第2話 生きる決意




ミヤコソウ

 生きる決意 



生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ。   ウィリアム・シェイクスピア ハムレット






「じゃ、今日から本格的にやるぞ。」


「はい。」


紀貴がこっちの世界に来てから、かれこれ二週間が経った。


こう思うと短いが、内容が濃すぎて、紀貴には一カ月経ったような感覚に陥る。


英明も驚異の回復力で、今では頭とお腹に少し包帯を巻いているだけである。本当に恐ろしい。いや、素晴らしい。


紀貴にも基礎体力がついたようで、大抵のことでは疲れを感じなくなった。さすが、運動神経が人並よりちょい上のことはある・・・。


平凡って幸せなことだったんだなぁ。


「梶本、お前足はどこまで上がる?」


「え?こんくらいっすかね。」


そう言って上げてみる。すると、英明は少しだけ目を見開いて、


「・・・柔らけぇな。」と、驚いているようだった。


聞いたところ、英明を始め、翔英斗も潤も、相当硬かったらしい。紀貴自身はそんなに柔らかいとは思わないのだが。


「じゃ、早めに取り掛かれるな。空手とカンフー、合気道の練習を一日中しろ。そんとき、神経を全体に張り巡らせろ。英斗と翔と潤が陰から水鉄砲で狙ってる。それを避けながら俺と特訓だ。あと、リズムも忘れんなよ。」


「・・・注文多いっすよ。」


「つべこべ言うな。特に翔は腕がいいから、最初のうちはびしょ濡れだろうな。」


なんかそれも嫌で、紀貴はゼロに近い集中力を最大にまで高めた。


翔たちが楽しそうに笑っているのが目に見えるから、余計に。


ピュッ・・・。


「・・・。」


早速やってきやがった。翔だ。


嬉しそうにガッツポーズしている姿がちらっと見えた。ニット帽の隙間から見える目は、また紀貴を狙っていた。


「ほら、余所見すんな。」


「わっ!」


英明が本気じゃないけど狙ってきた。


そして、本来であれば一発入っていたであろう場所には、入りました、という意味を持つシールが貼ってあった。


しかも何かヘンテコなキャラクターが描かれている。


―誰が描いたんだろう・・・。まさかとは思うけど、榊さんじゃないよな。


「この調子じゃ、体中シールだらけだな。」


不敵に笑う英明は、血に飢えた獣みたいに舌舐めずりした。翔もよくする仕草だ。


でも、子羊を狙う狼って言うよりは、悪巧みを思いついたガキ大将みたいだった。








午前中の練習が終わると、紀貴はシールマンだ!と潤に指を指されながら言われた。


水をくらった場所に張られたシールがペラペラと、今にも剥がれそうに踊っている。この微妙な貼れ具合はなんとも言えない。貼るならちゃんと貼ってほしいもんだ。


「あ~。紀くん、びしょびしょ~。水も滴る何とやら、かな~。」


「水鉄砲楽しいー!!」


「もっと威力強くなるように改造スッかな・・・。」


―止めてください。みんな。特に隼さん。俺、榊さんの攻撃くらうたびに激しい眩暈に襲われるんすから・・・。


手加減はしてるんだろうけど、それでも痛かった。地味に痛い、手の甲を抓られたみたいな感じだ。


「はい、今日はカレーです。」


紀貴の作戦。


カレーにしとけば、しばらくは楽出来るな、と考えていた。それに、寝かした方が味が深まるみたいなことを聞いたことがある。実際、紀貴ん家では連続で一週間出てきたことがある。


その間、弁当もカレーという悲惨さだった。


「わーい!カレーだ!」


―うんうん。それでいいんだよ潤くん。


「よかったね~潤。カレー好きだもんね~。」


純粋な潤と、あまり食に関して文句を言わない英斗はいいとして、問題は残りの二人だった。


その二人の方をチラ見してみると、翔がカレーと睨めっこしていた。


「おい紀貴。お前、楽しようとしてるだろ。」


―うっ。やはり一筋縄ではいかない。俺の考えがバレテいる。この人に感謝という言葉を教えたいものだ。


「お前な、そういうとこで手ぇ抜くのよくねぇぞ。」


そう言われ、反撃しようとしたら、英明が翔の頭を勢いよく叩いた。おお。痛そう。


「てめぇもやってただろーが。」


なるほど。みんな考えてることは同じなんだな、と納得した。素晴らしいカレーの力だ。みんなからの絶大な信頼を請け負っている。


んでもって、さっきまで文句を言っていた翔の態度が、コロッと変わった。


「カレーはな、主婦にとっても経済的で尚且つ、頭が冴えるからいいんだよ。」


「分かった分かった。いいから食え。」


英明は、食べられれば何でもいいようで助かった。


翔も、自分がやっていた事実があるのが後ろめたいのか、そのあとは文句も言わずに食べていた。






午後の特訓が始まる。これ以上濡らすとこなんか無いってくらいまで濡れているのに。


そう思っていたら、今度は水鉄砲じゃ無かった。


入れ替えられたのは、青のカラーインク。気持ち悪い。これじゃ、アバターになってしまう。そう思ったら、やる気が出てきた。人それぞれ、やる気が出るものは違うが、どうやら紀貴はコレらしい。


翔が的確に狙ってくるのが分かるが、適当に打っている潤の軌道から避けるのに必死になってしまう。英斗はあんまり打ってこないのに、こんな時に、って時に打ってくるから厄介だ。


さらに・・・。


ヒュッ・・・


「わっ・・・。危ない。」


間一髪で避けられた。


「危なくなかったら特訓にならねぇだろうが。」


なんとかアバターだけは回避したかった紀貴は、燃えた。英明がインクが当たらないように動いてるので、その動きに合わせることにした。


英明の攻撃に対しては、両腕の肘から上をくっつけてガードすることしか出来なかった。








「ま、最初はそんなもんだ。」


煙草を吹かしながら英明に言われた。


「そうなんすか?」


なんとか顔は免れたが、背中はアバターになってしまった。夕飯はカレーのため、作るのはスープくらいかと思った。


そのまま台所に立つなと言われたので、紀貴が今日は一番風呂に入れてもらえた。出てから、少し風呂が青くなっていたので、一応もう一回洗っておいた。


―赤も嫌だけど、青も気味悪いんだよな・・・。


風呂からあがると、英明に「しっかり落としたか?」、と聞かれた。


「はい。また洗っておいたんで、入っても大丈夫っすよ。」


「わかった。」


明日の準備なのか、みんなで何やら作っていた。今日より強力なシール作りをしている英明を筆頭に、緑やら青やらシルバーまで鉄砲に仕込んでいる。


―シルバーって・・・。しかも二丁ずつ。


明日の光景が見えてくる・・・。


「紀貴。明日は今日より頑張らねぇとな。」


ニシシ、と翔が本当に楽しそうに笑っている。その隣で、カラフルにしようと試行錯誤を繰り返している潤。


だれか止めてくれないかと思っていると、さらに背後からは聞いてはいけない言葉が聞こえてくる。


「あ~、解剖したい・・・」と言いながらメスを仕込もうとしている恐ろしい男が一人。


―俺、それ死にます。一番避けたい。


解剖なら他をあたれ、と言ってくれた英明に感謝しようとしたら、試しに貼ったシールなのか、ソファに張り付いて一向に剥がれなかったようだ。


―この人たち、馬鹿だ。








「ババンババンバンバン♪あいやどどんぱ」


「ババンババンバンバン♪あ~いやいや」


―なんか大合唱だし。なんか聞いたことある歌だし。なんか楽しそうだし。こういうところを見ちゃうと・・・聞いちゃうと?危機感が薄くなるんだよな。


どうして翔も、潤の歌にノッてしまうんだろうか。面倒見のいいお兄さんなのは良いことだが。


紀貴がどうでもいいことに頭を使っていると、英斗が自分の部屋を真っ暗にしたままで、メスを研いでいる音がした。


―・・・鬼婆がいる。


それを英明が見つけて『不気味だ』と言って英斗の部屋の電気を点けた。


あ、ちゃんと正座で研いでる。いや、それが余計に不気味さを際立たせている。


  潤と翔は、風呂からあがると一目散にテレビに向かい、潤よりほんの少し早く到着した翔が『よっしゃー!』って叫びながら、ビデオをセットしてヤマトを見始めた。


・・・と思ったら、 英明がリモコンを奪取してニュースに切り替えた。翔が真っ白になりながら、英明を見た。


  その近くで、潤が『ヤマト、行きます!』と言いながらささきいさおさんの『ヤマト』を歌い出した。


すると、翔もハッと我に返ったようで、一緒に歌い出した。


英明への報復と言わんばかりに、大声で歌っていた。それに対して機嫌を損ねたのは英明では無く、心を込めてメスを研いでいた英斗だった。


「二人とも~、良い迷惑だから、すこし黙っててくれるかな~?」


黒いものを纏った英斗を目の前にした二人は、すぐさま歌うのを止めて、ものすごい勢いで土下座をして頭をガンガンぶつけていた。痛そう。


そんな夜ももうすぐ終わる。


紀貴が片づけをしている間に、みんな部屋に入っていった。寝ているのかは定かではない。


でも、物音ひとつしないから寝たんだろう。








  ―ああ・・・なんて良い天気なんだろう。心地いい風。その風が運んでくる新鮮な酸素。


―その酸素を俺は肺いっぱいに吸い込んだ。他人の出した二酸化炭素を、緑に生い茂る木々が光合成のために吸収してくれる。世界の摂理って素晴らしい。


紀貴はそんな世界で今、とても苦しい思いをしている。


「痛っ!!うわっ、気持ち悪い色!!」


紀貴がこう叫ぶのは当然。


さっきから英明に蹴られたり叩かれたりしているのに加えて、百発百中で紀貴の身体にカラーインクをつけていく翔。


とにかくこの状況が楽しくてたまらないらしい潤。


紀貴が気を抜いたときにだけ狙ってくるドSで腹黒い英斗・・・。


「ほら、また余所見したろ」


そう言って、紀貴の脇腹を、軽くだけど、蹴ってきた。


―・・・いや、気になるんです。近くの草陰で気味悪く笑ってる柏木さんが。


―あの人、いつかメスを投げてくるんじゃないかと心配です。榊さんに狙ったとしても、きっと榊さんは簡単に避けて、結果俺に刺さりそうで・・・。


「あー!インクなくなっちった。」


潤の声が聞こえた。


「そりゃあお前、あんだけバンバン打ってたらすぐに切れんだろーが。」


と翔が顔を出した。英明も潤の計画性の無さに呆れたようで、『一旦中止だ』と言った。






  「大体、なんであんなに打つ必要があんだよ。」


カラーインクの入った水鉄砲を指先で器用に回しながら、翔が聞いた。


「何でって、当たんねーんだからしょうがねーじゃん。」 


潤がなぜかわからないが威張ったように言った。


『下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるって言うだろ』とか・・・。なんていうか、自分が下手って気付いているのはとても良いことだと思う。だがしかし、だがしだがしかし、もっと的中率を上げようっていう考えは無いのだろうか。


「でもさ~、紀くんすごく上達したよね~。強くなったと思うよ~。」


「え?そうっすか?」


英斗の思いがけない激励(かどうかは分からない)が飛んできて、紀貴は嬉しくなった。


「ま、俺達が付きっきりでここ一〇日間相手してやったからな!」


―隼さん、余計なことを・・・。


そう。あたかもカラーインク特訓が二日目のような書き方をしていたが、文章と文章のわずかな空欄には、そういう罠が潜んでいたのだ。


紀貴はかれこれ一〇日も同じ特訓をしていた。自分でも分かるくらい成長していると思う。


それを少なからず感じてくれたのだろうか。


「そうだな。すげー動きも良くなったと思うぜ。」


「俺も思うー!紀貴、機敏になったよな!」


「クスクス・・・。そうだね~。更に解剖したくなったよ~。」 


―いや、関係ないでしょ。


でも、みんなにそう言ってもらえると、素直に嬉しくなる。お世辞なんか言わない人たちだから。


ダメなときはダメ、良い時はイイ、そう言ってくれる。だから嬉しいんだと思う。


「ね?英明もそう思うでしょ~?」


と英斗が英明に声をかけた。英明の評価はどうなんだろうと、そんな事を思って、柄にも無く緊張していたら、英明は煙草が吸い終わったらしく、灰皿に押しつけた。そして、


「・・・ま、顔は引き締まってきたな。」


―・・・う、嬉しい。


―え?今まで引き締まって無かったのか?とか、そんなことどうでもよくて、榊さんの口から、御褒めの言葉をいただきました!!


紀貴は感動して、英明をボーっと見ていた。そしたら、『口閉じろ。アホ』と言われた。周りの人にも笑われた。


  「じゃあ、もうクレイザーに会っても大丈夫だな」


―え?いやいや、ちょっと待ってください。特訓と実践は違います。俺にだってそれくらい分かります。榊さんたちは手加減してくれたから良いものの・・・。


「あの、俺まだ早いと思うんすけど・・・。榊さんが手加減してくれたから俺は掠り傷程度で済んだんです。殺しに来るやつらとはわけが違う。」


紀貴が真面目な顔してそう言うと、みんなして『は?』みたいな顔をしていた。


―いや、『は?』はこっちの台詞なんだけど。


みんなとのチームプレーだって出来ないのに、自分単体でなんてとても無理だろうし、英斗だって、弱いと思ってたらそうでもなかったし・・・。


「・・・梶本。お前、それ本気で言ってんのか?」


―本気も本気だ。当り前だ。


紀貴は迷わす、「本気ですよ。まだ早いです。」と言った。最近の紀貴は、結構物怖じせず言えるようになったと思う。


「ククッ・・・。クククッ・・・。ハハハッ!!紀貴、お前、それ言ったら、英明に失礼だそ!!」


翔がヒ―ヒ―と、お腹を抱え目に涙を浮かべながら笑っていた。


―俺、特に失礼なことは言っていないと思うけど。


なんでこんなに笑っているのか分からないでいた。潤にも『紀貴は鈍いんだな』と言われた。


―さっき機敏になったって言ってたじゃんか・・・。


これまた深い、深~いため息をついた英明を見て笑っている英斗に言われた。


―そ・・・そんなにため息つかなくったっていいじゃないですか。


「手加減なんてほとんどしてないよ~。」


  ―???


  紀貴は言われてる意味が分からなくて、ポカンとしていた。


英斗の言葉を理解できていないと分かった翔は、さらに笑いだした。英明は呆れてモノも言えないようだ。


「あの、どう言意味っすか?え?榊さん、本気じゃなかったっすよね?」


そう聞いてみたら、英明は煙草を一本取り出して、ライターで火を付けた。紀貴はその動作をずっと見ていた。


「最初は、な。手加減してたが、ここ二、三日は手加減した心算はねぇ。」


頭が回転しない。いや、回転しているけど、ついていけてない。


「大丈夫~?」


英斗が紀貴の前で掌をヒラヒラさせていた。翔にまで、「気づいてなかったとはなー。」って言われた。


「・・・ってわけだ。梶本は自分で気付かないくらいに強くなってたってことだ。」


―ほお・・・。なるほど。そういうことか。やっと理解した。


「でもまだ一人では出歩くなよ。」


英明に釘を刺された。言われなくても、紀貴は一人で出歩くことはしない。道分からないし。戻ってこれなくなることは目に見えている。


「さて・・・。」


英明がそう言うと、他のみんな、と言っても紀貴以外のみんなが立ちあがって、戦闘態勢に入っていた。


「?」


何事か?


