第8話 記憶

【記憶】


 岐阜の山奥。左右を山に囲まれた谷間の町。

 その山際に一つの小学校がある。Iの形をした五階建ての教室棟と、その三階の渡り廊下で繋がった職員室棟で構成され、隣には敷地の半分を占めるグラウンドが広がっていた。

 グラウンドの隅に設置された遊具のうち、こはるとユナは二人でぽかぽかとした日の下でブランコをこいでいた。

 視界が引いていき、浮遊感と共にこはるの髪がふわりと持ち上がる。

「ユナー」

「なにー? こはるー」

 続きを言わず、こはるは少し黙っていた。全身で重力の落下を感じながら、ぽつりと言う。

「わたし、転校することになっちゃった……」

 そこで、ユナのブランコをこぐ足が止まった。

「え?」

 驚きで見開かれたユナの瞳が、俯くこはるの顔を映す。

 いつの間にか、こはるは草の剥げた地面に足をついて止まっていた。


 小学五年生の冬はじめ、私は岐阜の山奥から街中の他県に移住することが決まっていた。

 引っ越し作業が終わって、挨拶回りの最後に仲良くしていたユナの家に行った。

「今まで仲良くしてくださって、本当にありがとうございました」

「いえいえ、ユナったら、こはるちゃんのことを毎日のように話してくれていましたわ」

 私は前髪の影で顔が隠れるようにして、自分の足を見ていた。

 時々、ユナのしゃっくりが鼓膜を叩いた。

 どんよりとした曇り空の下、私のお母さんとユナの両親は一通り会話を済ませたあと、私とユナを交互に見てから「では、そろそろ」と私のお母さんが言った。

 私はお母さんに背中を押されて、小さな声で言う。

「……じゃあ、ね」

 私はそのとき初めてユナの顔を見た。

 緑の瞳の大きな目から溢れて止まらない涙を手で何度も拭いながら、ユナは私の赤紫の瞳を見て、震えた小さな声で言う。

「……うん」

 私はお母さんに背中を押されながらもユナに背を向けた。振り返っても、ユナは泣きながら手を振っていてくれた。

 ユナは両親に背中を押されながら、家に戻っていく。

 私は最後にもう一度だけ振り返って、泣きじゃくる彼女の背中を見た。

――私の赤紫の瞳に映ったユナは〈黒い気配〉に纏わり付かれていた。




次回、本日(7/20土) 22時公開。

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