第15話 邂逅

【邂逅】


 この学校は二つの棟で構成されている。一つは五階建ての教室棟。もう一つは三階に体育館、二階に職員室、一階に大きな児童玄関がある三階建ての別棟。

 その別棟にある児童玄関は、入るとまず下駄箱が縦に並び、その先に二階まで吹き抜けの空間がある。その真ん中に豪邸のような大階段が一階の半分ほどの高さまで伸び、そこから右の階段を上ると教室棟へ繋がる渡り廊下へ、左の階段を上ると二階の半分を使った職員室へと行くことができる。大階段を上って正面の広い壁にはこの町の中央に流れる川の大きな絵画が飾られていた。

 大階段の右の脇には教室棟への外廊下があり、そこから憂梛が開き戸を蹴り飛ばして入ってきた。ちなみに左脇には事務室がある。

 大階段を上ったところには職員室から下りてきた死神ちゃんが立っていた。

 しばらく二人は見つめ合った。最初に口を開いたのは死神ちゃんだった。

「……ユナ?」

 死神ちゃんは少し目を見開いていた。

 半信半疑の呼びかけだった。伸ばしてはいるが、その黒髪に輪郭と、強く彼女に似通るものがあったからだ。しかし、断言できないのは彼女が緑色ではなく紫色の瞳をしていることと、身に昔とは違う異質な雰囲気を纏っているからだった。

 死神ちゃんが知っているのは小学生までのユナなので、単に今のユナを知らないのもあった。

「……久しぶりだね、こはる」

 憂梛は昔と同じような優しい笑みを死神ちゃんに向けた。しかし、その目は狂気を宿したままだった。

「……っ!」

 ここに来てから自分の本名を明かしていない。死神ちゃんは確信した。この人こそがユナなのだと。あの日から数年ぶりにやっと再会できたのだと。

 だが、死神ちゃんを完全に油断させるには後一歩足りなかった。

「見内さんだよね。なんであのとき私に自分がユナだって言わなかったの?」

 死神ちゃんはユナの着る服を見て言った。白黒のセーラー服の上にパーカーを羽織っている。確かセーラー服のスカートは膝下丈だったはずだが、それは破られて膝上丈だった。髪質が変わって眼鏡をしていなかったが、服と背丈で分かった。

