episode5 風にたなびくカーテン

 幸せが心地よく流れ込んで来る窓辺。微かな呼吸を邪魔しないようにそっと吹く風。レガの齎した柔かく美しいカーテンを通して、今日も幸せなリズムが初夏の香りと共に部屋の中に柔らかい光を運んでくる。

 南の庭の片隅に、アガパンサスの花が何株も群れを成して咲いている。長く伸びた首の先にひとつひとつ咲く花は、頭に触手を付けた昆虫が繊細に踊っている様なのに、群れて咲くと力強い。淡さを極めた薄紫の花の色とその形に、この花を作った神様が自分の手柄を誇って自慢しているようで、いつ見ても見事だと思う。

 今日のブランチはテラスに面したリビングで隣家のサンドラと、ミルクティーの香りに酔いしれていた。少し大き目の卵サンドを頬張りながら流れ行く時間を楽しんでいる。サンドラが上品にナイフとフォークで切り分けて口に運ぶと、それを横目に見てわざと大きな口を明けていたずらっ子の顔で一口頬張る。美味しい粒マスタードの効いた卵サンド。花の色、鳥の声、風の匂い、二人のとりとめのないダラダラ話は尽きない。いつしか顔を寄せて話す内緒話さえ心地よく弾んでいた。

 サンドラは最近この終の里コテージに夫婦で越して来たばかりの新参者。『森の新鮮マーケット』で偶然知りあった。バスケットに入れる大量のルバーブの赤紫の茎を覗き見て、

「それで何を作るんですか?」

 と聞いてきたサンドラはまだ見知らぬ新顔。よく聞けば、隣のコテージに越してきたばかりの御婦人だった。

「これはルバーブ。細かく切ると繊維が簡単にほぐれて美味しい野菜のジャムになる」

 と話すと、

「野菜のジャム!なんて素敵」

 それ相応の砂糖が入っている。野菜と言ってもそれだけでオーガニックとも健康的とも言えないが、『野菜のジャム』その響きがサンドラには意外で新鮮だったらしい。

 大き目に区画されていたコテージの外周を再分割して新しい住宅の建設がささやかに続いている。ここは静かに終りを迎えたい者たちの人気の終焉の地。そこに大きな街から越してきたばかりのサンドラ。終わりに向かうにしてもまだまだ若く元気なサンドラは全てに興味津々。旦那さんのリタイアに合わせ、森の新鮮マーケットで手に入る新鮮な野菜に満足しながら田舎暮らしを満喫していた。

 噂に聞いた隣人。もう長い事ここで暮らしている奥様の品の良い個性的な暮らしぶりに憧れている。できれば長年溜め込んだ経験から生み出される田舎暮らしのコツなどあれこれ伝授されたいと願っていた。

 庭の片隅に群れ咲くアガパンサスの株も分けて欲しそうだったし、年季の入ったキッチンの調理器具にもご執心だった。リビングに掛かる透かし具合が程良いカーテンさえも自分のリビングに取り入れたくてしょうがない憧れのアイテムの一つのようだった。

「あの風の通りの良いカーテンは何処で見つけたんですか」

「え?ああ、あれは娘が届けてくれたんです。何処で買ったのやら…」

「まあ、お嬢様が選んだカーテンなんですね。今度何処で手に入るか訪ねておいて下さいよ。あの透かし模様はなかなか珍しい。薄い布に見たことがない繊細な織りですよ。風が吹くとサワサワっと揺れて空気ごと、この部屋に初夏を連れて来てくれるような爽やかさですわ」

 日頃、お世辞を言われるのが苦手な、少々頑固な奥様が、気持ちいい褒め方をしてくれるサンドラには心を許してしまいそうになっていた。何度か通ううち自分のことを褒められるのには閉口する奥様の気持ちはすでに了解済。そこは親しくなりたい奥様だから不快なことはしないと心得ている。サンドラの持ち上げようとしない憧れに等しい話し方は、時折、奥様を気持ちよく笑わせて、ウトウトしてしまいがちな朝のひとときを興奮させた。

 アガパンサスの一株くらいあげてもいい気分にさせる。長年親しんだお気に入りのこの土地を褒められると奥様の警戒心さえも、なし崩しにして笑顔にしてしまう。そんな着古して色褪せて体に寄り添った洋服のような懐かしい居場所が、大好きな女神湖のコテージなのだった。

 時折、地リスがやってくる。堅い山くるみの実を見つけて両頬いっぱいに頬張り、枝の先を右往左往する。その姿が愛らしくまた話が弾む。今日は日差しも優しく、このまま外を眺めながらリビングに居着いてしまうのも止む終えない。そんな一年に一日あるかないかの優れた一日だった。

「先日片付けものをしていたら荷物の中に昔趣味にしていた刺繍の糸がたくさん出てきましたのよ。もう目もおぼつかなくて刺繍なんてって思ったんですけどね。凝ってたんでしょうね。糸の分け方がグラデーションになっててそれは綺麗で…放おるに忍びなくて…何処かで活かしてもらえる方法はないもんかと、前々からご相談したかったんです」

「刺繍糸?刺繍糸、はて…」

 考えをめぐらす。記憶の中に何処かで見た見事な刺繍が浮かんでくる。

「確か…コテージの森の向こうに、刺繍の美術館がありますよ。あそこでご相談したらなにか話が聞けるかもしれませんね」

「刺繍の美術館…ですか?」

「ええ、歩くと少し有るから車で行った方がいいわね。確か会議室もあって講座とかやってるかもしれない。有ればですけど、貴重な刺繍糸なら喜ばれるでしょうね」

「その話、問い合わせてみます。私も必要以上に持ってたって仕方ないのに、引越しのとき捨てられずに持ってきてしまったものなんです」

「気に入ったものはなかなか捨てられない。その気持はわかりますよ」

「嬉しい。そう言っていただけると重たい肩の荷が軽くなります」

「私は、本ね。リビングの壁いっぱい本棚がそびえ立ってる。あれを片付けないと娘に迷惑をかけてしまいそう。一人静かに眺めるのも良いんだけど、そのうち手放さないと」

 たくさんのものに囲まれながら、これを片付けるのが最後の仕事だと改めて思う。

 

 

 

 

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