episode7 迷い込んだ白い犬

 カーテンの隙間から見える庭の花々に朝の明るい日差しが降り注いでいる。今日は畑の雑草を摘もうとデッキへの窓を開けると、何処からか仔犬の鳴き声が聞こえた。心細そうに啼いている。

『クゥーンクゥーン』と弱々しい声で…シンディは靴脱ぎ石の上のサンダルに足を通して辺りをうかがう。何処だろう庭には雑多に植えられた多くの植物が折り重なって茂っていて地面が見えない。草に隠れて弱々しく啼いている犬。啼き声を聞きのがせば庭はいつもの見慣れた景色だ。

 あまりにも弱々しい声に、自分が犬が苦手だということもすっかり忘れて草の陰を覗き込む。此処だろうかあそこだろうか。やがて…庭の一角に不思議な祠を見つけた。『あら、この祠は何かしら?いつから此処に?』その傍らから聞こえる鳴き声。縮こまったお目当ての白い犬が愁いた目を上目遣いに開いてシンディを見つめていた。

「まあ、あなたなの?どこから来たの。こんなところで、迷い犬…なの?」

 シンディが呼んでも警戒してか震える仔犬は後退りして直ぐには寄って来なかった。さて困った。このままにしておいて大丈夫かしら…シンディは生き物が苦手、自分で救出するのは憚られて、一度部屋に戻りバトラーに声をかけた。

「あそこの何?祠?の横に仔犬がいるんだけど、何処かから迷いこんだのかしら?祠?あれは何の祠なの?」

 不思議なことが多すぎてバトラーに矢継ぎ早に質問した。 

「犬?仔犬ですか?何で庭になんか何処から入り込んだんでしょうね」

「さあ、何処かに探している人がいるかも知れないから、飼い主に知らせて欲しいわ。それと…庭に祠があったのね。あれは?…何かしら?」

「祠ですか?そんなものあります?」

「あなたが知らないなんておかしいわね。どういうことかしら」

「まずは仔犬を救出しませんと、オフィスに問い合わせてみます」

「そうね。そうして頂けるとありがたいわ」

 バトラーに話してホッとしたシンディはそっと捕まえられて運ばれていく仔犬に安心しなさいと微笑みながら手を振った。それよりも今度は偶然に見つけ庭に取り残された祠のことが気になった。前に住んでいた方が設置したのかしら…祠って…自分で設置して良いものなの?勝手に動かして良いものなの?疑問は浮かぶが確かなことはわからない。

「まあ、呪いなんてないんだろうけど…私の身の回りに祠が有るなんてちょっと気味が悪いって言うか、どうしたもんかしら…」

 急いでバトラーが事務所に仔犬を預けて戻ってきた。前にこの家を使っていた者のプロフィールを見たところ、なにか宗教的に信じているものが有ったという話はなく、祠についての記述もない。

「これは少しお時間を頂いて調査しないとわかりませんね」

 と言った。

「そう、じゃあそれをお願いするわ。このままで良いのか、少し考えさせてもらっていいかしら気にはなるけど、直ぐ直ぐでなくてもいいけど…」

「解りました。おまかせください」

 その日からシンディは朝起きるとまずその祠に手を合わせるようになった。信じるものは何もないシンディなのに放っておくのもどうかと思う存在になってしまっていた。


 風の使い…あなたはどう思う?この祠…誰が何のために此処に置いたのかしら。誰のどんな思いが籠もっているのか、気になって仕方ない。まさか此処も時空が歪んでるなんてあなた言わないわよね。確かに古いものだとは思う。でも、このコテージはそんなに昔から有ったわけじゃない。そうすると…

 シンディが思いを巡らせる。ノートに文字を書きなぐりながらため息をつく。この頃気になることが解決しないことが多くなった。思いが深まらない。あれこれ気になって集中力が衰えている。

「この家、私で何代目なのかしら…考えても見なかったけど前に住んでいる人がいたのよね」

 朝の紅茶を飲みながら独り言する。考えてみてもなにも解らないのだけれど…


「奥様、あの白い仔犬はこの先のスミス様の犬でございました。二ヶ月ほど前に生まれた仔犬の中で一匹だけ残して親犬と一緒に飼っていたものが、知らず知らず逃げてしまったようで、飼い主の方が探していました。大変有難がっていましたよ」

「あら、良かった。小さいけど真っ白な綺麗な仔だったわ。飼い主が居たのね」

「一度お礼にお伺いしたいとおっしゃっていたので、いつかいらっしゃるかも知れません。その時はいかがしましょう」

「まあ、お礼なんて良いんですよ。飼い主が見つかっただけで良かったんですから」

「スミス様は最近奥様を亡くされてあの仔犬をとても大切にしていたのです。居なくなって酷く落胆されていました」

「もちろん気持ちは頂きます。でも…」

 とシンディは考える。今さら複雑な関係を持ちたくない。相手は何を思い自分にどんな影響を与えるかわからない。自分の生活を円滑に、普通に過ごすことに注意している。

 夫がなくなって益々そんな気持ちが強くなった。特に異性の友だちは苦手だ。ご夫婦ならともかく伴侶を亡くされた独身男性となるとこんな平和なコテージでも安心してはいられない。年齢は関係ない時もある。人から勝手に推察されて噂を立てられないように用心するのが肝要だ。人の口に戸は建てられない。

「う〜ん。気持ちは受け取りましたって伝えていただけない。この家に男性は入れないんですよって、あなたとハウエンテス以外はね。面倒なことは御免なの。これっぽっちの関係も持ちたくない」

 そう言う奥様の気持ちは痛いほど解った。バトラーはその日のうちに丁寧に事務局に断りを入れた。


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