第13話 分岐点

【分岐点】


 引き戸がスライドされ、死神ちゃんたちは図書館に入った。そこで目の当たりにしたのは、とてつもなく広くて白い空間に並んだ本棚だった。

 一つひとつの棚がそれぞれ孤立して、空間を埋め尽くすように<全方向に>均等な感覚で設置されている。

――否、その空間には果てがなかった。

 よく見てみると、空間はどこまでも続いていて、どこまでも本が並べられた本棚が羅列されていた。

「こ、これは……」

 その空間での唯一の足場は、死神ちゃんたちが立つ木製の床。それは本棚に沿って敷かれていて、まるで無限回廊のように一本で繋がっており、曲がったり、途中で階段を挟んでは分かれたり、繋がったりしていた。

「なんなの……これ……私たち、学校の図書館に入ったよね?」

「無限に本棚が……」

 妃彩が混乱したように問うが、見内も無地も西も死神ちゃんも、この光景に目を見張っているばかりだ。

 図書館だといえば、本が並んでいるのだからそうなのだが、その有様が異様だった。

 現実ではありえない光景。まるで真っ白な宇宙に無限の本棚が並び、そこに無限回廊が立体的に敷かれているようだ。

――特殊空間。それは、ある一つの境を世界の入り口とし、現実とは違う軸で自分の世界を構築する術式だ。

 例えば、花子さんの特殊空間は大部分が噂と伝承で構築され、女子トイレの三番目のドアを境として入ることができる。ある程度広くてずっと展開している空間であるため、常時に顕現できる物体は少ない。

 対して、あわあの空間はほとんどが自分で構成した術式で出来ており、路地裏などの細くて暗い場所の影を境としている。自分での構成のために融通が利くが、展開できる空間は花子さんほど広くはなく、ずっとは展開できない。

 そんな二人を凌駕する特殊空間が、死神ちゃんたちの目の前には広がっている。

「特殊空間……! こんなに広くて物体の多い空間初めて見た……」

 全方位、壁が見えないほど広く、本棚や廊下、ましてや一冊一冊の本まで完璧に顕現できている。

「な、なんかやばそうだし、一旦戻ろうか……」

「そう、ですね」

 いち早く判断した妃彩はそう言って、後ろを振り向く。しかし、

「うそ、でしょ……」

 私たちが入ってきたはずの引き戸は、数歩しか離れていないはずなのに、もうそこにはなかった。ただ、木製の床が続いているだけである。

「ドアが消えた……⁉」

 一行に焦りの色が見えた。しかし、今のところ怪異らしき姿は周囲に確認できなかったのと、他に恐怖的な現象も起こっていないのでパニックには陥らなかった。

「出口を探そうか。みんな、一応、気を付けて進もう」

 次に早く状況を整理した私は、みんなに注意喚起する。ここに長く居てはいけないと思った。

 数人が頷き、私たちは宙に浮いた板張りの床を歩き始めた。幸い、床は注意しなければ落ちてしまうほど細くはなく、死神ちゃんは周りを警戒しながら先頭を行くことが出来た。

 一列に並び、棚の間を進んでいく。ときどき曲がったり短い階段を上がったりした。しかし、いくら進んでも床と本棚ばかりで入ってきた引き戸はおろか、ドアのひとつも見つからなかった。

「これ……ドア見つかるかな……?」

 不安そうに呟いたのは見内だった。

「もしかして、もう出口はなくなって閉じ込められたんじゃないんですか。私たち」

 そう言う西の顔からは感情が伺えず、ただ単に憶測を言っているだけのように見えた。

「そ、そんなこと言わないでください……」

 妃彩がぼそっと呟いたが、図書館の静かさの中で、それはよく聞こえた。

 どうやら彼女らの中では、この異変が誰かの仕業であることがいつの間にか共通理解になっていたらしい。確かにそうなのだが、これまで見てきた化け物たちのことを考えれば自然とそうなるか、と私は思った。

「大丈夫。ここから出る方法は絶対あるから」

 彼女たちからしたら根拠のなさそうな私の発言だったが、これだけ広い空間なのだ。まだ希望はあると思ったのだろう。ほんの少しばかり空気が和んだ。

「頼もしい」

 無地が言い、私たちは歩き続ける。

 少し気になったのは、先程から西さんの様子が変なことだった。恐怖とか疲れからかもしれないが、最初より無表情になったというか、どこかつまらなそうにも見えた。

「あの……」

 一応、体調は大丈夫かどうかだけ聞いておこうと私は振り返る。

 そして、まただ、と思った。

 振り向く途中でほぼ無意識的に感じた。まただ。またあの<静けさ>だ。学校のプールで水野さんを探していたときと同じ。

「……いない」

 忽然と気配が消えた後の静けさだった。

 少し左右を見渡したが、確かにみんな居なくなっていた。ここまで一本道だったのでどこかで分かれ道を曲がり違えたということはない。それに今さっきまで会話をしていたのだ。突然としてここから消えたという認識に間違いないはだろう。