紀貴はとりあえずみんなの行動を観察していたら、英明がこっちを見てきた。


「何してんだ。お前の実力を試す絶好の機会だろ。」


そう言われて初めて、ああ、敵か、と判断できた。


翔と英斗に拳銃を渡して、英明は白衣を脱いだ。


白衣は邪魔らしい。医者らしいことしないんだから、白衣着なければいいのに。


「来るぞ。」


それと同時に、特攻役の翔がドアを思いっきり蹴った。


ドアのすぐ前にいたのか、一体のクレイザーが倒れた。翔が拳銃を構えて的確にクレイザーの頭を撃ち抜いていく。


―ああ、こういうときは本当に頼りになるお方だ・・・。


それに続いて英明が出陣。


ドカドカやってる。抽象的な表現だが、コレが一番似合うと思う。


潤、英斗も参加していく。潤は瞬発力に長けていると思う。


さっきまで右にいたと思ったら、もう左の隅にいる。全体を見ながら、助け船を出すのが英斗なのだけれど、ヤル気があるのか、無いのか。でも、すごくいいチーム?だと感じた。


そんな風に一人でボーっとしていたら、やっぱり狙われた。


英斗が気付いたけど、ニコッと笑って、「頑張れ」と言うだけだった。


―はいはい。やるしかないんですね。


紀貴は強くなったみたいだし、こういうときのために特訓をしていたはずだ。深呼吸をして自分を落ち着かせる。


「・・・はあ。しょうがないな。」


諦めの捨て台詞を言って、紀貴は拳に力を込めた。


襲ってきたクレイザーの攻撃を避けて、その腹に一発お見舞い。避けるのは簡単だった。その理由は簡単。


英明の方が、動きが速いから。


英明はその速さに目も身体も慣れたおかげで、避けることが出来た。目が慣れてしまえば、速さには対抗できる。


潤が「紀貴やる~!」と、楽しそうに笑って、クレイザーをバンバン倒していった。


翔もひゅ~と、口笛を鳴らすと、英明が「余所見はすんなよ」とみんなに喝。


英斗の、その頭上から襲いかかったクレイザーに気付き、近くにあった頑丈そうな枝を掴んで軽くジャンプし、蹴飛ばした。


―ああ、俺もジャッキーになれるかも。


―・・・はっ。いかんいかん。榊さんに怒られる。


なんて思って、頭をフルフルしていたら、「紀くん、ありがと~」と言われた。英斗のことだから、気付いてたんだろうけど。


結構クレイザーはいたんだけど、時間にして数分で全員倒す事が出来た。


身体を動かすのって気持ちいいんだな、と思った。少しかいた汗にも、不快感は感じなかった。








「ぷはあっ!!やっぱ、運動した後のオレンジジュースは美味ぇな!!」


「ぷはあっ!!やっぱ、運動した後のブラックコーヒーは美味ぇな!!」


「ぷは~。やっぱり、運動した後の青汁は美味しいねぇ~。」


「・・・。」 


どっからどうツッコめばいいんだろう。みんな、飲み物おかしいんだけど。普通はビールとかなんじゃ・・・。


つか、コーヒーとか青汁でそんな反応出来るなんて、幸せな人達だ。


隣では、自分で御酌をする英明が、何事もない様に呑んでいる。一気に呑んで、『あ~・・・』と低音で言っていた。


みんなおっさんだ。此処にはおっさんしかいないのか。すると、肩を叩かれた。翔だ。


「紀貴も飲めよ。ほら。」 


そう言われて渡されたのはなぜかウーロン茶。


「なんでウーロン茶なんすか」


「紀貴、ウーロン茶好きそうな顔してるから。」


―だとさ。どういう顔だ。いや、好きだけども。もっとこう、なんかあるだろ。


  それにしても、確かに強くなってた実感がある。


明日は英明と一緒に、避難所に偵察に行けることになった。嬉しいけど、不安もある。


本当は翔が行く予定だったんだけども、経験を積むのが一番手っ取り早いという結論になって、


紀貴が行けと言われた。


翔と二人だと、二人して捕まりそうだから却下された。・・・悲しい性。


今日は早めに寝て、体力付けとけと言われたから、そうすることにした。








次の日、気持ちよく起きる事が出来た。もう頭が覚めていたから、身体を起こすのにそれほど時間はかからなかった。


  起きると英明が準備をしていて、紀貴も少し手伝った。


「行ってくる。」


「行ってきます。」


朝食もしっかりと食べて、紀貴が食器を洗い終わってから出かけることになった。


英斗と潤と翔に挨拶をして、紀貴は英明と偵察と言う名の特訓に入った。英明の後をついて歩いている。


・・・男の子は、お父さんの背中を見て育つって言うけど、紀貴の場合、英明の背中を見て育っている気がしてきた。


「あそこだ。」


英明がそう言いながら、親指をクイッとやった方向を見た。避難所というか、城そのものだ。


もともとは真っ白であったであろう城壁は黄ばんでいて、周りを深い霧が囲む。樹海から伸びている蔓が、城を飲み込んでいるようだ。とても不気味な場所と感じた。


「行くぞ。」


英明が身を屈めたのと同時に、紀貴も身を屈めた。息を潜めて慎重に、でも素早く動く。


城の下の方は崩れかけていて、人一人なら通れるくらいの穴が開いていた。そこから城内へ侵入。クレイザーはいないものの、兵士があちこちにいて、紀貴は思わず息をのんだ。


自分の中でセンサーをあちこちに張り巡らせ、隠れたり走ったりし、地下への階段が見える場所まで辿りついた。


英明が一瞬の隙をついて、地下へ繋がる階段の許へ行った。


地下への階段のそばに、死角になる場所があり、それを知っていたようだ。


そこに隠れながら、紀貴に、来い、と合図をした。紀貴は行っていいタイミングが掴めず、おろおろしていた。


―でも、いざ行かん。


ココだ!


と思って飛び出したら、次の瞬間、兵士とばっちり目があった。向こう側で、英明が掌を額につけてため息をついているのが分かった。


「侵入者だー!!捕まえろ!!」


その叫び声によって、周りは兵士だらけになった。


―さ、榊さん・・・。


相手はクレイザーでは無い。銃も持っている。さらに、英明は一般人には手を出さない。


―さて、どうするかな。


「あ、あの。俺も兵士になりたいと思って・・・。」


咄嗟に出た嘘だ。


英明がポカンとした後、笑いを堪えていた。でも、そんな嘘を信じてもらえるはずもなく・・・。紀貴は捕まった。翔と一緒だ・・・。


  避難所に入れたことには間違いない。でも、紀貴がいるのは牢屋。ただの不審者扱いだ。


―まあ、ここからでも避難している人たちの様子が見えるから、良しとしよう。


手錠を嵌められ、足にも重りを付けられてるけど、足を鍛えるのには良いかもしれない。


ポジティブだ。ポジティブに考えるんだ。自分が今此処で出来ることを考えろ。


「お前、名前は。」


兵士の奴が、紀貴に銃を向けながら聞いてきた。


―本名を言った方がいいのかな・・・。


「俺は兵士になりたいんだ。」


生憎、こいつらに名乗る名前は持っていない。情報が欲しい。


「俺も避難してる人達を守りたいんです!クレイザーを倒したいんです!」


精一杯の演技をした。


ヤル気に満ち溢れた、明るく、志望動機のはっきりとした青年を演じよう。そうすれば、きっと紀貴を雇うはずだ。


自信満々な就活生が思いそうなことだと、いつもなら馬鹿にするところだが、今は大いに利用して、なんとしても化けの皮を剥がしてやる。


「はっはっはっ・・・。お前、俺達の仕事を理解していないようだな。」


案外あっさりと剥がれそうだ。単純な奴が相手でよかった。


「俺達の仕事は、あくまで金の徴収だ。避難してる奴らを守ってるふりして、クレイザー使って金を集めるのが仕事だ。まあ、この銃も麻酔弾だから、クレイザーを倒してると思われてるがな。」


―それはもう楽しそうに話してくれた。こいつ馬鹿だ。そんなペラペラと・・・。俺の身辺調査も碌にしねーで。だがまぁ、やっぱりクレイザーは管理されてるんだ。


「最近じゃあ、この辺に住んでる邪魔な奴らに殺されるクレイザーが多くて、クレイザー自体の数は激減してんだ。前は五〇〇体はいたが、今じゃあ一五〇体くらいだ。だから、そいつらを襲うように仕向けてる。それでも簡単に倒されちまう。しょうがねえんだけどな。クレイザーの寿命は短い。他人の身体で生き延びてんだからな。新しいのに変えても、せいぜい一週間が限度だな。すぐに腐っちまう。・・・正直、もうクレイザーにも用は無いんだ。そんなすぐに腐っちまう道具なら、さっさと俺達で片づけろって言われてんだ。」


「じゃあ、クレイザーを貴方達が?」


「ああ。んで、俺達で実力行使する予定だ。まだここに来てねぇ奴らから、根こそぎ奪うんだ。」


「でも、そんなにお金を集めてどうするんですか?」


「そりゃあ、ありったけ集めたら、この国を捨てるんだ。勿論、国のゴミ共は消し去ってな。」


「・・・全員殺すってことですね。」


紀貴は、あたかも興味があるように笑ってみせた。


腹ん中は気持ち悪かった。正常な人間が考える事ではない。そこまでお金に執着する理由も分からない。


胸倉を掴みたい衝動に駆られたが、グッと堪えた。


「そうだ。お前も金が好きか。」


ぎこちない笑みになったかもしれない。


そいつの笑顔がとても気味悪かったから。背筋がゾッとした。金はあれば不自由しないけど、そこまでして欲しいとは思わない。


「でも、ここに来れない人の金なんて、はした金ですよ。そこまで集めるんですか?さっさと国を捨てればいいのに。」


「それがそうもいかねぇ。さっきも言ったが、クレイザーの存在が他国にバレルことがあっちゃならねぇ。兵器を作っていたと思われて、命狙われても迷惑だろ?だから、クレイザーを全て刹処分するまでは無理なんだ。」


お前らが腐ってる。


そう言おうとしたが、その言葉を呑んだ。せっかくの機会なんだ。集めるだけ集めないと。


「そういえば、この国に国王はいないのに、貴方達は誰の指示で動いてるんですか?」


「それがよ~。国王の妾が指示取ってるんだ。」


―初耳だ。結婚してたのか。しかも正妻じゃないって・・・。


「正妻じゃないんですか?なんでまた妾が・・・。」


「正妻はそれほど金に執着心は無くて、妾が金の亡者らしい。正妻が何度も警告してたんだ。これ以上国民を苦しめることがあれば、追放するって。でも、正妻が死んでか状況は一変。命が惜しいなら金を払えっていう妾の暴走がはじまったらしい。・・・これはあくまで噂なんだが、正妻は妾に殺されたってよ。」


その女が全ての元凶のようだ。国王も国王だ。そんな女に入りこんで、金に目が眩むなんて。


「その妾が今、隣国の王と婚約しててな。金が集まったら、その国に入り浸るらしい。こっちよりも治安はいいし景気もいい。邪魔な存在を消して、おさらばだな。」


そこまで言うと、満足したのか、兵士はどこかへ行ってしまった。とにかく、その女を調べる必要がありそうだ。でも、ここからどうやって逃げようか迷っていた。


牢屋の中をキョロキョロしてみて、出口を探すけど、見当たらない。それに、この手錠と重りをどうやって外そうかと悩んだ。


「お芝居もなかなかだな。」


頭上から声がした。間違えるはずもない。この低音は英明だ。さっきまで紀貴と行動していた人物。そして、さっき紀貴を見捨てた人物。


「・・・もっと早く来てほしかったっすよ。」


「そう言うな。梶本の演技のお陰で、大分核心まで迫ってきたしな。」


そう言いながら、英明は天井から身軽に下りてきて、綺麗に着地した。


そして、紀貴の手錠の鍵穴をカチャカチャやっていた。


―あ、そうか。この人は前に柏木さんのメスの箱をピッキングしたんだった・・・。そういうのも役に立つんだ。


「ずらかるぞ。」


「え。もうですか。」


「妾のことは風の噂でしか聞いたことが無かった。でも今回それが噂でないことが分かった。しかもそいつが全ての元凶なら、そいつを調べりゃいいだけの話だ。」


なんとも難しいことをいとも簡単なように言う人だ。英明が言うんだから、出来るんだろうけど。


「クレイザーは兵士に任せて、俺達は兵士の精神を操ってる奴を倒すことに専念する。」


「精神を操ってる?」


「ああ。精神が崩れているとき、クレイザーに狙われる。それは覚えてるな。」


「はあ。・・・そうでしたね。」


―忘れてた。


そんな話が確かにあった。きっと紀貴が忘れてることに英明は気付いてる。


「・・・。まあいい。要は、あいつらは本来ならクレイザーに襲われててもおかしくない精神の持ち主だ。その精神をギリギリのところで留めながら動かしてるのが、その女ってことだ。」


「そんなこと出来るんすか。」


「ま、所詮金で動くような奴らだ。他愛もないだろうな。」


―へえ。なんか初めて女の人が登場してきた。その人はなんで正妻になれなかったのかな。


―・・・その性格のせいか?そんな女に誑かされる様な国王じゃ、みんな大変だな。


  紀貴が悶々と頭を巡らせてる間に、手錠が外れたようだ。ガシャンって音がして、手首の冷たい感覚が無くなった。重りの方も簡単に外れたようだ。


そういえば、英明はどこから来たのだろうと、英明が現れた場所を思いだす。


―・・・頭上ってまさか。通気口からモゾモゾと来たのかな・・・。


「さっさと行くぞ。」


迷うことなく身軽に通気口へ戻っていった。英明は一般人に手を出さないから、途中で会わないようにしてるんだろう。面倒なことは嫌いな人だから。


しかも、自分をボロボロにした人に会ったら、この人はその瞬間一発やってしまうだろう。


「や・・・やっと出た。」


ふう、と息を吐いた。肺には新鮮な空気。英明がポケットに手を突っ込んで待っていた。


何やら城の上の方を見ていた。なんだろうと思って、紀貴も上を見てみると、そこには、女の人がいた。


「もしかして、あの人っすかね?」


「・・・かもな。」


その人はなんていうか、綺麗だった。遠目から見ただけだから、そう見えたのかもしれない。


綺麗とか、美人とか断定する事は出来ない。それは不確かだ。ただ、ぱっと見た感想がソレ。


  英明と家に急いだ。その途中でクレイザーを撃っている兵士を何人も見たが、どちらも助ける義理は無いと言って、英明と紀貴は足早に進んだ。






「おかえり。」


翔が一人でのんびりと煙草を吸っていた。


英斗と潤は何処だろうと思っていたら、それに気付いたのか、翔が『ああ』と言った。


「英斗と潤なら、座禅室だぜ。」


「あの二人がか?」


英明が驚いたように目を見開いた。


紀貴も驚いた。


なんせ、あの二人が座禅室に居座るとこなんか見たことが無い。いや、邪魔しに来たとかはあるのだけれど、翔でも数回は見たことあるのに。


  煙草を吸った英明が二人の様子を見に行こうとした。座禅室のドアを開けようとしたら、自然と開いた。


英斗が、寝ている潤をおぶって出てきた。それを見て、英明はやっぱりな、という顔をしていた。英斗がフフフと笑っていた。


「んで?」


翔が切り出した。今日の偵察の成果は?と聞いているらしい。英斗が潤を寝かせ終えて、リビングに戻ってきた。


「あの妾の噂が噂で無かったことがわかった。」


この言葉を最初に、大体の話をした。


「あ~、やっぱそうか。」


伸びをした翔は、『悪魔と呼ばれた女・・・だろ』と続けた。英斗も、表情はいつもと変わらないが、どことなくピリピリしているのが感じられた。


「兵士がクレイザーを狙ってる。刹処分するんだそうだ。」


英明がそう言うと、英斗が柔らかい笑みを浮かべながら、口を開いた。


「じゃ~、避難民を囮にするね~。」


紀貴以外の人は英斗に目をやって、だろうな、っていう視線を送った。


―囮にするって・・・。


「あの、囮ってどういうことっすか?」


「クレイザーにとって、今の避難民は新しい臓器を持った、贅沢な御馳走だ。兵士の奴が言ってたろ。国のゴミ共は消すって。」


そこまで英明が説明るすると、翔が身を乗り出してきて、こう続けた。


「その意味は、即ち、避難民を餌にしてクレイザーを誘き出し、避難民共々消し去ろうってことだ。」


「共々って・・・。」


「別に難しいことじゃないぜ。無差別に銃を乱射することも出来るし、爆弾で一気に消すことも出来る。でもま、方法は大した問題じゃない。問題は・・・。」


「その兵士たちはその後どうなるかだ。」


―ん?どうなるもこうなるもない。あいつらはその女と一緒に隣国へ行くんだろ?


