Day4 二号室 安双文香(お題・触れる)

「う……何かだるい……」

 アティーナ星系標準時AST午前九時。メゾンドコレー一階二号室の住人、仁智大学一年生の安双あそう文香ふみかは目のぱっちりした愛らしい顔をしかめながら部屋を出た。

「……なんか、よく眠れなかった気がする……」

 とはいえ講義を休むわけにはいかない。今月で前期授業は終了、前期定期試験まで後一月を切っている。気合いを入れ共有玄関に向かうと

「おはようございまぁす」

 ふわふわと浮くクリーム色の丸い球体のロボットがひょろりと伸びた腕にクリーナーとスクイージーを持って廊下を掃除をしていた。

「えっ?」

「自己紹介しまぁす。トールは三号室の瓜生美佳所有の家事ロボット、トールでぇす」

 点目がのほほんと文香を見上げる。その姿に文香の頭に自分の家に置いてきた家事ロボットがぽんと浮かんだ。

 うちの『マル』と同じで、元子守ロボットの家事ロボットかな?

 のんびりした口調はそのせいだろう。元子守ロボットの場合、以前の子供相手の口調や仕草がそのまま後まで残ってしまうことが多い。

「私は二号室の安双文香。文香で良いよ。よろしくね」

「はぁい。文香様。よろしくお願いしまぁす」

「お掃除、ご苦労様」

「いってらっしゃいませぇ」

 つるりとした頭を撫でると、トールがうれしそうにふりふりとスクイージーを持った腕を振る。それに手を振り返し、二重認証でロックを外し玄関を出る。

 ……可愛いなぁ。

 マルはあんな反重力で浮くタイプではなく、ごく普通の汎用ロボットだったが。久しぶりに家事ロボットに触れて、気持ちが軽くなる。

「しかし、あの四号室の下の三号室の子か……」

 あの部屋、幽霊が出るって噂だけど。

 そのせいで住人が入ってもすぐに出てしまうと聞いていた。日曜日に引っ越しの挨拶に訪れた女子学生の顔を思い出し

「意外と度胸のある子なのかな」

 感心する。

 あの子と仲良くなったら、トールくんともっとお話出来るかな。

 次の休みに今度はこちらから挨拶に行ってみよう。文香はすっかり軽くなった足取りで、また二重認証をした後、マンションの門扉を潜った。

「あれ?」

 門扉の脇につけられたマンションのネームプレートを照らす常夜灯の上に、ちょこんと黒い小鳥が止まっている。

「可愛い小鳥……」

 くりっとした丸い目にピンクの嘴。細い足。ひょこひょこと首を振る仕草がなんとも愛らしい。写真を撮ろうとバリカを掲げる。ぱたた……軽い音を立てて小鳥が逃げるように飛び立った。

「驚かしちゃったかな?」

 小鳥の姿が空に消える。文香は肩をすくめると駅に向かって歩き出した。

 

 アティーナ星系標準時AST午後十一時。

 講義の後、学生向けの食堂でのバイトを終えた文香は部屋で寝支度をした後、バリカの画面をタップした。

「マル~」

 トールとしゃべったせいか、無性にマルが恋しくなり、昼休みに大学のパソコンで星間ネットを通じて連絡を取ったのだ。

 マルは

『文香様、お久しぶりです。ちゃんとご飯食べてますか? 夜更かししていませんか? 歯磨きはしてますか?』

 文香の暮らしについて細々と聞いた後「マルのご飯が食べたいよ」のおねだりに、たくさんの『文香専用メニュー』のレシピを送ってくれた。

 バリカに入れたそれを眺める。

 決めた。私もマルと住もう。

 仕事で忙しい両親に代わって文香を育ててくれたのがマルだ。そんなマルは彼女にとって実の親よりも近い大切な『家族』だ。

 お母さん、新しい家事ロボット欲しがっていたし、頼めばマルを私にくれるでしょ。

「よし! バイト頑張るぞ!」

 夏期休暇で実家に帰った後、マルをこっちに連れてくる。その為の運賃はちゃんと自分で出そう。

「おやすみ、マル」

 カメラロールに大切に保存してある、ここに来る前にマルと一緒に撮った画像に呼び掛ける。

「おやすみなさい」

 設定してあるキーワードを唱えると部屋の管理AIが電気を消す。文香は横になって布団を被った。


 * * * * *

 

 ぱたた……。夜中なのに小鳥の羽ばたく音が聞こえる。

「……ん……」

 何だか身体が重い。文香が目を開くと影のようなものがベッドの枕元に立っていた。

「……誰……」

 すすっと影が屈み込んで、顔の部分が近づいてくる。地味そうにみえて、なかなか可愛い顔立ちの女性だ。歳は文香と同じくらいだろうか。ただ、彼女の顔を透かすように、天井のはめ込み式の電灯が見える。半透明の垂れた長い黒髪が文香に触れそうなくらいに近づいてきた。

『……出ていって……お願い……ここから出ていって……』

 か細い声が聞こえてくる。

 その声に文香はぎゅっと枕元に置いたバリカを掴んだ。半分、寝ぼけたまま影に言い返す。

「うるさい! 私はマルとここで暮らすの!」

 またマルの作ったご飯を食べて、マルにお世話をして貰って、マルと楽しく毎日を過ごす。怒鳴った途端、影がすっと消える。

「……もう……邪魔しないでよ……」

 ぶつぶつと影のいなくなった空間に呟く。そのまま文香は布団の中に潜り込んだ。

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