第3話 夜の学校
【夜の学校】
そして着いた夜の学校。
校舎一階の離れにある職員室は電気がついていて、まだ先生方が仕事をしていらっしゃるようだ。
「お仕事お疲れ様でーす」
放課後侵入にも礼儀というものがある。というわけで、背を低くして職員室の窓下をくぐり抜け、校舎の裏へと回る。
「さて、今日はちゃんと開けてくれてるかなぁー」
小声で独り言を呟きつつ、上半身を起こした死神ちゃんはうさぎ小屋へやってきた。
近くに設置してあるコンクリート製の水飲み台を踏み台にして跳躍し、うさぎ小屋の屋根に登る。
下のうさぎが何匹か起きて耳をぴくぴくとさせた。
続いて校舎を支える横向きの鉄筋コンクリートに手をかけて「よいしょっ」と登る。
「左から三番目〜」
コンクリートの上を歩きながら、指で窓をさして、いち、にぃ、さん、と数え、廊下と外とを隔てるその窓に手をかける。この前は鍵が開いていなくて、近くの公園まで行って試したのだが、上手くいかなかったのだった。
果たして、窓はなんの抵抗もなくすんなりと開いた。
「よし、よし」
一段上の窓の桟に指を引っ掛け、体をくの字に曲げて足からスタリと校内に侵入。私は二階の廊下に降り立った。
ふと廊下の中央、階段の方を見ると、曲がり角のちょうど背丈が小学生くらいの位置に、白い人間の手が見えたような気がした。
その白は暗い校舎でよく映えた。
私はそれを追いかけるようにして廊下の中央へと向かい、角からひょこっと顔を出してみた。しかし、そこには上下の階へ続く階段があるだけだった。
そのうち上階への階段を上り、私は三階の真っ暗な廊下に出る。そして、左隣の女子トイレに入った。
もう流行りもすぎてしまった都市伝説の一つ、学校七不思議。その名の通り、学校で起こる不可解な出来事を七つにまとめたもので、人から人へと語り継がれる。地域や学校でその内容や数が少し違うこともあった。
そして、その中でも代表的な存在として知られているのが、《トイレの花子さん》だ。
放課後、三階女子トイレの奥から三番目の個室の前に立ち、ドアを三回ノックする。
そして、唱える。
「はーなこさん、あーそびーましょー」
これが、花子さんを呼び出すための条件である。
夜と夕方の狭間、景色が赤紫に染まる丑三つ時。それはもっとも化け物に出会いやすい時間帯。
私はそこで返事を待っていた。
「はぁーあーいー」
しばらくして一字ずつゆっくりとつなげた発音で、高い女の子の声が聞こえた。
個室の内側からドアが開かれる。
「……」
そこには、赤い吊りスカートを着た、ミディアムヘアの女の子が少し浮いて立っていた。
その女の子はにやりと口を歪ませる。前髪で隠れていて目を見ることはできない。
「こんばんは、花子さん」
私はゆっくりとした口調で言った。
「あぁーそーぼぉー」
花子さんは個室の奥へ少し下がり、人ひとり入れる隙間を作る。
何も言わず、私は個室へと入っていった。
ゆっくりとドアが閉まる。
――もう、そこには誰も居なかった。
別世界、裏世界、呼び方は様々だが、この世にはもう一つの世界が存在する。
特定の条件下で開かれるその扉はもう一つの世界に繋がり、人を誘う。知らず知らずのうちに条件を満たして迷い込み、帰ってこなかった例がほとんどで、全国各地で行方不明者を出している。
トイレの花子さんの例もまた、その一つだ。
真っ白なフラット空間を、私は花子さんと二人で歩いていた。
「今日もお邪魔しまーす!」
「いらっしゃい、死神ちゃん」
私が元気に言うと、花子さんが笑顔で迎えてくれた。
「もうみんな来てる?」
「うん、先週持ってきてくれたウノってやつをみんなでやってたところだよ」
「おー、どう? ウノ、おもしろいでしょ」
「うん」
この空間は花子さんに引きずり込まれた後に一緒に遊ぶ場所。噂と伝承で構成された花子さんの特殊空間。つまり、花子さんの世界である。私は毎週ここでみんなとカードゲームやらボードゲームやらをして遊んでいるのだ。
「そういえば、この前はなんで来なかったの? なにか用事あった?」
この前というのは、窓に鍵がかかったままだったときの事だろう。あの後、近くの公園のトイレで花子さんの呼び出しを何回かやったのだが、上手くいかなかったのだ。
「二階の窓が開いてなくてさ~。他のところから行けないか試したんだけどダメだった~」
「えー、そうだったの。もー、ちゃんと開けといてって言ってるのに」
