4.5.出逢い

 3年生の夏休みに入る少し前、作品が完成しました。ネット上で公開しましたが、ほとんど反応はもらえませんでした。表現したところで誰の助けにもならず、何の意味もないのであれば、かつての言い訳は全く機能しなくなります。何のために私は耐えてきたのだろう、そう感じかけていたころ、1人だけ私自身に興味を持って話しかけてくれた人がいました。私とその人はお互いに本名を知りませんでしたが、私は彼女のことを活動名からコガさんと呼んでいました。


 彼女は社会人として働きながら創作活動をしている人で、SNSの投稿や過去の作品を調べてみるとそれなりに信用できる人であることが分かりました。価値観や作っている作品の方向性が近かったため少しずつ私たちは親しくなっていき、住んでいた地域が近かったこともあって直接話をすることもありました。また、彼女は私の将来についても案じてくれるような人でした。非常識で、経験不足で、怠惰な私に道を示してくれました。


 彼女は、私との関係を「共依存」と表現しましたが、私にはしっくりときませんでした。彼女は直接的な表現を避け、変わった言い回しをする癖がありました。こだわりとも言えるかもしれません。もしかしたら、私が彼女の思想に影響されすぎてしまうことを避けようとしていたのかもしれません。それでも伝えたいことがあって、抽象的な言葉を用いていたのかもしれません。あるいは、彼女の中でもはっきりと定まっていない部分があったのか、真意は分かりませんが、それが彼女なりの何らかの配慮であることははっきりと感じました。


 彼女は常に私に気を遣っていました。そんなに優しくする必要はないのに、むしろなぜそこまで優しくするのかと尋ねてみたことがあります。

 彼女の答えはやはり少し回りくどかったのですが、簡単に言えば、私に対する配慮は彼女にとって当然のことで、それは優しさなどではなかったらしいです。


「別に、君に優しくしているというつもりはないよ。私が贔屓するのは、未来に生きる人間だけ。仮に、いつか人類が種としての幸福に辿り着けるなら、今を生きている私も君も、そのための犠牲だ。それを認めず、当然のように犠牲の世代を永く継がせていくことを良しとする図太い感性を私は持っていないんだよ」


 少なくとも私は、その感性を「優しさ」以外で捉えることはできませんでした。彼女は優しい。優しすぎるほどに。


 彼女のことを知るたびに彼女の謎が増え、より彼女のことが気になるようになりました。何が彼女をこうしたのか、こうさせているのか。とりあえず私は、彼女に様々な質問を投げかけました。

 ある日、なぜ少し前まで創作を休んでいたのか、もしよければ教えて欲しいと頼みました。

「長くなるけど、それでもいいの?」

「自分は大丈夫です、むしろ有難いくらいですが、そちらは大丈夫ですか?」


彼女は頷き、話し始めました。淡々と話し続けました。

私はただ、黙ってそれを聞いていました。


「昔は、世の中のことなんて何も考えられないくらい多くの時間を自分の能力のために使っていた。環境を良くしたいなら自分を変えればいいと思っていた。それがこの自由な場所で生きるってことだと思っていた。でももうそれも諦めてしまった。今は君と話をするくらいの時間ならある」


「表現を始めて、深くそれについて考えるようになって、嫌いなものが増えた。数字に支配されていないクリエイターなどいないということを知った。それも、界隈の内側での数字の奪い合いばかりで、私たちがいるこの場所は今後さらに砂漠化が進んでいくだろう。私は海の向こう側へ行きたかった。でも1人ではとてもたどり着けそうにない。ずっと私は陽炎を眺めていたんだ」


「そして、私は何も変わらないまま、どこへも行けないまま時代が変わった。クリエイター側のエゴを知らない無垢な人間の声が大きくなりすぎた。人は肯定的な意見より、否定的、批判的な意見を発信したがる。何かと比べたがる。賢明な人ほど情報の収集に徹し、それを自らのために生かすことだけを考え、何かを発信することなく沈黙している」


「いつか秩序は失われる。いや、置き去りにされる、あるいはすでに更新され始めている、という表現の方が適切かもしれない。面白ければ、楽しければ、感動できれば、その瞬間自分にとって有益なら、それでいい。そんな秩序が少しずつ当たり前になってきている。そもそも既に芸術は、技術の進歩や価値観の変化に合わせたマイナーチェンジの輪の中に囚われ始めていた」


「アイディアとは組み合わせだ。その材料が明らかであっても、キッチンがどこであろうとも、料理をしているのがナニモノであろうとも、料理をしていている理由が何であろうとも、面白くて、楽しくて、感動できて、無垢な人間にとってその瞬間有益なモノができあがれば、それでいい。それを認められず批判する者が現れればなお良い。そうやって多くの人を巻き込んで、とにかく数字を稼いだ者が勝つ。正義になる。秩序になる」


「そんな時代が私の心を刺した」


彼女は改めて私の目を見て、続けた。


「君はもう無垢な人間ではない。戻ることもできない。止まることもできないだろう。だから伝えておきたかったんだ」

「君は時代に寄り添ってくれ。私は自分の正義にしか寄り添えなかった。君は現実を見てくれ。私は夢を見ていた。君は私にならないでくれ。私はただの餌だった」


私は彼女の言葉を完全に受け止め切ることはできませんでした。既に私の中には彼女の感性が、正義が浸食して、存在していました。

 

 ある日、二人で気分転換も兼ねて少し遠い場所まで写真を撮りに行きました。手前の低い場所には混沌とも秩序とも捉えられるような街並みが広がり、さらに奥には紅葉に染まった山脈が視界の端から端まで続いていました。それを綺麗だと思えるくらいには心に余裕ができていました。突然、彼女がその風景に向かって走り出しました。

「空!」

「え?」

「夕日ですごく綺麗!」

急だったので驚きましたが、確かにそこには美しい赤橙と紺青のグラデーションが広がっていました。どこかに虹は架かっているだろうか。そんなことを考えながらふと彼女の方を見ると、走った時に落ちてしまったのか、真っ白なハンカチが近くの地面に落ちていました。私はそれを拾って軽く砂を払い、丁寧に折りたたんでから手渡しました。

「ありがとう」

彼女は不思議そうな顔をした後、少し笑って、それを受け取りました。

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