「ひひひっ」

 憂梛は狂気的に笑った。

 そして、紫と黒の糸で刺繍された刀を自分の正面に持ってきて、その柄を握る。

 そのとき一気に溢れ出した黒い気配に死神ちゃんは少し後ずさった。

 あの刀……呪いが憑いてる⁉ それもかなり強力な……。

 死神ちゃんは大鎌を構える。

 憂梛は刀を抜いた。

 二人が同時に前に飛び、大階段の上で火花を散らす。すぐに離し、死神ちゃんは身を翻して空中で一回転し、次の攻撃を仕掛ける。

 憂梛はそれを刀で迎え撃ち、弾き飛ばす。一緒に死神ちゃんも後ろに飛ばされ、壁に背中を打つギリギリで着地した。

 大階段に着地した憂梛は刀を振り上げて死神ちゃんに迫る。後ろに壁が近くてスペースがなく、死神ちゃんは大鎌を振れなかった。なので、横に走って避けた。

 憂梛は刀を振り下ろして大階段上のスペースに着地したあと、死神ちゃんに刃先を向けて正面から素早い動作で突進した。突き刺す動きだ。

 死神ちゃんは前後ろに逃げ道はなく、横一方も壁であるため、必然的に大階段の方へ飛んだ。

 待ってましたと言わんばかりに憂梛はすぐに動作を変え、死神ちゃんの腹を蹴り飛ばした。

「くっ!」

 片手でお腹を押さえながらも大階段の下に着地し、憂梛を見上げる。身体能力は死神ちゃんと同レベルで、憂梛はかなり戦い慣れているようだ。

 一体、今まで誰と戦ってきたというのだろうか。

 憂梛は階段を死神ちゃんに向かって駆け下り始める。残り数段のところで低く飛び、死神ちゃんの首元を狙って左から刀が振り下ろされる。

 死神ちゃんは右手に持った大鎌を手首で返し、左上へ向かって振り上げる。

 甲高い金属音が児童玄関に鳴り響き、憂梛の刀は押し負けて弾かれる。

 死神ちゃんは回転の向きを変え、流れるように一回転し、遠心力を付けて斜め上へ向かって横に鎌を振る。その刃先が憂梛の刀の腹を捉え、

――刀を折った。

 パキンッと音がして憂梛の刀は途中から折れ、上の部分が床に落ちた。

 憂梛は大階段の真ん中ほどまで下がり、右手に持った刀を一瞥する。

 呪物。呪具。つまり、呪いの憑いた物。その全てが媒体となる物質を壊せば、中の呪いも消滅する。刻まれた術式もなくなる。

 果たしてその刀は――刃先が紫に光りながら燃焼して伸び、完全に修復した。

 死神ちゃんは自分の目を疑った。

「なんで……」

「刀を破壊しても無駄だよ、死神ちゃん。もっとよく見て?」

 憂梛は腕を広げて見せる。死神ちゃんは赤紫の瞳を凝らして憂梛を見た。しかし、その瞳は彼女から溢れる強い黒い気配を感じ取るだけで、それ以上の情報は得られなかった。

 死神ちゃんはふと兄との会話を思い出した。

『もし、呪いに身体を乗っ取られていて、元々呪いが憑いていた物を破壊しても祓えなかった場合、どうしたらいいの?』

『呪霊は別だが、憑いたのが呪いだったらまず助けられないだろうな。憑かれたそいつもろとも祓わないといけなくなる』

 それはつまり、憑かれた人を殺めるということだ。

「……」

 憂梛は広げていた腕を降ろした。

 死神ちゃんは大鎌を構えた。

 今、ユナは本人ではない。元々、刀に憑いていた呪いがユナに憑依して操っているのだ。きっと抑えられているユナの魂は苦しんでいる。

 助けなきゃ。私はユナの魂を救うんだ!

「ユナを返せ!」

 死神ちゃんは力強く踏み出した。

 その姿を見て、憂梛は狂気の笑みを浮かべる。

 跳躍し、憂梛に近づいた死神ちゃんは横に大鎌を振る。憂梛は軽々とそれを躱し、腕を振って外側から斬撃を繰り出す。

 死神ちゃんはそれを大鎌で防ぎ、弾いて大鎌の柄で憂梛をぶっ飛ばす。

 憂梛は大階段の上で着地し、すぐに飛んで死神ちゃんに迫る。

 死神ちゃんは左から飛んできた刃を体を反って躱し、折り返してきた刀を大鎌を逆さまにして柄で防ぐ。そのまま左上に持っていって刀を追いやる。憂梛は片腕を上げたような姿勢になり、少し後ろによろける。

 続けて死神ちゃんはX字に大鎌を振り下ろす。

 憂梛は刀を下に向けてそれを防ぐが、押されて少し姿勢が低くなる。

 憂梛より下に居た死神ちゃんは大きくジャンプして上を飛び越え、着地して振り返り際に大鎌を横に振った。

 少しかがんでいた憂梛はそれをバク宙で躱し、階段に上手く着地した。

 死神ちゃんは素早く憂梛に近づいて首元を狙って大鎌を振る。

――その切っ先が憂梛の首に触れる少し前で止まった。

「……ッ!」

 憂梛はなんの防御もせず突っ立っている。そして、こちらを振り向いて笑みを浮かべていた。

「……やっぱり殺せないじゃん」

 死神ちゃんは大鎌を降ろして後ずさった。

 なんで、なんで振り切れなかった……? ユナを助けないといけないのに……助けたいはずなのに……なんで……?

