


―え、何アレ・・・。青汁割みたいな?


―絶対美味しくないですよ、ソレ。榊さんも、俺と同じことを思ったようで、顔を引き攣らせていた。


―・・・それが普通の反応です。


「・・・なんか大変だったけどよー・・・。」


仰向けに寝転んだ翔が口を開いた。月を見ているのか、ぼんやりとしていた。


「今だから言えっけど、楽しかったよな。」


「楽しかった?」


戦争のようなあの戦いを、『楽しかった』という。翔らしい感想だとは思うけど・・・。


「別に、銃撃ったり怪我させんのが楽しかったわけじゃねーよ?なんていうか、それまでの過程っていうかよー・・・。」


「あ、そっちか。」


紀貴がホッとしたのと同時に、つい口に出してしまっていた。


「おい、紀貴!お前は本当に、俺をどんな目で見てたんだよ・・・。」


身体を起こして、肩に腕を回された。それがちょっと苦しい。


「死体はいつまで経っても慣れやしねぇよ。人を狙うと、今でも照準が狂いそうになる。クレイザーを初めて撃った時、手が震えてたのだって覚えてる。」


「・・・そういえば、最初のころは翔、嫌がってたよね。銃を持つこと。」


「ああ、そういやそうだな。説得すんのが大変だった。」


「英明が説得したんじゃないでしょ~。俺に押しつけて、あと少しって時に、一言言っただけでしょ~。」


そうだ。紀貴達はクレイザーとはいえ、人を殺した。そして、何人もの兵士を傷付けた。


そしてそれは、背負っていかなければいけない十字架・・・とでもいうのか。


切羽詰まった状況だとはいえ、それをしなければ守れないものがあったとはいえ、紀貴達は『人を殺した』。


それは消すことの出来ない事実。紀貴の罪。


「だから~、俺が言いてぇのは、『前を向いて歩こう』だ!!」


「「「は?」」」


―いやいや、似てるけど、違うから。


「お前ソレ、『上を向いて歩こう』じゃねぇのか。」


英明が教えてあげた。


―うん。言ったっていうより、教えていた。これは一種の教養である。


「いや、上向いて歩いてたら、躓くじゃねえか。空見てたって、道は教えてくれねぇよ。」


―おお。なるほど。壁にぶつかるかもしれないし・・・。あれ?俺、思考が隼さんに似てきたのかな?