「え?だって、例の女と国を出ていくんすよね?」


「あー・・・。紀貴。お前可哀そう。その脳味噌可哀そう。」


翔に哀れみの目を向けられた。


「金のために正妻を殺した女だぞ。兵士たちを連れて行ったら、自分の悪事がバレルかもしれないだろーが。結婚だって破談になりかねない。そんな危険を犯すと思うか?」


―ああ、そういうこと。


確かに、リスクがでかい。兵士たちの中には、その女を脅して、金を強請る奴も現れないとも限らない。危険な芽は摘む女だ。


「兵士たちも殺されるってこと・・・っすか。」


紀貴は恐ろしくなった。どこまで欲深い女なんだろう。


「兵士たちが殺されるのは別にいいんだが、国ごと消すだろうな。」


煙草の煙を吐きながら、英明が放った。紀貴達も危ないってことなんだと分かった。


「避難所に来ていない奴も、避難してる奴も、兵士たちも、俺達も。全部消すだろうな。」


そして、自分だけが国を変えて幸せに暮らす。そんな理不尽なことがあってたまるか。金のためにどこまでするつもりなんだ。悪魔どころの話じゃない。


「戦争なら、勝つか負けるかで済む。でもこれは戦争なんて言葉は合わない。これはただの殺戮と言ってもいい。」


戦争でさえ遠い世界の話だと思っていた。テレビでは何度も耳にしたし、そういう映画やドラマも見たことがある。


悲惨だ。机上の空論ばかり。戦いたくない人まで借り出して戦わせる。無意味な戦いで、命を無駄にしている。それさえもまだマシだという。


「とにかく、その女の素性を調べるんだ。その女をどうにかしねぇと、終わりはない。」


決意は固まった。みんな首を縦に振った。








  素性といっても、そう簡単にはいかないだろうと思っていた。手掛かりは何もないのだ。


紀貴は、始まってすぐ悩んでいた。とにかく歩いていた。今日は翔と行動しろと言われた。


英明は英斗と。潤はお留守番。紀貴と翔で動いたら、二人して捕まりだと思ったが、あえて言わなかった。


「紀貴。こっちこっち。」


翔に手招きされた。なんだろうと思って近寄ると、ニット帽の上から、頭をガリガリやって何か見ている。


「これ。」


差し出された資料。そこには、城で見た女に人が載っていた。雰囲気が伝わってくる。


あの時見た、なんとも言えない感じ。思わず、あっ、と声を出して、翔の隣の椅子に座って、資料に目を通す。


「早乙女景子、年齢は今三八、九くらいだな。これを見る限りじゃ、かなり貧しい生活をしてきたみてーだ。小さいころから家計のために朝な夕な働いていた。一方で正妻だったのがその次のページの女。」


そう言われて、次のページをめくってみる。これまた綺麗な人がうつっていた。清楚なお嬢様という肩書きが似合う。


「凰鵬憲子、年齢は景子と同じくらいだな。小さいころから、蝶よ花よと育てられたんだろう。生まれは違う国だな。国王とは制約結婚らしい。しかしまあ、すげー名字だな。」


―本当だ。こんな名字の人いたんだ。テストのとき、名前だけで大変だろーな。


紀貴の友達に『本一もとはじめ』という人間がいた。なんて適当な名前に感じるんだろう。せめて、名字は本木に出来なかったのかと、可哀そうに思ったこともある。


「でも、どっちも子供が出来たかったのかね~。」


「え?」


そういえば、子供がいるっていることは書いてない。家族構成もない。二人とも子供がいてもおかしくは無い。ただいないだけなのか、それとも・・・。


「子供の存在を隠してるか・・・」


翔と考えが重なった。正妻に子供が出来たら、それを隠す理由はあるのだろうか。


反対に、側室に子供がいたなら、自分の子供を次の国王に出来る。そうなれば、自分の扱いも良くなるかもしれない。なのに、書いてないという事は、やはりいなかったのだろうか。


「おっかしーよな。あの国王は無類の女好きだって聞いてたんだけどな~。」


翔がそう言いながら、椅子で遊んでいた。クルクル回る椅子だから、すごい勢いで俺の隣で回ってた。


―・・・気持ち悪くなっても知らないっすよ。


「女好きの奴が手を出さないわけねーもんなー。な?紀貴どう思う?」


「・・・俺別に女好きじゃないんで、よく分かんないっすよ。」


それは紀貴より翔の方が詳しそうなんだけどな、なんて言ったら怒るだろか。はたまた、笑いながら否定するだろうか。


「とにかく、この資料コピーしますか。」


そう言って紀貴は席を立った。コピー機があるのかも分からないけど、資料を勝手に持ち出すのは気が引けた。


「え?それ持ってきゃぁいいんじゃねぇの?面倒臭ぇし。誰も取りに来ねぇってか、誰も家から出ねぇだろ。」


それもそうか。紀貴は自分の道徳は大丈夫だろうかと、なんか心配になってきた。


翔達に流されている気もする。でも、緊急を要するってことで。








「なんか、前よりクレイザーに会う頻度が少なくなってきたっすね。」


「ああ。あれだろ。殺処分の計画が進んでんだろ。きっと城の方に向かってんだ。」


残酷な言葉を口にするのに躊躇しないのがすごい。鳥の殺処分でさえ、言うのは躊躇われる。


家につくと、英明と英斗もさっき着いたところらしく、英斗が英明用のコーヒーと自分用の青汁を運んできたところだった。


潤は・・・寝ている。


「よっ。」


手を軽く出して、翔は英明の右隣にあるソファに座った。


英斗が翔の分のコーヒーを用意しようと台所へ向かったので、慌てて、『あっ、俺やります。』と言うと、英斗はニコッと笑って、『ありがと~。紀くんはイイ子だね~。』と、茶化されてるのか分からないが、褒められた。・・・のだと思う。


紀貴が机に置いた資料を英明に渡して、翔は煙草に火を付けた。


英明はペラペラと捲って、『早乙女景子か』と呟いた。英斗は青汁を一気に飲んだ。


「どう思う?英明。」


紀貴はコーヒーを入れて、翔の前に置いた。


英明は、『サーンキュ』と言って、煙草を灰皿のくぼみに置き、コーヒーを飲み始めた。


「子供はいるな。だが、いることによって不都合が生じるからもみ消した。」


英明は開いたままの資料を机に置くと、首をコキコキ鳴らした。


「不都合・・・。」


口にしていた。


英斗が、ボーっと突っ立ていた紀貴に、『紀くんも座ったら~?』と声をかけてくれた。紀貴は英明の正面のソファに座って、次の言葉を待った。


「妾になるのに、子供がいないという条件があったと仮定する。早乙女は貧しい暮らしをしてきた。その生活ともおさらば出来る最後のチャンスかもしれない。そう思った早乙女は、関係を持った男をまず消した。そして、子供はどっかに捨てたか、男同様に殺したか・・・。」


「そんな、自分の産んだ子供ですよ?」


「梶本、この世には自分が腹を痛めて生んだ子にさえも、手を掛ける奴がいる。残酷と言われようと、非情と言われようともな。自分の命を優先する親が、少なからずいる。」


そんな事実があっていいのか。その事実は今の紀貴にとって、受け入れ難いものだった。


英明も翔も、それに似た過去を持っていることも確かだ。英斗は未だ謎だけど。


それに比べれば、紀貴は平凡ながらも、いや、平凡だからこそ、幸せな家庭に育ったのかもしれない。それを考えると、表現はおかしいかも知れないけど、肩身が狭かった。


「あ。」


英斗が、何かを思い出したように言った。みんなして、何だ?と見たが、大したことじゃないだろうと思っていた。


「俺、この人のこと知ってる~。」


「「「・・・はあ?」」」


三人でハモッてしまった。ケラケラ笑って、『みんな変な顔~』なんて呑気なこと言ってる英斗の顔に蹴りを入れた英明が、煙草に火を付けた。


「ほら~、俺の両親って産婦人科だったでしょ~?俺、カルテ見るのが大好きで、盗み見してたんだよね~。そんとき、この人見たことあるよ~。実際会ったこともあると思うけど。」


―いやいやいや。新情報満載なんですが。


「・・・お前の親が産婦人科なんて初耳だ。」


英明が落ち着いて言った。でも、その眉間には、深い深いそれはもう深いシワが寄っていた。


翔も初耳らしく、ニット帽の缶バッチさえも驚いた顔をしているように見えた。


コーヒーも零れかかっていて、『うおっ!危ねっ!』と、間一髪で火傷は免れた。そんな様子を見て、当の本人は笑い続けている。


「まあ、この早乙女って人の話をすると、夜中にいきなり『産まれる!』って言って、駆け込んできた人だよ~。母子手帳も保険証ももってなくて、最初は俺の親もどうしようって戸惑ってた。でも、ほっとくわけにはいかないでしょ~?無事に出産して、すごく喜んでたし、感謝もされた。」


「何歳で産んだ子なんだ?」


「確か~、俺が一二歳くらいだったかな~。」


英斗が天井を見上げながら言った。英明がため息をついて、『お前の年は聞いてねぇ』と低音も低音、呆れた声で言った。


「知ってるよ~。俺、男だよ~?早乙女さんが一八歳のときだね~。だから、子供は生きてれば二〇歳。紀くんぐらいの年齢だね~。」


―俺くらいって・・・。いや、俺は違いますからね。


「でも、それからすぐだったかな~。」


英斗が続けて話をした。紀貴はただ、大人しく聞くことにした。


「国王に気に入られたみたいで~。まあ、結構美人だからね~。しばらく城で暮らしてたんだけど、そこで狂ったみたい・・・。夫が暴力を振るうっていうから、俺の両親が子供の面倒見てたんだけど~、帰ってきたとき、雰囲気が全然変わっててさ~。」


「変わってたって?キャバ嬢みたいになってたとか?」


―・・・。隼さん。それ、真面目な意見なんですか?


「う~ん。子供見る目が冷たくなってるし、その後に早乙女さんの御主人が遺体で発見されたとか、セコクなってたとか聞いたよ~。」


「ガキの遺体は見つかってねぇのか?」


翔がこれまた不謹慎・・・というか、ちょっと変わってるというか、の質問。


「うん。だから、生きてるのか死んでるのかは分からない。」


青汁の入ったパックを持ってきて、グイグイ飲んでる英斗。そんなに好きなんだ。飲み終えて、口についた青汁のヒゲを拭うと、『でも』と続けた。


「生きてるって噂だよ。」


「根拠は?」


すかさず英明が聞いた。英明は、噂とはすぐに信じない人のようだ。根拠とか、確証とか、物的証拠を求める傾向がある。そのへんは、さすが、といったところだ。


「根拠?ん~・・・。その子供の目星がついてるから・・・てのは?」


この人は、本当に重要なことを、後回しにする人だ。目星がついている?


「俺、こう見えても勘はいいんだよ~。」


―おいおい。自分で言うな。


きっと英斗本人以外の人は、みんなそう思ってるはずだ。翔が、またコーヒーを零しそうになって、今度は零した。


「考えてもみてよ。子供がそのへんに遺体で転がってれば、クレイザーに襲われたにしろ、母親に殺されたにせよ、ニュースになるはずでしょ~?一〇歳前に捨てられた子供がお金を稼ぐ術は少ない。泥棒するか、奴隷のように扱われながら働くか。でも、そんなことあったら記憶にくらい残ると思うんだよね~。噂くらい風が運んでくるでしょ~?それさえ無かった。それなら、考えられるのは・・・。」


「誰かがかくまってたってのか?見知らぬガキを。」


英明が、そりゃないぜ、と言いたげに零れたコーヒーを拭きながら言った。


「・・・俺の両親とかね。」


英斗が静かに言った。


それは、いつもののんびりとした口調でも、ケラケラ笑いだしそうな感じでもなかった。


翔は英斗の方を見たが、英斗は視線を下にしていて、視線が絡むことは無かった。


「じゃあ、お前の両親が亡くなったのは・・・。」


英明が語りかけた。両親が亡くなっていることは知っていたようだ。


その英明の言葉に対して、英斗は一度目を瞑ると、ゆっくりと開いた。その瞳には何が映っているんだろう。紀貴にそれを知る術はない。


人は誰しも闇を抱えている。それは分かってる心算だった。


だがどうだ。そういう現実を受け止めることが出来ていない。自分が不幸だと思ってた。


でも、それは紀貴の甘えた考えだったに違いない。自分より不幸な人がいると知っていたから、そう簡単に思えたのかもしれない。


「俺は一九歳で一人暮らしを始めた。だから、その子供を俺の親が育てているなんて思ってもいなかった。それを知ったのは、両親が死んだっていう報せが届いて次の日。もうその子供は家からいなくなってた。残されていたのは、無残な姿の父さんと母さん。クレイザーにならないように、すぐに焼却した。」


辛いことを話しているのに、英斗の瞳は、後悔とか無念とかでもなく、悲しみとかでもなく、強い決意のように見えた。いつもの英斗からは想像もできないくらいに、強い視線だった。


「だから俺は、生きているかもわからないその子供に、生きてほしいと思った。」


翔も英明も英斗を見ることは無く、二人して煙草の灰をじっと見ていた。二人とも冷静に見えるが、きっと怒っている。身勝手に人を殺していく、あの女を。


  生きると言う事が、これほど難しいとは思わなかった。何もせずとも生きていけると思ってた。此処では、簡単に泣くことも出来ないのだろう。泣いても現実を変えることが出来ないことは、誰にも分かる事だから。ただ、生きるために戦うしかない。生きることを望まなければいけない。








ギィ・・・。


ドアが開く音がした。潤が目をこすりながら起きてきた。まだ眠たそうにしながら、ソファに向かって歩いてくる。


「潤、起きたの~?オレンジジュース飲む?」


英斗の笑みが戻った。潤は微かに頷いて、ソファに倒れこむようにして、また寝始めた。


「・・・だから潤に生きてほしいのか?」


英明がふと、そんなことを言った。


―何が、『だから』なんだ?


翔もその言葉に納得しているようで、潤を見つめていた。


「・・・。」


何も答えなかったが、英斗は優しい表情で潤の頭を撫でた。


「あ。」


分かった気がする。確か、潤は紀貴より年下だけどもお酒が飲める。二〇歳以上、二一歳未満。


―・・・・・・。二〇歳じゃん!!!なるほど。そういうことか。


「今じゃあ俺達にとって倒すべき相手にあったけど、潤の唯一の家族であることに変わりは無いからね。」


「でも、潤くんって名字は・・・。」


紀貴が思いだそうと必死に頭を捻っていたら、あっさりと翔が答えた。


「小早川だ。」


―違うじゃん。え?偽名名乗ってたの?


「大方、小早川は父方の名字だろう。母親が、城に嫁ぐときそれに気付いて、元の名字にしたんだろ。」


英明が分かりやすく説明してくれた。


―よかった。俺にも分かりましたよ。


「だからといって、手を抜く心算は、これっぽっちもねぇぞ。」


睨むようにして英斗に言った。英斗はやんわり微笑んで、『その為に、今までやってきたんでしょ~』って、いつもの調子で言った。潤も、今の状況を作ったのが母親であることを知っているらしい。


  以前、英斗の部屋を訪れた時に、両親の形見として持っていた潤のカルテを見つけてしまい、追究されたらしい。一度はこの家を考えたようだ。辛かったんだろう。


みんなに合わせる顔が無いとか、自分が捨てられたとか。堪え難いことだ。身体を鞭で打たれるよりも、金槌で叩かれるよりも、きっと痛いんだ。癒えない傷を負っているんだから。


  ムクッと起きた潤は、今までの話を聞いていたようで、紀貴の隣にちょこんと座った。


「ごめん。黙ってて・・・。俺、みんなといたかった。みんなに出てけって言われるのが嫌だった。また一人ぼっちになんか、なりたくなかった。」


震える声で綴った。途切れ途切れだし、小さな声だったけど、その言葉は、確かに紀貴達の耳に届いた。


こんなときでも、慰めの言葉なんか言わない人達。傷を舐め合うだけじゃ何も変わらないことを、知っているから。


堪らず紀貴が言葉を発しようかと思っていたが、英明によってかき消された。


「誰がんなこと言った。」


潤が涙目になりながら、英明見上げた。なんか、小さい子をいじめてるみたい。


「潤。お前が誰の子供だろーと、んなことはどーでもいい。別にその事実を知ったところで、お前をとっちめようなんざ、思ってねぇ。お前に、実の親だろーが何だろーが倒す覚悟があるんだったら、此処で強くなりゃあいい。俺達は気にしてねぇ。お前がどうするかだ。」


キツイことを言っているように聞こえるけど、内容はその逆。潤は潤だ、と言う事を言いたいんだろう。英明は少し不器用なとこがあるため、こういう言い方になってしまうのだろう。


「ま、その音痴を直すまで、婿にはやれねーなぁ。」


ふざけたことを言って、少しでも明るくしようとする翔の良いところ。少しずつだけど、潤の顔が明るくなったように見える。


普通であれば、偏見を持たれたり、後ろ指をさされるところなんだろうが、ここでは『それがどうした』になる。それが心地いい。


最後に英斗が、潤にオレンジジュースを差し出して言った。


「潤の生き様を見届けくちゃいけないしね~。」


その後、潤以外の三人に見つめられ、紀貴は何でだろうと思っていた。


そしたら、翔に、『紀貴からは?』と言われた。『ムチャぶりしないでほしい』とも思ったが、考えに考え抜いて口にした言葉が、


「潤くんが一番、ご飯美味しそうに食べてくれるし・・・。」だった。


そしたら、英明達に、『俺達が不味そうに食ってるって言いてぇのか』と言われて、急いで謝った。


  その日から、食事当番は交代になった。


紀貴が上達してきたっていうのもあるし、紀貴のレパートリーの少なさから始まった。


なんと、今日は翔が作ってくれるらしい。自分用のエプロンをつけているが、落書きだらけだった。初めて翔が料理をするときに、料理の感想をそこに書かれていたらしい。『辛い』とか『量が少ない』とかの感想が書いてあった。