 立ち止まっている死神ちゃんを回り込むように憂梛が走り出す。

 死神ちゃんは大階段の上まで上がり、憂梛を迎え撃つ準備をする。

 憂梛が大階段の上まで上がってきた。その手に握られた刀はいつの間にか鞘の中に納まっていて、憂梛は左手で鞘を持ち、右手で仕舞った刀の柄に手を掛けていた。

 死神ちゃんは瞬きをした。

――その刹那の内に憂梛は死神ちゃんの目の前まで接近していた。

 二人はそれぞれ反対の大階段の端に居たはずだった。早すぎる移動に死神ちゃんは驚愕し、対応しきれなかった。

 憂梛は死神ちゃんの顔を狙って抜刀する。死神ちゃんはほとんど反射的に身を反らした。

 死神ちゃんの頬に一筋の切り傷が刻まれ、赤く滲む。

 体制を崩した死神ちゃんはすぐに大鎌を振り、憂梛を下がらせようとするも、憂梛はかがんでそれを避け、左手に持った鞘で死神ちゃんの横腹を叩いた。

 大階段側に押された死神ちゃんは階段の半分ほどのところに落ち、階段を体を横にして転がり落ちた。床に倒れた死神ちゃんは全身に痛みを感じながらも床に肘をついた。

 憂梛は死神ちゃんから目を離さずに階段を下りてくる。その顔は無表情だった。

 死神ちゃんは膝をついて痛みに耐えながらも立ち上がり、落ちたときの衝撃で手元を離れて横に落ちていた大鎌を握る。

 同時に憂梛は死神ちゃんから少し距離を置いて階段を下り終わった。

「くっ……」

 死神ちゃんは憂梛を見据えた。

 憂梛はまたあの狂気的な笑みを浮かべて死神ちゃんにかかってきた。

 左上からの斬撃。大鎌を使って防ぐも弾けず、通り過ぎる刃。

 続けて右上からの斬撃。こちらもなんとか大鎌を使って防ぐ。

 憂梛は振った後に刀を手首で返して、下から刃を上に振り上げる。死神ちゃんはそれを大鎌の柄で受ける。

 その後も続く刀の連続攻撃。一方的な攻防戦に死神ちゃんはジリジリと押されていた。

 それはもはや剣豪なんて呼べる立派なものではなく、狂剣というべき太刀筋だった。

「ねぇ、こはる! 私も赤じゃないけど、紫色の目になったんだよ!」

 憂梛が死神ちゃんに向かって叫ぶ。

――ああ、そうか。私の瞳の色が変わったあの日から、私とユナとの心の距離は少しずつ離れていっていたんだ。変わってしまった私を、死神になった私を、ユナはどう思っていたんだろう。ユナに見えないものが見えるようになって、身体能力も上がって、私はユナを置いてけぼりにしていたのかもしれない。そんな中で告げられた別れ。ユナはきっと私に呆れただろうな。

 死神ちゃんは空気に弾かれた。気づけば体は吹き抜けの二階近くまで飛び、そこに憂梛の蹴りが入って叩き落され、死神ちゃんは大階段の上の壁にひびを入れて打ち付けられた。衝撃で口から少し血を吐いた。

 絵画の下で、死神ちゃんはひびが入って割れた壁に背を預けて力なく座り、項垂れる。前で憂梛が着地したのを視界の端で見た。

 ダメだった。どうしても、死神ちゃんはユナを殺すことができなかった。例え、それがユナにとっての救いになるとしても、幼少期を共に過ごして親友とも呼べる仲になったユナを殺すことは、躊躇ってしまう。

 なにを落ち込んでる? 早くユナの魂を救わなければならない。見ているだけは、ただ眺めているだけは嫌じゃなかったのか? 魂を救いたいから、見過ごせないから死神をしているんじゃなかったのか?

