4.大学と自覚

 大学に知り合いは一人もおらず、私は孤立していました。入学の1年ほど前から感染症が流行しており、人と直接関わる機会があまりなかったことも理由として語ることはできるのかもしれませんが、やはり私が他人との交流にかなり消極的だったことが最大の理由だと思います。中学校以降は環境が変化しても友人はある程度おり、そこから交流も広がっていったため、自らは消極的になり、周囲の変化に期待するようになっていました。サークルに自ら入ること、数少ない対面授業で隣の席の人に話しかけることなど、私にはできなくなっていました。

 また、実家からの仕送りだけでぎりぎり生活することが可能だったため、アルバイトなどもせず、周りには友人どころか知人すらいない状態でした。そして、孤独であることは様々なことに連鎖的な悪影響を与えました。

 入学したときに想像していたよりも課題は多く、授業の内容は難しいものでした。効率的な学習には先輩や知識のある友人の協力はあった方が格段に良いですし、それは成績の向上や時間の短縮につながったはずです。さらに、将来についても周りに相談できる人がいれば間違いが少なくなり、精神的な負荷も小さく済んだのかもしれません。私は自然と私自身を孤独に縛り付け、苦しめていました。

 

 孤独だけでなく、依然としてある怠惰という特性がさらに生活を破綻させていきました。課題を後回しにしがちで、締め切り前日の夜から徹夜で行うことが頻繁にあったため、昼型とも夜型とも言えない、とにかく不安定なリズムで生活していました。食事も気が向いたらそのとき食べるといったことが多く、たまに空腹でも食事が面倒に感じて後回しにすることがありました。最もひどかったときは、何かを見ること、具体的に言えばそちらへ顔や目を向け、焦点を合わせるようなことすら面倒に感じ、呆然としていることが時々ありました。ただ、私は酒やギャンブルなどを一度経験したら完全に人生が破綻するまで止められないような人間だろうと察しがついていたので、とにかく経験しないことを意識していました。人付き合いなど皆無だったため、難しいことではありませんでした。


 相変わらず例の依存も酷くなっていましたが、あるとき、すっと気持ちが切り替えられるような歌声に出会いました。それによって気づきました。どうやら私はネットなどに触れたくて仕方がないというより、終わらせ方に異常なこだわりがあったようでした。

 もう寝よう、もう起きないと、ご飯を食べないと、トイレに行きたい、学校に行こう、勉強しよう。そのたびに、今の動作をやめなくてはいけない。最後は最後らしく、気持ちが切り替えられる何かを。中途半端は良くない、気持ち悪い。完全に気持ちを切り替えよう。切り替えなきゃ。そうやって何も出来なくなりました。気分転換に音楽を聴いても、最後の一曲にふさわしいものが見つからない。見つからない。見つからない。

 偶然、彼女の歌に出会いました。  

 私は彼女の歌、言葉、心に救われていました。ときどきライブ配信をしていて、そこで彼女のことを少しずつ知りました。

 彼女はどうやら精神的な病気があったらしく、通院もしていたようでした。その関係で普通に仕事をするのが難しかったらしく、歌唱の依頼などを受け付けていました。もしかしたら、彼女はアーティストとして生きたいという望みがあったのかもしれません。ただ、詳しいことは分かりませんが、彼女はそうやって生きられるほどの数字は獲得できていなかったと思います。

 それでも確かに、彼女は人を救うことができるほどの作品を作れるアーティストでした。そんな心を持っているアーティストでした。

 

 ある日の午前、大学の講義中に彼女がライブ配信を始めた通知がスマホに表示されました。普段は深夜だったので少し驚きましたが、ひとまず講義に集中して、帰宅後にアーカイブを視聴しました。いつもは雑談を交えながら歌を歌う配信でしたが、その日は雑談がなく、以前彼女が気に入っていると言っていた曲をただ歌っていくだけでした。胸騒ぎがしました。

 スマホの通知を遡って確認してみると、大学のシステムからの通知に埋もれて、前日の深夜に彼女のSNSの投稿がありました。死に対する明確な決意。それが私を絶望させました。配信が終わってから、8時間ほど経っていました。

 マイナスを0に近づけようとするだけ、そういう人が集まって、慰め合っても、何も生まれない。需要がない。そんな作品には、そんな存在には。社会は、それを求めていない。何者かにそう言われているような感覚になりました。