その様子を見ていたが、なんとも手際が良い。鼻歌を歌いながら作っていた。今日はなぜだかロールキャベツらしい。


どうしてかと聞いてみたら、英明が煙草を吸いながら、『翔はあれとカレーしか作れねぇ。』と言ってた。


―俺よりレパートリー少ねぇし。


でも、すごく美味しかった。どうやら、極めたようだ。


ついさっきまでの空気が嘘のように明るい。潤と翔でまた歌いだした。


―だから、潤くんズレてるよ。


英斗と英明は盃を交わしていた。翔に、『紀貴もこっち来て歌え!』と言われて、逃げようとしたけど捕まった。








 ―その頃、城ではちょっとした騒ぎになっていた。


クレイザーが城へ入ってきたことで、避難民は叫び続けていた。鉄格子の中に押し込められた人間を目の前にして、涎を垂らしている。


いつ鉄格子か壊れるかわからない恐怖の中で、彼らはひたすら助けを求めた。


城の一角では、漆黒の髪を持ち、シワ一つない肌、妖艶な瞳に唇、鼻筋の通っている顔立ちの女が、豪華絢爛な椅子に座り、足を組んでいた。


「侵入者?そんな報告は受けておらぬ。」


「御報告が遅れてしまって申し訳ありません。若い男なのですが、兵士になりたいと申しておりました故。」


「言い訳は聞きとうない。それで?ちゃんと口封じしたのであろう?」


「い・・・いえ、それが・・・。」


「・・・まさか、逃がしたわけではあるまい?」


女の目が鋭く兵士を貫く。


言葉を濁すばかりのその兵士に痺れを切らし、ドア付近にいた別の兵士に向かって、『そなた、こやつを避難民の中に放り込め。』とだけ言って、窓辺に移動した。


避難民の中に放り込む・・・それが示すことは『死』だった。


女は平然と窓から外の景色を眺めながら薄ら笑っていて、何処を見ているのかは分からない。


近くの鳥の巣が鷲に襲われているのを見ているのか、遠くで火事が起こっているのをみているのか、どちらにしても趣味が良いとは言えないものを見ているのだろう。


「お許しください。必ず・・・必ずや捕まえて口封じをします故・・・!もうしばし時間を!」


兵士は必死になって赦しを乞いていた。同僚の兵士に、加減無く蹴られたり殴られ、顔にも身体にも無数の打撲を作り、血も出ている。


それでも女の方から目を逸らす事は無く、絨毯にしがみ付きながら、女の方へ近づこうとする。


他の兵士たちに押さえつけられ、さらに数発殴られる。


「その辺にせぬか。絨毯が穢れるじゃろうが。」


すると、女は優雅に振り返って微笑んだ。


「そうじゃ。避難するのであれば、避難料金を頂かねばならぬな。」


冷たく放たれた言葉に、兵士は愕然と精神が崩れ落ちた。―






《狂った歯車は、誰も止められない。


無理に手を入れて直そうとすれば、自分の手も食い千切られる。


人は弱い。とても弱い。いとも簡単に死んでしまう。


それならば、なぜ人は生きることに執着するのか。


答えは無い。出口の無い迷路なんだから。》




とある哲学者の言葉・・・ではない。潤が隣で急に本を読みだしたのだ。


音読なんてしなくていいのに。


此処で、通常ならノッてくるであろう翔が入浴中のため、潤がとても変な人に見える。


―隼さん、早く出てきてあげてください。


お酒をいつもより呑み過ぎたのか、英明がグテッとしている。


「あ~・・・。頭がガンガンする。気持ち悪ぃ・・・。」


そりゃあそうだろう。英斗と呑んでいると思っていたが、正確には違う。


英斗が、自分は呑まずに、次から次へと英明の御猪口に御酒を注いでいた。その光景は、まるで『わんこそば』の戦場のようだった。


英明はストップをかけることが出来ず、今の状態に至る。


「梶本・・・水・・・持ってこい。」


「は、はい。」


本当にこの場で吐いてしまいそうな英明に、紀貴は超特急で水を渡した。ついでに胃薬も渡した。


翔が御風呂から出てきて、そんな状態の英明を見てゲラゲラ笑った。


潤のとこへ行って、一緒に音読し始めた。


―あ、ニット帽が首に巻かれている。髪の毛がちゃんとあった。


「・・・潤くん、思ったより落ち込んでなくて安心しました。」


楽しそうに翔とじゃれてる潤を見て思った。


「そうだね~。俺も安心だよ~。」


そう英斗が返してくれたが、隣にいる英明はまだ辛そうだった。


そんな英明を他所に、原因のこの人は、至極楽しそうだ。今にも吐きそうな英明の腹目掛けてパンチをしようとしたから、紀貴は必死に止めた。


「明日・・・。」


英明が身体はダラけたままで口を開いた。


「仕掛ける。」


そう言うと、英斗を始め、翔と潤もこっちを見た。


翔が心配そうに、潤の顔を覗き込もうとしたら、勢いよく顔をあげられたもんだから、顔面にクリーンヒットした。


「俺も、行く。」


それは、とても辛い決断だったと思う。でも、潤に迷いは無かった。


「・・・当り前だ。」


英明は潤くんを睨むようにして言った。


潤は嬉しそうに笑うと、『あ、そういえば御免。翔。』と、付け足すようにして謝っていた。


『明日』


その二文字を重く感じたことは無かった。でも、今の紀貴にとって重要性が高まった二文字だ。






 ―・・・眠れない。


だああああああああああああああああああああっ!!!眠れない!!


明日は大事な日だってのに、なんで昔からそうなんだ、俺は!!


前の日に寝れなくなって、結局当日寝坊するんだ!!


いや、落ち着こう。毅然とした態度で寝よう。俺はきっと隼さんだ。俺なら出来る。


あれ?眠くなってきた。思い込むって大事だな・・・。―








『・・・い。・・か。』


―ん?なんなんだろう。夢かな・・・。全くもう。もう少し寝かせてよ。俺だって疲れてんのに。


「おいっ!!紀貴!!」


落とされて、その痛さが現実のものだと理解して顔をあげて誰かを確認すると、翔だった。


「何ですか?まだ一時半じゃないっすか・・・。」


「英明が言ってたろ。今日仕掛けるって。」


「・・・は?」


―いや、知らなかったとかそういう意味じゃなくて、〇時回ったから今日ってこと?今からってこと?俺はてっきり六時とか七時ごろ開始かと思ってた。


「早く着換えろ。」


そう言って部屋から出ていった翔の背中を見ながら、翔たちの時間の感覚がおかしいのか、それとも自分がおかしいのかと、考えてしまった。




「お早いですね。」


まだ起きていない頭で精一杯の挨拶をすると、すでに翔と英斗が拳銃をセットしていた。


防弾チョッキもある。紀貴は自分にも渡されて着てはみたが、動きにくかった。


一度、ソファの定位置に座り、今日一日の流れを説明された。紀貴の頭が起きていない事が見てとれた英明が、苦~いコーヒーを差し出してきた。


―うへっ。目がシバシバする・・・。


「三方向から侵入する。英斗と潤・翔と梶本・俺だ。いいな。英斗と潤は南から。翔と梶本は東から。俺は西からだ。上手く侵入出来たら、翔と梶本は地下に行ってクレイザーと兵士を倒す。英斗と潤は避難民を逃がせ。んで、上層を目指しながら残りの兵士を倒して、逐一報告しろ。翔と梶本も後で合流しろ。奴は城のてっぺんにいるだろうから、倒してこい。」


簡単に物事を言ってくれる人だ。とはいっても、役割分担は大事だ。


「あの、榊さんは?」


「俺は、別行動だ。」


―知ってます。明らかに貴方だけ別行動です。


その内容が聞きたかったのに。それについてさらに言及しようとしたら、『じゃ、集合場所はこの家だ』と言って、みんな素早く出ていってしまった。


―・・・。え。何これ。








  みんなで一緒に家を出たわけではなく、最初に英明がでかけて、次に英斗と潤が、最後に紀貴と翔が出た。ちゃんと家に鍵をかけて。


  紀貴は翔と行動しろと言われたから、大人しくついていってる。他のみんなはどういうルートで城まで行ったのか分からない。人が歩くような道なのか、それとも獣道なのか。


  方角が違うのだから、それも仕方ないとは思ったが、足下もよく見えないような道を歩いた。


  城の東側についた。草陰から様子を窺いながら、位置について、息を殺す。


「気になるか?英明のこと。」


「・・・はい。」


急に聞かれたから驚いたけど、紀貴は正直に答えた。あの人は、まだ自分に隠していることがあると分かっているからだ。


「英明の弟がさ、いるらしいんだ。」


「?弟がいることは知ってますよ?」


「そうじゃねぇよ。あの城に。」


―それならなんでそういわなかったんだ?連絡取れないなんて。取れないのは事実なんだろうけど。


「でも、クレイザーになりかけてるらしい。あの城のどっかで人体実験されてるって。あくまで噂だから、何の確証もない。でも、英明はカケた。あそこに弟がいることに。これ以上の犠牲者を出さないためにも、自分の手で終わりにする心算だ。」


―そうだったのか。あの榊さんが何の証拠もないのに・・・。


きっと英明は、弟さんがああいう凶行に及んだのは、自分のせいだと思ってる。


「さてと、俺達も行くとすっか。」


「はい。」


紀貴達は英明の指示通り、地下に向かった。兵士に見つかりそうになったけど、ギリギリセーフだった。カビ臭い階段を下りていく。


通気口から行かないのかと聞いたが、翔は通気口のような場所が嫌いらしい。


閉所恐怖症でなくても、避けたいことは間違いない。それに、お気に入りのニット帽が汚れるから嫌なんだそうだ。


「俺、これかなり気に入ってんだよね~。」


と言いながら、ニット帽を触っていた。


  ふと、翔が足をとめて、銃を構える。ヒタ、ヒタ、と足音がする。あと少しだ、と思ったところで、足音は止んだ。


止んでしまった足音に、あれ?と思っていると、翔が紀貴を見て、指をちょいちょいと動かして、上を見ろ、と合図した。


―ああ。了解です。


静まり返った階段に、奇声が響く。真上の通気口から出てきたのだ。


何食わぬ顔で翔が拳銃を一発。右目に命中。見事だ。片目を負傷したクレイザーは、ゾンビのように立ち上がって俺の方へ来た。


紀貴は、通気口からぶら下がったままの金網を掴み、勢いよく負傷している右目を攻撃。着地して、さらに足を蹴ってバランスを崩し、頭を壁にぶつけるようにして蹴飛ばした。


ピクピクしているところへ、翔が止めの一発。


―御愁傷さまです。


  階段を下っている間に出会ったクレイザーはおよそ五三体。兵士はおよそ八八人。兵士に殺やれたクレイザーは、七〇体以上。お陰でちょっとは楽だった。と思う。


  地下まで行くと、ほとんど兵士もクレイザーもいなかった。


―変だな・・・。さっきまであんなにいたのに・・・。


そう不思議に思いながら足を進めていくと、ピタリ・・・。翔が足を止めた。


敵かと思って身を潜めるが、相手もこちらの様子を窺っているのか、姿を見せない。


翔が一回ため息を吐くと、いきなり『せーのぉっ』と言いだした。


―えっ?この人、馬鹿だとは思ってたけど、まさかそこまでとは。


そんなことを思いながらも、翔はピョンっと出ていってしまった。


―隼さん。貴方の、その勇敢な背中・・・忘れません。








「「ばあっ」」


―・・・・・・・・・・・・・・・。は?


そこには、クレイザーでも兵士でもなく、潤と英斗がいた。


―あ、そう言えば、この二人は避難民を逃がすんだった。


「ぎゃははは。やっぱお前らだったのか。こんなに派手にやらかしてー。」


―隼さん。敵だったらどうしたんですか。馬鹿と思われて終わりですよ。


「そっちこそ!階段に防犯カメラあったの気付かなかったのか?」


「あー・・・。だからあんなに襲ってきたのかー。」


『参った参った』と笑いながら、潤くんと談笑してる。いや、本当に参ったのは俺です。


何やら、防犯カメラに堂々と映っていたせいで、避難民の方の警備は手薄になったんだとか。


「楽だったよ~。み~んな階段に行っちゃうから~。」


拳銃を人差し指にかけながら、英斗は笑った。紀貴は、やはり自分の通気口作戦は間違ってなかったと確認する。


  視線を感じて何だろうと思って振り返ったけど、誰もいなかった。でも、遺体の山が動いた気がする。


―え・・・。もしかしてクレイザーになったのか?


急に心配になった。この人数がなったら、それこそ面倒だと思い、そろりと近づいていった。


そこにいたのは、一人の女の子だった・・・ー


まだ三,四歳くらいだろうか。幼い顔をしていて、その小さな身体は震えている。


目の前で起こった惨劇を見てしまったんだろう。布切れ一枚だけを身に纏っていて、手と足に枷がついている。


母親だろうか。傍らに横たわる女性の服をギュッと掴み、こっちを見て泣いている。


その子の存在に、翔達も気付いた。紀貴達が近づいていくと、後ずさりした。


―いのか?ー


どうしていいか分からずにいた紀貴の前に出たのは、英斗だった。女の子に目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。


「こんにちは。お兄さんは英斗。君は?」


透き通るような優しい声で話しかけた。


女の子はしばらくの間口を噤んでいたが、震える声で、「み・・・みな。」とだけ答えた。


「そっかー、みなちゃんか。可愛いお名前だね。ここは危ないから、お兄ちゃんとお外に出よう?」


慣れている感じがする。産婦人科で培ったものなのか、それとも生まれ持ったものなのか。


いずれにしても、この『みな』という子は、英斗の柔らかい表情にホッとしたようだ。


「みな、ここいる。」


「どうして?ここ、怖いでしょ?」


「みなのパパもママもまだここにいるの。みな、パパとママと一緒がいい。」


「パパとママ?」


可哀そうだ。きっと亡くなっている。ここにいるのは、みなと多くの屍だけだ。


「パパとママ、もうお家に行ってるんじゃないのかな?」


「違うもん。パパもママもまだいるもん。」


「じゃあ、どこにいるの?」


こっちからしてみれば、残酷な質問にも聞こえる。『死』ということを理解できないでいる子供に、どうやってそれを伝えるのだろうか。


「ここ」


みなが屍の山に指をさしたのを見て、紀貴はすごく辛くなった。


―生きていると思っているんだ。


「これがママ。こっちがパパだよ。」


翔と潤も辛そうにしている。潤は今にも泣きだしそうだ。翔もニット帽をいつもより深く被っているが、唇を噛んでいるのが見えた。


「ママもパパも大好き!ママのご飯、すごく美味しいんだよ!パパもいつも遊んでくれるの!」


潤が背中を向けて肩を震わせている。


―・・・泣いてる。


翔は、頑丈な壁に身体の左側をあずけたと思ったら、身体を少し離して、拳を作り、思いっきり壁にぶつけた。


ただ、英斗だけは笑顔を崩さず、凛としていた。


「そっか。いいパパとママだね。」


「うん!」


いたたまれなくなり、紀貴もみなから視線を逸らした。


隠せない悲しみと悔やみ、そして苛立ちが、紀貴達を取り囲んでいた。この子の両親を、助けることが出来なかった。


ふつふつと沸き上がるものを感じたが、今はそれを抑えるので精いっぱいだった。


とっくに超えてる怒りの頂点で、自分をコントロールするために、何度も何度も深呼吸をした。


「パパとママ、寝てるの。だから、起きたらお外に出る!」


「・・・。」


「みなね、大きくなったら、パパと結婚するの!」


「・・・。」


「ママみたいに、お料理の上手なお母さんになる!」


「・・・。」


「ねえ。パパ、ママ・・・。起きてよー。みな、お腹空いたー。」


「・・・。」


みなが『パパ』と『ママ』の身体を揺する姿を、英斗は何も言わずに、じっとみなを見ていた。


―どうするんだろう。


「・・・みなちゃん。」


英斗が優しく語りかけた。


「・・・みなちゃんのパパとママは、もう起きないんだよ。」


柔らかな声で告げられたのは、残酷な現実だった。みなはポカンとしている。


首を傾けて英斗の方を見る。


「?お兄ちゃん、何言ってるの?起きるよ?」


「起きないんだよ。みなちゃんのパパとママは、遠くに逝っちゃったんだ。」


「嘘だもん!みな置いていかないもん!いつも連れて行ってくれるもん!」


みなが泣き出したのが分かった。


すぐそこにあるのに、触れられない笑顔と温もり。


人の死について理解しろと言う方が難しい年齢だ。まだ両親に甘えたいだろうし、愛情を沢山貰える時期でもある。


でも、それはもう叶わない。


「みな、パパとママと一緒がいい~!!」


わーっと英斗に抱きしめられながら泣いている。分かっているのかもしれない。この子は。


動かない人。その身体からは赤い液体が流れ出ている。


避難民は逃げ出すことに必死で、誰もみなの存在に気付かなかったんだろう。他人をかき分けながら、自分を守ることに精一杯だったのだ。


英斗はみなの腕を軽く掴み、自分の方へ引き寄せた。


トントン・・・と、みなの背中を優しく叩きながら、英斗はゆっくりみなと向き合った。


目から一杯涙を流しているみなの頭を撫でて、涙を拭う。


「みなちゃんは、強い子だ。」


「みな、強くないもん。」


「強いよ。だって、泣けるんだから。」


何を言おうとしているのかは分からないが、あんな柏英斗は初めて見る。


「いっぱい泣いて、いっぱい笑える子は、強い子だ。みなちゃん。笑ってごらん?」


ニコッと笑ってみせた英斗。鼻水をすすりながら、みなは無理に笑おうとしていた。


でも、笑えないらしく、また泣き出してしまった。英斗は、そんなみなを黙って抱きしめていた。


何を思ったか、翔が潤を引っ張ってきて、みなと英斗の脇に胡坐をかいて座った。そして、自分の頬をパンッパンッと叩いて、『みな!』と言った。


みなは、ひっくひっくと泣きながらも、翔の方を見た。


「紀貴。お前もこっち来い!」


紀貴も急いで座った。


―何をするつもりなんだろう?


