第12話 逃走
【逃走】
私たちは折り返し階段を下り、屋上から二階下の階にやってきた。
妃彩がスマホのライトで先を照らすと、そこにあるはずの階段は崩れてなくなっていた。
それを見て、妃彩は言葉に詰まる。
「っ……」
「また崩れてますね……」
西が代わりに言って、私は周りを確認する。
上の階と大きく違うところは特にないが、汚れや破損がさっきよりひどくなっている気がした。隣には音楽室と代わって図工室があり、廊下には変わらず教室が並んでいる。
「またむこうの階段を使う感じかな……?」
「うん」
見内が言い、無地は頷いて何気なく図工室の引き戸を見た。妃彩と西も廊下を進もうとライトを先に向けた。
ドンッ!
「ひっ!」
小さく高い声を上げたのは見内だった。
全員が音の発生源である図工室の引き戸を凝視する。開いているわけではなく、しっかりと端まで閉まっていた。
今の音は風で揺れたときのそれではなく、誰かが戸を叩いたような大きな音だった。
「また風、だよね……?」
ドンッドンッ!
ドンッドンッドンッ!
段々と戸を叩く音が大きくなって、それがただの偶然で鳴っているのではないことを私たちは悟った。
みんなの顔から血の気が引いていく。
一番近くにいた見内さんが身を引き、無地や私のいるところまで後ずさった。
バンッと音がして、ついにその戸の一枚が枠から外れて床に倒される。同時に図工室から、<まるで腐った何かが詰められたゴミ袋のような体をした人型>が飛び出してきた。
「ひぃいいい‼」
「……!」
そいつは一直線に私たちに向かって走ってくる。
「うおりゃぁあーー‼」
靴裏がそいつの胸を突き飛ばす。ぶっとんで、そいつは図工室の奥へと姿を消した。衝突音がしたのでたぶん奥の壁にぶつかっただろう。
炸裂した死神ちゃんの中段蹴りに、一同は目を見張る。
「え、なに? どういうこと? なんで死神ちゃんはキックしてるの?」
妃彩の発言に西も少し頷く。どうやら二人にはさっきのヤツが見えていないようだ。対して、無地と見内は見えていたようで、顔から恐怖が抜けていなかった。
ベタッ
そして、畳みかけるように次の事変が起こる。
ベタッ、ベタッ、ベタッベタッ
グラウンド側の窓に赤黒い手形がひとつ。ふたつ。みっつ。よっつ。
「ちょっと、待って……」
手形から赤黒いの液体が垂れる。その場の誰もが血液だと思った。
目を見開いて西が言う。
「血の、手形……」
「ひぃぃいいっ!」
手形は私たちのすぐ横の窓まで来て止まった。すると、その向こうで黒い影が上から下へと流れる。
「人が! 今、人が落ちていったよ‼」
「え……?」
急に叫んでその窓に駆け寄る妃彩。無地は困惑した表情だ。
「それは、本当ですか?」
西が訪ねるが、妃彩は夢中で窓の鍵を解除して錆びた窓をこじ開けていて、聞いていないようだった。
私はそこから黒い気配を感じられなかった。
外の景色の高度からして今いる階はかなり高い。落ちればひとたまりもないだろう。今見た影は本当に人か? 人間なのか?