『そんなの、ただの自己満足だろ』

 死神ちゃんの心の冷たい部分がそう言った。

 そもそも、こはるには死神の適正がなかった。生まれ付持っているはずの鎌がこはるには与えられておらず、一家揃って死神を続けてきた神下家は兄だけが死神として働くこととなった。だから、こはるは普通の女の子として育てられてきた。勿論、呪いや呪霊の類は全く視覚できず、死神に与えられる高い身体能力もなかった。

 しかし、こはるはある日、突然に死神の鎌を獲得した。今となってはその理由を思い出したが、そのときのこはるには記憶がなかった。兄を含め家族は驚いたものの、こはるは死神として働くために兄に鍛えてもらった。

 そして、こはるは中学生になってから活動を始め、死神ちゃんとなった。

 しかし、活動を始めてからすぐにいくつか欠点が現れてきた。まず、死神ちゃんの瞳は赤ではなく、赤紫だった。死神の目に映るのは呪いや怪異といった一般の人には見えない世界。それが、死神ちゃんの瞳は姿を捉えることはできるのだが、相手の呪力量及び残穢はなんとなく黒い気配、黒い雰囲気としてしか知覚できなかった。その影響で自分の呪力も上手く知覚、操作できないため、基本的な呪術はおろか、呪力を乗せた打撃もできなかった。

 そしてもう一つ。死神ちゃんはオーバードライブが使えなかった。死神の鎌には任務を遂行するための術式が刻まれており、それを解いて展開させることで冥帝空間域などを使用できる。その一つである、オーバードライブは、死神の鎌に宿る神の力を解放して通常以上の性能を発揮するという術式だ。

 これは自分よりも強い相手と対峙したときに使う、死神の切り札。それを死神ちゃんは、解くことはできるのに術式が発動しない。

 俯いていた死神ちゃんは少し首を持ち上げ、前を見る。憂梛はゆっくりと階段を上り、死神ちゃんに近づいてきていた。

 やっぱり、私に死神をする資格なんてないのかな……?

『そんなことないよ』

 脳内にそんな声が響いてきた。左肩に、死神ちゃんの高校の花子さんが手を添えていた。

『死神ちゃん、めっちゃ強いんだからさ。そんなこと言うなよ』

『ときには自信を失うこともあるでしょう。しかし、今までしてきたことには必ず意味がありますよ』

『カタカタ』

 右横にバスケ少年と金次郎像、理科室のガイコツが立っていた。

 花子さんの横に立った人体模型のじんくんがゆっくりと一回頷く。

 みんな……でも、私は……。

『お姉さん、ありがとうー!』

 ミクナちゃんの声。

『こはるならどんな魂だって救える。絶対』

 信号を渡るときに言った、あわあの言葉。

『この鎌は、その子を守るために使いなさい』

 そして、あの日に女性が鎌を渡すときに言った言葉。その赤色の瞳は大切なものを守ろうとする決意を宿していた。

 死神ちゃんは唇を嚙み締めた。

 体を駆けまわるどうしようもない感情。自分の脈拍を感じる。

 葛藤していた。自分自身とその生き方、自分の意志を確認するために。

 私はどうしたい? 心の奥底に確かにある自分の核心。それはなんだ?