「いいか、みな。笑うってのは、こうやんだ!」


そう言うと、いつものニカッていう笑顔を向けた。


―ああ、俺も元気になる。


その翔の笑顔につられて、潤も、ニカッて笑った。


『ほら、紀貴も!』って言うもんだから、紀貴も真似してニカッて笑ってみた。本人は出来ているかは分からないけど。


「へへ・・・。」


みなの笑い声が聞こえてきた。まだうっすらと涙の跡が残ってるけど、確かに笑っていた。


英斗も紀貴達の・・・紀貴の?ぎこちない笑顔を見て笑っていた。


「いいぞ、みな!可愛い顔出来んじゃねーか!」


みなを呼び捨てにするだけでなく、肩より少し下まで伸びた髪の毛がぐちゃぐちゃになるくらいに頭を撫でていた。それでも、みなは嫌がることなく笑っていた。


「ねえ、みなちゃん。」


英斗が再び話しかけた。


「お兄ちゃん達は、悪い奴をやっつけに行くから、みなちゃんと一緒にお家まで行くことは出来ないけど、みなちゃん、一人でお家に帰れるよね?」


その言葉に、みながまた泣き出しそうな顔をした。でも、今度は泣くことはなく、我慢していた。


鼻水をすすっているのを見て、英斗がくすり、と笑ってティッシュを出した。何度も鼻をかませたら、ティッシュがすぐに無くなってしまった。


「みな、出来る。」


「うん。みなちゃんなら、出来る。」


出来ることなら、紀貴達が連れて行ってやりたい。だが、そういうわけにはいかない。辛いけど、ここでお別れするしかない。


出口までは送ることにした。出口に着いて、英斗が繋いでいた手を離した。


みなは不安そうに紀貴達をみていたけど、英斗は手を振っていた。


―一人では不安だろう。怖いだろう。あの子はこれからどうやって生きていくんだろう。


サッと、翔がみなの許へ行った。


みなに何かを渡して、指切りげんまんしていた。戻ってきた翔のニット帽の缶バッチが一つ無くなっていた。


「何言ったんすか?」


「ん?あれだ、あれ。遊びに行くぞって。」


そう言って、颯爽と去っていった。みなが嬉しそうに手をブンブン振り回していた。


手を振り返して、紀貴達は先を進むことにした。








  地下から、今度は地上へ出て、さらに上を目指す。


―・・・そういえば、忘れかけてたけど、榊さんどうしただろう。生きてるかな・・・。


幾つも扉を開けて、その度に襲われて、その繰り返しだった。


―ああ・・・。少しパターン変えようよ。


兵士が、『なぜバレた!』とか言ってたけど、そりゃバレるだろう、馬鹿でも気付くなんて思ってたのに、ニット帽を被った男はいちいち反応していた。


きっとワザとだ。相手が不憫だと思っているのか、ノッてあげている。そんなこといいから、さっさと先に進みたかった。


相手も、反応してもらうと嬉しいのか、やる気が倍増していた気もする。


―・・・・・・何してんだか。


  階段が無くなっている。左には扉が一つ。


―・・・ここだ。ここに、早乙女景子はいる。国民を食い物にした張本人。


そしてー


「・・・。」


隣で唇を噛みしめている、潤の母親・・・。


「潤。ここにいてもいいんだぞ。」


翔が潤に声をかけた。潤は拳にグッと力を込めて、真っ直ぐ扉を見据えた。


「平気。ここまで来た意味が無い。」


「・・・じゃ、開けるぞ。」


左手でドアノブを掴み、ゆっくり回し、銃を構えて一気に開けた。


そこには、二人の兵士と女が一人。女がこちらを見た。瞬間、ほんの一瞬だが、眉がピクっと動いた。口元を緩ませて、近くにあった椅子に座った。


「よく此処まで辿りついた。褒めてつかわす。」


足を組んで、随分と偉そうにしている。いや、偉いのかもしれないが。


「ところで、なぜそやつがおる。」


最初は、何を言ってるのかわからなかったが、潤を見て言っているのに気付いて、一斉に潤のほうを見やった。だが、潤は何も言わなかった。


「確か・・・、『小早川潤は、柏木産婦人科の夫婦共々始末した』・・・と。そういう報告だったと記憶しているのだが?」


女がちらっと隣の兵士に視線を送った。兵士はびくっと反応して、おどおどしていた。


「はっ。そういう報告を我々も受けております。」


「遺体は確認したのであろう?」


「勿論であります。柏木夫妻が抱きしめていた赤子の脈がないことを確認しました。」


「・・・。」


そうはいっても、潤は生きている。あれが我が子に向けられた目なのだろうか。


冷やかであり、蔑んでもいる。なぜ死んでいない、という感情が取れる。


「・・・不可思議じゃのぅ・・・。死んだはずの人間が目の前におる。我の目がどうかしておるのかのぅ・・・?」


少し震えている潤の前に出たのは、英斗だった。笑ってはいるが、腸が煮えくりかえっているに違いない。


普段穏やかな英斗から、微かな殺気を感じる。


「その夫婦が抱いていた赤子は、小早川潤ではありません。年齢は近いですが、別の子です。」


「なに?」


女の頬が引き攣ったのが分かった。目を細めて、英斗を睨んでいる。


「きちんと確認もせずに殺した気になっていたなんて、とんだ間抜けですね。」


女に喧嘩売ってる英斗は、度胸だけはピカイチだと思ったが、口が裂けても言えない。


「貴様は・・・」


「申し遅れました。柏木英斗です。」


「柏木・・・!あの夫婦の倅か・・・。」


「そうです。」


そこまで言うと、英斗の笑顔は消えた。鋭い視線で女を見て、口元も笑っていない。


「てめぇらに殺された柏木家の生き残りだよ。」


「「「えっ・・・」」」


三オクターブくらい声が低くて、さっきみなに話しかけていたのは誰だと聞きたくなるくらいの豹変ぶりだった。やっぱり、この人を怒らせると怖いのだ、と再認識。


 女は納得したように笑い、人指し指をくいっと動かして、兵士を呼んだ。そして、兵士の一人が女の許へ行った。


女はニヤリと薄ら笑いして、兵士の腰にあった銃を奪い取り、兵士に向かって発砲した。


兵士は胸や腹を撃ち抜かれ、倒れた。入っていた弾を全て使い切ると、女は深呼吸をしながら、銃を投げ捨てた。


「フフフ・・・。ハハハハハハ!!!実に愉快な話ではないか!死んだと思っていた子供が生きていた!?柏木の倅ともこんなところで再会するとは!!」


両手を広げて、舞台に立つ女優のように歩く。狂ったように笑うと、今度はギリギリと歯ぎしりをし始めた。


「・・・実に不愉快じゃ。」


女は立ち上がって、倒れた兵士を踏みつけた。そして、ヒールの先で何度も何度も撃たれた個所を蹴っていた。もう一人の兵士は目を背けていた。


―止めることもしないで、こいつらは本当に仲間なんだろうか。倒れている兵士に駆け寄る事もしないで、なんの集まり何だろう。


「不愉快なのはお互いさまです。俺だって会いたくはなかった。」


英斗が女と睨みあっている。


「うう・・・。」


さっき撃たれた兵士だ。まだ意識はあるようで、今なら助けられるかもしれない。


「・・・ほう。まだ息があったか。大した生命力じゃ。ゴキブリ並みじゃの。」


女は倒れた兵士の、反対側の腰にあった銃を抜き取り、兵士の足に一発。叫ぶ兵士。


そして、今度は胸にくっつけて、撃った。叫び声は大きくなる一方。


「黙れ。大の大人がだらしない。」


最後に女は、兵士の頭に銃口を向けると気味の悪い笑みを浮かべて、撃った・・・。


「小さいことで喚く男は嫌いじゃ。」


動かなくなった兵士。飛び散る血。染み付く血痕が気味悪い。


―なんて女だ。


一言いってやろうと思ってた矢先、潤が二歩前に出た。


「なんじゃ?」


「・・・。」


潤は何も言わずに、女、もとい母親を見つめていた。


英斗が一瞬止めに行こうとしたようだけど、潤に任せることにしたようだ。翔もそれを見て、構えてた拳銃をしまった。


「ふざけるな・・・。」


「?何がじゃ?」


「くだらないことで人を殺すな。お前の我儘で、一体何人の人が苦しんだと思ってる。」


色んな感情が渦巻いているんだろう。それを押しこんでるのが見える。


「くだらない?決してくだらないことは無い。世の中金が全てじゃ。金が無ければ何も出来ぬ。住む場所も確保できず、食べることも儘ならぬ。生きるための賢い手段と言えよう。これは、生きるための術なのじゃ。愚民どもから得て何が悪い?あやつらが生きるなどといった、無駄なことに費やすくらいなら、我がもっと有効に使ってやろうとしただけであろう?」


価値観の違いなんだろうか。それとも、ただ人格の違いなんだろうか。


でも、その言葉を一つの価値観として受け入れることは、紀貴には出来なかった。身体が、心が拒否している。それは違うと否定している。


同じ人間かと思うと、吐き気もする。というか、情けないというか恥ずかしいというか。


考え方や価値観は違えど、同じ人間だ。互いを思いやる心を持っていると信じたかった。


―人を殴れば、自分だって痛い。だから人は他人の痛みを知る。それをこの人は・・・。


「この世に必要な人間は、価値のわかる人間じゃ。金・宝石・権力。命に値段をつけるのなら、我以外は価値が無い。だからこそ、金で価値を証明させただけのこと。」


人は歪みだしたら、とことん歪むようだ。歪み過ぎた視界には、もう何も映りはしない。




「命は誰しも価値がある。」


気付いたら、紀貴はそう言っていた。無意識に言っていたから、まさか聞かれていると思ってなくて、驚いた。


「何を。価値の無いクズの分際で偉そうに。」


フンッと鼻で笑われた。


 ―確かに、自分に価値が無いと思ってた時もあった。自分の価値をずっと探していた。


―生きてても死んでも支障をきたさない、そんな人間だと思ってた。自分でそう勝手に決め付けていた。


―今でもまだ分からない。綺麗事だと言われるかもしれない。でも俺は、生きるしかない。


「貴方は、兵士たちも全員殺すつもりなんでしょう。」


英斗が喧嘩を売ったから、もうこのまま売り続けようと、紀貴は若干開き直った。


「どうやって一気に殺すつもりなんですか。」


不思議と紀貴は冷静だった。苛立ちとか、そんなものもう持っていなくて、説得しようとしていた。


「・・・まあ、冥土の土産に教えてやろう。国を隔離し、放射能をばら撒くのじゃ。それか、核を使って一掃してもいいのう・・・。」


「完全に塞ぎ切れるとは思いませんが。」


「シェルターも用意済みじゃ。当然であろう?摂理とはそういうものじゃ。」


説得するのも馬鹿馬鹿しくなってきた。その時、ほとんど言葉を発していなかった翔が口を開いた。


「シェルター・・・?」


はて・・・?といった感じで、首を捻っていた。


―え?シェルターを知らないとかじゃないよね?


「もしかして、西南の方にあったやつ?」


「そうじゃ。よく知っておるな。」


ニット帽から覗いた目は、明らかに獲物を刈るときのものだ。


煙草を取り出して、『調子出ねぇや』と言いながら火を付けた。その動作を、みんなで見入ってしまった。


ふーっと副流煙を吐き出したかと思えば、窓の方を見て、こう言った。




「そのシェルターなら、無いぜ。」




「な、何を言っておる。つい先日も確認しに行ったばかりじゃ。途中ではあったが・・・。」


翔はドア付近の壁に寄りかかりながら、余裕そうに笑っていた。


「そのシェルター実はさ、俺が遊んでて壊しちまった❤」


唖然。『悪い悪い』と謝ってはいるが、悪いなんて露ほども思っていない。


兵士も女も驚いていて、口を開けてポカンとしている。英斗や潤までもが同じ反応だ。


「いやさ~、俺、英明に内緒で爆弾の実験してたんだよー。んで、良い場所見つけたなーと思って、頻繁にそこ行ってたわけ。そしたら、ある日大失敗して、そのままペチャンコ。でも、あのシェルター、手抜き工事だぜ。普通、核シェルターはそんくらいで壊れねぇだろ。壊れないと思って、あそこを実験舞台に選んだのにさ。金払うのがもったいないからって、命守るものまで金削ってたら、守ってもらえねーよ。」


 至極楽しそうに話してくれた。


弁償はしねーよ、と捨て台詞を吐くと、煙草を携帯灰皿に入れた。


―あ、偉い。持ち歩いてんだ。


「あーあ。これで、俺達を倒すしか道は無くなったみてーだな。」


笑ってる。不気味に笑ってる。これでもう終わりかな・・・と思ったのが甘かった。


女はまだ弾の残っている銃を、もう一人の兵士に向かって突き付けた。そして、躊躇なく撃った。弾は兵士の右わき腹を貫通。兵士は膝から崩れ落ちた。


そこへさらに銃を向けた女の前に、立ちはだかった人物。


・・・潤だ。女と向かい合って、睨みあいをしている。


「もう止めてよ・・・。」


潤が、目に涙を溜めて呟いた。紀貴には分かりえない辛さなんだろうという事は分かった。


生と死の狭間を歩いてきた人生がどれほどのものなのか、実の母親を目の前にしても泣くことも出来ないなんて、想像を遥かに超える辛さだと思う。


「・・・どかぬか。」


「嫌だ。」


「どけ!」


「嫌だ!」


女がこれ見よがしに腹立った顔をした。それでも潤はそこから動かなかった。


目をそらすこともしないで、じっと女を見ていた。女も銃を下ろすことなく、潤を睨みつけていた。


「・・・ならば仕方ない。そちもこの手で始末してやろう。」


潤に、逃げて!そう叫ぼうとしたけど、声が出なかった。女が引き金に力を入れる。


潤の心臓を狙って、その瞳には、迷いなど無いようだった。


「「潤!」」


英斗と翔が同時に叫んだ。その声に俺もハッとなって潤を見た。


  潤から血が出ていた。


心臓ではなかったが、腹から真っ赤な血が出ていた。潤は痛みを堪えて立ち続け、女を見ていたが、その目に恨みや憎しみは無いようだった。


兵士も絨毯の上で蹲っている。女がさらに潤の足を狙って一発撃つと、足の力が抜けて、潤はガクッと膝をついた。


紀貴達が潤の方へ駆け寄るのと同時に、女はまだ息のある兵士に近づきながら、弾の無くなった銃を捨てた。そして、その兵士の腰にある銃を抜き取り、弾が切れるまで撃ち続けた。


  潤は苦しそうに呼吸をしていたけど、何とか生きていた。額には汗をかいていて、英斗が自分の服で拭っていた。


「くそっ!腹の方は貫通してたからいいが、足の方は筋肉が止めちまったようだ。」


苛立たしげに翔が言った。口調はいつもより荒くて、その顔色は焦っていた。


「潤、なんで防弾チョッキ着なかった!」


紀貴もみんなも着たはずだ。いつもより動きにくかったのもそれか、と思い出したのはいいけど、問題は潤が着なかった理由。


「・・はぁ・・・。ごめ・・・。」


なんとなくは分かっていた。


紀貴だけじゃなくて、英斗も翔も、心のどこかで分かっていた。


「とにかく、タオルとかで止血しないと。誰か持ってる?無かったら服でもいいか。」


英斗が冷静に言った。


―こんなとき、榊さんがいれば・・・。あの人も、無事なんだろうな・・・。


「あ。俺、持ってます。」


「「なんでだよ。」」


紀貴がタオルを持っていると言ったら、驚かれた。


―失礼だな。聞いたのはそっちだろ。


「いや、今日通気口から行くと思ってたんで、一応用意してたんすよ。ま、結局階段だったんで必要ないかって思ってんですけどね。」


話しながら、紀貴はタオルを取り出して英斗に渡すと、『捕まって良かったね』と言ってきた。


―あれ?なんか馬鹿にされた?まあ、いいか。潤くんのを助けられるなら。


「・・・主ら。あの無精髭の男はどうした?」


「え?」


英明のことだろうか。いや、その言われようは英明だろう。


「一番厄介な奴がおらぬのは構わんが、何か企んでおるのではあるまいな?」


―ああ。そういう覚えられ方なんだ。可哀そう。一応立派なお医者様なんですけどね。


―第一印象としては、そういう風になってしまうのは仕方ないと思う。俺もその一人だから・・・。


女の言葉に対して、みんな無視をしていた。とにかく潤の治療が先だと判断したため、女は独り言をいっている状態だった。


「・・・もしや、あの部屋に・・・。」


女がそう言うと、英斗が止血を続けながら言った。


「あんたたちはズボラ過ぎる。侵入者を簡単に招き入れて、簡単に逃がす。部屋に鍵をつけて安心したのか、その部屋の前に警備をつけない。しかもその部屋に侵入者が入っても、警報一つ鳴らない。」


翔はずっと潤に声をかけていた。潤の手を握ったり、頬を叩いたり、暴言を吐いたり・・・。


―ちょっと、隼さん。今ここで『この間、潤のオレンジジュースにコーヒーを混ぜた!ごめんな!』なんていう情報は全くいりません。どうでもいいですから。叩くのも止めてあげてください。


