第3話 絆




さざなみ



 常に復讐は、小さな、弱々しい、憐れむべき、心の悦びでしかない。


         ジョセフ・ジューベル






































 第三償【絆】




























 女、枝璃奈真子は、枝璃奈玲を兄に持つ。


 真子には恋人がおり、その恋人とは半同棲生活をしていた。


 一方で、兄はとても優しくて頼りがいがあるのだが、なかなか恋人が出来ず、奥手ということもあり、恋人はいなかった。


 2年前まで、とても仲の良い兄妹だった。


 それは、喧嘩をしたというわけではなく、2年前、真子の兄である玲は、殺されてしまったのだ。


 それも、ストーカーをされていた女性を助けるために。


 「その女性は、何処にいるんですか!?どうして兄の葬式にも顔を出さないんですか!?」


 その女性とは一体誰なのか、聞いても警察は教えてくれなかった。


 当時、玲の上司だった男は、その女性からストーカーの相談を受けていたようなのだが、被害がないからということで、きちんと話を聞いていなかったらしい。


 そのことで負い目を感じたのか、代わりに兄が接触し、女性を守ろうとしたのだ。


 そんな殉職の仕方をした兄に対して、世間はとても冷たかった。


 身に覚えの無いレイプ魔との記事を始め、ネットでも次々にデマが広まってしまい、真子はいつの間にか、女性を助けた男の妹としてではなく、レイプ魔という仮面をつけた警察官の兄を持つ妹として、終始マスコミにも追いかけられることがあった。


 時間とともにそれは止んだが、玲の汚名は返上することが出来ないままだった。


 あれから2年の月日が経ち、玲のことも少しずつ納得しようとしていた頃、半同棲中だった彼が眉間にシワを寄せて、何やらため息を吐いていた。


 「どうしたの?何かあったの?」


 「いや、ちょっと仕事のことで」


 「何?話なら聞くけど」


 「ごめん、真子にも話せないことなんだ」


 「・・・そう」


 その時はまだ、深くは考えていなかった。


 それから少しして、真子は、彼のスマホに届いたメールを見てしまう。


 「何これ」


 そこには、「どうしても告発する心算ですか」という、多分、仕事仲間からと思われる内容のものがあった。


 彼を問い詰めると、やはり、会社での不正の件で告発をしようと思っていることが分かった。


 しかしどうしても踏みきれずにいるのは、今後のことを考えてのことのようだ。


 「真子と結婚するためには、今の地位も仕事も必要だろ?真子にはそれで仕事も辞めてもらったのに」


 仕事を続けても良かったのだが、彼は家のことに集中できるようにと、真子に仕事を辞めるように言っていたのだ。


 子供が出来て大きくなれば、また仕事を始めれば良い。


 育児休暇などを取ったところで、今の世の中、隅に追いやられるだけなのだからという、彼なりの配慮でもあった。


 「それなら、私すぐにでも仕事探す。だから、あなたはあなたのやるべきことをして」


 「真子、ありがとう」


 そんな彼だから、真子は好きだったのだ。








 「どうして・・・?」


 そんな彼が、飛び降り自殺をしたという連絡があった。


 そんなことあるわけがないのに、会社も警察も、みんなして彼を自殺と決めつけていた。


 「そんなわけありません!!絶対に自殺じゃ無い!!」


 「ですが、仕事で悩んでいたという同僚の方の話もありますし」


 「会社を告発しようとしていたんです!だから殺されたんです!!彼は自殺なんかしません!これから、結婚するはずだったのに、なんで自殺なんてするんですか!!」


 「そうは言われましても・・・」


 どんなに彼の自殺を否定しても、誰も信じてはくれなかったし、恋人だったのだからそう思うのは当然、という感じだった。


 生きているからには、誰しもが死にたいと思うときがあり、それが彼に来ただけのことだと。


 真子は呆然としながらもテレビをつける。


 しばらくぼーっとしていると、ふと、兄の遺品の中に、上司の名刺が残っていたことを思い出した。


 ストーカーの話は聞かなくても、兄や恋人の死を不審に思っていることを伝えれば、調べてくれるかもしれないと期待を込めて。


 「え?いない?」


 しかし、その上司は去年仕事を辞めており、今は分からないとのことだった。


 住所も聞くことが出来なかったが、真子なりに兄の遺品を調べていると、そこからその上司のものと思われるハガキが出て来た。


 「住所・・・書いてある」


 そこに記された住所に足を向けると、まだそこには誰かが住んでいた。


 しかし、その家の周りには大勢の人たちがいてなかなか近づけなかったため、夜になって人がいなくなってからチャイムを押した。


 真子が記者じゃないと分かったのか、無愛想に出て来た男。


 「あ、あの、私、枝璃奈真子と申します。枝璃奈玲の妹です」


 「枝璃奈・・・?ああ、あいつか」


 「あの!実は、私の恋人が自殺と言われているんですけど、絶対に自殺じゃないと思うんです!調べていただけませんか?せめて、本部にかけあってください!!」


 「悪いけど無理だよ、帰って」


 「でも!!」


 「帰れって!!!」


 バタン、と強く閉められてしまったドアを前に、真子は言葉を失くした。


 とぼとぼと帰り道を歩きながら、真子は次の手を考えていた。


 「よし」








 翌日、真子は玲のことをレイプ魔と書いた週刊誌のもとへ行っていた。


 嘘でもなんでも書いてくれるなら、それで警察が動いてくれるならと、真子はアポも取らずに行った。


 そのためか、最初は帰れと言われてしまったのだが、先日飛び降りをした男の恋人だと伝えると、記者は目の色を変えた。


 「何か情報を持ってきてくれたんだろうね」


 「・・・その代わり、お願いがあります」


 「お願い?何?」


 「2年前、枝璃奈玲のことをレイプ魔だと言ったこと、あれは嘘だと書いてください!兄はそんなことしません。あなたたちが勝手に書いたことです!」


 「はいはい、そんなことより」


 「そんなことじゃありません!!あの偽りの記事のせいで、私達兄妹がどうなったか!」


 「俺達はね、面白い記事が書ければいいの。そこに真実があるかどうかなんて、二の次だからね。面白いからみんな買うんだよ。心のどこかでそう思ってるから、みんな噂を広めるんだよ」


 「・・・!!」


 その記者の頬を叩き、真子は出て行った。


 「ちょっと、何してるの?さっきの子は誰?」


 「ああ、この前の自殺した会社員の恋人らしいっすよ。でもあの人、浮気してたんですよね?それも知らないんじゃないですか?」


 「真実から目を逸らすなんてね。可哀そうな子」


 真子は、どうして良いか分からなかった。


 玲の名誉だけでなく、恋人の名誉も守れぬままなんて、我慢出来なかった。


 そこで、真子は会社の関係者の人に、恋人の彼の味方がいないかと探すことにした。


 確かに、会社を告発すると言っていたし、彼の性格からしてその言葉に嘘偽りはないはずだ。


 だからこそ、1人でもその証言が取れればと思ったのだ。


 同時に、玲が助けたという女性のことも調べ始めた。


 玲に線香の1つでもあげにくるよう言いたかったのと、玲がレイプ魔などではないことをはっきりさせたかったのだ。


 「そう簡単には見つからないか」


 真子は、諦めかけていた。


 彼が会社の不正を調べていたことを知っている人間がおらず、真子は途方に暮れていた。


 「え?宮守さんのことを調べてる女がいる?」


 「そうなんだよ。なんでも、宮守さんから何か聞いてないかとか。他にも色々調べてるみたいだけど」


 「他って?」


 「2年前の、ほら、ストーカーから女性を守って死んだって言われてた警察官が、実はレイプ魔だってやつだよ。そのことも調べてるみたいだぜ?今更だよな」


 「ああ、そんなこともあったなぁ・・・」








 一方で、玲にストーカーのことを相談していた女性の身元が分かると、真子はその女性の後をつけていた。


 女性は男性と一緒に暮らしているようだが、その男性はあまり家から出かける様子がなかった。


 それからすぐのことだが、家にずっといた男性は死亡したらしく、それも薬物中毒だったようで、女性は警察官に何やら叫んでいた。


 まるで自分を見ているようでもあったが、そんなことどうでも良い。


 女性の様子をしばらく近くで見ていると、真子が見ているとも知らず、その女性は真子の目の前で、衝撃的な行動に出た。


 何処へ行くのだろうと女性の後を追っていると、歩道橋を少し走る様に上って行った。


 真子も慌てて後をついていくと、その女性は、階段の上から男性を突き落としていたのだ。


 「え・・・!?」


 真子は口元を押さえ、その場から動けずにいたのだが、その女性は何食わぬ顔で、落ちていった男性に駆け寄って行った。


 真子はその様子を遠巻きから眺めていただけだが、男性が救急車で運ばれたあと、女性は再び歩き出した。


 女性が鞄をごそごそして、鍵を開けようとしたそのとき、真子は声をかけた。


 当然、女性は真子のことを知らないため、怪訝そうな表情を向けてきた。


 少し話をしたいと言うと、女同士とはいえ、見知らぬ人間と家には入れたくないようで、近くのカフェに行こうと言ってきた。


 女性と合い向かいに座ると、女性はスマホをテーブルの上に置いた。


 注文を取りに来た店員に紅茶を頼み、運ばれてくる。


 その時、真子は隙を見て女性のスマホを地面に落とし、女性がスマホを拾っているうちに、女性の紅茶に毒を入れた。


 女性がその紅茶に口をつけるのを確認すると、真子は立ち上がる。


 そして女性に微笑みかけてその場から放れて行くと、後ろからは女性が倒れる音と、そんな女性に駆け寄って行く人たちの声が聞こえた。


 真子は顔を見られないように下を向きながら、カメラが比較的少ない道を選んで歩いているとすっかり外は暗くなってしまい、急いで家に帰る。


 テレビをつけるとキッチンへ向かい、水道の水を流し込む。


 「大丈夫よ・・・大丈夫・・・」


 小さな声でそう呟いたあと、コップを片づけてから畳の部屋に行く。


 そして、そこにある兄、玲の位牌と写真に向かって手を合わせ立ち上がると、そこには男がいた。


 暗くて顔ははっきり見えないが、その男はいきなり真子を押し倒して上に乗ってくると、そのまま首を絞めて来た。


 「あっ・・・」


 何がなんだかわからぬまま、真子は男をじっと見る。


 男が何か言っていたが、頭まで酸素が回っていないのか、よく聞き取れなかった。


 その後のことは、真子は分からない。


 自分の身体が冷たくなっていく感覚さえないまま、真子は消えて行く。




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