1.小学校と寂寞

 私は、望まれてこの世界に生まれてきました。そう感じられるだけの直接的な記憶や、それだと思い込んでいるものを含めた記録の記憶があります。

 ただ、幼いうちにそれに気づくことはありませんでした。それは、あまりにも当然のことだったのです。祝福が与えられ、新たな生を受けた私には。

 私は、本質や根幹を疑うことを知りませんでした。この世界に住む人は自分と同じように祝福を受けた者だけなのか、神はどこで何をしているのかなどといったことばかり気にしていました。


 意識がはっきりとし、頭の中でうまく考えが整理できるようになるまでには長い時間がかかりました。それまで私は混沌とした感覚のずれと曖昧な想像の中で混乱していたため無口になりがちで、「大人しい子供」になっていました。それは既に性格のようにもなっており、小学校に入ってからも比較的静かな子供でした。それでも、新たに友人をつくることができる程度には幼さがありました。

 

 また、私は小学校の勉強程度であれば特に問題なく修められる知能もありました。小学校の算数と理科であれば、すでに育てられていた感覚が役に立ちました。ただ、強いて言えば社会ではむしろこの世界とは異なる世界の価値観を持っていたため、たびたび混乱し、テストでは他の教科よりも低い点を取ることが多くありました。ある日、点数を見た親からは、おそらく姉と比較された上で、

「算数が得意なんだな」

と褒められました。逆に、

「社会はなんでこんなにできないんだ」

と叱られました。おそらく平均点付近であったと思われますが、小学校の教員である両親からしたらその子が平均程度の点しか取れないことを見過ごせなかったのでしょう。私は算数と理科が得意で、社会や国語が苦手なのだという、その評価を疑いませんでした。当時の私は、私がこの世界に住む一人の人間であることを感覚的には理解できていなかったのです。自身の存在を感じられないことによる影響は他にも度々ありました。

 私は姉とは違い、よく車やロボットの玩具を買い与えられました。父親は車が好きだったため、話を聞かされることもありました。周りから私は機械が好きな子供として扱われ、

「やっぱり男の子だね」

などと言われていました。私は、私はこれが好きなのだと無意識のうちに認識しました。私はただ、流されるがままでした。

 

 私は比較的恵まれた幼少期を過ごしていました。それによって祝福を受けたという認識が強まって怠惰になり、そのうち学校の宿題を行わなくなりました。先生には当然把握され注意を受けていましたが、それに従わず、親にまで連絡されることになりました。この件で私は想像を超えるほどの叱咤を受けましたが、それでも神の祝福を疑うほどではありませんでした。ただ、納得がいきませんでした。なぜ、祝福を受けた私がこのような仕打ちを受けるのか。しかし、それはすぐに私が得意としている「解釈」によって納得しやすい意味を持ちました。私は、この国の、いわば「ルール」に反したことによって裁かれたのです。神の教えに沿って試練の森で暮らすように、神の世界の中でも何らかの教えを守るべきなのだと。具体的な教えをすぐに理解したわけではありませんが、自分がどうするべきか理解しました。私はそれから、周囲の人間とできるだけ同じように生きることを心がけました。


 クラスには一人、明らかにルールから外れている生徒がいました。脳に障害があり、体も一部麻痺している生徒でした。

 私は先生からよくその子の手伝いをお願いされていました。きっと先生にとって、私は都合がいい子供だったのだと思います。それはきっと誰かがしなければいけないことでしたし、面倒だからと反論してもさらに面倒になるだけだったので言われるがままに動いていました。

 3年間同じクラスでした。詳しいことは分かりませんでしたが、成功する確率が低い手術を受ける必要があり、しばらく学校を休むとのことでした。友達の中に彼女のことを気にかける人はおらず、私もすぐにそのうちの1人になりました。開放感というよりは無関心で、無関心というよりは楽観的な感覚でした。

 しばらく経って、彼女は亡くなりました。それでも友達の中に彼女のことを気にかける人はおらず、私は1人になりました。

 なぜ彼女は笑われなければならなかったのか。馬鹿にされていたのか。ふと、森の中での生活のことを思い出しました。

 森の外よりマイナスの状況で、少しでも0に近づこうとしているだけ

 それを努力と表現することもできる

 でも、その努力を認めてくれるのは同じことをしている人だけだ

 私は1人になりました。友人はいます。家族もいます。でも、心が感じる孤独感は確かなものでした。

 

 私は少しずつルールを学んでいきました。そんな中、高学年にもなると、周囲の子はただ仲良く一緒にいるだけでは満足できず、少し変わった遊びを始めました。人を怒らせることを楽しむのです。始めは、仲の良い友人の普段見られない一面を見ることが目的でした。私もこの対象になったことがあります。隣のクラスの友人によって行われました。少しずつ規模は多くなり、やがてその友人の友人、つまり私にとって無関係の人間まで加わったころ、私は物に当たり、結果的には隣のクラスのドアを破壊しました。すぐにそのクラスの先生に知られましたが、私がドアを破壊したということしか知らず、私が事情を説明しても、