―ほとんど意識ないはずなのに、めちゃくちゃ嫌がってるじゃないっすか。


  応急処置が終わったらしく、英斗が『よし』と言って、小さく息を吐いた。


「あの部屋に行ったのであれば、あの男、もう死んでおるな。」


女が豪華な椅子に再び座った。口元は妖艶に弧を描き、長い睫が揺れている。髪の毛を掻き上げて足を組む。動作が、仕草のひとつひとつが大人の色気を漂わせている。


・・・漂わせてはいるが、見惚れる事は無い。なんてったって、それを見ているのは紀貴だけ。他のみんなはさっきから無視。


唯一見ている紀貴の感想がそんな感じ。人間は見た目じゃない。中身が良ければ、自然と外見も受け入れられる。見た目だけを気にする奴は、結果的に内面が醜くなる。


「自分から死にに行くとは、馬鹿な男じゃの。」


ここで、やっと翔が女を見た。英斗の肩もピクッと動いたのが分かった。


「英明は馬鹿じゃねぇ。アホだけど。」


―・・・何のフォローもしちゃいねぇよ。東京と大阪での言い方の違いじゃねぇか。結局そういう意味だろ。隼さんらしいんだけども。


「榊英明の弟が人体実験されてるのは本当か?」


英斗が潤の身体を支えながら言うと、女はその名前に聞き覚えがあるようで、ニヤリと笑った。


「ああ・・・。榊、と言うのか。あの男。」


どうやら、弟が此処にいることは間違いないようだが、ニヤリと笑わないでほしい。


「榊和利の兄か。弟に殺されに行ったか。つくづく愉快じゃ。」


どこから出してきたのか、女の手には、これまた豪華な扇子があった。何の毛かは知らないけど、何やら高級を匂わせる毛?羽根?がついていた。


今は扇子を使うような時期じゃないと思うけど、使いたいなら使わせようと思った。


「殺されになんて行くわけねーだろ。お前馬鹿か。」


翔が新しい煙草を取り出して、口に咥えた。英明はアホで、この人は馬鹿なのか。


「英明はケリつけに行っただけだ。」


「ケリじゃと?和利はもうこの世にはおらぬ。我らがその亡骸を拾ってやったのじゃ。」


「死んでる?榊さんの弟が?」


紀貴は会話に入ってしまった。面倒な事には加わりたくなかったが、ついつい・・・。


「そうじゃ。それをわざわざこの世に留め、世のため人のために使おうとしておるだけ・・・。感謝してもらいたいものよのう。」


「あんたがやってることは世のためでも人のためでもねーだろ。」


女と翔の睨み合いが続く。


「私利私欲。それが全てじゃねーのか。」


そう言われると、女はフッと笑っていた。肯定しているのだろうか。


紀貴は、潤は勿論、英明も心配になってきた。あの人は弟をどうするのだろうか。倒すことなど出来るだろうか。ましてや、止めを刺すなんてこと、きっと出来ない。


幾ら怨んでいようとも、家族なのだ。


「他人がどうなろうと関係ない。世の中がどう変わるわけでもあるまい?誰がために生きるなどと言った偽善はいらぬ。ようは、この世に必要か不必要か、それだけじゃ。価値が分かり、必要とされる存在。それが我というだけの話・・・。」


女がそこまで言うと、潤が薄らと目を開けた。浅い呼吸が、今の体調を物語っている。


「潤?」


英斗が潤に気付き、声をかけると、腹を押さえながら、潤は身体を起こした。


それを、英斗がそっと支えた。翔も一緒に支えて、紀貴は脚の傷口を押さえていた。


「お・・・俺、は・・・。」


息も絶え絶えに話しだす。翔達に、『無理すんな』って言われてたけど、潤は下唇を噛みしめて、泣きながら続けた。


「母さんの・・・息子で・・・、恥ずかしい・・・!」








「!!」


刹那、女の顔が悲しんだように見えた。


しかし、そう思ったのも束の間、女は足を組み直してこちらを見下すようにしていた。盛大なため息をつき、鼻で笑った。


「何を言うておる?我に子などおらぬ。そんなもの邪魔なだけであろう?」


「てめっ!!」


翔が殴りかかろうとした。潤が裾を掴んで、制止した。


きっと翔だからこそ分かる感情があるんだ。母親からの愛情を受けることなく育ってきた、翔だからこそ・・・。


「可愛いと思ったんじゃないんですか。」


静かな声で口を開いたのは、英斗だ。この人は、女が潤を産んだ時を知っている。その時の光景も、状況も、感情も。


「潤を産んだ時、あんた喜んでた。可愛い、可愛いって言って、抱きしめてた。」


「うるさいっ!!!」


女が、扇子を英斗に向かって投げてきたけど、翔がパシッと受け取った。女がすごい形相で睨んでいる。爪が、椅子の肘かけに食い込んでいた。


「黙れっ・・・。黙れ黙れ黙れ黙れ黙れえぇぇぇぇぇっ!!!知った風な口を聞くな!!」


鬼だ。鬼のような形相だ。


さっきまでの華やかな女性は何処へ行ってしまったんだろう。


髪も乱れて、今まで確認出来なかったシワも見え始めた。年齢に見合った顔になった、と言ってもいい。


「好きで子を宿したわけではない!!心を決めていた男と引き剥がされ、見知らぬ男の許へ勝手に嫁がされ、そこで男に無理矢理抱かれて孕んだ子じゃ!!」


喉が裂けるんじゃないかと思うくらいのドスのきいた声で、紀貴達を睨みつけながら叫んだ。


ああ、この人も辛かったんだと思ったけど、それでも、やってはいけない事というのが、世の中にはあるし、理不尽なことなんか幾らでもある。


人には善悪の区別がつけられる知能があるのだから。


「・・・それでも、一時は愛した子でしょう。」


また落ち着いた声で英斗が言った。


「お腹を痛めて、必死に産んで、でも潤の顔見たとき、痛みが吹っ飛んだんじゃないんですか。」


「・・・っ!!」


いつもなら説得力に欠けるような話し方をするのに、こういうときは誰よりも毅然としていて、その言葉に重みを感じる。母親の気持ちはなんて分からない。


いつも子供の心配ばっかりしていて、『大丈夫』と言っても、それでも心配してくる。お節介な存在だ。


紀貴達は母親にはなれない。当然だけど・・・。だから、母親の気持ちはなかなか理解できない。


「潤も。親より先に死ぬなんて、とんだ親不孝だからね。」


視線を女から潤に向けて、ニコッと笑った。その瞬間、女は英斗の右肩を撃った。


「「「英斗(柏木さん)!!」」」


「ハハハ・・・。何を。親にもなったこともないガキが。それこそ偽善じゃ。ここは最早、命のやり取りをする戦場じゃ!油断するでない。」


女が銃を構えている。瞬時に、翔が俺達の前に立って、銃を構える。ごくり・・・。


「主らはどうせ死ぬのじゃ。今死んでも。後から死んでも同じじゃ。」


「同じじゃねぇよ。今死んだら、悪あがきも出来ねえ。」


銃を構えながら、翔は煙草に火を付けた。


紀貴は、英斗の肩の怪我を診るが、幸い弾は無い。肩を少し掠っただけのようだ。それでも、英斗の肩からは血が流れている。


―もうタオルは無い。どうしよう・・・。


俺は頭をフル回転させた。


―・・・そうだ。


 紀貴は着ていた薄手の服を、力いっぱい裂いた。そして、それを英斗の肩に巻いて、止血することにした。


「そっちは任せたぞ。紀貴。」


翔に言われ、返事した。翔の背中しか見えないから、表情は分からないけど、紀貴は紀貴でなんとかすることにした。


「ククク・・・。こんなところで油を売っていて良いのか?」


「あ?」


「榊という男がいる部屋には、時限爆弾がある。ここまで被害は来ぬが、部屋にいる者は木端微塵じゃろう・・・。」


「・・・。」


なんてことだ。英明はそのことを知っているのだろうか。知っていて、1人で向かったのか。


―いや、知っていても知っていなくても、あの人は一人で行ったに違いない。


「あのな、」


翔がプハーと煙を吐きながら言った。


「あいつは、そんくらいじゃ死なねぇよ。地獄からだって這い上がってくっから。」


―・・・。本当に這い上がってきそう。この野郎っていう精神だけで、舞い戻ってきそう・・・。


まあ、それくらい信頼しているということなんだろう。英斗も笑って『そうだね』と言って、潤も微かに笑っていた。


―そうだ。この人たちは、互いを信頼しているんだった。何があっても。


「めでたい奴らじゃのぅ。」


女が引き金に指をかけた・・・―








―カツン・・・。


英明は、その時ある部屋の前にいた。吸っている煙草を床に落として、足で踏んだ。


・・・ポイ捨てはいけません。


部屋の扉は頑丈な鍵が幾つもついていた。それらの鍵と睨みあいをすること数分・・・。


足下には数本の吸いガラ。頭をガリガリかいて、また一本煙草を口に咥えて、火を付けた。


かれこれ悩んだ末、導き出した結論。


「・・・発破。」


ドカン!


あれこれ考えるのが面倒になったこの男は、ピッキングか爆破か迷って、手っ取り早い方法を選んだ。


小さめの爆弾を仕掛けて、物陰に隠れてスイッチオン。


「すげ・・・。翔をとっちめて、コレ奪った甲斐があったな。」


どうやら、その爆弾を作ったのはニット帽の男。


特訓がつまらないからと言って、文献だけを頼りに爆弾を作ったという。器用な男のようだ。


爆風の中を堂々と歩いていく。煙草の煙と混じって、胸やけしそうだ。一歩、一歩と、確実に部屋の中へ進んでいく。


ふと、足を止めた。


爆風の中に人影が見える。見覚えのある・・・、いや、見間違えるはずがない、その存在。小さいころから見慣れている二重の目に、病人のように青白い肌。昔からそうだ。


だが、今ほど痩せ細ってはいなかった。髪の毛も伸ばしっぱなしで、鬱陶しいくらい長い。


短くは無かったものの、それなりに綺麗にしていたし、もう少し肉付きも良かったと思う。


その身体は、こちらを向くようにしていて、反対側の壁に両手・両足が大の字に開いたまま、手錠で繋がれている。暴れたせいか、うっすらと血が滲み出ているのが見えた。


「これが、本当に和利か・・・?」


目を疑いたくなるようなほど、目の前の男は発狂していた。それに、身体は手錠で繋がれているだけでなく、無数の機械に囲まれていた。


心臓に埋め込まれた人工の心臓、そこから伸びたチューブの先には、心肺数を示す機械。その管は身体のあちこちについていて、皮膚と同化してしまっている。


痛々しいその姿に、英明は目をそらして、煙草の火を消した。


  死んだと思ってた弟と、こんな形で再会するとは思っていなかった。


「・・・いや、死んでんのか。」


死んでいる。目の前にある身体は、あくまで抜け殻。人間ではないのだから。


理性も感情も何も持っていない。人間の身体をした、人間の皮を被った、『兵器』なんだ。


英明は、その男に近づいた。


機械の方に目をやると、違和感を覚えた。違和感を残したまま、男を見た。すると、男が手錠を引き千切って、英明を襲ってきた。


いつから此処に張り付けられていて、手錠を引き千切ろうと力を入れていたのか、想像もつかない。引き千切った手錠は壊れて、床に落ちた。


手首から血が出ているにも関わらず、男は英明に襲ってくる。


「ちっ。」


舌打ちをして、何とか避けることが出来た。体勢を整えて、男と対峙しながら、相手の間合いに入らないように気を付ける。


「・・・よぉ。久しぶりだな。和利。」


英明がそう言うと、男が反応した。記憶があるのか、それは知る由もないが、英明は変わり果てた弟に対して、同情はしないと決めていた。


男は英明の方をずっと見ていて、ヒューヒューという呼吸のみが聞こえてくる。


「あ・・・に・・・・き・・・。」


「!!!」


―まさか。もう死んでるんだぞ。記憶なんかあるはずない。クレイザーだってそんな記憶を持つほどの知能は持っていない。


英明は一瞬驚いたが、そういう実験をしていたのかと理解した。医者である以上、そんな非科学的なことも、非現実的なことも、認めるわけにはいかなかった。


しかし、目の前にある。


これ以上の証拠は無いってくらいのモノが。


「和利、お前、どうして親父とお袋を殺した?答えろ。」


「・・・う・・・あ・・・・ああ・・・。」


身代りになったって、他人の気持ちなんか分からない。血を分けた兄弟であってもだ。


英明は和利にはなれないし、和利は英明には決してなれない。


だからこそ、英明は聞きたかった。過去の記憶が沸々と蘇ってくる。怒り・憎しみ・悲しみ、愛憎かもしれない。


  「なあ。どういう気持だった?自分の親に手ぇかけて・・・、どういう気持だった!!」


最後の方は、腹から低い声を出してしまった。実の弟だろうがなんだろうが、そんなもん関係ない。


この男は人を殺したのだ。例えそれが如何なる理由であっても、それを赦すわけにはいかない。


男は、そんな英明の感情になど気付いていなく、薄気味悪い笑みを浮かべて笑った。


「お・・親父・・も、おふ・・くろも・・・、う・・うるさ・・・うるさいから・・・悪い・・。」


  それは、初めて聞いた不満だった。いつも優等生のように笑って、『はい』と返事をしていた、そんな弟から聞いた初めての言葉。英明は、つい、手を差し出しそうになった。


  でも、自分がすることに対する末路を瞬時に理解し、すぐに手を下ろした。


「それで罷り通るほど、世の中甘くはねぇんだよ。」


突き放すように放った言葉は、英明本人にも突き刺さった。後悔ばかりが付き纏う。


何もしてやれなかったという、もどかしさを隠しているのが感じ取れる。


「・・・な、なに・・・も、し、して・・くれなかっ・・た、く・・くせに。」


英明は煙草を落とした・・・。


自分が一番分かっていた。何もしてやれなかった。何も気付いてやれなかった。


自分が一番分かっている。何も出来なかったことも、気付かなかったことも、和利を守れなかったことも、英明が一番良く分かっていた。


「・・・。ああ。そうだな。」


短く答えた。どれほど悔やんでも、どれほど手を伸ばしたくても、もう届かないところに逝ってしまったんだ。


―今してやれることは、こいつを葬ってやること。


「お、俺、ばっか・・・り・・・、いつ・・いつも・・・。」


「ああ。」


「いい・・いい子・・で・・、いなくちゃ・・・、いけ・・なく・・て・・・。」


「ああ。」


「べ・・勉強・・も、き、嫌い・・・だったの・・・に・・・。」


「ああ。」


「あ・・・兄貴、ば、ばっか・・・り、じ…自由・・・で。」


「ああ。」


「俺、い・・・嫌・・・、だ、だっ・・た。」


「ああ。」


  英明は、ただ聞いていた。互いにコンプレックスを抱いていたことを知った。


英明は和利に嫉妬し、和利は英明に嫉妬していた。言いたいことを言い合っていれば、起こらなかった事件。


その根源は、自分だ。そう思っていた。


「に、憎く・・・て・・・、あ・・・兄貴、が・・・つ、捕まった・・・って、き、聞いて、ハハ・・・、ざ・・・、ざま―みろって・・・、思っ、思った・・・。」


「・・・そうか。」


英明は、足下に落ちた煙草を踏んだ。


色んな感情をぶつけたら、煙草はいとも簡単にグシャって潰れた。その潰れた煙草から、徐々に視線を上げて、和利を見た。


「お・・・俺を・・・、こ、ころ・・・殺す・・・の?」


「!」


意外な一言に、英明の肩がピクっと動いた。


―殺しに来たのか?いや、違う。もうすでに死んでいる身体と心を、葬りにきたんだ。


「・・・ああ。そうだ。」


英明はどう言うと、途中でばったり会った兵士から奪った拳銃を、和利に向けた。


躊躇なんかしていないはずだ。もう死んでいる人間だ。この世にいてはいけないんだ。


そう自分に言い聞かせるように、引き金に意識を集中させる。


「じゃあな。和利。」








その時、和利が英明に襲いかかった。


下ろしていた腕を一気に突き上げるようにして、英明を狙った。英明は引き金を引いたが、和利の頬をかすめただけだった。


拳銃を和利の足が蹴り、部屋の隅の方へいってしまった。


英明はすぐに和利の攻撃を回避し、和利の腹に思いっきり蹴りを入れた。和利との距離が保たれ、和利は腹を摩りながら笑った。


二歩下がったと思ったら、足下に転がっていた石ころを、英明に向かって蹴った。


英明は片手で弾くと、和利に突っ込んでいった。


和利の前まで行くと、軽くジャンプして、和利の後ろについた。そして、背中を蹴り、吹っ飛んでいく和利の後頭部を蹴った。


 和利の顔面は血だらけだった。のにも係わらず、未だ笑いを止めない和利。身体がゴキゴキと音を鳴らしながら犇めく。


 英明が瞬きをした瞬間、和利の姿が消えた。


気配を感じたのは、そのすぐ後。背後に感じる生気のない呼吸。俊敏に反応した英明だったが、足のふとももあたりに激痛を感じた。


そこには、和利のものと思われる、爪のような尖ったものが刺さっていた。それを力任せに抜いて、捨てた。


「す・・・すごいで、でしょ。お・・・俺の、か、身体。さい・・・再生・・・す、するん・・だ。」


そう言って、爪が再生するところを見せた。


「ああ。」


「へへ・・・。か、カッコ・・・いい・・で、でしょ。」


「・・・いや、哀れだな。」


英明がそう言うと、和利は耳鳴りがするような声を発したが、なんとか踏ん張って、耐えた。


「・・・。くそ。潤の歌よりひでぇ・・・。」


耳が痛い。


耳を通って脳にまで響く痛い音。超音波のようなものだろうか。それが人に聞こえる周波数になったような不愉快な音。


  英明は和利の人工心臓を抜き取ろうと、急接近したが、組み込まれたソレは、簡単には外すことが出来なくて、少し動いた程度だった。


和利が、フラフラとしながらも英明に向かってくる。


―・・・どうすっかな。


英明は知恵を絞れるだけ絞った。でも、コレだ、っていうものが無くて、和利からの攻撃をただ避けるだけの時間が続いた。


  英明を殺すことに何の躊躇もない和利と、どこかで躊躇している英明とでは、拳の強さも、蹴りの威力も異なった。英明に殴りかかる和利は、面影も残っていなかった。








―二五年前・・・


《お兄ちゃん、お兄ちゃん。待ってよ~。》


《和利!早く来いよ!母さんにまた叱られるぞ!》


《待っ、あっ!!》


《和利!どうした!大丈夫か?》


《うわあぁぁぁぁぁぁん!!痛いよぉぉぉ!!》


《まったく・・・。しょうがねぇな。ほら、兄ちゃんがオンブしてやるから。》


《ひっく・・・ん。》


《泣くな。男だろ。》


《・・・お兄ちゃん。》


《ん?どうした?》


《・・・汗臭い。》






《こら!今までどこ行ってたの!》


《ごめんなさい。母さん。》


《ごめんなさい。お母さん。》


《和利は自分の部屋に戻って、お勉強しなさい。いいわね?》


《・・・はい。》


《英明、あんたはどうしていつも和利の邪魔するの!》


《痛っ!》


《和利は、あんたと違って、将来有望な子なの。分かる?》


《・・・でも、》


《でも何よ。お母さんに口答えするの?》


《・・・。和利が可哀そうだと思って・・・。》


《何が可哀そうなの!?和利みたいな才能もなくて、どうしてこの二人が同じ兄弟なのかしら!それが可哀そうよ!あんたは和利の、いえ、この家の汚点よ!遊ぶなら一人で遊びなさい!いいわね!》






