第3話 理屈などない





インヴィズィブル・ファング伍

理屈などない




 人の世に道は一つということはない。


 道は百も千も万もある。


           坂本龍馬






































 第三牙【理屈などない】


























 「何か用?」


 「何か用?じゃないだろ、レイニ―」


 「だって俺学生だよ?前にも言ったけどさ。用がないなら呼ばないでほしんだけど」


 レイニ―を読んだジェロニカとシーナだったが、呼ばれた当人はだるそうだ。


 それもそのはずで、レイニ―は丁度試験の真っ最中だったのだ。


 まあ、日頃から勉強などしなくてもある程度出来るし、成績など特に気にしていないレイニーにしてみれば、呼ばれても平気なのだが、それでも余計なことはしたくないようだ。


 「シャルルとミシェルを捕まえたでしょ?それで、ぬらりひょんと魔法界の空也って男に来いって言ったんだけど、全然応じないのよ。なんでかしらね?」


 「・・・なにそれ。それで俺を呼んだわけ?まじ?」


 「レイニ―の力が必要なのよ。ちょっとだけ手伝ってよ」


 「はあ・・・。さっさと終わらせてくれるなら」


 シーナとジェロニカは、ぬらりひょんと空也にそれぞれ、シャルルを捕まえた、ミシェルを捕まえたと言ったのだが、未だに何の連絡もないようだ。


 本当に知り合いなのかと聞きたくなるほど、完全なる無視をされている。


 「それで、レイニ―から何か知恵を貸してもらえないかと思ったんだ」


 「・・・ないな」


 「即答ね」


 「そいつらがどういう奴等か知らないけど、応えないってことはそういう答えだってことだろ」


 やれやれと呆れたようにそう答えたレイニ―は、欠伸をしながらスカーフを口まで覆った。


 「それもそうね」


 「なら、さっさと磔にしておくか」


 ぬらりひょんも空也も何も返事をしてこないため、ジェロニカたちはシャルルたちを殺すことを伝えた上で、その準備をしていた。


 「ほら、起きてよ」


 足でコツン、と倒れているヴェアルを起こしたシーナは、確かに折ったはずの手足が治りかかっているのを見て感心した。


 ズルズルと強引にヴェアルを引きずっていくと、そこにはもうミシェルがいた。


 ミシェルは球体に入ったままの状態で、なぜだかぐったりとしていた。


 「ミシェル・・・?」


 ぴく、と指先が動き、ミシェルがゆっくりと目を覚ますと、そこにはヴェアルがいた。


 『ヴェアル!!』


 だが、球体に手を触れただけで、そこが焼けるように痛い。


 球体から離れながらも球体の中央で大人しくしていると、一旦ジェロニカが何処かへと行った。


 そしてレイニ―と共にシャルルを連れてくると、シャルルを赤い十字架にはりつけた。


 なんとも不気味な色をしたその十字架に、ヴェアルとミシェルは思わずゴクリと生唾を飲み込んだ。


 ジェロニカがシャルルの近くまで寄ると、レイニ―は壁に背中をつけて、腕組をしながら首を少し曲げてそちらを見ていた。


 「よーく見ておきなさい」


 ヴェアルとミシェルの近くにいるシーナが、2人に向かってそう言った。


 2人の顔を見ることはないが、シャルルの方を見たまま、ぺろっと舌で唇を舐める。


 ジェロニカの手には切れ味が良さそうな剣が握られており、それをシャルルの腕に当てると、一気に切り裂いた。


 「・・・!!!!!」


 『シャルル・・!!!』


 「ふふ」


 まず、シャルルの腕が斬り落とされた。


 斬り落とされた腕は重力に沿って地面に落ち、ジェロニカはそれを見て満足そうに蹴飛ばした。


 腕の次は、足だった。


 シャルルのご自慢、だったかは知らないが、長く綺麗な手足がいとも簡単に斬られて地面に落ちて行く。


 それはあまりに容易くて、それはあまりに虚しかった。


 「さてと、次あたり首いくか」


 「ま、まて・・・!!」


 「なんだ、最期に別れの言葉でも言うのか?」


 ジェロニカがシャルルの首を切ろうとしたとき、ヴェアルが声を張り上げた。


 シャルルの知り合いだとかいう、そのぬらりひょんとか言う男のことなんて、ヴェアルは知らないが、シャルルが殺されそうになっているというのに、来ないなんてなんて奴だ、という想いだ。