「だったらお前、『下を向いて歩こう』でもいいじゃねぇか。」


―榊さん・・・。どうでもいいです。いや、榊さんにとっては、どうでもよくないのかもしれませんが、俺にとっては、『上』でも『前』でも『下』でもいいです。


「アホ英明。下向いてたら、首が痛ぇだろーが。」


―・・・そういう問題なんだ。やっぱり少しズレてる気がするけど、なんか説得力はあるんだよな。


「それにな、歳取れば、自然と腰が曲がって下向くようになんだから、前見て歩けるうちは前見て、たまに上見て歩けりゃいいんだよ。」


それに対してどう異議を唱えるのかと思っていたが、英明は目をパチクリさせて、『そうだな』なんて、説得されていた。


―素直な人だ。ほら、柏木さんも笑ってる。


―榊さんって、理屈で人を説得させるような人かと思っていた頃が懐かしい。


こんなに素直に人の言う事を聞く人だったのだと、喜ばしい新発見。


「翔の真っ直ぐな性格は、英明譲りかもね~。」


「ゲッ。俺、英明みたいなおっさんになんのか!?」


「・・・今すぐ三途の川見せてやろうか・・・。」


捉え方がおかしいですよ、翔。多分ワザとなんだろう。


『おじちゃん』呼ばわりされてからというもの、英明に対する言動が酷くなった気がする。


どうやら、英明も『おじさん』と呼ばれることには、まだ抵抗があるようだ。


きっと、髭を剃って、煙草も酒もやめて、医者の仕事をしっかりしていれば、『お兄さん』で通るかもしれない。


まあ、単に甘えられるからなのかもしれない。


翔も英斗も普段はしっかりしているし、一人の大人として見たとき、すごく頼りになる存在だ。


・・・でも、英明といるときは、翔も英斗も、『お兄さん』といるみたいに無邪気になる。何を言っても、何をしても、ある程度のことは英明が受け止めてくれる。


紀貴が出した結論。


英明は、傍から見れば『おじさん』。でも、紀貴達から見ると『お兄さん』ということ。


「あ、もうこんな時間か。俺は寝るとすっかな。」


重たい腰をよっこらせと上げて、翔は自分の部屋に向かっていき、手をヒラヒラさせながら『おやすみ~』と言って、行ってしまった。


「俺も寝ようかな~。寝不足になったら、明日手伝えなくなっちゃうし・・・。」


英斗もスッと立ち上がり、部屋に戻っていった。


急に英明と二人に逆戻りした紀貴は、また背筋をピンッと張ってしまった。反射的に・・・。


「・・・梶本も、もう寝ろ。」


「え?」


「明日支障きたしても、しらねーぞ。」


「あ、寝ます。」


紀貴もグータラと過ごしているわけじゃない。明日も、まだ家を建てる手伝いとか、カルテ整理とか、料理を作って差し入れとかしなくちゃいけない。


「おやすみなさい。」


そう言って自分の部屋の方に足を向けて、歩いた。英明が『ああ』と返してくれた。


途中で振り返って、ちらっと英明の背中を見てみると、大きい背中だった。


あの背中には、紀貴には分かり得ないものが圧し掛かっているんだろう。


  ベッドに潜って、紀貴はすぐに寝てしまった。こんなに早く眠れるもんなんだと、感心してしまった。赤ちゃんの時でさえも、こんなにすぐ眠れたことは無いかもしれない。


―また、『明日』も頑張らなくちゃ・・・。








  「んん・・・。」


身体が重い・・・。それでも紀貴は身体を起こそうとはせず、眠気に従っていた。


まあ、眠気に抵抗しようなんて思ってないのだけれど。


―ああ、また『今日』が来た。


それは、紀貴の日常を変えてくれた。


紀貴はまだ暖かい布団に抱きつくようにして寝ていた。自分の顔の鼻あたりまで持ち上げて、のんびりとした時間を過ごした。


足先が少し冷たくなっている。膝を曲げて、膝を抱え込めるくらいまで動かし、また寝た。


朝の身体は硬い。幾ら柔らかい俺でも痛い。首も曲げているせいで、痛い。


いつもと同じ朝だ。いつもと同じ自分。






  ただ、違ったこと。それは、誰も起こしに来ない、という事。


いつもなら、こんなに遅くまで寝ていたら、誰かしらに起こされる。


例えば、英明なら『梶本ぉ!いつまで寝てんだぁ!』って来るし、英斗なら『フフフ・・・。紀くん。早く起きないと、解剖しちゃうよ?』と言いながらメスを握ってる。


翔は、まず腹の上に乗ってきて、本を読み始める。そして、『起きろー。英明が怒ってる。』と言われる。


・・・騙される?