 死神ちゃんの心は揺らいでいる。答えは出ているはずなのにそれが虚言に思えてしまう。

 死神ちゃんは前を向いた。数歩先に憂梛が立っていた。

 その顔を、死神ちゃんは見た。

――狂気的な笑みを浮かべていた憂梛の頬に一筋の涙が流れていた。

 憂梛は笑みを崩し、驚いたように少し口を開いた。

 死神ちゃんの体を駆けまわっていた感情が落ち着いた。揺らいでいた心が決まった場所に収まったような気がした。

 辺りがぼんやりと明るくなった。

 死神ちゃんは立ち上がった。

「私は」

 みんな、ありがとう。どうやら私は――

「やっぱり、見過ごせないよ」

――どうしても、死神として生きていきたいみたいだよ。

「――私は、死神として魂を救いたいんだ‼」

 心の奥底にある彼女の核心を宿した瞳が憂梛を真っすぐ見据えて、赤紫から<真紅>に輝く。

 死神ちゃんの持った漆黒の大鎌が深淵の炎を纏い、刃先からその炎を二本の流星の尾の如く立ち昇らせる。

「自分を犠牲にしてでも、私は人を、呪霊を助ける……‼」

 炎の光を反射して煌めく長い黒髪と、静かに揺れるジップパーカー。

 死神ちゃんは大鎌に刻まれた術式を解いて展開していた。

 <オーバードライブ>が発動し、死神ちゃんの大鎌は宿した神の力を解き放った。

「キッ……!」

 憂梛が怒りの形相で切りかかってくる。死神ちゃんは大鎌を一振りして――その刀にひびを入れ、折った。

 憂梛は下がってすぐに刀を修復するが、死神ちゃんは下がった憂梛に詰め寄り、鎌を横、縦と振る。大鎌の刃先から出た二本の炎が十字を描き、憂梛は修復して呪力を込めた刀でそれを防御した。今度は折れることはなかったが、刃はいともたやすく欠けてしまった。

 憂梛は大階段の段上を横に走り、死神ちゃんとの距離を開けて欠けた刀を修復し、今まで以上の呪力を込めて強度を上げ、階段の側面の壁を蹴って宙に舞う。

 死神ちゃんは跳躍し、空中で体をねじらせて回転する。深淵の炎が螺旋を描いて大鎌は憂梛の刀と衝突し、二人はお互いに弾き合ってお互いの跳躍地点に着地する。

 すぐに走り出して階段の上で二人の斬撃が衝突して弾き合う。

 死神ちゃんは左から振るふりをして、すぐに引き返してそのまま一回転し、右から大鎌を振り下ろす。大鎌は衝撃波で回りを破壊しながら階段に突き刺さる。

 このフェイントを右に低く飛んで躱した憂梛は間髪入れずに刀を振り下ろすが、死神ちゃんは、大鎌を振り下ろした余韻はどこへやら、素早く大階段を上るように後ろ向きに跳躍して躱した。