 ただ、私にはすでに夢ができていました。絵でも歌でも何でもいいから、とにかく表現の世界で生きたいという夢。表現によって救われてきたから生まれた夢。しかしその夢は不安定で、再現性がなくて、非現実的だと認識していました。


 幼い時から学校などで頻繁に、私たちが生きるのはAIの進化や入試の変化、グローバル化、情報化などが著しく進む特別な時代だと、脅しのように言われてきました。簡単には生きてはいけないよ、穏やかに生きようとしてはいけないよ、ただ、必死に生きなさい。そのような脅迫に聞こえました。


 人が思い描く将来の夢の中には、現実性の無いものもあります。いえ、普通の大人はそれを夢とは言わないのでしょう。でも私はどうしても諦められませんでした。だからこそ、夢から遠ざかったのです。

 夢は、現実を生きながら目指すもの。表現で生きていくというのは、とても難しい。普通に勉強しながら、普通に働きながら、少しずつ夢に近づいていけばいい。

 世間的にそのような意見が一般的で、やりたいことだけ考えて生きろなんて言う人はほとんどいません 。私もそれには納得していました。

 しかし、それを可能にするのは知性や表現の才能だけではないことを知りませんでした。器用でなければならなかったのです。少なくとも人並みに。

 私は不器用でした。普通の生き方とそうでない生き方を同時に行うことができませんでした。中途半端のままにしておくことが嫌いで、ある程度中途半端になることが分かっていながら始めることが苦手でした。夢は、後回し。では、いつそれは叶うのか。叶えられるのか。同じような世代の人間が、もう現代ではさほど珍しくない程度の能力で私の夢を叶えている。私はいつ、夢のために生きていいのか。

 焦燥の中、私の現実は夢に引っ張られ、私の夢は現実に縛られました。


 かろうじて大学3年生になるまで留年はせずに済むだろうかというような成績を残し、就職活動が始まったころ、私はあらゆるものから逃げてしまいたくなりました。私はどうやって大人になるのか知らなかったのです。今まで様々なことを時に教え、時に強制してきた両親は、そのことについて一切知らせてくれませんでした。もしかしたら親は、私が生まれたときにいつかその子が大人になることを感覚として理解できていなかったのかもしれません。両親からの関与は私が年齢を重ねるごとに減り、関心が無くなっていきました。


 どうしても私は夢について諦めがつかず、というよりもこのまま一般的な人間と同じような生き方が自分にもできるとは思えなかったため、表現を始めました。いつか糧になる、材料となると自分に言い聞かせていたかつての苦痛の多くは忘れてしまっていましたが、供給には困りませんでした。私が持っていた安い中古のパソコン1台でも音楽や文章など、ある程度多彩な表現を行うことは可能でしたが、この時まで創作を開始できていませんでした。好きなことでさえ努力できない、気づけばそれほどまでになっていました。精神的な苦痛への言い訳は何だったのか、なぜあの日の私は私を救ったのか、なぜ私はあの遊びを止めてしまったのか、どこからか持ってきてしまったこの未だ形にならない優しさはどうすればいいのか。怠惰と束縛と依存によって悩み、その結果さらに堕落していました。

 

 こんなことでは、また「甘えている」と叱られてしまいそうですが、むしろ私にはそういう人間のことがあまり分かりませんでした。「楽に生きたい、苦しみたくはない」。これはそこまで異質で、悪質な思想なのでしょうか。いつかの祝福の呪いによるものなのでしょうか。これを甘えと言って否定するということは、私には「苦痛の生」か「死」の選択を行えと言っているように感じられるのです。相互的に理解が難しいのは個人の性格や思想により壁があるからなのかもしれませんが、「最近の若者は甘えている」などというフレーズもよく見かけるので、世代の違いによる壁の存在も関わっているのかもしれません。ここまで長々と述べても、私のことを理解できない人はどこかで苛立ちを覚え、耳を塞いで見て見ぬ振りをするのでしょう。おそらく壁が無くなることはないのでしょう。とにかく、私はそういった壁の向こう側からの言葉を聞いても頑張ろうなどとはほとんど思えませんでしたし、むしろ「死」との親しみを深めるような心境に至るのです。


 3年生になって将来などへの意識が高まることよって本格的に不安が募り、就活を疎かにしながら少しずつ作品を完成に近づけていくことができました。

 私の現実は作品の中へ自然に混じっていきました。

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