2.中学校と依存

 中学生になって大きく変わったことは、他学年との交流の機会が多くなったこと、テストの結果をより意識するようになったことでした。通っていた生徒は半分ほど同じ小学校の人でしたし、授業も想像していたほど急激に難しくなったわけではなく、授業を真面目に受けていれば大体のことは理解できました。ただ中学生になっただけで、すぐに私自身に大きな変化が生まれることはありませんでした。


 私は入学した時すでに親からは目指す高校についてある程度の知識を与えられていました。距離が近く、偏差値は全国的には大したことはありませんが決して低くもない、この地域で頭のいい人は大体そこへ行くだろうというような高校でした。私の姉も在学していました。学年内でおよそ上位15%のテストの結果が出せていれば合格できるだろうと言われており、私のテストの順位の目標はそこに入ることとなりました。目標というよりは、ノルマと言っていいかもしれません。上位20%に入れなかったときは親から遊びの制限、例えば友人と放課後に遊ぶことやゲームをすることなどに制限がかけられました。ただ、これは意外と私にとってそこまで難しいことではなく、制限もかなり軽めのものだったため、決して精神が追いつめられるようなものではありませんでした。

 3年生の夏からは塾へ通い、学校と塾での授業を真面目に受け、宿題を最低限行えば志望校の合格圏内には入りました。言われたとおりにノルマを達成していくだけで十分な高校へ行けるので、むしろ進路などの考慮するべきことが減って楽であったとさえ思います。

 

 部活はバスケ部に入りました。大した理由はなく、小学校の友人が入るから、身長が比較的高いから、家族から勧められたうちの1つだったからといった理由でバスケ部にしました。運動は得意というほどではありませんでしたが、同じ学年の部員の中で比較的できる方ではありました。練習はなかなか厳しいものでしたが、大体の中学校のバスケ部はそういうものだと思います。また、初めのうちは同じ1年の部員が多く、雰囲気も良かったため気が楽でした。

 少しずつ部活動にも慣れてきた1年生の秋ごろ、スターティングメンバー、いわゆる主力となっていた先輩が1人、部活をやめました。先輩との仲は悪くありませんでしたが、積極的に交流があったわけでもないため、先輩が辞めた詳しい理由については分かりません。そして、その時部内で最も身長が高かった私はスタメンに入れられました。そこから急激に、私の環境は変わっていきました。

 練習のメニューは基本的に全員同じものを行っていたため変化がほとんどありませんでしたが、試合には当然ほぼすべて出ることになり、私は他の先輩と比べて体力がなかったため付いていくだけで精一杯でした。他にも先輩はいたのですが、身長の高さが特に重要となるセンターのポジションで戦っていける先輩はいませんでした。私は、急激な立場の変化やプレッシャー、他の1年生とも2年生とも違うことをしているという感覚のずれに苦しみました。


 途中からずっと部活を辞めたいと考えていました。気づけば同じ学年の部員は半分程度になっていました。練習試合でなかなか出してもらえず、今後も試合に出る機会はほとんどないだろうと察して辞めていったらしいです。試合に出られなくても、それでもきつい練習をするためだけに部活を続ける人はほとんどいませんでした。寂しさと、孤独感と、少しの羨ましさがありました。私の精神が追いつめられていた原因の1つに、私の母、顧問、コーチ、先輩、先輩の保護者からのプレッシャーを感じていたというものがありますが、それによって私は部を辞めることにさらに勇気が必要となり、とても実行することはできませんでした。

 先輩が引退してからは、すでに試合で何度も戦ってきたという経験の多さによって期待されました。同学年の部員は試合に出る機会が増えてからあっという間に成長し、私はとても焦りました。簡単に追い抜かれてしまっては、納得ができない。私が苦しみながらなんとか先輩に追いつこうとしてきた時間は一体何だったのか。私はいつの間にか育ってしまっていた自尊心に悩まされ、結局精神的な状況は良くなりませんでした。私はずっと辞めることを考えながら部活を続け、3年の夏に引退しました。

 

 クラス内での人間関係は、どちらかといえば良い方だったと言えるでしょう。仲の悪い人はおらずそこそこ仲のいい人がたくさんいました。しかし休日の遊ぶ約束などに私は誘われず、休み明けにそのことを聞いて知ることがほとんどでした。また、多くの友達はスマホゲームなどで話が盛り上がっていましたが、私はスマホなどを持っていなかったので近くで話を聞いて笑っているだけの奇妙な関係になっていました。ごくわずかに趣味の漫画やアニメ、ライトノベルの話をできる友人がいましたが、クラスが違ったので、休み時間はクラス内の友達とよくわからない付き合いをしていました。それもまた少しずつ精神に負荷をかけていきました。