 このままシャルルが首を斬られてしまったら、それこそ一貫の終わりだ。


 ヴェアルは時間を稼ごうとしたのだが、それは出来なかった。


 「ねぇなら終わりだ」


 「シャルル!!!!」


 『シャルル!!止めてよ!!!』


 「俺達の役に立たねえなら、ここで死ね」


 振り下ろされた剣は、シャルルの首にあてがわれた。








 「なんだ・・・!?」


 シャルルの首を斬り落とした瞬間、シャルルの首から出てきたのは血飛沫、ではなく、黒い姿をした蝙蝠だった。


 何が起こったのか分からず、ジェロニカは辺りを飛び続ける蝙蝠たちに向かって剣を振りまわし続ける。


 「くそっ!!!なんだよ!?」


 「ジェロ!?何があったの!?説明してよ!」


 「俺にも分からねえよ!!」


 蝙蝠達が引いていくと、ジェロニカはシャルルの死体をまず探した。


 「あ」


 シーナの近くにいたヴェアルとミシェルに異常があったのは、それからすぐのことだった。


 ヴェアルを捕えていた赤い輪は壊れてしまい、ミシェルを捕まえていた赤い球体も弾けてしまった。


 ヴェアルもミシェルも自由になると、シーナは再び2人に赤い液体の霧吹きをかけようとしたのだが、何かにそれを弾かれてしまい、落としてしまった。


 「おいおい、どうなってるんだ?」


 「こっちが聞きたいわね」


 簡単に今の状況を説明すると、ヴェアルとミシェルは自由の身となっており、シーナとジェロニカの前にはなぜかシャルルがいた。


 レイニ―はそれをただ眺めている。


 「シャルル、お前ぇ、どうなってんだ?」


 「説明が必要か」


 「当たり前だろ。なんで手足も斬ったはずなのに、くっついてんだ?」


 「・・・・・・」


 すると、シャルルは面倒臭そうな顔をしながら、あるものを取り出した。


 それはシーナが持っていた霧吹きにも良く似たものだった。


 しかしそれが何だかわからずに、シーナとジェロニカは互いの顔を見合わせて首を傾げていた。


 それを見て、シャルルは盛大なため息を吐いた。


 「これはあの男の血液に対する、謂わば抗体液だ」


 「抗体液・・・?そんなもの、この世に存在するはずがない」


 「存在するはずがない・・・。それはあまりに滑稽な言葉だ」


 「なに・・・?」


 剣を握ったまま、ジェロニカは顔を険しくする。


 ヴェアルたちはすぐにシーナたちから離れると、シャルルの方へと歩み寄ってきた。


 レイニ―はただ腕組をしたまま、じっとしている。


 「確かに、マクロイヤの血は俺たちとの相性が悪い。すっかりやられた。だがな、マクロイヤを噛んだときに俺の体内に入ったそいつの血液のお陰で、俺の体内にはマクロイヤの血液に対する免疫が出来た。それを抗体液として自分の身体から出し、こいつらに吹きかけた。ただそれだけのことだ」