 そして、死神ちゃんは高く飛び、空中で縦回転し、流星の如く鎌を振り下ろして落下した。

 爆発音のような大きな音が響き渡り、辺り一面に白い煙が巻き起こる。

 そして、煙は死神ちゃんの大鎌の一振りによって切り裂かれた。

 両腕を顔の前でクロスしていた憂梛の周りの煙が払われ、正面に死神ちゃんが見えた。

 死神ちゃんは崩れた階段の瓦礫を踏みながら素早く憂梛に接近し、大鎌を十字に振った。

 憂梛は最初の縦の斬撃を呪力で強化した刀で受け止めようとするも、刀は強い衝撃と共に折れ、

――次の横からの斬撃を横腹に受けてしまった。

 刀が折れた衝撃で憂梛は背後に飛ばされ、児童玄関を支える柱に背中を打った。

 憂梛はその場で崩れ落ちた。大鎌に抉られた横腹からは真っ赤な血液が大量に流れ出ていた。

 大鎌に付着した憂梛の血液は深淵の炎に焼かれて塵となった。

 死神ちゃんは柱に背を預けて座る憂梛に歩み寄っていく。

 憂梛は右手に握っている折れた刀を死神ちゃんに向ける。残り全ての呪力を元々の媒体である妖刀に注ぎ込む。刀が紫のオーラを帯び、徐々にそれが膨らんでいく。

 放たれるのは空間を切り裂くほどの、この呪いが放てる最大の斬撃だ。

 例え、覚醒した死神でも無傷ではいられない。

 死神ちゃんは真紅の瞳に映った正確な情報を知った上で、ただではいられないと知った上で、大鎌を構えた。

 そのとき、刀に呪力を込めている憂梛の右腕を掴んだ者が居た。

――憂梛自身だった。

 彼女の左腕が斬撃を放とうとしている自らの右腕を掴んでいた。

 憂梛は驚いていた。顔の右半分は目を開いて口を少し開けているのに対し、左半分は歯を食いしばって目に力が入っていた。

「これ以上、こはるを傷つけないでっ‼」

 それはさっきまでの狂気的な声色ではなく、見内さんの怯えた声でもなく、聞きなじんだユナの優しい声だった。

 すると、右手は呪力の込められた刀を取り落として、右腕は力を失ったように下がった。

 目覚めたユナの魂は弱った呪いの魂を押しのけ、身体を奪い返した。

「ユナ……?」

 ユナは全力で走った後のように息を荒げていた。

「こはる……また会えてうれしい、よ……もう高校生になったんだね……。って……私も高校生か……」

 ユナは死神ちゃんに微笑みかけた。口の端から血を流し、苦しそうに斜め上を向いていた。

「ユナっ!」

 死神ちゃんはユナに走り寄った。横腹からの出血がひどく、今にも命の灯が消えそうだった。

「ユナ……! ごめんっ……! 私が引っ越しなんてするから……ユナと離れちゃったから……!」

 死神ちゃんはオーバードライブを続けたまま大鎌を置き、ユナの両肩に手を添える。

 ユナは少し顎を引いて死神ちゃんの真紅の瞳と目を合わせた。

「いいんだよ。こういう形になっちゃったけど、私はまたこはるに会えた。こはるは私に会いに来てくれた」

 死神ちゃんは瞳に涙をいっぱいに溜めて首を横に振った。

「私は……私はもっとユナと一緒に居たかった……‼」

 ユナは左手の指で死神ちゃんの黒髪をすいた。

「私も、もっとこはると一緒に居たかったな……」

 その緑色の瞳には大粒の涙が浮いていた。

 死神ちゃんは瞼を閉じて、ぐっとこみ上げてきた涙を零した。

 ユナはすいていた左手を滑らせて死神ちゃんの頬を撫でた。

「今までありがとう。仲良くしてくれて、私にとって最高の思い出を作ってくれて」

 ユナは死神ちゃんの顔を愛おしそうに見つめて、言った。

「ねぇ、こはる?」

 死神ちゃんは息を詰まらせながらも潤んだ目を細く開く。

「私は今までこはると離れてた。それで、今から私はもっと遠いところへ行ってしまう。だから……だからね」

 ユナは優しい表情でハッキリと言った。

「――私をこはるの心に住まわせて」

 その言葉に、死神ちゃんは目を見開いた。

「そうすれば、私たちはずっと一緒に……居られる……でしょ……?」

 ユナの声が段々と弱々しくなっていく。瞼がゆっくりと閉じられつつあった。

「ユナ……!」

「こはる……おね……がぃ」

 そこで、死神ちゃんの真紅の瞳はユナの体内に二つの魂を発見した。

 一つは刀の呪いの魂。もう一つはユナの魂だった。

 この呪い、呪霊だったんだ……。

 そういえば、兄は呪霊は別だと言っていたのを死神ちゃんは思い出した。

 死神ちゃんは意を決して、ユナから手を離し、大鎌を拾う。

――大鎌と心を通じ合わせて、その涙に濡れた真紅の瞳を輝かせ、覚醒した彼の力を借りた。

 大階段に月明かりが差し込む。

 ユナの命は尽きた。

 魂は死神の権限の下で天国へ送られた。

 ぼんやりと明るかった辺りは暗くなり、大きな凹みを作った大階段は徐々に元に戻っていく。ユナの横腹に開いた穴は塞がり、床に流れた血液は跡形もなく消えた。しかし、彼女の命が戻ることはなかった。

 死神ちゃんはオーバードライブを終わらせて、大鎌を黒い円の中へ仕舞った。

 閉じた瞼から飛び散った涙が月明かりで煌めく。

 死神ちゃんはユナの横に膝をついた。

 そして彼女の冥福を祈った。




次回、7/25(木) 18時公開。

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