潤・・・より遅くなったことはほとんど無いが、たまに『紀貴!俺の方が今日は早ぇ!』と言って、ベッドの脇で、腰に手をやって、エッヘン、と言う。


  ―それが何もない。みんな忙しくて、それどころじゃないのかな・・・。


―でも、人出が足りなくなって、何が何でも起こしにくると思う・・・。特に、榊さんが。


どうしたんだろうと思って、目を開けた。


―・・・あれ?いつもと違う景色。いつもと違うベッドの位置。いつもと違う感じ。


―いや、違うんじゃない。正確には、『元に戻った』。ここは、『俺の部屋』。






一気に目が覚めた。ガバッと勢いよく身体を起こして、部屋を見回す。


―ああ、やっぱりそうだ。


此処は、紀貴の部屋。正真正銘、『俺の部屋』だった。昨日まで無かったはずの目覚まし時計は、まだ五時をさしていた。


頭をフル回転させてみたが、整理できなかった。今の今まで、紀貴がいた場所じゃない場所にいたんだから・・・。


そこは、以前いた紀貴の場所、紀貴の部屋、紀貴の世界だった。


英明の煙草の臭いもしないし、英斗の笑い声も聞こえないうえに、翔の笑顔も見れない。潤の叫び声も聞こえない。


  紀貴は、空虚感とか、喪失感に襲われた。なんだか、胸にポッカリと穴が開いたみたいだ。


誰もいないと分かっていながら、部屋のドアを開ける。ただ乾いた空気が流れるだけの玄関。


情けないことに、涙が出そうになった。いや、出てきているのかもしれない。紀貴本人にも分からない。


ただ脱力してしまい、部屋に戻ってテレビをつけた。


《一昨日の午前一一時頃、会社の資本金を横領したとして、総務部の責任者が逮捕されました。事情聴取で、容疑を認め・・・》


ニュースが流れても、右から左へと流れていく。紀貴の耳には、ちっとも入ってこない。


これじゃまるで、避難民の人達と一緒だ。思い出したかのように、不安が紀貴の中で大きくなっていく。明日が来てほしくないと思う。


 


  ―いや、ダメだ。そんなんじゃダメだ。俺は変わったはずだ。強くなったはずだ。


―変わりたいと思って、戦ったはずだ。メソメソしてても始まらない。みんな、頑張っていたじゃないか。一人一人が逞しく、立ち上がっていたじゃないか。


微かに、紀貴の髪の毛から、煙草の臭いがした。英明のものか、翔のものか、それは分からない。


二人して、同じ銘柄の煙草を吸っていたから。


  不思議なもので、その臭いが鼻を掠めてから紀貴は、頑張れると思った。その気持ちには、根拠も何も無いけど、そう思った。




プルルルルル・・・


「もしもし。あ、おふくろ?どうしたの?え、地震あったの?俺寝てたから気付かなかった。うん、うん、大丈夫だよ。うん、大丈夫だってば。うん、じゃあね。」


―はあ・・・。そういや、あっちでは季節も違かったな・・・。






  夏休みが終わって、紀貴はまた『いつもの』日常に戻った。


学校では眠い授業を聞いて、学食でご飯を食べて、友達と喋って・・・。


―そういえば、友達に、何か雰囲気が変わったと言われた。


―・・・そうだろうか。『顔つきが変わった』とか、『動きが俊敏になった』とか、『体つきも変わった』とか、『逞しく見える』とかとか・・・。


夏休み中にトレーニングでもしていたのかと聞かれたほどだ。


―・・・あれは、トレーニングなのか?


―座禅って、トレーニング・・・?