妃彩は下を覗き込む。そこに、コンクリートに手を掛けてぶら下がる黒髪が見えた。妃彩に向かってもう一方の腕を伸ばしている。
「よかった! なんとかここで手をかけたみたい! みんな、引っ張りあげるから手伝って!」
妃彩の呼びかけに、誰一人として動こうとしない。妃彩は窓から身を乗り出して手を伸ばそうとする。
「手を、取っちゃ、ダメ‼」
血の気のないその手にもう少しで届きそうだった妃彩に、無地が叫んで妃彩を思いっきり引っ張った。
妃彩は無地に引っ張られて廊下に尻もちをつき、声を零す。
「え?」
次の瞬間、その窓から憎悪に満ちたおぞましい叫び声が聞こえてきた。
『タスケテヨォォォォオオオオオオオ!!!!! アトスコシダッタノニィィィイイイイイ!!!! ジャマスルナァァアアアアア!!!!』
窓から一気にあふれ出した黒い気配が、言い終わると同時に薄くなっていく。
全員が窓の方を見て硬直していた。少しして、妃彩は無地の顔を見てお礼を言う。
「あ、ありがとう……。私、どうかしてた」
無地が妃彩を助けていなかったら、今頃彼女はあの怪異に外へ引っ張られて落下死していただろう。そう、あの怪異の思惑通りに。
私は目を見張った。
直前まで気配を感じなかった……。あの怪異、今までのとはレベルが違う……。
「ひっ。あ、あの、あれ……」
恐る恐る呟いたのは見内さんだった。私は彼女が指をさす、これから進む予定だった廊下を見る。
「人形……?」
そこには青い瞳を持った金髪の人形がこちらを向いて座っていた。
「あれは……」
私が呟く。そして、知っている知識を声に出してみんなに説明を始めた。
「たしか、アメリカとの親善を目的として日本に贈られた人形だよ」
「そうなんだ……」
特に怖い噂は聞かないから呪いにはかかってないと思うんだけど、と私は心の中で思う。
すると、人形の青い目が淡く光った。月明かりに照らされた廊下が青に染まる。
――瞬きの間、気づけば私たちの目の前には壁があった。
はっと後ろを振り向くと、宙に浮いた青い目の人形がこちらを向いて微笑んでいた。
そういえば、小学生の頃にあの子と同じ見た目の人形をユナと授業中ずっと独占して髪を撫でてたっけ。
「あ、あれ? 下に続く階段がある……」
「本当ですね……」
身内の声に西が反応し、妃彩がスマホのライトで階段を照らす。どうやら廊下の端から端に移動したらしい。私たちはその階段を下ることにした。
もと来た方を見ていた見内さんに声をかけ、私はもう一度廊下を見た。
そこにあの人形の姿はなかった。
折り返し階段の踊り場で、妃彩は壁に掛けられた絵画を指さす。絵具が滲んで何が描いてあったのかは分からなかったが、道しるべには十分だった。
「さっきはなかったよね」
「うん」
無地が頷き、西が言う。
「ということは、下の階に行けているということですね」
ほっと見内が胸を撫で下ろす。
一行に少しだけ元気が戻り、残りの階段を下って再び廊下に出る。
今度は上の階よりも床に落ちている瓦礫が少なく、綺麗だった。先を見ると、今まで音楽室や図工室があったところに教室はなく、廊下が更に奥へと続いていた。
「なんか廊下、長くない?」
「確かに。あれじゃない? 別の棟への連絡路とか」
「広い学校ですね……」
そこで、今まで行く先を照らしていた光がパッと消えた。
「えっ」
妃彩は電源を何度も押すが、スマホは黒い画面のままだった。
「充電、なくなった?」
「うん、そうみたい……」
私と妃彩でそんな会話をして、次に誰がライト係をするか話そうとしたそのときだった。
――背筋がゾッとし、全身に寒気が走った。
全員が後ろを振り向いた後の動きを封じられ、後方の壁を黙視する。
コンクリートの壁をまるで幽霊のようにすり抜けて、二本の角が現れた。
全員が後ずさり、その壁から距離を置く。
続いて黒い毛が生えた何かが出てくる。それは牛の顔のようで、その頭から二本の牛の角が生えていた。ここまでは一見して牛のようだが、次に出てきたのは腕についた、鷹のような鋭い爪だった。一本の大きな爪が頭を中心として左右両方の壁から出てくる。
そこまで見て、全員廊下を走り出した。
「きゃぁああああああ‼」
誰のものか分からない絶叫が廊下に木霊する。
『ウゴォォォオオオオ!!!!』
怒号のような低い音が響き渡り、怪物は私たちの後を追いかけてくる。
振り返ると、壁をすり抜けてきた怪物の全貌を確認できた。大きすぎる牛の頭にいかつい角、体は蜘蛛で足先は大きな鷹の爪。その恐ろしい姿を、私はおばあちゃんの持つ本で読んだことがあった。
