3.高校と零落

 高校入試には予定通りに合格し、入学することができました。同じ中学校で関わりがあった人や、別の中学校でもバスケでよく練習試合をした人などとはすぐ仲良くなることができ、人間関係で困ることはほぼありませんでした。人なので当然誰にでも他人の好き嫌いはあったと思いますが、そういう人ともうまくやり過ごしたり、中には興味を持って積極的かつ親切に接する人もいたりするため、全体的に雰囲気のいい学校でした。周囲の偏差値が低い高校ではかなり人間関係のトラブルが多く、いじめなどもあったらしいため、私のいた高校の生徒はある程度人との合理的な関わり方が理解できていたのだと思います。

 

 部活は例の憧れから軽音楽部に入りました。両親にこれを伝えるのにはかなり勇気が必要でしたが、すでに同じく軽音楽部に入ろうとしている友達もできており、また運動部には絶対に入りたくないという思いもあったため、何とか伝えることができました。両親にとっては突然のことだったようで少し困惑していましたが、了承を得ることができました。

 しかし、1年ほど活動した後、私はすぐに辞めてしまいました。部員の中にはきっと私と同じような心持ち、つまり音楽に精神の救いを求め、それに応えられるような音楽を求めているような人がいるだろうと思っていましたが、そんな人はいませんでした。皆、音楽がただ純粋に好きだから音楽をやっているのです。軽音楽部では基本的にグループとして活動していくため、曲を合わせる必要があります。私の好きな曲は誰も知らず、私の知らない曲の練習を同じメンバーのためにしなくてはなりませんでした。さらに私が組んでいたバンドのメンバーは怠惰な人やほかの部活と兼ねて活動している人がおり、普通の練習さえなかなかできませんでした。また、すでにほかのバンドはうまく活動を進めており、私たちのバンドを解散した後も組み直すのは難しいことでした。最終的に私は部活をやめ、気が向いたら自室で一人、親に買ってもらったギターを時々弾く程度に落ち着きました。


 そんな私にもよく接してくれる人が数人おり、皆とても親切で、いい人達でした。その中に、同じ中学校だった女子がいました。私はその人のことを特別好きだったわけではありませんが、異性とそういった仲になることに興味があり、交際をすることになりました。中学校の頃から彼女の好意については少し噂で聞いていたため、うまく誘導し、告白させることは案外難しくありませんでした。

 しかしこれも長くは続きませんでした。私の自覚が足りなかったのです。彼女がデートの計画なども積極的に考えてくれたのですが、初めてのデートの時、私が感じたのは期待や嬉しさなどではなく、「面倒くさい」でした。誤解のないように説明しておくと、彼女は容姿もよく、何よりもとても優しい人でした。私では不相応なほどです。

 当時の私は、既に自分が思っていた以上にゲームやネットに深く依存していました。彼女といるより、そういうことをしている時間の方が幸福に感じたのです。もしかしたら彼女が趣味や価値観が合うような人であれば違う結果になったのかもしれません。とにかく、私は私の無自覚によって彼女を付き合わせてしまったのです。これ以降私は異性、というより恋愛についての興味がなくなり、彼女と別れてから女性との関わりはほとんど無くなりました。

 

 成績は2年生になってすぐ落ち始めました。志望校は大まかに決まっていましたが、ノルマが曖昧になったことや課題の提出率が成績にあまり反映されなくなったことによって以前より勉強をしなくなり、成績は悪くなる一方でした。以前から機械に興味があると家族からは認識されており、大学について相談したときも工学部についての話が多く、私も自身の好みを疑いもしなかったため理系に進みました。正直、特に何も考えていませんでした。


 両親は高校受験については様々なことを教えてくれたのですが、大学受験については私の自主性に任せるといった様子でした。しかし私は中学校で目標の漢字1文字を書く指示を受けたとき、「志」をいう字を真剣に書くような人間でした。自主性などと呼べるものはほとんどありませんでした。選択した体の進路に向けてのモチベーションなどなく、さらに私が想定していたよりも自分は数学や物理、化学が得意だったわけではなかったため、成績は下位の方へ移っていきました。

 それでも私は努力ができませんでした。その習慣ができていなかった程度ではなく、そもそも体験したことがなかったため、自分でも困惑していました。自分ではこのことがあまりにも異常に感じ少し調べてみましたが、そこで得られた対処法ではあまり効果が得られませんでした。調べている際に見かけた「努力ができないなんてただの甘えか怠惰だ」「努力の方法を調べるくらいならまず努力をするべきだ」などというようなネットの書き込みを見て、私はただ努力の才能が無く、特別に人としての出来が悪いだけなのだと感じました。あっさりとそれを受け入れられました。


 このころにはすでに、自分の中で精神的な苦痛からの逃げ道が出来上がっていました。「全ては糧か、材料のようなものだ。いつか私も、あらゆる苦痛を表現して作品に変えてしまおう」と、そのように考えていました。自棄の領域にまで達していたのかもしれません。

 受験期でさえそのような精神で過ごし、浪人したとしてもそれにも価値があるというような思考をしていました。授業をサボることなどもあり、高校受験のときとは違って最低限の勉強すらしませんでした。結局、すべり止めで受けた地方の大学には合格したためそこへ入学することになりました。もともと第1志望も同じ高校の人からすればかなりランクの低い大学だったので、私の進路を聞いた友人は皆困惑した後私を慰めました。その後もしばらく私に気をかけてくれる人もいましたがそれは本当にごく僅かで、ほとんどは私に興味を失って一切の関わりがなくなりました。

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