つまらない日常。


そう思っていたけど、これが幸せだということを教えてもらった。平凡な生活を送ることが、いかに大変で、いかに貴重であるか。


「・・・何してんだろ。」


みんなが今どうしているのか、気になるけど、それを知る術は無い。


でも、きっと元気にやっている。


英明は、相変わらず髭を生やして煙草を吸っているだろうし、英斗は、青汁を飲んで、解剖する機会を窺っている。


翔はニット帽を直しながら煙草を吸って、またニカッて笑ってるんだ。


潤はとにかく勢いに任せて、手伝いをしているのだと思う。


「・・・よし。」


―俺はこっちで、頑張ろう。何が出来るかなんて分からないけど、やってみるしかない。








「あれ?紀貴、まだ起きねぇの?」


顔に似合わない男らしい声で聞いたのは、小早川潤。


「・・・うん。紀くんは、無事に帰れたみたいだね。」


華奢な体つきに物腰の柔らかそうな男、柏木英斗。


「もうちっと一緒に酒呑みたかったな。」


ニット帽を被り、煙草を吸って笑っている、隼翔。


「・・・あいつなら、大丈夫だろ。」


同じく煙草を吸って、新聞を読んでいる、榊英明。


「英明、寂しいでしょ~?可愛い弟が、折角増えたのにね~。」


「・・・可愛い弟?増えた?まさかお前、自分を弟に含んでねぇよな?」


「え?違うの?」


「え?じゃねぇよ。ふざけんな。こんなメスで兄を解剖しようとする弟がいて堪るか。」


「まあまあ、お兄ちゃん♪そんなツレねー事言うなよ。」


「・・・はあ。もういい。お前らと会話すんの疲れる。」


「「歳だからね~。」」


そんな会話が繰り広げられていることは、梶本紀貴は知らない。






―みんなには感謝も言っていないことに気付いたけど、きっとあの人たちの事だから、感じ取ってくれていると思う。


気に入らない事も、逃げ出したい事も、沢山あるだろう。


でも、失敗してもいいから、やってみることだ。ここが重要なんだ。


失敗しても、人生が終わるわけじゃないんだから、落ち込み過ぎる事は無い。


誰かがどこかで見ていてくれるから、歩いて行くしかない。


転んでもいい。恥かいてもいい。時には逃げたっていい。


何度も何度も繰り返していけば、いつか見えるものがある。


「やるしかねぇな。」












―人生は、困難な道ばかりだ。


  その道に躓いてる俺達を、嘲笑うかのように弧を描く月。


  決して手を差し伸べようとはしない、知らん顔の他人。


  暗くなると道は見えなくなる。


  だから焦って、急いで追いつこうとして、また転ぶ。


  傷が痛くて、泣く。胸が苦しくなって、もっと泣く。


 


  でも、大丈夫。


  それは恥ずかしいことじゃない。挫折でもない。


  俺達は、長い長い人生の中で起きた、ほんの些細な出来事に、


  悩んで、悔やんで、迷って、歎く。


  ほんの少しだけ傷つくだけで、大声で泣きたくなる。


  『痛い』って言いたくて。『助けて』って言いたくて。


  目立たないけど、小さいけど、それでも手を大きく広げて、


  必死に生きてる自分を見つけてほしくて。


  頑張ってる自分を見てほしくて。


  自分の存在に気付いてほしくて。


  ふと足を止めて振り返ってみたら、大した道じゃない。


  そんなことは、しょっちゅうある。


  逆に、こんな道を歩いてきたのかって思うような道のときもある。


  立ち止ってみて、初めて気付くことがあって、


  初めて見た景色とか、初めて知った勇気とか。


  それに気付いたときの感動とか・・・。




  くだらないのかもしれない。


  つまらないのかもしれない。


  どうでもいいと思うかもしれない。


  でも、その中で生きていかなくちゃいけないことを、知ってる。


  だから、余計に嫌になる。


  生きる意味も、生きてる理由も、存在の価値も、分からない。


  キレイ事ばかり並べてる大人が嫌いで、


  世間体ばかり気にする大人も嫌いで、


  誰を信じればいいのか、分からなくなる。


 


  それなら、それでいいと思う。


  無理に信じなくていいと思う。


  顔色ばかり窺うような生き方じゃ、息が詰まる。


  もっと気楽に考えよう。


  嫌なこともいっぱいあるし、嫌いなものもあるだろう。


  けど、周りを見てみると、それに耐えてる人ばっかりだよ。


  自分の悩みなんかちっぽけに見えてくる。


  世界をみれば、もっと苦しい状況の人がいる。


  それなのに、幸せを見失ったばっかりに、見えていない。


  


  世界は、平等じゃない。


  人間は、平等じゃない。


  なら、気にすることなんて何もない。


  他人を羨ましがっても、どうしようもない。


  自分らしくしていれば、それでいいんだよ。


  好きなもの着て、好きなもの食べて、好きなことして。


  ある程度の秩序とか、ルールは守らなくちゃいけないけど。


  


  誰からも好かれる人間なんていない。


  誰からも嫌われる人間もいやしない。


  人類皆、兄弟。


  人類皆、友達。


  


  きっと、大丈夫。


  なんとかなる。


  だって、みんなそうやって生きてきた。


  俺達だって、生きていける。


  出来ないなんて事、無い。


  出来ないと思っているなら、それは、今躓いてるだけ。


  出来ない事は、俺達の前に出てこない。


  それを、乗り越えられるかは、俺達次第。


  乗り越えるのが無理だと言って見上げているだけか、


  乗り越えようと少しずつ登っていくのか。




  それは、俺次第。


  それは、君次第。


  大丈夫。なんとかなる。―






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