―二〇年前


《兄貴、何処行くの?》


《ん?友達と野球しに行く。》


《・・・俺もやりたい。》


《ダメだよ。母さんにバレたら叱られんだろ。》


《・・・。》




《おい、英明。あれ、お前の弟じゃねぇの?》


《あ?》


《・・・。》


《おい、何してんだ。こんなとこ来たら・・・。》


《・・・。》


《・・・。はぁ。しょうがねぇな。母さんに内緒だかんな。》


《!!うん!》




《和利―!!何処行ってたのー!事故に遭ったのかと思って、心配したのよー!!》


《・・・母さん。俺さ・・・。》


《英明!和利を無理矢理連れ出したのね!!出ていきなさい!》


《・・・出ていくよ。》


《!!兄貴・・・》


《ほら、和利。今度こそ、一位を目指してお勉強頑張ってね。》






―一六年前


《ただいま・・・。》


【ガシャン・・・】


《・・・?和利?いないのか?・・・・・・和っ!!!》


《こんにちは~。冴子さんいる~?急に来て御免さないね~。・・・あら、英明。お母さんはどこに・・・!!!ひっ!!》


《どうした?冴子さんはいないのか?》


《あ・・・あんたぁぁ!!英明が、冴子さんたちをぉぉっ!!》


《けっ、警察!!》


《違う!俺じゃない!》






《で?君は何で御両親を殺したのかね?》


《違います!俺じゃない!俺が帰ってきたときには、もう・・・。》


《・・・そんな嘘でつき通せるとでも思ってるのかい?何でも君、英明くん。弟さんと扱い方が違うって言って、文句を言っていたそうじゃないか。そりゃあ、憎みたくもなるよなぁ・・・。》


《!!違う!違う違う!!》


《素直に言った方が、君自身のためでもあるんだよ?》






《・・・ありがとうございました。》


《もう来るんじゃないぞ。》


《・・・はい。》


《おい。坊主。これからどうするんだ。家はあるのか?》


《は?あんた、誰?》


《何回か顔を合わせたはずなんだけどなぁ・・・。忘れたか?》


《・・・。知らねぇ。》


《ハハッ。そうか。それはしょうがねぇな。警備してた羽田ってんだ。坊主は確か・・・坂田?》


《・・・坊主じゃねえ。榊だ。》


《そう怒るな。この年になると、名前がなかなか覚えられん!!》


《で?何の用だ。笑いにでも来たのか?》


《俺はそこまで暇はしてねぇぞ。坊主、俺んとこ来い。どうせ行く宛無いんだろ?》


《・・・。》








―ああ、走馬灯か。くだらねぇ記憶ばっかり巡ってきやがる。


  英明は、和利に馬乗りされた状態で、意識を失っていた。


・・・いや、勝手に走馬灯を流し始めていた。目の前にいる、死んだ弟を、今度は救えるだろうか。それとも、また救えずに終わるのだろうか。と、そこまで考えて思った。


「・・・救えないってことは、俺が死ぬって事じゃねぇか?」


やっとそのことに気付いて、英明は自分の上に跨っている和利に、渾身の一撃・・・。頭突きを喰らわす。


和利がよろめいた隙に、英明は逃げ出し、首を狙って蹴り飛ばした。


「はぁ・・・。危ねぇ。あとちょっとで花畑と川が見えるとこだった。」


首は辛かったらしく、和利は首を押さえながらゲホゲホと咳込む。


「なあ、和利。覚えてるか?」


部屋の隅に追いやられていた拳銃を取りに向かい、腰を少し曲げて、手に納める。


壊れていない事を確認して、再びさっきの位置まで戻る。






「昔した、約束。」


そう言って、英明は和利に銃口を向けた。足がジンジンする。大した怪我じゃないのに、なんでこんなに痛いんだろうと考えた。


「・・・くっ・・・。や、約・・束?だ、だと?」


「覚えてねーか。・・・そうだよなぁ。お前がまだハイハイしてた頃に、俺が勝手にした約束だもんな。」


和利が、英明に迫ってくる。英明は動くことせず、ただじっと和利を見ていた。


「いつからだろうな。距離が開いちまったのは。」


ジリジリと距離を縮めていく和利。微動だにせず、来るのを待っている英明。


誰も悪くは無い。誰も責めることはできない。誰も咎めることはできない。


「昔はもっと、近かったよな。」


自分と和利の距離を見つめながら、ポツリポツリと言葉を紡いでいく。


その言葉が、和利に届いているかは分からない。届いていないと分かっていながらも、届いて欲しいと願ってしまうのは、唯一の兄弟だからだろうか。


「お前の手、もっと強く掴んでればよかったんだよな。」


だが、どれでも英明は続けた。


―人間は弱い。それを今更理解しても、もう遅い。


「無理矢理にでも、連れてけばよかったんだよな。」


普通だと思っていた生活が変わるのは怖い。当たり前にあった場所が無い。当たり前にいた人がいなくなるのが怖い。


当たり前が、当たり前で無くなるのが怖い。


「泣いてもいいって、言ってやればよかったんだよな。」


他人の傷に気付けるほど、まだ大人じゃなかった。


自分以外の奴の泣き声に耳を傾けるほど、出来た人間じゃなかった。言葉で分かりあえるなら、苦労しないと思ってた。


「・・・和利。」


英明と和利の距離は、一mにまで縮まっていた。


「終わりにすっか。」


英明がそう言うと、和利が言葉の通り、牙を向いた。


英明は銃を持っていない左腕を自分の身体の前に出し、その腕に、和利は噛みついた。噛みつかれた瞬間、腕にグッと力を込め、そのまま和利の身体を引き寄せた。


  和利の顔が、英明の鎖骨辺りにきた。その“こめかみ”に銃口を付け、震えそうな声を整え、柔らかく笑った。




「守ってやれなくて、ごめんな。」






バンッ・・・。


「・・・。」


和利は動かなくなった。噛みついていた英明の腕を離し、そのまま崩れていった。


噛みつかれていた腕からは血が出ていたけど、その傷痕を怨む事は無い。英明に向けられた、和利の弱さの証。初めて突き付けられた刃。


なぜこの痛みを、あの頃受け入れてやれなかったんだと、また後悔した。


横たわる和利の身体。その身体を仰向けにして、瞼を閉じさせた。








《おとうと?》


《そうよ。あなたの弟。見て?可愛いでしょ?》


《・・・うん!》


《だあ・・・だあ・・・うー・・》


《・・・兄ちゃんが、守ってやるからな!》


《だあ!》








「・・・。」


英明は、しばらくそこにいた。煙草を吸うその手は、微かに震えていた。


【チッ・・・チッ・・・チッ・・・】


「?何だ?」


何かの音に気付き、英明は音のする方へ足を向けた。しかし、途中で足を止める。


その音が何かに気付き、此処から早く遠ざからなければいけないと、頭も身体も警告する。


そして、くるりと踵を返して、一目散に入口を目指した。途中、横たわる和利をちらりと見た。和利はただ安らかに眠っているように感じながらも、そのまま振り返ることなく走った。


「くそっ。間に合うか・・・」




ドッカアァァァァァァァン・・・・・・・






「!!今のって、まさか。」


英明のところだと分かった。翔もちらっと窓の外に視線を送ったが、すぐに女に戻した。潤は未だ気を失ったままだ。


傷口からの出血が止まらない。英斗も軽傷ではあるが、怪我人であることに変わりは無い。


「フフフ・・・。聞いたであろう、今の爆音。あやつの弟がいた部屋からじゃ。上手く回避出来たとしても、深手を負ったに違いない。」


女はなおも口角を上げて笑っている。すると、英斗が紀貴にヒソヒソ話してきた。


「紀くん。俺のホルダーにある拳銃、見てくれる?」


「あ、はい。」


女にばれないように、ちらっと見た。


「はい。ありますけど。」


「フフッ。じゃあ、紀くん。合図があったら、俺の拳銃を翔に投げてくれる?」


「えっ。俺がっすか?」


「他にいないでしょ?潤は気を失ってるし、俺も肩やっちゃったし。」


「はあ・・・。」


「大丈夫。変なとこ投げても、ちゃんと翔は取ってくれるから。ね?」


いつもの感じに戻った英斗にホッとしてしまった紀貴は、承諾した。


合図というのが何なのか分からないまま、紀貴はその時を待った。


―・・・まだ笑ってるよ。すげーな。


「・・・そういや、今朝の新聞に、隣国の王が捕まったっていうニュースが載ってたな・・・。」


「ハ・・・。な、何!?」


―え。そうなの?何か最近、そういう偉い人まで犯罪に手を染める事件が増えてるよなー。隼さんは新聞とか読んでるイメージ無いけど、真面目だったんだ。


「物騒だよな~。幼女趣味だったらしいぜ。」


女は口を、これでもかってくらいまで開けている。顎が外れてしまいそうだ。


「わ、我を騙そうとしているのであろう!!そんなものに惑わされる、我ではない!」


「ま、いーんじゃね?知らないことが幸せってこともあるしな。」


煙草をプハーと吐き出して、翔はニヤッと笑う。


一方、寝耳に水状態の女。あんぐり、としている。


足下がふらついていて、呪文のように、『嘘じゃ、嘘じゃ・・・』と繰り返している。


翔が煙草を口からプッと出した。その時・・・


「紀くん、今だよ。」


英斗に言われ、ああ、コレが合図だと理解した紀貴は、急いで英斗の腰のホルダーから拳銃を取り出して、翔に投げた。


翔は『ナイスッ!』と言って受け取り、銃を両手に構えた。


女もそれに反応して銃を撃とうとしたが、翔によって銃は弾かれ、そして翔が女の足を狙って撃つと、女はガクンと跪いた。


「ま、嘘だけど。」


平然と嘘であることを認めた。というよりは、自白した?翔は銃を女に向けたまま、煙草を取り出して口に押し込み、火を付けた。


 なんで英斗の銃を使ったんだろうと思っていたら、翔が最初使っていた銃を放っていたことに気付いた。


・・・どうやら、階段を使って地下に向かっている間に、準備していた弾まで、ほとんど使ってしまったようだ。


―幾ら狙撃の腕に長けた隼さんでも、弾切れには勝てない、ということか・・・。








「ん・・・。」


女が目を覚ました。足に急激な痛みを感じて、気を失っていたのだ。


まあ、普通はそうなんだろう。拳銃なんて見ることすら無いはずだ。


ましてや、撃たれるなんて経験ないだろう。


「お、やっと起きた。」


翔が銃を向けたままの状態で言った。豪華な椅子を自分のところに持ってきて、足を組んで座っている。


ただ座っているのではない。ふんぞり返っている、という表現の方が的確かもしれない。


「なーんか、しっくり来ねぇな。この椅子。」


―・・・しまいには文句を言ってる。勝手に座って文句言うなよ。


英斗の傷は塞がってきたらしく、血は出てきていないが、潤はまだだ。


寝ているのか分からないくらい大人しい。でも、顔色はさっきより良くなってる気がする。


「我をどうする心算じゃ?もうこの国は終わっておる。今更復興など出来はせぬ。」


「分かんねぇだろ。」


「フッ。未来は見えておろう。金もなく、家もなく、権力者もおらぬようになった国が進む道は、『滅び』だけじゃ。心は荒み、身体は絶えず『血』を欲す。幾ら栄えようとも、没落するのは目に見えておる。」


「ま、お前がこの状況を作ったんだけどな。」


「そうじゃ。しかし、我が隣国に嫁げば、仕送りという形で金をばらまく事も出来よう。」


「・・・。」


―なんて勝手な言い分。潤くんが起きていなくて良かった。


  翔が無表情で女を見ていた。煙草の煙を天井高くまで吐き出し、短くなったソレを携帯灰皿へと入れた。


その中をちらっと見て、『今日は吸いすぎたな』と言ったのは、聞こえなかったことにしよう。


ちゃんと一日何本までとか、決めているのだろうか?吸い過ぎは良くないから、良い心掛けだ、と感心した。


「・・・あのな、んなこと、てめぇが決めんじゃねぇよ。」


携帯灰皿をポケットにしまいながら、翔が言った。


翔が女と攻防戦を続けている間も、英斗は潤に声をかけていた。


でも、潤は起きなかった。息をしているのは分かったが、目を覚ます気配は一向にない。


「あいつらは、てめぇが思ってるよりも、ずっと、逞しいんだよ。」


それを聞いて、ふと、みなのことを思い出した。


小さいのに、両親の死を受け入れて、しっかりと前を見て歩こうとしている。まだ小さいあの足で、地面を踏み締めている。


「てめぇは、自分が不幸だと思ってんだろーけど、てめぇの不幸なんざ、所詮自分中心の不幸なんだよ。」


「なっ、何じゃと!!無礼な!」


「無礼でも何でもいーけど、じゃあ、てめぇのいう『不幸』の定義は何だ?」


「何?不幸の定義じゃと?ハッ。笑わせるでない。幸せでないことが不幸じゃ。」


「じゃあ、『幸せ』 の定義は何だ?」


「幸せも知らぬのか?哀れな奴じゃ。金があること、地位があること、名誉も権力も持っていることじゃ。何不自由なく暮らせることじゃ。」


「・・・くだらねぇな。」


紀貴も思った。同じことを思ったかどうかは分からないけど。価値観の違いじゃない。


紀貴達は忘れているんだ。生活が便利になる一方で、同時に何かを手放しているのに、そのことにさえ気付いていない。


「ならば、どういう定義か言うてみよ。」


「・・・。」


女の質問に、翔は答えようとはしなかった。でも、ため息をついて、女を見た。


「・・・幾ら金を持ってても、地位があっても、死んだら役には立たねぇ。」


言わんとしている事が分かった。・・・そういうことだ。


「てめぇの言った『幸せ』は、『生きてる事』が大前提の話だ。その前提があるからこそ、付加価値として存在する。人にもよるが、あれば邪魔にはならねぇもんだ。つまり、ただの+αの代物だ。」


「付加価値じゃと?」


「その付加価値にばかり高価な値段を付けて、バーゲンだからって飛び付くようじゃあ、本当に価値のあるものには気付けなくなる。」


―・・・すっごく真面目なこと言ってる。相変わらず偉そうにしてるし、正直、今聞いたことの三割くらいしか理解できていない俺がいるけど、なんかすごい。


「フッ。バーゲンであれば、飛び付くのは当然であろう?いつもより安いのじゃ。同じ品質ならば、高いより安いものがよかろう?主婦の楽しみでもあるのじゃ。」


「ハンッ。主婦の何よりの楽しみは、夫がいない時間なんだよ。定年迎えた男の行くあてが無いのを知っていながら、あてつけのように掃除したり、お昼も手を抜けないとかグチグチと井戸端会議で洩らすのが楽しみなんだよ。」


「男の主に何が分かるのじゃ。年老いても女は女。女として見てほしいものじゃ。それを、化粧しても変わらない、見苦しいなどと言って、嫉妬をする男は実に醜いのう。」


「男が言いてーのは、自分の年齢に合った服装とか化粧とかあるだろうって事だ。格好だけ若くしたって、逆に怖ぇーんだよ。ホラーなんだよ。女同士でちやほやし合うのは構わねーが、それを家庭にまで持ち込むのは、男が家庭に仕事持ち込むようなもんなんだよ。御法度なんだよ。」


「御法度じゃと?男が家庭に仕事を持ち込まぬのは当然であろう。家庭とは憩いの場なのじゃ。仕事をする場ではない!」


「何が憩いの場だ。戦場の間違いだろーが。疲れて帰ったのに買ってきた弁当出されたら、も~、悲しくて悲しくて涙が出るわっ!!暖かいご飯でもてなしてくれてもいーだろ!」