「あれが、<牛鬼>……」
全速力でみんなが走る中、私は後ろを向きながら牛鬼の様子を見ていた。
大きすぎる一本爪を床に突き立てて、こちらに突っ込んでくる。その大きさは廊下を封鎖できるほどで、向かってきている今も教室側の壁を破壊しながらだった。
私は観察を止め、みんなを見る。意外だったのは見内さんが先頭を駆けて、どんどん私たちを置いてけぼりにしていることだった。
「きゃっ!」
途中で足がもつれたのか、瓦礫でこけたのか、妃彩が転倒してしまう。
最後尾を走っていた私は妃彩のところに駆けつける。
「立てる?」
「うん。あっ――」
私の背後に牛鬼の鋭い爪が迫る。
即座に反応し、振り返り際に空中に黒い影を出現させて大鎌を取り出す。そのまま腕に力を入れて思いっきり大鎌を振る。
振り上げられた牛鬼の腕が切り落とされて、溢れた体液が落ちる前に私は妃彩の手を引いて走り出す。
『グァァァァアアアア!!!!』
牛鬼の叫び声を背に、私は妃彩の手を引いて自分の横を走ってもらう。
「怪我はない?」
「うん。ちょっと膝を擦りむいただけ……」
見ると、妃彩の膝からは赤い血が滲んでいた。私は走るペースを落とし、少しの間止まった。
「ちょっと失礼っ」
「え? ……はわっ……!」
牛鬼が痛がっている間に、私は妃彩を背に担ぐ。片手で妃彩を支え、もう一方の手で大鎌を握る。
再び牛鬼の低い声が後方から響き渡り、先程よりもスピードを上げて牛鬼が迫ってくる。
妃彩はぎゅっと目を瞑る。
死神ちゃんも走り出すが、すぐに追いつかれそうになり、後ろに牛鬼の顔面が迫っている。靡いている妃彩のポニーテールが触れそうだった。
私は助走を終わりにして、速度を上げる。牛鬼はどんどん引き離されていく。
右側に階段が見えた。そこに先に行ったみんなは居なかった。横を通りすぎるときに確認すると、下へ続く階段は崩れていた。
牛鬼も負けじとスピードを上げ、五本になった足で再度すぐ後ろまで追いついてきた。じりじりと両者の距離が詰まっていく。
正面には渡り廊下の終わりである鉄製の両開きの開き戸が迫ってきている。私は前に走り続け、私たちは渡り廊下に突入する。続いて牛鬼も渡り廊下に入ろうとする。
――すると、突如として、教室棟と渡り廊下の接続部分にぽっかりと大きな黒い横穴ができた。
バクッ!
私の左耳が衝突音を捉え、体の向きを変えて振り向く。足を止めた。
その穴の前に差し掛かった牛鬼は、そこからいきなり出てきた<暗い白色の巨大ミミズ>に体の大部分を噛まれ、反対の壁に叩き付けられていた。
噛みつかれた牛鬼は足をばたつかせてミミズに抗うが、抵抗も空しく、黒い穴へ飲み込まれていく。
「はっ!」
その光景を前に私は呆けた顔をしたが、黒い穴の収縮と共に我に返った。
渡り廊下は教室棟の廊下よりも横幅が広く、先に行ったみんなは脇のスペースに固まっていた。
「お二人とも、大丈夫ですか?」
走った向かい風で髪がもっとぼさぼさになってしまった見内さんはそれを気にすることなく、私に心配そうな声をかける。私は妃彩さんを背負ったままみんなのところへ行った。
「私は大丈夫だよ」
私はしゃがんで妃彩さんを降ろす。
妃彩は降りてから、しゃがみ込んで擦りむいてしまった膝を確認する。
「私も大丈夫……いてて……」
「妃彩さん、膝が……」
見内が「ああ、ええっと、絆創膏……その前に消毒を……! 私、両方とも持ってない……⁉」と慌てていると、妃彩の膝にピタリと絆創膏が貼られる。
「……!」
貼ってくれたのは無地だった。しゃがんだ状態でポケットに絆創膏のゴミを突っ込み、妃彩と目を合わせる。
「消毒も、できる、やつ、だから」
「無地さん……。ありがとう!」
無地はちょっと、どやっとする。見内もほっとしていた。
「よかったぁ……」
「ご無事でよかったです」
西は無表情に言った。
ひと段落し、見内さんは私の手に握られたものを見る。
「えっと、その鎌は……?」
「ん? ああー、ええっと~」
私は手に持っている漆黒の大鎌を見て、説明はどうしたものかと慌てふためく。すると、無地が大鎌を指さして言う。
「その鎌で、アイツの足、ぶった切ってた」
ズバッといったふうに片手を振り上げる無地。
「ああー! だから死神ちゃんなんだ?」
それに妃彩も納得したらしく、見内も「な、なるほど……!」と言っている。もはやこの状況下だと、女子高生が背丈ほどの大鎌を振り回していても不思議ではないのだろうか。