しばらく進んで、前方に一部畳の床が見えてきた。
そこには既に四つの影があった。
なにやら本を読んでいる二宮金次郎像。ユニホームを着てバスケットボールをついている少年。指の関節を数えている理科室のガイコツ。
そして、花子さんは最後の一人、直立停止している理科室の人体模型へと向かっていく。
「今日もありがと。毎週月曜日と金曜日は二階の左から三番目の窓の鍵をあけておいてね」
「……」
人体模型は答えない。
それもそのはず、そもそもこの学校での人体模型の噂は廊下を走り回るというものなので言葉は喋れないのだ。だから、本来は特定の階の特定の窓の鍵を開けておくなんて事はしないはずなのである。
「口約束による呪縛かー。いいなー、私も呪術使えたらなぁ」
私はみんなの輪に加わりながら小さく呟いた。
呪縛とは、代償と引き換えに縛りを与える呪術の事である。その内容によって縛りの強さや破ったときのペナルティが変化するので、この界隈ではよく取引の際に用いられる。
花子さんと人体模型の場合は、花子さんの方が上位存在かつ内容的に弱い縛りになるので、代償なしで人体模型に縛りを与えられる。
しかし、時の経過で縛りが弱まるたびに人体模型は窓を開け忘れることになるので、花子さんの強呪文字である《3》を指定して縛りを補強しているのだ。
ちなみに強呪文字とはその怪異や呪い、呪霊にまつわる文字のことであり、自身の持つ固有の呪いをかけたり、呪術の力や効力を強めたりすることができる。
「お、死神ちゃんじゃん! 今日なんか遅くね?」
「やほー、バスケ少年。いやー、帰りに先生に捕まって遅れちゃった」
いやはや、自業自得ですが。
「ちなみに、死神さんがノックしたとき、あと三秒で丑三つ時終了でしたよ」
座布団に正座して本を読んでいる二宮金次郎像が言う。丑三つ時を過ぎると花子さんに会える確率はかなり下がるのだ。
「まじ……、ぎりぎりセーフじゃん。あぶなー」
「まじ、とは?」
「やべぇって意味だよ、金次郎。さっ、死神ちゃんも着たし早くウノの続きやろうぜ」
バスケ少年は白い床でついていたバスケットボールを頭に乗せて、畳の上の座布団にあぐらをかく。
「カタカタカタ」
理科室のガイコツは既に座布団に正座していて、負けないぞと言いたげに歯を鳴らす。
二宮金次郎像は手持ちの本に鉛筆でなにやら書いている。
「じゃあ、私がカード配るね~」
私も座布団に座り、真ん中に置いてあったウノを手に取ってシャフルする。いままで人体模型の頭を撫でていた花子さんも、人体模型を隣に座らせてから、私の横に座る。
円を作るようにしてこの場の全員が着席し、幽霊二人、模型二人、銅像一人、死神一人のウノが始まった。
一枚のカードが円の中央、既に数枚のカードが積まれている場所へと置かれる。
金次郎像が出したそのカードは――プラス四。
「ぬぉぉぉぉ⁉」
ラスト一枚だったバスケ少年は絶望と驚きが混ざった声で叫ぶ。
「青」
金次郎像は色を指定し、バスケ少年はしぶしぶ山札からカードを四枚引く。
「どんまい、バスケ少年!」
落ち込んでいる少年に私は声をかける。
「なんか嬉しそうだな!?」
続いて理科室のガイコツ。
「カタカタ、タタタ」
青のリバース。回る順番が逆になり、次は再びバスケ少年。
「しゃあ! お返しだ!」
勢いよくカードが出される。
青のプラス二。
金次郎からさらりとカードが出される。
緑のプラス二。
「それいいの?」
ルール確認のため、私が訊く。
「はい、我々のウノではありです。ちなみに二枚出してあがるのもありです」
「おっけー」
言って、私はパタッとカードを出す。
黄色のプラス二。
お次は花子さん。
「……」
……、……、……。
空間が殺気に満ちる。
空中にどこからともなく無数のナイフが現れた。
「ごめんて‼」
「ごめんて‼」
私とバスケ少年は同時に叫ぶ。
「ご、ごめん……」
少々遅れ気味で金次郎像が言う。
「ん~!」
頬を膨らませて悲しみながらも、花子さんは山札からカードを計六枚引く。
次は人体模型の番だ。
一気に二枚のカードを出す。
黄色の二が二枚。
人体模型の手にカードはもう残っていない。あがりである。
「いやー、負けたぁー」
勝者が決まったのでゲーム終了だ。
「今回もあがれなかったぜー」
「やられましたー」
「カタタカッター」
