Day2 『透明な隣人』(お題・透明)

「お父さん、アレなぁに?」

美佳みか、ああいうものは『視え』ても『視え』ないふりをしなければならないよ。特に嫌な感じがするモノには、こちらが気づいたことを悟らせてはいけない。美佳は『視る』ことは出来ても『追い祓う』ことが出来ないのだからね」

 幼い頃から美佳には普通の人には『視え』ないものが『視え』ていた。交差点の黒い影、橋梁の下に佇む影、駅の改札脇に立つ影。

 それらを無視し続けること。それが美佳の今まで生きてきた二十年間の『日常』だった。

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

「美佳様ぁ。こちらの荷物は奥の部屋に運びまぁす」

「ありがとう。マジックで書いたとおり、それぞれの場所にね」

「はぁい」

 本体は腕のついた、ふわふわ浮かぶクリーム色の球体である、家事ロボット、トールが力仕事用アタッチメントボディを装着して、引っ越し業者が置いていった段ボールをせっせと運んでいる。ベランダから敷地内を眺めていた仁智大学二年生の瓜生うりゅう美佳は部屋に入ると改めて室内を見回した。

 オートロック、各部屋管理AI付きの女子学生向けマンション。バス、トイレ、キッチンに、ベッドルームと典型的な1Kの一人暮らし用の部屋だ。しかし、まだ建てられて、さほど経っていないのか、ベージュの落ち着いた色合いのクロスが貼られた部屋は綺麗で、ベッドやテーブル、カラーボックス、ハンガーを置いても空間に余裕があった。

「前より安い家賃で良い部屋が借りられちゃった」

『曰く憑き』だけど。可愛らしい面立ちに苦笑を浮かべてトールの運んできた段ボールを開ける。大学入学当初から住んでいたマンションを改修工事で引っ越さなければならなくなったのだ。学園コロニーは通常、二月から三月にかけて卒業生と新入生が入れ替わる。そのせいで中間の時期は空いた部屋を見つけることが難しく、更に以前の部屋と同じくらいの家賃で、しっかりとした防犯システムのついた部屋となるとほぼ無い。仕方なく美佳は条件を緩めて『曰く憑き』物件……所謂、事故物件も選択範囲に入れたのだった。

 私の場合『視え』るから、うまく対処出来るし。

 美佳の血筋、瓜生家は代々霊感を持つ者が産まれやすい家系だ。美佳も霊視能力を持つ。ただ、彼女の場合は強い霊能力を持ち、霊を祓える父親とは違い、『視え』て『感じる』だけなのだが。

 美佳は天井を見上げた。美佳の部屋はこのマンションの一階西側の三号室。この部屋の上、四号室で二年前、住んでいた女子学生の転落事故があった。『曰く』はその事故に関係したものだという。確かに微かに天井から霊気を感じる。

「美佳様ぁ。運び終わりましたぁ」

 トールがやってきて、小さなカメラアイの点目で美佳を見上げ、のほほんと声を掛けてくる。

「トールはこれからキッチンを片づけまぁす」

「じゃあ、私はこっちで自分の物を片づけるから」

「はぁい」

 美佳は軽く首を振って、開けた段ボールに手を入れた。

 きっと大丈夫。トールもいることだし。

 トールはオーダーメイドのロボット製作工房を営んでいる両親が、美佳を現実こちらに引き留めるお守りとして作ってくれた子守ロボット。今は家事ロボットとして、学園コロニーに一緒について来た。

「トール、片づいたら、近所を散歩してみようか?」

「はぁい。では周辺の地図をDLしておきまぁす」

 改修期間中の数ヶ月のことだし、なんとかなるでしょ。

 霊気に感じた不安を飲み込む。美佳は小さく息を吐くと、段ボールから服を衣装ケースに移し始めた。

 

 一人暮らしの引っ越しだから、そんなに時間は掛からないだろうと思っていたが、管理Alの設定をしたり、ネット端末を回線に繋いたりして、部屋を整え終えた頃には窓の外は真っ暗になっていた。周囲の同じような学生用マンションの部屋にも、ぽつりぽつりと灯りがともっていく。

「お疲れ様でしたぁ。御夕飯はトールがお弁当を買ってきますので、美佳様は明日の授業に備えて、ゆっくり休んで下さぁい。お風呂をわかしてありまぁす」

 アタッチメントを充電コードに繋いだ後、離脱したトールが腕にエコバックをぶら下げる。玄関に向かう背に

「お味噌汁もつけてね」

 と頼む。

「はぁい」

 トールが出て行き、ドアのロック音が鳴った後、美佳は衣装ケースから下着と部屋着兼パジャマを取り出し、バスルームに向かった。

 きしり……。

 洗面所に置かれた洗濯機の上に着替えを置き、服を脱ぎ始めたとき、天井から聞こえる軽いきしみ音に気付く。

 四号室はあの事故以来、ずっと無人だと不動産業者が言っていた。

 再び天井を見上げる。きしり……きしり……足音とおぼしききしみ音はベランダへと向かっていく。

 昼より強くはっきり漂う霊気に

「これは間違いなく、この上に『透明な隣人』がいるわね……」

 美佳はやれやれと首をすくめた。

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