悪意の鬼

やざき わかば

悪意の鬼

「どうしよう。完全に道に迷っちゃった…」


 一人で登山中の女が、山の中で道を見失い彷徨っていた。遭難した時は頂上を目指せと言われていたが、今歩いている道が山頂に向かっているかどうかもわからない。


「嫌だな。この山、人食い鬼の噂もあるのに…。信じているわけじゃないけど、気持ちは悪いよね」


 女は一人ぼっちで遭難、という最悪なイメージを考えないよう、わざと大きな声で独り言を喋りながら歩く。日帰り登山を想定していたため、食料も水も心もとない。しかも、明日は人と会う約束をしているのだ。


 少し休憩しようと、木の根元に腰をおろした女の頭上から、突然声がした。


「へぇ、珍しい。人間がいる」


 驚いた女が木を見上げると、歳のころは7~8歳。髪はボサボサだが、可愛い顔をした少年が、枝に座りながらこちらを見ている。


「ああ、びっくりした。そんなところに登っていると危ないよ。降りておいで」


 少年は少し考える素振りを見せたが、器用に降りてきて、女に話しかけてきた。


「なぁ、その手に持ってるのなんだ?」


 女は、たった今食べようと思って包装を開けた羊羹を、少年にあげた。


「羊羹だよ。美味しいから食べてみて」

「本当か? ありがとう。いただきます」


 美味しそうに食べる謎の少年をよく見てみると、頭にツノのようなものがある。歯も、犬歯というよりは牙にしか見えないものが二本。所々人間離れしている。女は恐る恐る聞いてみた。


「ねぇ。まさかとは思うけど、君。人間だよね?」

「俺か? 俺は鬼だ。ツノがあるだろう」


 人食い鬼の噂は本当だった。女は恐怖のあまり動けなくなってしまった。


「ありがとう。美味しかった。人間はこんな美味いもん食ってんだな…あれ? どうした人間」

「あ、貴方。人食い鬼でしょう。これから私も食べてしまうんでしょう?」

「なんで俺がお前らなんか食わなきゃなんないんだ。人間の肉なんか食べないよ」


 ぽかんとしている女に、鬼は続けて言った。


「俺はね、人間の悪意を食うんだ」


------


 女が自宅に着いたのは、夕方から夜にかけての時間。逢魔が時だった。


「ありがとう。君が案内してくれなかったら、今日中に帰れなかったよ」

「なぁに。ヨウカンのお礼だ。気にするな」

「それは私の気が収まらないよ。ちゃんとお礼するから、明日一緒にお出かけしない?」

「そうだなぁ。最近、人間の悪意も食ってないからな。じゃあ、お願いするよ」

「やった! 今日は私のお家に泊まってね。合う洋服があったと思うけど…」


 次の日、ツノを隠すための帽子を被り、人間の服を着た鬼と女が街へ出かける。その途中に、理由はわからないが喧嘩をする人間の男二人がいた。


「ねぇ。悪意を食べるんでしょ? あの二人の悪意を食べて、喧嘩を止められない?」

「悪意が喧嘩の要因となっているかはわからないけど、久々にいただくとしようかな」


 鬼は喧嘩をしている二人の元へ近付き、身体を触った。


「ん? なんだガキ。危ねぇからあっち行ってろ」

「いただきます」


 ぞぞぞぞぞと音がして、男二人の身体が波打つ。時間にして数十秒、二人とも地面へ座り込んでしまった。一人はふわっとした顔をしているが、もう一人は困惑した顔をしている。


「ただいま。久々の悪意は美味しかった」

「お疲れ様。これであの二人も喧嘩をやめるかな?」

「さぁ、どうだろうね。見てると良いよ」


 女は鬼の言っていることが理解できず、もう少し流れを見ていることにした。すると…。


「ああ、なんとも言えない気分だ。殴って悪かったね。それじゃ」

「待て! お前が俺の彼女をバカにしたことは解決してないぞ! それも謝れ!」


 まだ揉めている。


「ね。俺は悪意を食べるけど、世の中の争いや諍いってのは、同じ量の悪意のぶつかり合いではないことがほとんどなんだ。恐らく、あれは片方の男が、相手の男の恋人をバカにして喧嘩になったってところだろうね」

「へぇー、そっか。ところで、あたしにも悪意を感じる?」

「いや、お前には悪意は感じられないな」

「そうなんだ。これは喜んでいいのかな」

「どうだろう」


 そろそろ約束の時間だということで、二人は待ち合わせの喫茶店に入った。約束の相手はすでに来ていて、人間の女二人はコーヒー。鬼はトマトジュースを注文した。


 鬼には二人の会話など、興味がないので聞き流していたが、何やら揉めているようだ。しまいには相手が怒って、席を蹴って出ていってしまった。女は鬼に言う。


「あの子に悪意がないか、見てきてもらえないかな。あったらそのまま食べて」


 なぜ俺がそこまで人間に振り回されないといけないのか、とは思ったものの、面白そうなのもあったので、出ていった相手を追った。


「お姉さん」


 声をかけて振り返ったお姉さんは、泣いていた。悪意はない。


「女と一緒にいた子だね。どうしたの? 一人で出歩くと迷子になっちゃうよ」

「俺は大丈夫。でも、お姉さんが気になって。何故あんなに怒ったの」

「君に言うのも憚られるけど…。君と一緒にいた女さんはね、ちょっと人としておかしいの。普通は悪いと思われることが、彼女の中では存在しないみたい」


 続けてお姉さんは言う。


「あの子はね、私の彼氏をあの手この手で奪ったの。それを問い詰めたら、『あの男が私を好きになったんだからしょうがなくない?』だって。自分から手をまわしたのにね」


 お姉さんは少し涙ぐんでいる。


「そういう男だってわかったから、別にそれはいいんだけど、少しは悪いと思ってほしくて、今日会ったの。そしたら『あんな男、もう捨てたよ。つまんないブ男であんたにお似合いだったね』だってさ」


 ぽろぽろぽろぽろ涙を流しながら、鬼に不満をぶつけるお姉さん。鬼は言う。


「お姉さんは綺麗だよ。悪意が何かを理解したうえで、悪意のない生活を送っている。俺はたくさん人間を見てきたけど、お姉さんみたいな綺麗な人間は、絶対に幸せになる。俺が保証するよ」

「不思議なことを言うね。でも、ありがとう。頑張って、忘れられるようにするよ」


 お姉さんと別れた鬼は、喫茶店に戻り窓の外から女を見た。誰かと電話で、大声で楽しそうに喋っている。悪意は見えない。


「悪意もなく他人を傷付けることが出来るなんて、人間はすげぇ器用なんだな」


 なんとなく腹が立つから、女に「分かりあえる人間と一生出会えない呪い」をかけて、鬼は山に帰っていった。

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悪意の鬼 やざき わかば @wakaba_fight

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