 「レイニ―の血液の免疫が、お前の身体の中で出来ただと?そんなことあるわけない!有り得ない・・・」


 「有り得ないというのは、何を以て言っている?所詮は人間の血だ」


 「レイニ―は特別だ・・・!!お前等を倒す為に見つけた、唯一のシルバーブレッドだぞ!!!」


 「ジェロ、落ち着いて」


 ジェロニカの言うとおり、シャルルを倒す為にやっと見つけたのがレイニ―だ。


 今日この日のためだけに、全世界を回って見つけ出した逸材といっても過言ではない。


 それだというのに、僅かな期間でその免疫を作りだし、自らの血液を使って対抗液を作ってしまうとは、なんという男だろうか。


 シャルルのことを甘くみていたわけではないが、ここまでとなると、最早何をして良いのか分からない。


 「バビロンとか言ったな。貴様、よくも俺の身体を切り刻んでくれたな」


 「結果斬ってないけどな」


 ふつふつとわき上がるシャルルへの憎悪の一方、正々堂々と戦えるという愉しみもあった。


 シーナはそれに気付いたのか、ふう、と小さく息を吐くと、ヴェアルの方へと歩いていった。


 握っていた剣を放り投げたジェロニカに向かって、シャルルは続ける。


 「俺の身体はまた進化した。貴様らのお陰でな」


 瞬間、ゾクリと感じた寒気。


 ジェロニカは、無意識のうちに一歩後ずさっていた。


 「散々痛めつけてくれたんだ。礼をしないとな」








 「・・・俺の力でお前を殺せるなら、それもまた良しだな」


 そう言うと、ジェロニカは上半身の服を脱いだ。


 そこには無数の目がついていた。


 ちゃんと数えてはいないが、きっと100ほどあるだろうか。


 よく見てみると、頭の後ろや首の後ろなどにもついているようだ。


 「貴様の相手は俺ではない」


 「なんだと・・・!?」


 「そうよ!」


 シャルルとジェロニカの間に割って入ってきたのは、火傷の跡がまだ薄らと残っているミシェルだった。


 「あんたなんか、シャルルじゃなくて私が相手してやるわよ!!!よくもモルダンとの大事な時間を、こんなことで潰してくれたわね!!!!」


 「それは俺じゃないだろ」


 「関係ないわ!!!!」


 ミシェルはジェロニカに向かって何度も魔法をかけるが、上手くいかない。


 「もー!!なんなのよあんたは!!」


 「はは!俺のことわからないまま、勝てると思ってるなんて目出たい奴だな!」


 ミシェルはジェロニカに向けて、幾度となく魔法をかける。


 しかし、それらはなぜかジェロニカには当たらず、途中で消えてしまったり、ミシェルに戻ってきた。


 「これならどうだ!!」


 今までの鬱憤を晴らすかのように、ミシェルはジェロニカの周りに爆薬をしかけた。


 それを爆発させようとしたとき、ジェロニカがニヤリと笑って何か言っているのが聞こえてきた。


 「勘弁してくれよ。そんなもん受けたら、俺死んじまうよ」


 「・・・?」


 こいつはなにをそんな悠長なことを言っているんだろうと思ったミシェルだが、ジェロニカの周りの爆薬を爆発させる。


 一発くらいは当たったかと思っていたら、煙の中から現れたジェロニカは無傷だった。


 「どういうこと・・・!?」


 「俺はひねくれてるからさー」


 ケラケラと笑いながらそう言うジェロニカだが、身体全身には目がついており、それらはそれぞれ違う箇所を見ているため、なんだか気味が悪い。


 というか、はっきりいって気持ち悪い。


 死角から狙っても攻撃を避けられてしまうのは、きっとあの目のせいだろう。


 ミシェルはしばらく考え、そして、覚悟を決める。


 「やるっきゃないわね」


 「お?なんだ?」


 「やらなきゃ、女じゃないわ!!!」


 そう叫ぶと、ミシェルはジェロニカに向かって再び杖を向ける。


 それを余裕そうに見ていたジェロニカだったが、ミシェルが呪文を発すると同時に杖から発せられたのは、単なる物理的攻撃ではなかった。


 「・・・!?」


 それは、まるで太陽を直視したときのような眩しさだ。


 「くっ・・・!目が・・・!」


 一方向からでは影が出来てしまうため、ミシェルは四方八方からその強い光を発し、ジェロニカの目を眩ませる。


 真っ白に見えてしまうその景色に、ジェロニカはなんとか光を遮断させようとする。


 しかし、その間にミシェルはジェロニカの周りに音を遮断する壁を作る。


 遮断するというか、吸収するものだ。


 ようやく光が収まったかと思って目を開けると、そこには壁が聳え立っていた。


 壁に囲まれた状態にあるジェロニカに向かって、ミシェルは影から攻撃をしていく。


 「こんなんで、俺をやれると思うなよ!」


 しかし、ジェロニカの声は壁によって消えてしまい、ミシェルには届かなかった。


 ミシェルの攻撃を受けそうになったジェロニカだが、100はある目のお陰で、何処からどのような攻撃がくるのかが瞬時にわかり、避けることが出来た。


 「もう!あの気味悪い目のせいで!あれ、どうにかならないかなぁ・・・」


 通常2つしかない目をつぶらせるには、縛るなり強制的に閉じさせるなり出来るかもしれないが、100もの目となると別だ。


 ミシェルは攻撃を続けながらも、ジェロニカの目をどうにか出来ないかと考えていた。


 「きゃあああ!!!」


 自分で攻撃した魔法が、自分に跳ね返ってきてしまった。


 ミシェルはなんとも情けない気持ちになりながら、は、と思った。


 「・・・一か八かね」


 ミシェルは立ち上がると、壁の中にいるジェロニカに向かって、真っ直ぐに杖を向ける。


 そして何か呪文を言ったかと思うと、ジェロニカの周りには何かが現れたが、ジェロニカはそれにもすぐに気付く。


 「はは。俺を相手に死角をついても・・・」


 急に言葉を止めてしまったジェロニカに、ミシェルは別の魔法をかける。


 「これで死角もなにもないでしょ!!」


 「くそ!!このガキ!!!」


 「ガキじゃないわ!!!」


 ジェロニカは最後、ミシェルの魔法によって全身を包帯でぐるぐる巻きにされてしまったようだ。


 ミシェルが何をしたかというと、ジェロニカも男だという点をついたのだ。


 ミシェルはジェロニカの周りに100もの女性を出現させ、つまりは1つの目が1つの女性に向くように仕掛けたのだ。


 全ての目が女性に移ったその時、ミシェルは目を一気にガムテープで隠してしまったのだ。


 もちろん、通常の目もだ。


 これで死角もなくなり、見えるはずの目も全てなくなってしまったジェロニカを、最後の仕上げに包帯でミイラのように巻いてしまったのだ。


 動きを封じると共に、声も目も、全てを封じることに成功したのだ。


 「一丁あがり」


 へへん、とミシェルは壁を消して中にいるジェロニカをこそっと見ると、そこには大人しくしているジェロニカがいた。


 近づこうとしたが、急にバタバタと暴れるため、ミシェルは放っておくことにした。


 「それにしても、本当に男ってやつは馬鹿ね」


 女性、といってもとってもグラマラスで綺麗でかわいらしい女性を出現させただけで、これだ。


 ラッキーとでも言うのか、情けないというのか。


 これが空也だったら納得してしまうところなのだろうが、世の中の男みなこうなのかと、ミシェルは肩をがっくり落とすのだった。








 「荒っぽい男は好きよ?ヴェアル」


 「ああそう」


 シーナと向かいあっているヴェアルは狼男に姿を変えていた。


 シャルルの対抗ある液を浴びたあと、なぜだか身体が軽くなった。


 ぐわっとシーナに殴りかかると、シーナはそれをひらりとかわすだけで、一向に攻撃をしてくる気配がない。


 そういえばと、シーナはヴェアルの首に噛みついてきたことはあったが、強い攻撃をしてきたことはなかった。


 避けるだけで攻撃力としてはそれほどないなら、難しい相手ではない。


 そう思い、ヴェアルはシーナに突っ込んでいくと、シーナが小さく笑ったような気がした。


 「・・・!?」


 ひょいっとヴェアルの攻撃を避けたシーナは、ヴェアルの足を掴むと、その細い腕からは想像も出来ないほど強く放り投げた。


 瓦礫の中に放り投げられたヴェアルは、自分の身に何が起こったのかと、呆然としたままシーナを見ていた。


 「あら、驚いた?」


 「・・・今、何を・・・?」


 狼男となったヴェアルの身体を、そう易々と投げられるはずがない。


 それも、女性が、だ。


 シーナは細く長い綺麗なその小指を自分の真っ赤な口紅がついた口元まで持っていくと、それを同じように真っ赤な舌で舐めた。


 ヴェアルを見てクツクツと笑うと、腰を捻って女性らしい体つきを見せつける。


 その時、ヴェアルはふと思い出した。


 自分が最初に捕まってシャルルのもとへ連れて行かれたとき、シャルルとミシェルの前に投げられた、あの大岩のことを。


 「もしかして・・・あれって」


 「ごめんなさいね。私、こう見えて力持ちなの」


 語尾にハートマークをつけながらそう言うシーナに、ヴェアルはぐっと奥歯を噛む。


 あんな大きな岩を投げたのはジェロニカだろうと勝手に思っていたヴェアルは、目の前にいる女性らしいのに女性らしからぬその女に対し、対抗心さえ出てきた。


 「なら、遠慮しなくて良いってことか」


 ヴェアルとシーナの攻防は続いた。


 普通の女性相手ならば、ヴェアルが本気を出せずに負けるか、女性がすぐにやられてしまうかだというのに、シーナはヴェアルに喰らいついていた。


 岩から木から人間から建物まで、ありとあらゆるものを簡単に持ち上げ、それをヴェアルに向かって投げてくる。


 その姿はまるで、女性というにはあまりに豪快すぎる。


 「くっ」


 「ちょっと、これくらいで終わりにならないわよね?もう少し楽しませてよね」


 余裕そうにそう言うシーナは、ヴェアルの周りを俊敏に動き回る。


 シーナからの攻撃を受けて避けて、その隙をついての攻撃ではヴェアルにとってあまりに不利だった。


 そんなことを思っていると、急にシーナの顔が目の前に現れた。


 「・・・!?」


 「・・・・・・」


 すぐそこにシーナの顔があるかと思うと、ヴェアルはシーナにキスをされていた。


 しかし、それはただのキスではなかった。


 ヴェアルの精気を吸いとれるだけ吸い取ろうとしているのか、シーナはヴェアルの首に腕を回し、ぐぐっと顔を押し付ける。


 ヴェアルはそれから逃れようとなんとか抵抗を続けるが、シーナの力があまりに強く、解放されたのはほとんど力が抜けた後だった。


 「うっ・・・」


 「ふふ」


 ぺろっと舌で唇を舐めとるシーナとは裏腹に、ヴェアルは力が出ないのか、立ち上がることさえままならない状況だ。


 「このまま楽に死なせてあげるわ」


 「・・!!」


 シーナは勢いをつけてヴェアルに殴りかかる。


 しかし、ヴェアルは身体を引きずりながらもなんとか避ける。


 スレスレのところでシーナの攻撃から避けているように見えるヴェアルだが、実際は違うようだ。


 シーナはヴェアルが避けられるような攻撃をしている。


 それに気付いているから、ヴェアルも悔しそうな表情を浮かべたまま、一歩一歩、後ろへと下がっているのだろう。


 「危ないわよ。後ろ、崖よ?」


 「・・・・・・知ってる」


 はあはあ、と息を荒げているヴェアルの前で、シーナは首を傾けて色っぽくヴェアルを見ている。


 ヴェアルはちらっと後ろを見ると、自分で言っておいてなんだが、そこには崖という名にふさわしい崖がある。


 下はどうなっているか分からないが、このままでは前門の虎、後門の狼といったところだろうか。


 ヴェアルはふう、と小さく息を吐いた後、一度シーナの方を見た。


 「?」


 それに対して首を傾げたシーナだが、目の前にいたヴェアルは、シーナの前から急に姿を消した。


 いや、消したわけではない。


 シーナの前、つまりはヴェアルの真後ろにあった崖に、自ら落ちていったのだ。


 「!?」


 それにはさすがにシーナも驚いたようで、目を大きく見開いて、ヴェアルが落ちた崖の方へと走って行く。


 そこは急な崖になっており、シーナだって落ちたら無事では済まないだろう。


 シーナは一度両膝を地面につけ、落ちないように極力注意をしながらも、ヴェアルが本当に崖から落ちたのかを確かめようとする。


 顔だけを崖から向こう側に伸ばして見ると、そこから下はシーナもほとんど見たことがない景色だった。


 そしてその中にもう一つ見た景色があった。


 「なっ・・・!?」


 ヴェアルが落ちた崖の下には、もう一段崖のようなものがあり、そこはシーナがいる崖から見ると死角になっていて見にくいが、確かに見える。


 そこにいたヴェアルは、覗きこんできたシーナを見ると一瞬笑い、脚力を使って一気にシーナに飛びかかってきた。


 急いで避けようとしたシーナだが、正座のような体勢をとっていたからか、すぐには動けず、そのままヴェアルに頭突きをされた。


 「い・・・・なにすんのよ」


 額に手を置きながら、涙目になってこちらを見ているシーナ。


 怪力とはいえども、やはり弱点というのは変わらないようだ。


 あまりに久しぶりに、というかきっと初めてといって良いくらいの強い頭突きを喰らったせいで、シーナはゆっくりと立ち上がると、そのまま後ずさる。


 その隙に、ヴェアルはシーナを回し蹴りする。


 「くっ・・・!!」


 シーナは目つきを鋭くさせると、体勢を整えてヴェアルに攻撃をする。


 ヴェアルも精気を吸われているため、それほど機敏には動くことが出来ずにいたが、なんとかかわしていた。


 ヴェアルがよろめいた時、シーナはそれを見逃さず、隠し持っていたナイフを取り出した。


 しかもそれは、普通のナイフではない。


 レイニ―の血で作った、赤いナイフだ。


 それをブンブンと振りまわしながらヴェアルに近づいて行くと、さすがにヴェアルは攻撃は出来ないだろうと思ったのだ。


 しかし、ヴェアルは器用にナイフを蹴ったかと思うと、そのナイフの刃先は折れてしまった。


 「なんですって・・・!?」


 折れてしまったナイフを見て、唇を噛みながらナイフを捨てると、シーナはヴェアルに向かってきた。


 拳をつくり、ヴェアルを殴る。


 それをヴェアルが避けると、今度は蹴りを入れてくる。


 そんなことを繰り返していると、ヴェアルの足が一瞬鈍った。


 これはチャンスだと、シーナは一気にヴェアルに向かって蹴りを入れると、それは見事にヴェアルの顔に入った。


 よし、と思ったのも束の間、ヴェアルはそのシーナの足をがしっと掴むと、シーナを振りまわした。


 「やt・・・やめっ・・・!!」


 遠心力とヴェアルの腕力によって、シーナの身体は隠れ家の壁にめり込んだ。


 「うっ・・・」


 それでもなお、シーナはヴェアルに立ち向かって来ようとした。


 「こんな・・・ところで・・・」


 ドス・・・


 まだ立ち向かって来ようとしていたシーナの腹に、ヴェアルは止めの一撃と入れた。


 といっても、手加減をしてだ。


 そのまま気絶をしてしまったシーナの身体を受け止めると、ヴェアルはシーナの身体を横にした。


 「ふう・・・」


 まだ完全には力が戻っていないヴェアルの背後に、いきなり何かが現れた。


 「!?」


 勢いよく振り返ってみると、そこに立っていたのは、もう戦いを終えたミシェルだった。


 ヴェアルとシーナの戦いの一部始終を見ていたようで、目を細めてヴェアルのことを見ていたかと思うと、大きく息を吐いた。


 「甘いわね」


 「そうか?」


 「そうよ。もっと全力で戦っても良かったと思うわよ?」


 「・・・・・・」


 ミシェルの厳しい言葉に、ヴェアルは元の姿に戻りながらはにかんだ。


 その顔は、いつものヴェアルのもので、ミシェルは安心してまたため息を吐いた。


 すると、ヴェアルはこう言った。


 「さすがに、女相手じゃ本気で戦えないよ」


 「え、何?あれだけ怪力の女だったのに、ヴェアルってばまた本気出さなかったの!?はー、本当にお人好しって言うか、なんていうか・・・」


 「しょうがないだろ?幾ら怪力っていったって、女の筋力じゃ俺には勝てないし」


 「っかー。これだからヴェアルってばシャルルに馬鹿にされるのね。まあ、それがヴェアルの良いところでもあるけどね」


 「それより、バビロンは?」


 「あんな奴、肉巻きにしてやったわ」


 そう言ってミシェルが指を指した方向には、包帯でぐるぐる巻きにされたジェロニカがいた。


 それを見て、ヴェアルはただ同情の目を向けるのだった。








 彼らの戦いを、至って冷静に見ていた男が2人、ここにいた。


 「・・・あのシーナが力勝負で負けるなんてな」


 「当然だ。本来、あいつはそう簡単にやられる奴ではない。俺と対等にやり合えるだけの力は持っているのだ。ただ、あいつは甘い。だから格下相手にも苦戦する。それだけのことだ。幾ら力自慢が来ようとも、本気を出せばあいつに勝てる奴はそうそういないだろう」


 「へー、そうなんだ」


 ちゃんと聞いているのか、それとも聞き流したのか、レイニ―はあっさりとそう言った。


 シャルルとて、ただの人間相手であれば、これほどまでに追い詰められなかっただろうが、レイニ―の血にはまだ抵抗がある。


 幾ら身体の中に抗体が出来たとはいえ、それは少量の血には対抗できても、それが全身に流れている身体に直接噛みつけば、シャルルとてどうなるか分からない。


 それを知っているからか、レイニーも特にシャルルを恐れる様子はない。


 「シャルルだったか。お前は俺にどうやって勝つ心算だ?」


 「なに、心配するな。俺の身体は日々進化する。貴様のお陰で俺の身体には抗体が出来た」


 「ならどうしてさっさと俺に噛みつかない?まだ免疫は出来始めだから、身体の中で抗体を作ってる最中なんじゃないのか?だとすると、完全に免疫が作られたとは言えない」


 「・・・ごちゃごちゃと五月蠅い奴だ」


 すると突然、2人がいる場所の空からだけ、雨が降ってきた。


 それも、真っ赤な雨だ。


 レイニ―の血で出来たその雨がシャルルの身体に触れると、シャルルは自分の力が抜ける感覚になる。


 きっと免疫が作られる前のシャルルであれば、意識朦朧としていることだろう。


 「辛いだろうに、顔には出さないか。そういうのを、ポーカーフェイスっていうんだ。知ってるか?」


 そんなシャルルを見て、レイニ―は少しだけ、本当にほんの少しだけ笑った。


 それが気に入らなかったのか、シャルルもニヤリと口元を歪めて笑い返した。


 「人間とは愚かで浅ましく、また儚い生き物だ。その中で貴様のような存在が生まれてしまった。人間の世界で、ただの人間として生きて行くには、あまりにも困難な身体を持ってしまったものだな。哀れでならん」


 「・・・愚かで浅ましいのは、人間だけじゃない。お前等だって同じようなもんさ」


 人間のことを下等だと思っている存在と、そう言う存在を恐れ忌み嫌っている人間と。


 互いが互いを認め合わない者同士は、永久にその理解をし合えない状況を保ったまま、ただ時間だけが過ぎていく。


 「誰もが、生きて行くうちに、他人に憎しみや嫉妬をもつ。自分にはないものだけを見つけ、強欲に欲する。それは俺達人間だけに限ったことじゃない。お前等だって、人間と同じように感情や欲望に身を任せて動くだろ?」


 そう言いながら、レイニ―は何かを取り出した。


 それは、黒く光る拳銃だった。


 レイニ―が今いる場所では拳銃の所持は赦されていないが、以前いた場所では持っているのが当たり前だった。


 そのまま持ってきていた拳銃をシャルルに向けると、銃弾のところには、自分の血で出来た銃弾を込める。


 「どうでもいいけど、俺は人間の世界に帰らせてもらうよ」


 「勝手な奴だな」


 レイニーはシャルルに銃弾を浴びせようと引き金を引く。


 しかし、雨に濡れて力が出ないはずのシャルルは、その銃弾を軽く避けると、一気にレイニーに近づく。


 「・・・!!!」


 そして、レイニ―は倒れた。








 「シャルル、こいつらなんだったんだ?結局本にも載ってない、もしかして新種だったとか!?」


 「ヴェアル、お前の脳内は何で出来てるんだ」


 「シャルルと同じだと信じてる」


 レイニ―は人間の世界に戻し、シーナとジェロニカは何処かに送り届けたようだ。


 ヴェアルとミシェルはシャルルのもとへ行くと、早速気になっていたそのことを聞いた。


 「ジェロニカ・バビロン。あいつはアルゴスと天邪鬼の混血種だ」


 「あ、アルゴスって、何?天邪鬼?」


 聞き慣れない単語が聞こえてきて、ヴェアルもミシェルも首を傾げる。


 ふう、とそんな2人を見てため息を吐いたシャルルだが、一応説明はしてくれる。


 「アルゴスというのは、全身に100の目を持つと言われている怪物だ。天邪鬼というのは、いたずらで逆さまのことを言うと言われている鬼だ」


 「なんかよく分からない。ヴェアル、今ので分かった?」


 「分からないけど、天邪鬼・・・?バビロンって逆さまのこと言ってたか?」


 「バビロンの場合は多分、ひねくれた言葉を発していたんだろう」


 「・・・まあいいや。で、後は?」


 「シーナ・ドミュレ。奴はリリスとラミアの混血種だ。どうせ分からんだろうから説明をすると、リリスとは男の精気を吸う怪物で、ラミアとは子供や男の生き血を好む怪物のことだ」