バスケ少年は人差し指の上でバスケットボールを回している。金次郎像も手を後ろについて目をつぶっている。ガイコツもお手上げといったように両手を挙げて、そのまま後ろに倒れた。
「……」
しかし、人体模型は何をするでもなく停止している。花子さんはそれをじっと見てから呼びかけた。
「じんくん」
花子さんは立ち上がって、人体模型のじんくんの後ろに回る。
「勝ったときはこうするんだよ」
そう言って花子さんはじんくんの右腕を持ってガッツポーズをさせた。
「そうだぞ! 勝ったんだからもっと喜べ!」
バスケ少年も嬉しそうに笑った。私にもじんくんが少し楽しそうに見えた。
しばらくぼーっとした後、再びバスケ少年が口を開く。
「んあ、そういえば水野のやつも最近来てなくないか」
ふと思い出したようにバスケ少年が言う。
「水野?」
私が訊くと、花子さんが答える。
「水野ちゃんは、五年前くらいに見つけた子でね、オセロがすごく得意なの」
「ほぇ~」
「なぁ、久しぶりに会いに行ってみねぇ?」
「私も久しぶりに会いたい」
バスケ少年の提案に花子さんが賛成する。
「そうだな」
「カタカタ」
金次郎像とガイコツも賛成のようで、それぞれ立ち上がって花子さんの周りに集まり始める。
私も水野ちゃんに会いに行くため、立ち上がる。
「あ、でもその前に」
そう言って、花子さんはこちらを向く。
「死神ちゃんにお仕事だよ」
そうしてやってきた、夜のグラウンド。
花子さんの空間はこの学校のトイレならどこでも繋がるので、グラウンドの女子トイレから出てきた。
午後十時。
職員室の明かりは消えていて、先生はもういないようだ。
「あ、出てきたよ」
私たちの前方、グラウンドの平らな地面に一部盛り上がっているところがあった。
私はそれに近づいていく。みんなは後ろで私を見守っている。
その盛り上がりにひびが走り、頂上が割れて一本の腕が伸びた。すぐに二本目の腕が出土し、上半身が露わになる。
ゾンビ。死者の魂が死後も体に残り、腐食した体で歩き回って人を襲う怪異。
しかし、日本のゾンビは肉体が既に処理されていて、魂だけが残っている例が多い。だから、大体の個体はグロテスクではない。つまりは、ほぼ幽霊みたいなもので人も襲わない。
「私には襲い掛かってくるけどね」
盛り上がりがひとつ、ふたつと増えていく。
正面、出てきたのは女子高生のゾンビ。うちの高校の生徒だろう、昔の制服を着ている。その所々が破れて青白い肌が露わになっていた。
彼女は右足を引きずって唸り声をあげながらこちらに向かってきた。
「ヴァア」
「今、楽にするからね」
右腕後ろの空中に円形の黒い影が出現する。私はそこから出てきた黒い柄を左手で取る。引っ張り出し、手首を返してその向きを変え、右足を引いて、その背丈以上もの漆黒の<大鎌>を両手で握った。
「いくよ!」
腰を落とし、始めに出てきた正面のゾンビに向かって、大鎌を引きずるイメージで鎌部分を後ろに、刃を正面に向けて駆ける。
横を走り抜けて、ゾンビに掛けた大鎌を水平に前へ押し出すように振り、腹を切り裂いた。
ゾンビは薄く光って消滅する。
振り返り、追ってくる三体のゾンビに向かって再度走った。真ん中に入り、両手で大鎌を精一杯に振る。大鎌は半円の弧を描き、一振りでゾンビたちを一掃した。
残り二体。
二体の間に距離があったので、その間に入るように片方によりながらダッシュする。間合いを詰めて跳躍時に胴体を切り裂いた。
その勢いで体を捻って回転し、遠心力を利用してもう一体にできるだけ近づいてから大鎌を振り下ろす。
大鎌で地面を浅く削って砂埃をおこしながら着地した。ゆっくりと立ち上がって大鎌を地面に置く。
私はやっと天国に逝けたであろう生徒の霊たちに祈りを捧げ、大鎌を拾ってみんなのところに戻った。
「相変わらずめっちゃ強いな」
「ですね」
「カタタ」
バスケ少年と金次郎像と理科室のガイコツは、ただただ死神ちゃんの強さに圧倒されるばかりだった。
「お疲れ様」
花子さんが私を出迎えてくれる。
「お待たせ~。じゃあ水野さんのとこ行こっかー」
「うん」
グラウンドのトイレに向かいながら私は花子さんに聞く。
「そういえば、水野さんってどこに住んでるの?」
花子さんは歩きながら答えた。
「プールだよ」
次回:7/16(火) 22時公開!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます