第2話 尊




さざなみ




 もしも地獄の真っ只中にいるのなら、そのまま突き進むがいい。


        ウィンストン・チャーチル




































 第二償【尊】




























 上司の宮守柊という男は、とても真面目で誠実で、男らしい男で、頼りになる。


 男が惚れる男と言っても良い。


 部下である隼川正宗は、どことなく頼りないというか、仕事を任せられるような男ではないのだが、そんな隼川にも優しく、そして厳しく指導し続けている、それが宮守だ。


 そんな宮守は、悩んでいた。


 「どうかしたんですか?」


 「いや、ちょっとな」


 「なんです?言ってくださいよ!!」


 「お前を巻きこむわけにはいかないんだ」


 頑なに話すことを拒む宮守に、隼川はどうしても力になりたい、宮守のために頑張りたいのだと熱弁した。


 それでも断っていた宮守だが、あまりに隼川が熱心なため、ここだけの話として聞いてくれと前置きをして、話しを始めた。


 「実はな」


 宮守の話に、隼川は表情を硬くした。


 それは当然の反応で、あれだけ威勢の良かった隼川は、大人しくなってしまった。


 「だから言っただろ。お前は聞かなかったことにしろ」


 「しかし・・・!!」


 「会社の不正を告発なんてしたら、俺達はクビを切られるかもしれない。クビになるなら俺だけでいいんだ」


 宮守の悩みとは、会社の不正に関することだった。


 内密に調べていたようだが、会社ぐるみでの不正となれば、ある程度の地位を築いている宮守といえども、そう簡単なことではない。


 勿論、このことは一度上に報告し、不正が行われていることを伝えたのだが、上はそれを承知しているようで、全く相手にされなかった。


 「このままじゃダメだ。俺はマスコミに行ってでも、このことを公にする」


 「そんな・・・」


 「お前は知らぬ存ぜぬで通せ、いいな」


 どこまでも部下想いの宮守に、隼川はただ唇を噛みしめて頷いた。








 それからしばらくして、宮守は屋上から飛び降りたと連絡が入った。


 仕事で悩んでいたという周りからの情報により、自殺として処理されたのだが、それを否定する人がいた。


 それは、宮守の恋人であった。


 会社が何かを隠そうとしているのだと叫んだが、恋人以外に宮守の自殺を否定する人はおらず、自殺として断定された。


 争った形跡もない、責任感の強い人だったことからも、その意識の強さから自殺に向かってしまったものとされた。


 その宮守の自殺のことは、マスコミで面白おかしく書かれていた。


 「おい見たか隼川、今朝の新聞」


 「すげぇことかいてあるぜ」


 宮守柊という男は、恋人がいながら別の女性と浮気をしていたとか、実は若い頃強姦事件を犯していたとか。


 隼川は宮守のデスクを片づけていると、そこから、女性と一緒に写っている写真が見つかった。


 それは恋人とは違う女性で、隼川は誰にも見つからないようにその写真をポケットに突っ込んだ。


 一体どこの誰だろうと、隼川は女性を探し始めた。


 そもそも、宮守のような男が浮気などするはずもないし、会社のことを告発しようとしていた矢先だと考えると、宮守は自殺ではないだろう。


 だが、それを言ってしまえば、会社での自分の立場も危うくなるため、黙っていた。


 時間はかかったが女性を見つけ、後をつけた。


 「あの、すみません」


 「はい・・・?」


 「えっと、私、隼川正宗と申しますが、宮守柊という人を知っていますよね?」


 「・・・いえ、私は何も」


 「ですがこれ、あなたですよね?」


 「え・・・」


 宮守のことを知らないという女性に、写真を突きつけた。


 その強張った顔は、肯定を意味する。


 「あ、別に脅そうとか、そういうことじゃないんです。ただ、宮守さん、浮気をしていたとかで噂が立っているので」


 「そうですか」


 「そうですかって、あなたのせいで死んだかもしれないんですよ?何とも思わないんですか?」


 「すみません、急いでいるので」


 「ちょっと待ってください!」


 隼川は女性を引きとめると、声量を抑えながらも、怒声を浴びせる。


 「無責任な方ですね。宮守さんと無関係だと言ってください。そうじゃないと、名誉を守れません!あなたにはそれくらいしか出来ないでしょう!」


 「私には、関係ないことです」


 「よくそんなことが言えますね!宮守さんにも、宮守さんの恋人にも、謝ってくださいよ!!頭を下げてください!誠意を見せてください!!」


 「知りません!!」


 女性は隼川を軽く押すと、そこから走って行ってしまった。


 残された隼川は、その写真を握りしめながら地団太を踏む。