 「怪力だったのはなんでだ?」


 「知るか。鍛えたんじゃないのか」


 ジェロニカの、身体にあった気持ち悪い程の目のことも、どうしてミシェルの魔法が当たらなかったのかも。


 また、シーナの吸血鬼のような行動も、男を騙せるだろう容姿を持っていたのかも。


 ようやく理解出来たヴェアルとミシェルは、なんだ、と安心してその場に座った。


 「なるほどね。混血種だったから、本には載ってなかったんだ」


 「そういうことだ。混血種などそうそういない。自分たちの種族だけの子孫を残そうとする奴らが多い中、血を交えてまで存命が危うくなっているということだろう」


 別の種族と血を交えるということは、それだけ自分達の種族の血が薄まるということだ。


 それに、生まれてくる子が必ずしも半分半分で産まれてくるとは限らない。


 十と零で産まれてくることもあるだろうし、五と五かもしれないが、それは産まれてくるまで分からない。


 それでも血を交えるということは、それだけ単体の種族では生きて行くのが困難になっていることを示しているに等しい。


 「しかもバビロンは東洋と西洋の血の混血ってことだよな?すげー。そんな珍しいもの、本には載らないってか、誰も知らないだろうしな」


 「ねえ、なんで私達はレイニ―の血であんなにダメになっちゃったの?」


 ふと、ミシェルが聞いた。


 ダメになった、という表現が適切なのかは不明だが、シャルルの眉間のシワが増えたところを見ると、適切ではなかったのだろう。


 「・・・レイニ―・昴邑・マクロイヤ。奴の血は“シルバーブレッド”と呼ばれている」


 「シルバー・・・、って何?」


 ミシェルがヴェアルに聞くが、それよりも先にシャルルが口を開いた。


 「銀の銃弾。要するに、俺達のような存在に唯一効くとされている弾丸のことだ」


 レイニ―の場合は、体内の血がそれに匹敵する力を持っていた。


 シャルルの話によると、レイニ―の血にはシャクヤクと桃の成分が入っていたようで、シャクヤクにしても桃にしても、神聖で鬼避け、悪避けのような作用があると言われているらしい。


 「その成分のせいで、俺達は弱っちまったのか。それにしても・・・」


 そう言って、ヴェアルがシャルルの方をちらっと見て笑う。


 シャルルは不機嫌そうに目を細めてヴェアルを睨みつけていると、ヴェアルはこう続けた。


 「だってさ、シャルルはそういうのも平気だと思ってたから。なんか安心したよ。まあ、それに関してももう免疫が出来たなら、シャルルにはもう弱点ないってことだろうけど」


 「・・・・・・」


 「ねえシャルル」


 ヴェアルの言葉に対しては何も返事をしなかったシャルルに、ミシェルが尋ねる。


 「レイニ―は、殺しちゃったの?」


 「・・・・・・」


 レイニ―は人間の世界に帰ったと聞いたが、レイニーが生きていたのか、それともそうじゃないのか、それは聞いていなかった。


 普通に考えれば生きて帰った、ということだろうが、シャルルがレイニ―に噛みつき、結構な時間血を吸っていたのを見ていた。


 その後、レイニーはぱったりと倒れてしまったのだ。


 それにシャルルのことだから、自分の弱点と成り得るものをそのままにしておくとも考えにくい。


 だからといって、これまでにシャルルが敵になった全員殺したのかと聞かれると、それは無いのだ。


 レイニ―のことを心配しているわけではなく、シャルルのことを心配しているミシェルの表情はとても不安そうだ。


 シャルルは小さくため息を吐くと、こう答えた。


 「殺してはいない。ただ、貧血状態にしたのは間違いないがな」


 「貧血状態?なんで?」


 「貧血よりも状態としては酷いかもしれないが、献血が必要になれば、他の普通の人間の血が混じるだろう。そうなればあの血も薄まり、奴も普通の人間として過ごせる。なにより、今後俺に刃向かおうなんて考えないだろうからな」


