第2話 夢じゃなかった
—―夢じゃなかった。
翌日目を覚ますと、昨日のメイドさんがいた。
ずいぶんはっきりとした夢だなと思いながら彼女の名前を聞いたところ、これがまた失敗だった。彼女は手にしていた銀の盆を落とし、恐ろしい形相を浮かべながら目から涙をこぼしている。
私、なにかしたか!?
そこからが大変で、おそらく両親と思われる人物が飛び込んできて私の体を揺さぶり脳みそシェイクをしたり、のちにやってきた白髪の男性に揺さぶりをやめるよう慌てて引き留められたり。のちにその男性が医者と分かるも、私の診察をしては小さくため息をつき首を横に振ったり。
最終的に、
「おそらく短期的な記憶障害でしょう」
医者がそう言うと、その場にいた一同がおいおいと泣き出すのだ。
泣きたいのはこっちだ。当たり前のことを聞いたのに、なんでこっちが泣かれなくてはならないのだ。それに、やはりルネちゃんがいないのが気になる。そもそも私の姿が本来の森菜のものではないので、ルネちゃんがいないのはまた必然かもしれない。しかしながら、たとえ出張だろうが何だろうがどこにでも一緒に連れて歩く彼女がいないとなると、こちらが落ち着かないのだ。
ようやく医者が帰ると、おそらく母親と思しき女性が私の手を握った。
「モネ。安心してね。すぐによくなるからね」
「え、あ、……はい」
やはりモネというのが私の名前らしい。「ええと、お母様……? でいいのかしら」
尋ねると彼女は「ええ、ええ! そうよ!」と声色を明るくして首を縦に振る。
「よく分からないのだけれど、ここはどこかしら……?」
また泣くかもしれないと思いながら尋ねると、彼女はそれ以上泣いたりわめいたりせず、穏やかな声で教えてくれた。
まず、私の名前がロンバルディ・モネという名であること。年は十三歳。ちょうど一週間後に成人の議を控えているという。この国はトゥーランドといい、十三歳になれば誰もが成人と認められ、必ず何らかの職業に就くことが定められている。その職業を決めるのが成人の議、という訳だ。
母親はロンバルディ・マイヤといい、ロンバルディ家の女主人であること。父は婿養子で、トゥーランドでは名の知れた商会を営んでいること。メイド服の彼女はリサといい、モネの乳母にあたること。
マイヤ様はざっくりとこのようなことを教えてくれた。
なるほど、と私は思う。
「でも、この体調じゃあ成人の議は無理かしら……まだ熱も下がり切っていないし」
「だ、大丈夫、です。あと一週間もあれば、きっと熱は下がると思うの」
しょんぼりと肩を落とすマイヤ様に、私は慌てて言った。「ええと、少し横になってもいいかしら。なんだか疲れちゃって」
私の言葉に、マイヤ様は「そうね」と言い、優しく私をベッドに横たえさせる。布団をかけながら、彼女は瞳をきゅっと細めた。
「心配いらないわ。おやすみなさい、モネ」
ぱたん、と扉の閉まる音。
それを聞いてから、私は天井を仰ぎながらこれからのことを考えた。
夢にしてはずいぶん細かい設定である。なんでこんなことになったのか――。
なにか心当たりはあるだろうか。森菜の記憶をたどってみることにした。
確かあの日は帰宅が深夜に及んでしまい、疲れてふらふらしていたような。そして、なんだっけ。ええと、車のライトが突然光ったかと思ったら、そこで――
「……事故?」
私は思わずつぶやいた。
そうだ。思い出した。
あの日自宅に帰る途中、突然飛び出した車に轢かれたんだ。
そこからの記憶はない。ということは、私はもしかして、死んだのだろうか。だとすると納得がいく。
ここはきっと死後の世界、もしくはこの頃はやりの異世界転生というやつではなかろうか。しかし、単純な転生であれば赤子からのスタートではなかろうか。もしかしたら、たまたま熱にうかされたのをきっかけに森菜の記憶が呼び起されただけで、今まではそんなことも忘れていて――?
だとすると、だとすると。
ぐるぐるする頭の中で私は考える。
ルネちゃんにはもう会えないの?
たくさん抱えたドールたちを愛でることも?
お洋服を縫ってあげることも?
外に連れ出して写真を撮ることも?
ドール仲間との交流も?
全部? 全部?
もう、なにもできないってこと――!?
「もうやだ死にたい……」
現実を突きつけられて、私は思わずうなだれた。違った、もう死んでたんだった。
ドールオタクだから現代のオタク事情にもそこそこ詳しいけれど、こういう異世界転生をしたときって、ドール事情はどうなっていたんだっけ? というか、ドールが主体の異世界転生って、なくない??
しまった、と私は思った。マイヤ様に、「この国で一番人気のドールは何ですか」って聞けばよかった。失敗した。カムバック、私の生きがい。カムバック。
ぐすん、と私は思わず泣いてしまった。ドールのいない世界など生きていたってつまらない。いっそ窓から飛び降りてしまおうか。そうしたら、ワンチャン元の世界に戻れるかも。そうしたらルネちゃんにも会えるかもしれない。
私はベッドからそろりと抜け出すと、部屋の窓に近づく。そして、そっと外へと目を移したのだった。
……だめだ。この部屋は一階だ。
ならば、と私は窓を開けた。それほど高さはないため、子供でも軽々と抜け出せそうだ。
私は思い切って、窓から飛び出した。
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