 それから数日後のこと、女性が自殺したというニュースがあった。


 見覚えのある女性だったが、隼川は気にせず仕事を続けていた。


 宮守が使っていたパソコンを引き継ぎ、それを使ってグラフを制作していると、取引先相手からメールが来た。


 それを確認しようとメールボックスを開いたとき、初めて気付いた。


 「なんだ?これ」


 そこには、宮守宛てに送られていた、女性からの大量のメール。


 それも、名前も無ければ送り先のアドレスもバラバラなもので、内容を確認すると、まるでストーカーのような文章だった。


 宮守が死んでから数通だけ届いていたようだが、きっとニュースを見たか何かで宮守の死を知り、送るのを止めたのだろう。


 相手が一体誰なのか気になったが、宮守はこの送り主に対しては一通も返事を出してはいなかった。


 相手にしていなかったのだろうが、その相手はどう思っていたのだろう。


 悩んでいても仕方がなく、ただ月日だけが過ぎて行った。


 隼川もなんとか出世をし、宮守の仕事も受け継いで出来るようになってきた。


 気晴らしはそれなりにしてきたが、こうも仕事ばかりだと疲れてしまう。


 「何か買って帰るか」


 そう思い、歩道橋を渡って向こう側の店に買いものに行こうとしていた隼川は、少し足早になっていた。


 だから、あまり気にしていなかったのだ。


 自分に近づいてくる気配にも、そこに巻きついている殺気も。


 トン、と背中を押されたような気がした。


 そのままゴロゴロと階段を落ちて行くと、階段下にいた人たちが集まってきて、救急車を呼んでもらった。


 ようやく目を開けたときには、犯人らしき人影もなく、隼川は病院に運ばれた。


 「命に別条はありません。ですがしばらく安静にしていてください」


 運よく助かった隼川は、多少の骨折や傷はあったが、なんとか三途の皮を渡ることなく済んだ。


 ただぶつかってしまっただけなのか、それとも突き落とされたのか。


 警察は事情聴取に来て、誰かに突き落とされた感じだったかどうかを聞かれ、誰かがぶつかったような気はしたと話した。


 それ以上は何も分からないのだ。


 退院した隼川は、一度家に帰ると顔を青ざめさせた。


 「どうしよう・・・」


 余計なことを言ってしまったと、後悔していた。


 勝手に転んでしまっただけだと言えば良かったと思っても遅い。


 勘違いだったかもしれないと言えば済むかもしれないが、隼川はパニック状態で、口元を押さえて荒々しい呼吸を繰り返していた。








 ある夜、月も出ていない暗闇の中、隼川は上下黒の服を着て出かけていた。


 頭にはフードも被り、手には手袋、そして靴までも真っ黒といった、まるで見つからないようにするための服装だ。


 そしてある家の前に着くと、周りには誰もいないことを確認し、こっそりと裏庭に入って行く。


 洋服を窓にあてて、石で少しずつ窓を割って行く。


 腕が通るだけ割ると、そこから腕を入れて鍵を開け、室内へ侵入する。


 物音をたてないように部屋を見て回るが、そこには誰もいなかった。


 隼川はしばらくじっと待っていると、住人と思われる物音がし、玄関から音がすると、誰かが入ってきた。


 入ってきた若い女性は、荷物を適当な場所に放り投げると、キッチンへ行って水を飲む。


 あまりよくは聞こえないが、そこで何かぶつぶつと言っているのだけは分かる。


 コップを洗って部屋に戻ると、電気も点けずにテレビを点け、それから隣の部屋へ行くとそこにある位牌に両手を合わせる。


 位牌の横にある写真には、まだ若いであろう男性が写っていたが、隼川はそんなもの目に入らぬまま、女性に近づく。


 「ふう・・・」


 シャワーを浴びようとその場で立ち上がった女性は、振り返るとそこにいた知らぬ男性に目を丸くする。


 「誰・・・!?」


 抵抗を試みるも、男の力には敵わず、そのまま仰向けに倒されてしまった。


 馬乗りになった隼川は、その真っ黒い手袋を女性の首に絡めると、そのままゆっくりと力を込めて行く。


 「あっ・・・」


 徐々に絞まっていく感覚と、呼吸が出来ない事実と、それから、どうしてこんなことになっているのかという疑問。


 薄れゆく意識の中、耳に聞こえて来たのはこんな言葉だった。


 「余計なことを見るな、聞くな、話すな。教わらなかったか?それから、余計なことを調べるな」


 「・・・っ」


 ことり、と畳に吸い込まれるように倒れた女性の腕。


 隼川はすぐにその場から放れると、女性のスマホをいじり、そこには何もないと分かると、放り投げた。


 そして入ってきた窓から外へ出ると、再び、暗闇の中へと消えて行った。




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