 やはり殺してはいなかったことを確認すると、ミシェルとヴェアルは互いの顔を見て、嬉しそうに笑った。


 シャルルはやはりシャルルだったと。


 何があっても、最終的には決して残酷にも冷酷にもなれないのだ。


 口先だけはいつも刺々しいことを言うが、それはきっと、シャルル自身というよりも、権力や地位を持っているグラドム家の名を守るためのことなのだろう。


 それらのしがらみも、捨てられるものなら楽なのかもしれないが、シャルルの性格からして、任せられたことをそう簡単に投げだせることも出来ない。


 こういう言い方をするとシャルルには文句を言われるかもしれないが、損な性分だ。


 「それよりヴェアル」


 「何?」


 笑ってしまいそうになるのを堪えていたヴェアルに、シャルルがいつもの口調で話しかけてきた。


 なんだろうとヴェアルがシャルルの方に顔を向けると、そこに悠然と立っていたはずのシャルルがいきなり倒れた。


 「シャルル・・・!?」


 「五月蠅い。さっさと俺を運べ」


 「へ?」


 うつ伏せで倒れているというのに、シャルルは平然とした命令口調だ。


 ツンツンとシャルルの身体をつついてみるが、シャルルは顔だけをなんとかヴェアルに向けると、これでもかというほど、思い切り睨みつけてきた。


 「奴の血を吸いすぎた。体内で処理するのに時間がかかる。だから運べ」


 「それが人に物を頼む態度とは思えないけどね」


 どうやら、レイニーの血を吸い過ぎて、シャルルの体内にわずかに出来た対抗では足りないようで、今シャルルの身体は大変なことになっているらしい。


 それはシャルルは自分の口からは言わないが、倒れて動けなくなるくらいだから、きっと相当辛いのだろう。


 「まったく、世話の焼ける奴だな」


 「おい、もっと揺らさず運べ。それに狼臭い。腹が圧迫されて気持ち悪い」


 「注文が多いな」


 ヴェアルはシャルルを肩で担ぐと、シャルルがなんやかんやと文句を言ったため、四足になってシャルルを背中に乗せることにした。


 馬に乗るよりも揺れはあるし、安定感もないその背中で、シャルルはうたた寝をする。


 そして目を覚ます頃には、シャルルの城に着いていた。








 「ヴェアル何をしてる、情けない。帰ってきて早々昼寝か」


 「お前を此処まで運んだのは俺なんだけど」


 「シャルル、モルダンたちは何処?何処にもいないんだけど!!!」


 帰ってきて復活したシャルルとは逆に、ヴェアルは疲れて椅子に座ると、テーブルに顔を伏して寝ようとしていた。


 しかしその時、一足先に城に帰ってきて部屋を全て見て回ってきたのか、ミシェルがシャルルに掴みかかってきた。


 それを適当に払いのけると、シャルルも欠伸をしながら椅子に座って足を組み、頬杖をつく。


 「なんでそんな呑気でいられるのよ!?迷子になってるかもしれないのよ!?ねえ!!ヴェアルだって心配でしょ!?」


 「そりゃ当然だ。ストラシスは誰よりも可愛いからな。誘拐されてたらどうしようって今も気が気じゃない」


 「ほら!シャルル!何処なのよ!!!」


 「少し落ち着け」


 「なんで落ち着けるのよ!!?」


 ヴェアルとミシェル同様、シャルルも蝙蝠馬鹿というか、ジキルとハイド馬鹿なため、いつもならば姿が見えないだけで大騒ぎだ。


 それなのにどうしてこんなに冷静でいられるのだろうか。


 ミシェルはまた口を開き、シャルルに何かを言おうとしたその時、城の中に冷たい風が吹いた。


 「なに・・・?」


 折角ミシェルがつけた城中の蝋燭が、吹いてきた風によってすぐに消えてしまった。


 ただ感じるのは、そこにいる自分達以外の誰かの存在と空気。


 ミシェルはシャルルの近くに避難し、ヴェアルも椅子から立ち上がると、辺りに漂うただならぬ空気に緊張感を持つ。


 ただシャルルだけは平然としたまま、指を鳴らして蝋燭を灯らせる。


 すると、階段の上の方に人影が見えた。


 「誰!?」


 「・・・・・・」


 ぼうっと見えてきたその姿は、ヴェアルとミシェルは初めて見る姿だった。


 黒と白の短い髪に、あまり見たことのない何処かの国で身につけているような、不思議な服。


 背も高そうで、少しだけ階段を下りてくると、ミシェルが声をあげた。


 「モルダン!!ハンヌ!!無事だったのね!!」


 「ストラシス!!!!」


 徐々にはっきりとしてきたシルエットの方から、モルダンたちがこちらに向かってきた。


 ジキルとハイドもシャルルの方に一目散に寄ってくると、再会を喜ぶかのようにシャルルに身体を預ける。


 「これっきりにしてもらうぞ」


 「これで貸し借りはなしになったんだ。有り難く思ってもらいたいものだ」


 「ワシがお主に何か借りを作ったというのか」


 「お前んとこのじゃじゃ馬を面倒見てやったことがあっただろう。あんな風に破壊的な泣き声を出す奴なら先に言っておけ。俺は耳が壊れるかと思ったんだ」


 「それを言うなら、そ奴らもじゃ。餌など勝手に喰うかと思うておったのに、黒猫に至っては餌の時間になるといつもワシの前で座ってずっと鳴いておったのじゃ」


 「懐かれたなら良かったな」


 「そういう話ではない」


 シャルルとそのシルエットの男が話している間、ヴェアルとミシェルはそれぞれ、ストラシスとモルダン、ハンヌと抱擁や愛撫を繰り返していた。


 最初は喜んでいたモルダンたちだが、徐々に鬱陶しくなってきたようで、空へと逃げられるストラシスとハンヌは天井付近まで逃げてしまった。


 モルダンも隙をついて逃げると、シャルルの膝の上へと避難した。


 それにはジキルとハイドはムッとしたような顔をみせたが、シャルルは急にやってきた重みと温もりを特に避けもせず、背中を撫で始めてしまったため、ジキルとハイドは拗ねながらもシャルルに擦り寄り続けた。