そんな中、西だけは先程から無表情に話を聞いていた。
「これからどうしようか」
妃彩が言い、運動して血圧が上がったからか少し元気な見内が答える。
「そこの階段、見たんですけど、崩落してました……」
「そうなの? え、どうしよう。見内さん、もう下には進めない感じ?」
「はい、あの鉄扉も鍵がかかってるみたいで」
そこで私が、今いる渡り廊下の脇の逆サイドにある部屋と先の鉄扉を指さす。
「あの鉄扉は図書館に鍵があると思うよ。広い学校って職員室だけじゃなくて図書館とかにもスペアの鍵があったりするから」
「そうなんだ。じゃあ図書館入ってみる?」
「そうですね」
「うん」
無地も頷き、一行は渡り廊下で唯一の部屋である図書館へと向かう。
廃れながらも図書館と読み取れるプレートを見てから、私は引き戸の取っ手に手をかけて、スライドさせた。
あわあは冷たいコンクリートの上で目を覚ました。
身を起こし、高い襟を人差し指で摘まむ。何度か瞬きをして、周囲を観察すると、辺りは薄暗かった。開いた瞳孔が暗闇に対応して、あわあはどこか荒廃した建物の中にいることが分かった。
「あれ……? こはるは……?」
もう一度周辺を見渡すも、死神ちゃんの姿はなく、ただ壁や天井から剥がれ落ちた瓦礫と散乱した教科書や机が静寂を保っていた。
あわあは立ち上がり、六畳ほどしかない部屋を裸足で歩き回る。
壁際に寄せられた机と椅子。立てかけられた脚立。埃をかぶったテニスラケットに倒れた棚、そこから飛び出した教科書や資料。
どれも所狭しとあり、面積の狭い床は足場が悪い。部屋の中央に置かれた四角い机の周りを一周し、あわあは呆然とこの光景を眺めていた。雪のような銀髪が暗闇の中でよく映えた。
すると、あわあの両耳が無意識にぴくぴくと動く。
次の瞬間、バンという地響きの音と共に部屋が少し揺れ、天井から砂埃がパラパラと落ちてきた。
「ん……」
片目を瞑りながら、手で降ってきた砂埃から目を守る。
バタッ
「……?」
振動で棚から何か落ちたのか、中央にある机を挟んだ向こう側で埃が舞い上がっていた。机と重なって何が落ちたのかは見えなかった。
あわあは足元に気を付けながらも、何かが落ちたであろう場所から目を離さずに近づく。
果たして、そこにあったのは一冊の本だった。図鑑のように大きく、表紙が分厚いものだった。先程の揺れで天井の一部が崩落し、小さな穴をつくって、そこから差し込んだ月光が本を柔らかく照らしていた。
あわあは本を手に取り、表紙に着いた埃を手で払った。藍色の表紙に金の文字で何か書いてあったが、読むより先に開いた。
――それはアルバムだった。
ページいっぱいに写真が貼られている。もう一度表紙に戻って刻まれた金色の文字を読む。<卒業>と書かれていた。
卒業アルバムだった。
ページを余すことなく貼られた写真。そこに映るのは無邪気な笑顔をこちらに向けた子供たちの姿。それが、ページをめくるたびに段々と大人びていく。
あるページであわあの手は止まった。
地域探検なのか、学校統一らしい黄色いバインダーを手にした女の子二人のツーショットだった。二人の仲がいいことがその一枚だけでもよく分かった。
その横には橋の上を駆ける同じ二人の写真。元気そうな子が先を行って振り返り、もう一人の子がその後を追いかけて走っている。更に横には石段に座ってお弁当を食べる二人の写真。大きなおにぎりにかぶりついた子はその水色の瞳をした大きな目でこちらを見ていて、黒髪で緑色の瞳をした子がピースをしている。
「こはると……ゆな、だっけ」
あわあはこはるとよく一緒に遊んでいた子の名前を思い出した。
ユナ。こはるの親友と呼べるほど仲が良かった子だ。
「たしか、こはるは五年生の冬始めに転校するんだっけ……」
その話を聞いたのがその年の夏で、あわあが死んでしまったのがその年の秋だったはずだ。
度重なった悲劇。こはるがどれだけ悲しんで苦しくて、寂しかったか。
――なんで、そのとき一緒にいられなかったんだ。
あわあは唇を噛んだ。
「……」
ふとして後ろを振り返ると、この部屋からの唯一の出入り口であるドアが見える。
短い廊下をぺたぺたと裸足で歩き、ノブに手を乗せる。回すとカチャリと音がして、あわあはドアを押し開けた。
次回、7/22(月) 22時公開!
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