「未婚の男が妄想に浸るでない!!結婚生活とはそういうものじゃ。相手の嫌なところばかり目についてくるものなのじゃ!それを耐えて耐えて耐え抜いてこそ、老後は思いやることが出来るのじゃ!」


「男は耐えてんだよ!それなのに、給料が下がったくらいで文句をブーブー言うのはお門違いじゃねぇのか!?しゃーねーんだよ!不景気なんだよ!頭下げて頑張ってんだよ!洋服やら化粧品やら買うのを我慢すりゃあ、生活出来んだろーが!!」


「文句を言うのは仕方あるまい!ストレス発散である買い物や食事が満足に出来ぬではないか!女とて、炊事・洗濯・掃除と、褒められもせぬ仕事を、毎日やっておるのじゃ!給料ももらえぬ仕事をしておるのじゃ!」


「毎日やってるわけねーだろーが!それに、ストレスなら男にだってあんだよ!財布の紐は嫁に握られ、小遣いもだんだん減らされて、どこへ消えたのかと思えば、通販!?ショッピング!?プチ整形!?ふざけんなっ!!」






―・・・なんか、論点がズレてる。全く別の方に向かっている。


最初の方は、二人の迫力に・・・気迫に?押されていたけど、冷静に聞いていると最初の方からおかしい事が分かった。


―と、止めた方がいいのかなぁ・・・。


どうしたらいいか、紀貴は悩んでいた。


―ちょんちょん。


何だろうと思って後ろを見たら、英斗だった。潤を支えながら、ニッコリと笑って、紀貴に毒舌を吐いた。


「うっさいから、ぶん殴ってでも止めて~。」


―ああ。そうでした。こういう人でした。


  紀貴は、二人に近づいて行って、翔と女を交互に見ていたが、二人とも全く紀貴に気付かなかった。


ちらっと、英斗を見たら、ニコッと笑って、どす黒いものを発しながら親指をグッと出したと思ったら、その親指を下に向けた。


まだ解剖されたくない紀貴は・・・違う。解剖されたくない紀貴は、決死の覚悟で声を出した。


「あの・・・論点がズレてます。」


―いや、本当は五月蠅いからなんだけど、言えないよ・・・。


  翔が紀貴を見た後に英斗の方を見て、『ああ・・・』と気づいてくれた。


勢いに任せて叫んでいたせいでズレたのは論点だけじゃなく、翔のニット帽もズレた。そのズレたニット帽を直し、翔は女を再び見た。


「どうする?」


翔が紀貴達に聞いてきた。女をどうするか、と聞いているんだと思う。


―つまり・・・その、殺すかどうかということだろうけど、潤くんには聞かなくていいのかな・・・。


「とにかく、潤が心配だ。英明と合流したいな。」


英斗が潤を見つめながら言った。


―そうだ。榊さんの消息も分からないままだ。死んではいないと思うけど、大怪我してるかもしれない。


「・・・そうだな。よし、紀貴。」


「はい?」


「はい?じゃねーよ。こいつ縛っから、そこの紐持ってこい。」


―パシリだ。世間じゃ、こういう扱いをパシリというんだ。


「・・・っし。いいな。じゃ、城出るぞ。」


翔と紀貴は、女が逃げ出さないように挟みこんで歩き、英斗は潤を運んだ。


―柏木さん、肩大丈夫かな・・・。一応あの人も怪我してるんだよな。平気そうな顔はしてるけど、実際、まだ痛いと思う。


「・・・生きておらぬと言うておろう。」


「ま、死んでたら骨くらい拾ってやるけどな。」


「じゃあ、そしたら俺、解剖してもいいよね~。」


―口々に好き勝手なこと言ってる・・・。


英明が死んだこと前提で話すな。ていうか、爆破したら解剖できるような状態でも無いと思うのだが。








「誰が死んでるだぁぁ???」


ビクッ!!!!


紀貴と翔と英斗の身体が、同時にビクついた。


―ああ・・・心臓に悪い・・・。


「よぉ、英明。やっぱ生きてやがったか。」


「クスクス。残念。」


「榊さん!」


煙草を吸いながら、城の玄関のところで、壁にもたれかかっていた。足は怪我してるし、あちこちに青痣もあった。無精髭と髪の毛に、若干の焦げが見えた。


「なんだ?その髪と髭。イメチェンでもしたか?」


茶化すように翔が言った。英明が哀れむように翔をみて、ため息をついた。


「アホ。これでも死にかけた。」


「すごい爆発だったもんね~。」


―柏木さんまで・・・。


  英明が潤に気付き、視線で紀貴達に聞いていた。


「足に一発。腹に一発。足の方は弾がまだ入ってる。止血はした。」


「・・・分かった。英斗は肩どうなんだ。」


「俺?肩かすめただけ。もう傷口塞がってるから平気だよ。」


翔が状況をサッと言うと、英明が潤が怪我した部分のズボンを破って、外側から中心に向かって両手で囲み、弾を見つけた。


でも、ここには医療道具は無い。この先、どうするんだろうと思っていたら、英明は英斗に、『メス貸せ』と言った。緊急を要するので、英斗は渋々差し出していた。 


さらに、翔に『翔、ライター』と言った。女の紐を紀貴に渡して、ライターを点ける。


メスをライターの火で滅菌して、潤の足に留まっている弾を取り出した。


「榊英明・・・なぜ生きておる。」


女が英明を睨みながら聞いくと、英明はちらっと見て、すぐ潤に視線を戻し、止血をした。


「生きてんだからしょうがねぇだろ。」


「主、弟を殺したのか。」


「・・・。」


英明はメスを英斗に返して、潤の脈を確認した。


―おお・・・お医者様っぽい。


「あいつは死んでた。だから、殺すっていう表現は正確じゃねぇな。」


「いいや、肉体が存在したのであれば、それは殺すと言うのじゃ。」


「・・・。じゃあ、それでいい。好きにしろ。」


もう面倒臭い、という風にため息をついた英明は、『追放・・・国際留置所・・・』などと呟いていた。


「ああ。島流しでもいいな。」


ケロッとした声で、翔が言ったら、英明と英斗も『賛成』とハモッた。


「我を島流しにするというのか!?」


「どうせ、国外追放して国際留置所に行ったとしても、同じ結論だ。」


「それに、隣国に行っても歓迎はされないと思いますよ~?」


「そんなわけあるまい!新しい妃じゃぞ!正妻として迎えると言われておる!」


「じゃ、側室にされる今の正妻に狙われるかもな。」


「なっ・・・何!?」


みんなの淡々とした会話が飛び交うのを、紀貴はただ聞いていた。


英斗も、いつもの腹黒さを取り戻したようで、ニコニコ笑っていた。・・・さっきもさっきで怖いけど、どちらかというと、紀貴はこっちの方が怖いと感じた。


「女ってのは、そういう勘は鋭いからな。ま、殺されても文句は言えねぇけどな。」


大欠伸をしながら言った翔の言葉に、引き攣った笑みを見せた女。


「・・・潤はどうだ?」


英明が、声をかけたかと思うと、さっきまで眠るように意識を失っていた潤が身体を起こして、女を見ていた。


「潤くん・・・。」


「・・・俺も賛成。島流し。」


いつもより、少しだけ低い声で発せられたその言葉は、一国民としての義務からのものなのか、それとも、子としての責任からなのか。


その顔からは分からなかったけど、潤なりに出した、精一杯の答えなんだと思う。


「・・・母親に島流しを宣告するのじゃな・・・。」


「・・・俺の母親はもういない。」


なんだか声が震えている。どうして自分を捨ててまで、金を追いかけてしまったのか、それを聞きたいのだと思うが、それを口にすることは無かった。


「俺の親は、英斗の両親だ。俺を育ててくれた。産みの親よりも、俺にとっては俺の親だ。」


そう言うと、英斗が潤の顔を隠すようにして、場所を移動すると、女は大きくなった背中を眺めて、言葉を呑んだ。








  隣国に連絡を入れて、警察をよこしてもらった。


隣国の王は、女との結婚を破棄し、きちんと罰を与えることを承諾してくれた。


女は島流しのために連れていかれた。潤に言葉を掛けることは無かったけど、愛おしそうに見つめていたと感じたのは、紀貴だけだろうか。


潤は、女が連れていかれるとき、視線を逸らしていたけど、少し、ほんの少しだけ面影を追いかけていたように見えた。


「・・・これから、どうするんすか?」


特定の誰に、というわけではなく、みんなに聞いてみた。


「何がだ。」


答えてくれたのは、英明。


「いや、終わりましたけど・・・、沢山の人が死んで、指揮する人もいなくて・・・。」


一言で『復興』というのは簡単だ。言うだけなら誰にでも出来る。


でも、一度崩れた積木は、そう簡単に直せない。一度見失った指針を掴むことは困難だ。


目の前にあるのは、絶望と落胆、焦燥感と空虚、喪失感と死体の山・・・。


「・・・。それでも・・・。」


真っ直ぐと前を見ながら、英明は話す。


「それでも、進むしかねぇ。時間を戻すことなんか出来ねぇんだ。しっかり前見て、自分の足で歩いていくしかねぇ。」


「・・・そんな、強い人ばかりじゃないです。」


「強い弱いの話じゃねぇ。そうやって今までだって生きてきたんだよ、俺達は。」


―・・・難しい。すごく難しいことだ。


一〇〇まで築き上げたものが崩壊し、またゼロから始めるのだから。何年もかけてきたものが、こんなにも容易く壊れてしまう。


「過去振り切って、希望持って、未来信じて歩いてく。そうやってくうちに、自然と一人一人が強くなっていく。それがまた、切れねぇ太い綱みたいなので俺達を繋ぐ。」


英明らしからぬお言葉で、紀貴は目を真ん丸くさせていたらしい。


英斗と翔が笑いだした。紀貴の顔を馬鹿にしているのかと思えば、それに乗じて、『英明もセンチメンタルなこと言うし』と、英明への暴言まで・・・。


  潤がまだ痛む腹を押さえながら、『そうだよな!』と笑って言う。


翔が潤と紀貴の背中をドンドンと叩きながら、またあのニカッていう笑顔を作る。


「ま、なんとかなるって!やらねー事には、始まらねーよ!」


ニット帽を直し、家路へと急いだ。


―・・・背中痛い。








  潤と英明は足に布を巻きながらも歩いていた。


英斗が潤に肩を貸しながら、翔は、『肩貸せ』と言われたにも関わらず、聞こえないふりをしていた。


英明は軽く舌打ちをして、紀貴に肩を要求した。


紀貴も翔みたいに、聞こえないふりをしようとしたけど、ものっすごく睨まれて、しょうが無く貸した。思っていたよりも怪我が酷いようだ。








ガサッ・・・。


ピクッとみんなが反応した。みんなっていうのは、紀貴も含めて。


風も吹いてないのに、草が揺れ動いた。そこに集中したけど、なかなか姿を現さない。


さっきまでの談笑から一変、しー・・・んとしている。みんな、様子を窺っているのだ。


くどい様だが、みんなっていうのは、紀貴も含めて。


草むらから人影が出てきて、最初はクレイザーの生き残りか、兵士かと思った。英明が身構えたのが分かった。


「・・・。」


「「「「「・・・。」」」」」


なんと、そこにいたのは見覚えのある顔。


幼い顔で、一瞬こちらに気付かずに通り過ぎようとしていた。すかさず声をかけたのは、英斗だった。


「みなちゃん!!」


女の子はピタッと立ち止り、くるりとこっちを向いた。そして、ぱぁっと顔を明るくしたかと思うと、突進してきて、英斗の足に抱きついた。


「みなちゃん、お家に帰ったんじゃなかったの?」


驚きと嬉しさが入り混じったような話し方をする英斗。


みなは顔をあげて、にぱっと笑った。


「みな、どうした?」


そう言って、翔がひょいっと抱き上げて、片方の腕の二の腕部分に座らせるようにして、みなと向かい合った。


「みなね、お家に帰りたいんだけどね、道がね、わかんない。」


―・・・。要するに、迷子ってことか。この辺は樹海だし、この子はまだ小さいから仕方ない。


  小さなその掌から、翔に貰った缶バッチを出して、またニカッと笑った。


「みなね、パパとママ、いなくてもね、頑張る。」


翔は、一瞬悲しそうな目をしたけど、すぐにニカッて笑い返した。


「そうか!みななら頑張れるぞ!」


みなも嬉しそうに、またニカッて笑った。


―隼さんって、やっぱり面倒見がいいんだ・・・。


面倒見がいいというより、元気づけるのが上手いのか?


「・・・あの子は?」


―そうだ。榊さんは知らないんだった。


紀貴は肩を貸しながら説明することにした。


「避難所にいた子で、両親が死んだこと分かんなくて、一人逃げずに残ってたんです。柏木さんが説明して、城の外に逃がしたんすけど・・・。」


「・・・道に迷って、ずっとさまよってたのか。」


はぁ、とため息をついた英明だけど、みなが無事だったことに安心したようだった。


「みな、家何処だ?送ってってやる。」


翔が聞くと、みなが、『んーと・・・。』と悩んでいた。どっちから来たのかも分からないんだろう。


「えっとね、あっちの方。」


みなが指差した方向は、樹海で先は見えないけど、民家はないはずの方向。


しかも、崖だったと思う。


―さっき道が分かんないって言ってたのに・・・。


翔は目をパチクリさせた。


「ハハハ!そうか。分かんないか。」


みなは、下を向いて頷き、わーっと泣き出してしまった。


迷子になったことだけが不安じゃ無くて、もう頼れる人がいないことも不安なんだろう。


紀貴達と分かれてから、一人で不安だったに違いない。


一人で森の中を行ったり来たりして、もう分からなくなって、泣きたかったんだろう。それを、ずっと我慢してたんだ。


  翔が、みなを二の腕から、腕の中へと移動させて、その小さな身体を優しく抱きしめていた。頭を撫でると、さらに激しく泣いた。


「・・・。」


しばらくずっと頭を撫でては、背中をトントン叩いていた。それを、紀貴はただじっと見ていた。


泣き声がだんだん弱まってきて、泣きやみそうな空気が流れた。


「ぐすっ・・・。ひっく・・・。ふぇ・・・。」


「・・・みな。」


翔がみなに声をかける。鎖骨辺りに押しつけていた顔をあげて、みなは翔の顔を見た。


「みなは、よく頑張った。」


「・・・うん。」


「強くなったよな?」


「・・・うん。」


「泣かないでいたんだもんな?」


「うん。」


「じゃあ、これからも頑張れるよな?」


「・・・。」


あやす様に優しくは言ってるけど、やっぱり言ってる事は『一人で生きていく』という自覚を持ってほしいということだろう。


紀貴たちだって、ずっと一緒にいられるわけじゃない。いつかは別れが来る。


辛いとか、寂しいとか、そんな言葉は通用しないんだ。一人でもしっかりと歩いて行かなくちゃいけない。


「みなちゃん。」


黙ってしまったみなちゃんに声をかけたのは、英斗。


翔の言葉の意味が分かったからか、みなは下を向いて唇を尖らす様にしている。


「みなちゃん、ママみたいになりたいんだよね?」


「・・・うん。」


「だったら、泣いちゃダメだよ。ママみたいに、強くなれないよ?」


「・・・ママ、強いの?」


「うん。だって、みなちゃんのママでしょ?」


「・・・うん。」


「みな・・・。」


潤が、みなを見つめた。自分と重ねているのだろうか。


  みなのお母さんは、みなを覆うようにして亡くなっていた。さらにお母さんを覆うようにしてお父さんが亡くなっていた。


きっと、みなを守ろうとして、みなを抱きしめたお母さんと、みなとお母さんを守ろうとして、二人を抱きしめていたのであろうお父さん。


二人がこの子を守ろうとして取った行動は、この子の命を紡いだ。


「みな・・・でいいのか?」


今までの会話を黙って聞いていた英明が、ふと聞いてきた。


「あ、はい。」


「・・・。みな。お前、誰か知り合いはいねぇのか?」


「・・・おばちゃんとおじちゃん。」


「家は知ってるか?」


「行ったことあるけど、わかんない。」


―榊さん、どうするつもりなんだろう。


翔も心配そうにみなを見ている。


「・・・はぁ。しょうがねぇな。場所分かるまで、家に置いていいぞ。」


翔を始め、英斗や潤、紀貴、そしてみなの不安そうな顔を見て、英明はそう言った。


誰も口に出してはいないけど、感じ取ったんだろう。潤なんて、うるうるしている。


「!みな!良かったな!あのおじさんが、しばらく一緒にいていいってよ!」


「!!!うん!おじちゃん、ありがとう!」


「!!・・・。ああ。」


『おじちゃん』発言に、英明が少し戸惑っていると、英斗がプッと笑いだす。


「じゃあ、怪我してる人もいるから、家に急ごうか。」


みなが翔と楽しそうに歌を歌っている。肩車をしてもらいながら、翔のニット帽越しに、頭をペシペシ叩いている。


「・・・おじちゃんか。俺ももうそんな年になったんだな。」


「・・・。」


紀貴は吹き出しそうになった。そんなこと気にする人なんだと初めて知った。


紀貴が吹き出しそうになったのに気付いた英明に、軽く頭突きされた。


―・・・痛い。






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