「うちのクラスの人たちはそんなことを言っていなかった。正直に、本当のことを言いなさい」

と言われました。多数には勝てない。大人には抗えない。幼い私の心は簡単に形を変えました。そしてこのことは新たなルールとして記憶されました。

 「嘘をついてはいけないよ」「人が嫌がることはしてはいけないよ」「他の人のことを大事にしなさい」

 多くの大人は子どもに向かってそう言っていました。

 しかし、子どもを甘くみてはいけない。一部の子どもは気づいている。親、先生、テレビの向こうのあの人の裏側に気づいている。大人は嘘つきで、自分勝手で、利己的だ。

 そうやって、心がぐちゃぐちゃになる。大人を信じられない子供は何を信じたらいい。何に対しても心から信じられず、それでも生きるということ。

 支えもなく、光もなく、何も聴こえない。自分の汚れにだけは敏感になって、胸の痛みはいつまでも消えない。

 しかし、懸命に生きようとしてもそれができなかった人たちの存在を身近に感じてしまって、私は生きるしかありませんでした。


 また、それがいつからなのかはっきりとはわかりませんが、いじめがありました。

「座っている時に、椅子を蹴られた」

彼女は泣きながらそう言いました。

「本当ですか?」

先生にそう尋ねられ、私は混乱しました。

「そんなことはしていません」

「こんなに泣いているのに、嘘だとは思えません」

確かに、私にも彼女が嘘をついているようには見えませんでした。しかし、正直、全く身に覚えのないことでした。私はとりあえず

「気づかないうちにぶつかってしまって、それで嫌な思いをさせたのかもしれません。そうだったらごめんなさい。これからは気をつけます」

と述べて、それで話は収まりました。それからしばらくこの件について考えて、理解しました。私が普段よく接していた友だちが彼女のことをいじめており、私はこれを一部ではありますが目撃したことがありました。ただ、これは特別なことではなく、クラスの大半の人は彼女が「度を超えたからかい」に晒されていたのを見ていました。しかし、彼女は見て見ぬ振りをした私を陥れようとしたのではなく、おそらくですが敵と親しく接する私が同じく敵のように感じられたのでしょう。そうして、私の些細な行動にも悪意が、あるいは敵意があるように感じてしまったのだと思います。

 私がいじめを見ても特に何も行動を起こさなかったのは、周囲の人間を見るにそれが1つのルールのように感じ、さらに彼女にとって、というより一般的な人間にとってこの程度は大したことではないだろうと考えていたからでした。私は、他人の心が案外弱いことをこのとき知りました。ただ、加害者として注意を受けた後も、やはり私は祝福を疑うようなことはありませんでした。まだルールを把握しきれていないだけだろうと、そう考えていました。

 いじめは陰口がほとんどで、ニュースやマンガなどで見るような典型的、あるいは劇的ないじめと比較してしまえば規模は小さかったと言えるでしょう。中でも私の関わりは少なかったため注意も軽いもので、さらにこの件はクラス内でのみ話が進められたので親に知られることはありませんでした。また、このいじめは誰かが抑えられないほどの悪意や敵意を彼女に対し持っていたというわけでもなく、ただ「面白いから」という、遊びの感覚で行われたものでした。こう表現すると非常に邪悪なようにも思えますが、実際はただ他に満足できるほどの遊びがなかったのです。それまで遊びといえばスポーツ、からかい、恋愛絡みのものがほとんどでしたが、このいじめの後すぐに新しく発売されたオンラインのゲームへと変わり、話題もそちらへ移り変わったため、いじめが続行されるといったこともありませんでした。そうして、あっさりとこの問題は解消されていきました。


 それ以降、私は他人と関わることを無意識に避けるようになりました。すでに仲の良かった友人との接し方に変化はありませんでしたが、あまり親しくなかった人、とくに異性との接し方がぎこちなくなりました。

 ある時、教室を移動している際に、複数人で喋りながら私の少し前を歩いていた女子生徒のうちの1人が筆箱を落としましたが、話に集中していたのか、彼女はそれに気づかず歩いて行ってしまったことがありました。私は筆箱を拾い上げ彼女に渡そうとしましたが、何と声をかけたらよいのか迷い、結局は肩を指でつつきながら

「筆箱落としたよ」

とそれを渡しました。彼女はありがとう、と軽く感謝を述べた後すぐにこう言いました。

「でも、そんなぞうきんみたいにつまんで持たなくても」。

完全に無意識でした。彼女はぞうきんと表現しましたが、要するに人が汚いものを嫌がりつつも持っているように見えたのだと思います。ただ、私にはそんなつもりはなく、むしろ逆だったのです。私がその筆箱を汚してしまうのではないか、しっかりとつかんでしまってはむしろ彼女の気を悪くするのではないかという意識が私自身でさえも気づかないうちに存在しており、それにより筆箱の持ち方が不自然になってしまっていたのです。

 

 何が人を傷つけ、何が悪とみなされ、何で裁かれるのか、私にはそれが理解できませんでした。しかし、私にとってそれ自体は大した問題ではありませんでした。周りにはそういった人間も少なくなく、むしろ理解している人間を探す方が難しいくらいだと感じていました。

 私は、理解できないまま生きていくことが怖かったのです。人を傷つけながら、いくらでも悪人になる可能性があり、どんな仕打ちを受けるかもわからないにも関らず生きていくことが怖かったのです。けれども幸いなことに、まだ私にはそれ以外の選択肢が頭にありませんでした。幸いというよりも不幸あるいは不孝でなかった程度かもしれませんし、今現在から考えればそうとも言えないほどではありますが、それでも私はこの時に一度、無自覚な私によって命を救われているのです。

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