第7話 因果の術式

【因果の術式】


「お姉さん、ありがとうー!」

 無事に三毛猫のミニャちゃんを家に送って、玄関からミクナちゃんとお母さんに見送られながら私は手を振り、敷地を出る。

 すると、塀の横であわあが待っていた。

「お、ちょうどそっちも終わったんだ?」

「うん。みんな自分の家に帰ってもらったよ」

 月明かりの下を、死神ちゃんのマンションへ向かって二人で歩く。

「こはるは今どこに住んでるの?」

「マンションの四階だよ。あっ、部屋ちょっと散らかってるかもだけど、ごめんねっ」

 私は顔の前で両手を合わせて片目を瞑る。

「……相変わらずだね、ほんとに」

 あわあはちょっと失望気味に肩を落としてみせる。すると、死神ちゃんは思い出したように突然手を叩く。

「あっ、そうだ! 私行きつけのたこ焼き屋さんがあるんだけどね! そこのたい焼きがすごくおいしいんだよ! 今度連れて行ってあげる!」

「たこ焼き屋さんなのにたい焼きなの……?」

「そう! 私のおすすめは、カスタードたい焼き!」

「へ、へぇー」

 死神ちゃんはちょっと落ち着いてから、あわあに話を振る。

「あわあは、猫又になってからなにか好きな食べ物出来た?」

「え、うーん。そうだなぁ」

 あわあは余った袖から手を出して人差し指を顎に当てて考える。

「あわあは、ヨーグルトが好きかな」

 おじいちゃんが助けてくれたときに持ってきたのが水とヨーグルトだった。

「へぇ~、健康的だね。私も好きだよ、特にブルーベリー入りのやつ」

 少しの間が空く。

「あわあって、自分の事<あわあ>って言うようになったんだね」

「ふぇ?」

 私はいたずらな笑みを浮かべてあわあを見る。

 あわあは少し顔を赤らめて言う。

「うっ、もー! なんか悪いかーー‼」


 コンビニで晩御飯を買い、休憩スペースで食べて出てきた死神ちゃんの兄は、外にあるごみ箱に空のペットボトルを捨てる。

 コンビニの敷地を出て帰ろうとしたところで、入る前に見た黒猫をもう一目見た。

 魂が入っている。無事に戻ってきたのか。今は疲れてぐっすりだろうな。

 今度こそ帰ろうとして後ろを向く。

 しかし、一歩踏み出したところで足が止まった。目に残った黒猫の残像に違和感があったからだ。

 振り返ってもう一度よく見てみると、首近くに赤いものが見えた。赤い首輪をしているのだから、始めはそれが見えていると思っていた。しかし、その赤は地面にまで広がっていた。

 黒猫に近づき、暗闇の中で遠くのコンビニの明かりを頼りに目を凝らす。

 目を見開き、思った。なぜ気づかなかったのか、と。最近の平和な生活で自分は鈍ったのか、と。

――その黒猫はすでに死んでいた。首元を掻っ切られて殺害されていたのだ。

 なんだ? 大型の鳥にでもやられたのか? いや、だとしたら肉体に魂が残っているのはおかしい。胎呪だからか? だが、憎悪や未練といった呪いの気配を感じない。

 息を呑む。真紅の瞳を凝らして更なる情報を探す。そして、気づいた。

 この黒猫の魂は強制的に肉体に縛り付けられている。

 黒猫に付着した微かな残穢を見た。

 猫又と化け猫の残穢、

「ッ!」

 そして、もう一つ――

――玉藻前の残穢を。


 昼間に訪れた祠を通り過ぎ、私たちは赤になった歩行者の信号を見て交差点の横断歩道の前で立ち止まる。

 すると、あわあが私をちょんちょんと袖でつつく。

「こはるさ、いつの間に死神になんてなったの?」

 突然の質問にキョトンとしながらも、私は答える。

「んー、お兄ちゃんが死神だしなー。うちの家系は代々そんな感じだし?」

「でも、こはるって死神の適正なかったんでしょ?」

 死神の適正は生まれつきの才能で、神から鎌が与えられているかどうかで決まる。

「そうなんだけど、なんかいつの間にかなってたんだよねー」

「ふーん。でも、大丈夫なの? その、精神的に」

「大丈夫だよ」

 思ったよりも力強い返事が返ってきて、あわあは少し驚く。

「苦しんでる人を前に、見てるだけは嫌だからね」

 信号が青になる。私は少し走った。

「まっ、ただの自己満足だけどねっ」

 死神ちゃんは横断歩道の中間で振り返ってそう言った。

 街灯の光に照らされた死神ちゃんは少し腰を折り、その上で手を合わせて、あわあに微笑みかけていた。

「こはるならどんな魂だって救える。絶対」

 信号の緑色と街灯に照らされたあわあは、強い意志を持ったような真剣な顔をして言った。

「ふふっ。なに? 急に」

「いや、思ったこと言っただけだし……! 絶対だから、ぜったい!」

 笑いながら横断歩道をあわあと渡って少し歩くと、目の前にマンションが見えてきた。

「あれだよ」

「おお、結構高い」

 八階くらいまであるだろうか。マンションは近づくにつれてどんどん大きくなっていくように見えた。

 田舎猫のあわあがその高さに圧倒されていると、突然、死神ちゃんがぽつりと呟く。

「なんか……時計の針みたいな音、聞こえない?」

「え?」

 言われてあわあも猫耳を欹てるが、それらしき音は聞こえない。

「こっちの方かな……」

 そう言って、死神ちゃんはマンションへの道を外れる。

「えっ、マンションってこっちじゃ……?」

 死神ちゃんは聞き入れず、音のするらしい方向へと進んでいった。あわあは急いで死神ちゃんについていく。

 着いたのはマンションの近くにある小さな公園だった。

 アスレチックに滑り台が融合した遊具や、動物の腹にバネのついた乗り物、鉄棒などがあり、紅葉しかけの木々の下にはベンチが複数個設置してあった。

 そんな公園の中央に、光をひびに反射させて虹色に輝くアメジストらしき紫の石が、わずかに光を放って浮いていた。そこから、カチッカチッと時計の秒針のような音が発せられていた。

「なんで、こんなところに……」

 それは中に模様が入った紫の石。

 間違いない。小学生の頃、二人の宝物だからとユナと祠に閉まったはずのあの石だ。

 石はあの日の夕方の光を取り込んでいたかのように魔性の紫色に輝き始める。すると、中に描かれていた模様が空気中に浮かびあがって死神ちゃんの背丈ほどまで拡大し、石は粉微塵に砕けてキラキラと空気中に溶けた。

 石の中に刻まれた<因果の術式>が、時を得てその結末を開示しようとしている。過去に得た原因が今、結果となってこの世に顕現しようとしているのだ。

 因果の術式は構築を始め、鮮やかな紫色に輝き、まるで時計の中身を模したかのような模様へと変化する。普通の時計であれば十二時と書かれている場所の一分前のところに紫色の太い針があり、一秒ごとに進んでいく細い針は真下からスタートした。

 術式の構築が完了するまで後三十秒。


 死神ちゃんの兄は黒猫の魂を無事に肉体から切り離して天国へと送り、全速力で道路を疾走していた。

「あんな芸当が出来るのは並大抵の怪異ではないが、まさかアイツだとはっ……!」

 九尾の狐、化身玉藻前。以前、那須を訪れた際にその残穢を全身で感じた。それがあの黒猫に付着していたということは、奴が近くに来ているということだ。

 引っかかるのは、なぜ黒猫の魂を肉体に結んでいたのかだが……。

「まさかアイツ、俺たち死神がこの町にいるのを知って……⁉」

 猫又の猫の徴集。そこに行ったこはる。そして、この町に現れた玉藻前。

「猫又と玉藻前の対立……。この町を守るために猫を集めていたのかっ!」

 唇を噛み、死神ちゃんのマンションへと走る。もうすぐで昼間に別れた交差点だった。


 術式の構築完了まで後二十秒。

「こ、こはる?」

 あわあは公園の入り口で立ち尽くしていた。

 こはるが紫の複雑な模様の前で立ち尽くしている。あの光は明らかにやばい。このままじゃ何が起こるか分からない。いち早くこはるをここから離さんと。

「こはる! なんかやばいって! 離れたほうがいいよ‼」

 しかし、死神ちゃんは全く耳に入っていないのか、呆けた顔のままたたずんでいた。

 今、死神ちゃんの頭の中には最近思い出していた子供の頃の記憶が断片的に勢いよく流れている。


 小学五年生の冬はじめ、岐阜の山奥から街中の他県に移住することが決まっていた。引っ越し作業が終わって、挨拶回りの最後にユナの家に行った。

 ユナは泣きながらも最後まで手を振ってくれた。

 私たちは両親に背中を押されながらも互いに背を向けた。私は一瞬だけ振り返って泣きじゃくるユナの背中を見た。


「……ユナ……?」

 あわあは耐えきれなくなって死神ちゃんのところまで駆けだす。しかし、その足は半分を過ぎたところで止まってしまった。

 膝が笑う。これ以上進んだらやばいと生存本能が警報を鳴らしている。

 あわあは目の前の死神ちゃんを見た。

 どうすればいい? どうすれば手が届く? どうすればあそこから離せる?

 あわあには、どうしようもなかった。もはや、声をかけることすら出来なかった。

 術式の構成完了まで後十秒。

 死神ちゃんは紫の線で描かれた時計の真ん中に片手を伸ばして、指で少し触れる。

 最後の一秒、太い針と細い針が同時に動き、二つの針が真上を向いた状態で揃う。

 因果の術式が発動する。時計は消滅し、紫の粒子となって、まるで嵐にでも吹かれているかのように死神ちゃんの周りを素早い動きで取り巻く。

 激しい紫粒子の竜巻の中で、死神ちゃんの黒髪は靡き、ジップパーカーはバサバサと風で踊っていた。

 あわあの銀髪もまた、風で靡いて高い襟はゆらゆらと押されている。

 紫粒子の竜巻は、あわあを巻き込むように楕円球状に広がり、その一つひとつが中心から段々と輝きを増し始める。

 ついに死神ちゃんが見えなくなった。

「おい! 猫又! どういう状況だ‼ こはるはどうした‼」

 公園の入り口にスーツを着た若い男が息を切らして立っていた。

 あわあは男を見てから、すでに粒子の嵐に吞み込まれた死神ちゃんが立っていたであろう場所を見る。

 そして、視界が真っ白に染まり、あわあも眩しすぎる紫の粒子に呑み込まれた。

 二人を呑み込んだ紫の塊が爆散して、キラキラとわずかな粒子が舞った。

 公園には、一人の兄だけが取り残された。




次回、7/20(土) 18時公開。

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