 「ワシとお主と、どちらが先に死ぬのか、実に興味深いのう」


 「死んだら骨くらい拾ってやる」


 「主の骨は猫の餌にでもしてやろう」


 互いに笑みと睨みをきかせると、男は去って行った。


 ストラシスに必死に謝罪をして、なんとかもう一度触れることが出来たヴェアルは、ふと我に戻ったのか、あたりを見渡す。


 「あれ?シャルル、誰かいなかったか?」


 「・・・ああ、ぬらりひょんという男だ」


 「ぬらり・・・ああ!!あれか!レイニ―たちがおびき出そうとしてた奴!!」


 「そう言えば、空也先輩も来てくれなかったなー」


 ぬらりひょんにしても空也にしても、シャルルたちがそう易々とやられるタマではないと分かっていたからこそ、何もしなかったのだろう。


 西洋のシャルル、東洋のぬらりひょんと呼ばれるだけの男が近くにいながら見逃してしまったと、ヴェアルはショックを受けていた。


 「あー、折角見るチャンスだったのになー。シャルル、ぬらりひょんならぬらりひょんだってそう言ってくれよ。俺はストラシスに心奪われてたんだぞ」


 「知るか。それに、奴は慣れ合いが好きじゃない。自由に気ままに生きてる、浮浪者だ」


 「シャルルと一緒じゃん」


 「俺は浮浪はしていない」


 結局、ヴェアルはぬらりひょんに会えたにも関わらず、その姿をちゃんと見ることは出来なかった。


 しかし、しばらく会えなかったストラシスと会えたことで心は満たされたようだ。


 それはミシェルも同じはずなのだが、ハンヌは天井に逃げたまま下りて来ず、モルダンはシャルルの膝の上で寝たまま。


 なぜこうも自分は御主人だというのに好かれないのかと、本気で落ち込んでいた。


 「そういやシャルル・・・」


 何かを思い出したのか、ヴェアルが何か言おうとシャルルの方を見てみると、シャルルはモルダンに手を置いたまま、ぐっすりと寝てしまっていた。


 いつもならきつい目つきのシャルルも、こうして寝ていると可愛げがある。


 「シャルル寝顔可愛い」


 「言うな。本人が聞いたら不機嫌になるぞ」


 「あーあ。モルダンも寝ちゃってるから、無理に起こせないしなー」


 何があっても棺桶で寝ているシャルルが、こうして椅子で寝てしまっているということは、それだけ疲れてしまっていたのだろう。


 レイニ―の血のせいで思う様に動けず、さらにはその血を沢山吸ってしまい、シャルルの身体にも相当のダメージがあったのだろう。


 「そのまま寝かせてやろう。俺は毛布でも持ってくるから、ミシェルも今日はもう寝たほうがいい」


 「うん、分かった」


 ヴェアルは二階から毛布を持ってくると、ジキルとハイドの邪魔にならないように毛布をかけた。


 そーっとシャルルから離れると、ヴェアルもストラシスを連れて椅子に座って眠る。


 翌日目を覚ましたヴェアルが見たのは、まだ寝ているシャルルだった。


 しばらくゆっくり寝かせてやろうと思ったヴェアルだったが、椅子から立ち上がろうとしたときテーブルの足を蹴ってしまい、それでシャルルは目を覚ました。


 「あ、ごめんシャルル」


 「・・・・・・」


 数秒だけぼーっとしていたシャルルだが、すぐに目を見開くと立ち上がり、膝の上の乗っているモルダンを椅子に戻すと、その上の毛布をかけた。


 そしてジキルとハイドを連れると、散歩に出かけてしまった。


 だが途中まで来たあたりで、ジキルとハイドに先に帰るように伝えると、シャルルは何処かへと行ってしまった。


 その頃、病院で献血を受けたレイニ―は、学校に登校しようとしていた。


 「・・・・・・」


 しかし面倒で、やはり学校をさぼろうと踵を返したその時、目の前に背の高い男とぶつかってしまった。


 「悪ィ!!急いでて!!」


 「・・・すみません」


 「あれ?もしかして転校生?俺のクラスじゃね?確かえーっと、レ、レ・・・」


 「レイニ―」


 「そうそうそれそれ!!!何処行くんだ?遅刻するぜ!ほら!」


 「あ・・・」


 ぶつかった相手は、どうやらレイニ―が転校した学校の、しかも同じクラスの生徒だったらしい。


 だが、正直言ってまともに学校に行っていないレイニ―からしてみれば、誰だかもさっぱりわからない。


 名前も知らないその男に腕をひっぱられ、行きたくもない教室へと向かうことになってしまった。


 「ふー、ギリギリ間に合ったな」


 教室に着いてようやく離してもらえたその腕に、レイニ―はさっさと屋上あたりに逃げようと思った。


 しかし、その男はレイニ―の机をバンバン叩くと、席はここだよ、と言ってきた。


 周りの生徒たちは、物珍しそうにレイニ―を見ていて、その目線が嫌になる。


 それでもその男はニカッと笑ってレイニ―を席に座らせると、必要あることないこと、いや、ないことがほとんどなのだが、そういったことを聞いてきた。


 何の役に立つとも思えないような個人情報を聞きだしては、その男は楽しそうに笑っていた。


 「あ、そうだ!俺は石黒友也!よろしくな!」


 「・・・レイニ―・昴邑・マクロイヤ」


 「難しいからレイニ―でいいよな!俺のことは友也でも石黒でもなんでもいいぜ!」


 本当に、人間は無垢で無知で、それでいて矛盾している生き物だ。








 「シャルル、何処か行ってたのか?ジキルとハイドが先に帰ってきたから心配したよ」


 「別にいいだろう。俺にだって用事というものがあるんだ」


 「へー。俺はてっきり、レイニーのことが心配で、人間の世界に行ってるのかと思ったよ」


 「根拠のないことを言うな」


 「はいはい。それにしてもさ、シャルルもシャクヤクと桃の血が苦手だったとはね。ちょっと安心したよ。なあミシェル?」


 「んー、本当にね。でも耐性ついちゃったんでしょー?」


 弱点なんて、ジキルとハイドしかないと思っていたシャルルにも、まだ弱点があった。


 それも、自分たちと同じもので。


 それが嬉しいのか、ヴェアルとミシェルはハハハと笑い合っていた。


 モルダンは帰ってきたシャルルのほうに歩こうとしたのだが、それに気付いたミシェルがモルダンをホールドした。


 モルダンは暴れているが、そんなことお構いなしで、だ。


 2人がそんなことを話している中、シャルルは頬杖をつきながら、ヴェアルが用意したワインを口に含んだ。


 それをテーブルに戻しながら、膝の上に乗ってきたミシェルの腕から必死に逃れてきたモルダンを撫でる。


 天井からシャルルを見て、ジキルとハイドはこんな会話をしていた。


 『まさか、桃アレルギーだったなんて言えないよね』


 『うん。言えないね』




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