 考えられる原因は一つ。この空間を展開している怪異によるものだ。

「ど、どうしよう……」

 玉藻前と同じくらい上位であろう怪異がうろつくこの空間でみんなとはぐれてしまった。戦えるのは死神ちゃんだけなので、もし合流する前にそいつに見つかってしまったら、生きては帰れない。

「探さなきゃ……!」

 そう言って、身を翻して進行方向に向き直ると、そこには死神ちゃんの行く手を阻むものがあった。

 両開きのアンティークな扉だった。


 見内はドアの前で立ち尽くしていた。片開きのそのドアに見覚えがあったからだ。

 古い木製のドア。暗い色の表面が少し削れて色が剥げているような、そんなドアだった。

 見内のおばあちゃんの家にあるドアだった。ただ、その先がなんの部屋で、家のどこにあったのか、見内には思い出せなかった。

 なんで、こんなところにあるのか。そう思った。

 膝下丈のセーラー服のスカートをふわりと揺らし、ドアに近づく。

 ドアノブに触れて、回した。カチャっと音がした。

 キィーっと戸を軋ませて、見内はその先へ足を踏み入れた。


 水戸西は、空間を彷徨っていた。刹那の内にみんなとはぐれていた。

 なんとしてでも合流しなければならないと思った。このままでは危ない。

 西は板張りの無限回廊を速足で進んだ。角を曲がる。すると、その先にあった壁にぶつかりそうになった。少し下がって見てみると、それは壁ではなく、西の知っているドアだった。

 元々、西が住んでいた家のリビングへのドアだ。

 引っ越しする前の、西がこの世に生まれて初めに住んだ家の廊下からリビングへの片開きの開き戸。

 なんで、こんなところにあるのか。そうは思わなかった。

 ここにあって、今、自分の目の前に現れて、しかるべきものだと思った。

 西の口は安堵したように、ほっと開かれる。この戸を開けて先に進めば誰かと合流できるという確信があった。

 ジャンパースカートのベルトと腹の間に親指を差し入れて外側に引っ張り、少し緩める。

 西は取っ手を掴んで下に下げた。

 このままでは精神が狂って頭がおかしくなってしまいそうで危なかった。

 やっと面白くなりそうだ。

 西はその先へ足を踏み入れていた。


 妃彩は走っていた。

 出会ってしまったのだ、化け物に。

 みんなが居なくなった後、妃彩は辺りを見回してみんなの名前を大きな声で呼んでいたのだが、頭上に気配を感じて見上げたのがいけなかった。そこに人が浮いていたのだ。その人はトレンチコートを羽織って頭に包帯を巻いている女性だった。包帯から飛び出た長い髪の毛と体のラインで分かった。

 妃彩は最初こそ助けを求めようとしたのだが、寒気が全身に鳥肌を立たせ、段々近づいてくる、この世とは思えないほど美しい姿を見て恐怖を覚えられずにはいられなかった。

 妃彩は全力で走っていた。後ろから女が浮遊した状態で追いかけてくる。鼻から下は包帯が巻かれておらず整った容貌で、口は無表情に閉じていた。

 妃彩は自分の足元から視線を上げた、前にドアがあった。それはテニス部の部室のドアだった。ああ、早く帰りたいな、と思った。

 引き戸が独りでにスライドされた。

 妃彩はその先へ駆け込んだ。ポニーテールを靡かせ、ブレザーとスカートをはためかせながら、さながら青春を駆ける少女のように。


 無地はその場から動かないでいた。

 身動き一つせず、目を閉じて耳を澄ませていた。

 しばらくして、無地は目を開け、萌え袖な制服のセーターのポケットをまさぐった。目当てのものを取り出して確認する。

 小さな手に握られていたのは野球ボールほどの大きさのビンだった。中には黄色のインクが入っている。

 ふと、正面を見ると、いつの間にか一枚のドアが出現していた。学校の教室に使われていそうな木製のやつだ。

 無地には見覚えのあるドアだった。このドアの先に進んだことで、無地の人生は大きく変わったのだった。

 進まず、引き返すことも頭に浮かんだ。今ならまだ間に合うとも思った。しかし、無地はドアの前まで足を進めた。

「進む、もう決めた。二言は、ない」

 片手に握ったインクのビンをもう一度確認して、無地は戸をスライドさせた。

 そして、前進を選んだ。


 あわあは、落下していた。

 ドアを開けて、踏み出したらこれだった。

 周りに数えきれないほどの本棚が見えた。あわあの後ろへ川のように流れている。

「いや、あわあが落ちてるんだけどね」

 落下の風で前髪が持ち上がり、おでこが寒かった。

 下に横向きの襖が見えた。

 勝手にスライドされ、あわあは飲み込まれるようにしてそこに入った。




次回、7/23(火) 18時公開!

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