第3話 あまねく者



衍字

あまねく者


 第三話【あまねく者】




























 ようやく夏が終わって、秋らしく涼しい日々が続くようになった。


 山を見れば紅葉が美しく、川も澄んでいる。


 「先生ったら、お上手なんだから」


 「本当だよ、ママは綺麗だよ。ともみママ、何か欲しい物は?」


 「それなら、もうちょっと、こまめに会いに来てくれませんか?」


 キャバクラのママをしているゆあさともみが相手しているのは、ここを贔屓にしてくれているどこぞの病院長だ。


 ともみの手をぎゅっと握りながら、若い子よりもともみが好きだとずっとアプローチしている。


 「先生、酔ってるじゃありません?」


 「先生じゃなくて久道と呼んでくれよ、ママ」


 「じゃあ、久道さん?」


 「なんだい、ともみママ?」


 「そろそろ他の常連様のところにも顔を出したいから、いいかしら?私よりもずっと若い子が相手してくれるわよ」


 「酷いなぁ。ともみママ一筋なのに」


 「奥様がいらっしゃるでしょ?」


 「いいんだよ、政略結婚の相手だ。心から愛しているのはママだけ」


 「はいはい」


 こうして酔っ払いの久道の相手をさせられていたともみだが、相当気に入られていた。


 欲しい物は無いと言っているのに、服や鞄、靴や宝石など、どんどん買ってきてはともみに渡すのだ。


 そんなこんなで、週に4回から5回ほど通うほどになっていた。








 「ママ、今日こそ俺だけを相手にしてくれよ?」


 「あら、じゃあ、さぞかし面白い話でもしてくださるのかしら?」


 「面白い話?・・・ああ、じゃあ、昔の話でもしようか」


 酒がどんどん進むと、久道はぐいっとともみの肩を自分の方に引き寄せて、まるで耳にキスしているかぐらい近くで話そうとする。


 だが、ともみが両手を添えて胸を押し返したため、至近距離での話となった。


 「昔、俺は司法解剖をしていたんだ。これでもちょっと有名な解剖医でね」


 「まあ、素敵」


 「だろ?何年か前、若い男が部屋で死んでて、検視官をしてたのが俺の知り合いの奴だったんだけど、事件性があるかもしれないって言っていたんだ」


 「大変じゃない」


 「ああ。でも、生憎その日は俺しか解剖医がいなくて、俺は俺でキャバクラに行く予定だったんだ」


 「あらやだ、そんな時まで?」


 「唯一の楽しみだったんだ。でも、それは事故で、現場に居た警官が言うには、不審な人はいなかったッて言うんだ。確か、どこから噂を聞いたのか、記者が一人いたらしいが、不審者がいなかったことには変わりない。だから、俺はその知り合いの検視官に金を渡して、自殺だって判断させたんだ」


 「あら怖い。そんなことすると、恨まれるんじゃありません?」


 「はは、恨むって誰が?」


 「んー、分かりませんけど」


 「心配ない。このことは、俺とその知り合いしか知らないことだ。それとママの三人だけの秘密さ」


 グラスが空になったため、ともみはボーイに頼んで酒を持ってこさせる。


 酒が届くと、久道の好みに合わせてサイダーで割り、手渡す。


 「そう言えば、息子さんもお医者さんなんでしたっけ?」


 すぐに久道がグラスを空にしたため、ともみは別の酒を持ってこさせる。


 「そう。これが馬鹿息子で。裏口入学させたんだ。じゃなけりゃあ、あいつに医者は無理だ。あいつが馬鹿なのは女房のせいだな」


 「そういうこと言うもんじゃありませんよ。とっても美人で気の利く奥さんだって聞きましたよ?」


 「ママには敵わないよ」


 「これはお仕事ですから。プライベートではずぼらかもしれないでしょ?」


 「ママと一緒に暮らせるなら、それでも良いかなー」


 「飲み過ぎですよ。今お水持ってきますから」


 ともみは立ち上がって水を持ってくると、それを久道に飲ませる。


 それでも足りそうになかったため、もう一杯持ってきてそれも飲ませた。


 「お気をつけてお帰り下さいね。随分酔っ払っていらっしゃるから」


 「大丈夫だって!じゃあね、ママ!」


 久道が帰ってすぐ、ともみは何か買いだしに行ってくると出かけた。








 「うー・・・」


 その頃、久道は千鳥足で線路の上にある歩道橋を歩いていた。


 古びたその歩道橋は、フェンスの高さもそれほど高くなく、久道程の背丈ならばちょっとバランスを崩しただけで落ちてしまいそうだ。


 「久道さん?大丈夫ですか?」


 「ママ!どうしたんだい!」


 「あまりに飲んでらしたから、心配になって見に来たんですよ」


 「ママは優しいなー!!」


 「私に掴まってくださいな」


 ともみの言うとおりに肩に腕を回そうとすると、ぐるん、と視界が反転した。


 「え?」


 自分の身体が重力に逆らえないのを感じながら、見えていたのは、ただこちらを見つめている誰かの影だった。


 「あなたのような人が、私のような人を作ったのよ。妃先生・・・」








 私は数年前まで定食屋を営んでいた。


 近くには大学があって、そこに通う若者が帰り時間になると沢山来ていた。


 その中に、いつも一人で来ている男の子がいた。


 暗い感じでもなく、きっと一人が好きなんだろうと思っていた。


 彼は常連になっていて、美味しいと言ってご飯を食べてくれるし、時間があるときにはバイトもしてくれていた。


 とても良い子だった。


 それなのに、彼が死んだことを新聞で知った。


 その訃報を報せる記事はあまりに小さくて、きっと気付いていない人の方が多いだろう。


 自殺と書かれていたけど、大学を卒業するとき、これからもっと頑張るんだと言っていたあの彼が、自殺なんてするはずがない。


 最近では定食屋の近くに洋食屋が出来て、あれだけ来ていた大学生たちもそちらへ流れてしまい、店じまいをした。


 たまたま募集していたキャバクラのママになって、しばらくして、彼の事件の関係者を見つけた。


 「助けてあげられなくて、ごめんね」


 店へ帰る途中、人が電車に轢かれたと騒ぎながら走って行く人達とすれ違った。


 「命の重みを知らない人間が、座っていた良い椅子ではなかっただけのことよ」


 「ママ、おかえりなさい」


 「ただいま。ほらこれ、生理用品はボーイの子に頼めないでしょ?」


 買い物をしてきたその袋を見せると、ともみは柔らかく微笑んだ。


 『昨日の夜、酔った男性が歩道橋から線路に転落し、そのまま電車に轢かれて亡くなりました』




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