 スマホや、大体それと同じことができるようなものを親に求められればよかったのですが、私はそれにためらいを感じていました。テストのノルマや部活の責任など、もっと優先されるべきことがあるのにこんなことをお願いして本当にいいのか、失望されないか、そういった不安が行動を抑制しました。小学校で両親に何度かきつく叱られてから親に逆らうことはただ状況を悪くするだけだと悟った私は、両親の顔色をうかがいながら接していました。大人には抗えないという、いつかのルールも影響していたのかもしれません。私には反抗期もありませんでした。

 また、子供がスマホを持つことについて以前から母は否定的で、スマホを持っている私の友人の成績が悪くなることを母は予言していました。予想ではなく予言と表現したのは、それが実際のこととなったからです。姉は中学2年のときにすぐ買い与えられており、私も姉と同じようにはっきりと言葉にしてお願いすれば、使用時間などの条件付きではありますが、買ってもらえることは何となく分かっていました。しかし、これは私がどれだけ真面目な人間か試されているのではないか、お願いは怠惰な甘えとみなされてしまうのではないかという不信感がありました。結局、3年生になって母がガラケーからスマホに移行するタイミングで、ついでにとお願いするまで私は何もできませんでした。両親が何らかの理由を付けてそれを買い与えてくれる、あるいはお願いをする場を整えてくれることを望みつつそうならないことに私は苛立ちを覚えていましたが、実質これはただの依存であることに当時の私は気づけませんでした。

 

 最も精神的に辛くなっていた2年生の夏に、とある遊びを行っていました。通学路は見通しが悪いわりには車の交通量が多い路地でした。その道を、目をつぶって歩くのです。この行いが「願掛け」だと解釈できることに気づいたのは大学生になってからで、当時の私にとっては、ただの遊びだったのです。

 しかし、これは数回やってすぐにやめました。中途半端な結果になった時のことを考えて恐怖を感じたというのもありますが、それ以上に、他のことで嫌なことを少しだけ忘れることができるようになったというのが最も大きな理由だと思います。私を救ってくれたのは、裸足で路上に立って弾き語りをする女性の動画でした。もともと音楽は好きでしたが、このことが大きなきっかけとなって、より音楽を聴くようになりました。その動画を見ている間やその人の曲を聴いている間は苦しさを心の外側に置いておくことができ、その人への憧れが少しだけ心の明るさになりました。かろうじて私は発狂せずにいられました。

 ただ、これは結果的に私を苦しめることにもなりました。いつの間にか、音楽やネットなど、苦しさを忘れられるようなものへ依存するようになっていました。勉強やバスケの練習など、努力と言える大体のことがまともにできなくなっていました。授業と課題を必要最低限行っていれば成績のノルマは果たせたと述べましたが、逆に言えばそれ以上のことができなかったのです。バスケの練習では、プレッシャーがあるのにもかかわらず努力ができず、自分でも混乱していました。この依存による影響はこの後も私を苦しめることになりました。


 また、同じころにいじめがありました。小学校の時とは違う女子生徒が対象でした。内容は小学校の時より悪化しており、最もひどかったのはクラスの人が引き出しからノートを取り出し、中を見たことでした。それを本人が先生に相談し、学校側が事態を把握することになりました。いじめをしていたのは同じクラスの人たちで、半分以上はバスケ部でした。

 私は、彼らの行いを、笑って見ていました。当然反省はしています。ですがどうしても、後悔ができないのです。先生に密告して、そのことが他の生徒に全く知られないという確証はなく、むしろ人の目が必ずどこかにあるような中学校の中でそう上手くいくとはとても思えませんでした。いじめを直接止めることや先生に密告することは部内にも敵を作ることになると、そう感じていました。先輩が引退した後、共に戦うことになるチームの人たちと敵になる勇気がありませんでした。何より、周囲を敵に回すほどの余裕が私の精神にはありませんでした。もし私が部に所属せず、クラスに友人などおらず、孤立していた存在、いわば中学生社会における無敵の存在であったのならすぐに先生に相談して被害を小さくできたのかもしれません。しかし、そうではありませんでした。

 いじめに関わっていた全員が集められ先生を介しながら話をしている時、彼女は泣いていました。それを見ても、自分より彼女の精神が苦痛に染まっているとは思えなかったのです。もしこの残虐な遊びの対象が彼女ではなく私だったのであれば。そう考えると、その少し先の私の未来はもう想像ができなかったのです。後から「私がいじめをしている人を止めればよかった」「すぐに先生に相談すればよかった」などと言うのは簡単ですが、それは過去の私を見捨てる、あるいは自滅させるような、そのような言葉に思えるのです。

 いじめられていた生徒に謝罪をした後、帰宅している途中にいじめを積極的に行っていた友人と少し話をしました。詳しいことは述べませんが、彼は彼女が泣いていた姿を、笑いながら茶化していました。私の両親にもこの件について学校側から連絡されました。母は私が積極的にいじめを行っていたわけではないと知って、

「友達は選びなさい」

と私に言いました。それから私は、休み時間にはほとんど読書をするようになりました。


 そういえば、いつの間にかそれまでの私の神様は死んでいました。

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