透明な隣人 -瓜生美佳事故物件始末記-

いぐあな

Day1~10 メゾンドコレー

Day1 転落事故(お題・傘)

 アティーナ星系標準時AST午後六時。四時から降雨予定だった雨がしとしとと降る薄暗い夕暮れ。一組に男女が学生専用のマンションが建ち並ぶ区画を足早に歩いていた。

 黒と紺の傘が並ぶ。時折、紺の傘が斜めに下がり、下から黒髪の可愛らしい顔立ちの女子学生が不安げに周囲を……正確には自分の上空、数メートルの空間を伺う。

 それに対して黒い傘が斜めになり、こちらはすっきりとした整った顔立ちの男子学生が鋭い目で周囲を見回した。

「大丈夫だよ。何もいない」

 彼の言葉に彼女がほっとしたように傘を持ち直す。

 周囲を囲むマンションはまだ学生が帰ってきてないのか、ほとんど灯りがついていない。路地も人影は無く、ただ傘を打つ雨音のみが響く。そんな物寂しい道を急ぐ二人の前に、ようやく洒落た赤茶色の煉瓦風の女子学生専用マンションが姿を現した。

「送ってくれてありがとう」

 オートロックのセンサーが設置された門扉の前で女子学生が彼に礼を言う。このマンションは男性は緊急事態を除き、住人の家族で事前に許可を受けた者しか立ち入れない。

「それじゃあ、明日、十時に大学の正門で。二人で警察に相談に行った後は、どこか気晴らしに美味しいものを食べに行こうよ」

 彼は彼女を元気づけるように優しく笑んでみせると、雨の中を去っていった。

 ピッ! 門扉脇のボードに多機能カード、バリーカード……通称バリカをかざすとセンサーがそれを読み取り、次いで生体認証の照合し、扉が開く。

 門を潜ると女子学生……仁智じんち大学二年生の吉野よしの志穂しほは防犯用の砂利を敷き詰めた敷地を歩きながら、エントランスに向かった。共有玄関も二重認証で開き、素早く中に入る。

 全室六室しかない、こじんまりとしたマンションは志穂以外、誰もいないのか自分の足音と何かの機械の作動音しかしない。建物の中央にある階段を登る。二階の西の端、四号室が志穂の部屋だった。

 ドアの前に建ち、まず周囲を、特に天井付近をしっかりと見て、何もいないことを確認し、バッグからバリカを取り出す。

 共有玄関同様、二重認証し、カチリと鍵が開く音を確認してノブを回す。志穂はドアを細く開け、身体を滑り込ませて、すぐに閉めた。

 再度、周囲を見て何もついてきていないことをチェックし、息をつく。靴を脱ぎ、狭いキッチンを抜けて、1Kのベッドルームに入ると

「お風呂がわいてます」

 部屋の管理AIの合成声が彼女の帰宅を感知して告げた。

「ありがとう」

 最寄りの駅を降りたところで、持っているバリカが自動で信号を送り、風呂をわかし始めるように設定をしているだけなのだが、毎回つい礼を言ってしまう。今日もじめじめと蒸す一日だった。学園コロニー『天神てんじん』は学生や研究者の効率を上げる為、レント星系、惑星カイナックの第八コロニー宇宙駅『神田かんだ』の開発した四季を演出する気象管理プログラムを運用している。

「だからって梅雨まで作り出さなくていいのに……」

 窓から聞こえるしずくの音に、心細さからか独り言を大きく声に出す。志穂はテーブルにバッグを置くと、クローゼットの衣装ケースから下着と部屋着兼パジャマを取り出した。じっとりと汗をかいた身体を洗おうとバスルームに向かう。その時、彼女の耳に、ぱささ……小さな軽い鳥の羽音が聞こえた。

 ギクリ……と足を止め、振り返る。喉まで出掛かった悲鳴を何とか押さえ、ゆっくりと部屋を見回す。窓に沿うように置かれたベッド。そのヘッドボードの上に真っ黒な小鳥が止まっていた。

「……嘘、どうして……」

 一気に口の中がカラカラに乾き、かすれた声が出る。あんなに確認して帰り、マンションにも部屋にも注意して入ったのに……。

 ぱさり……小鳥が飛び立つ。ゆっくりと部屋を物色するかのように旋回し、固まる志穂の顔、数センチの前の空中で止まり、ホバリングする。

 同時にピロン……テーブルの上のバッグの中からバリカの通知音が聞こえた。

 ビクリ! 身体が震える。これがここ三週間、彼氏に毎日帰りに送ってもらい、明日二人で警察に行く理由なのだ。

 一月前から志穂はストーカー被害を受けていた。大学やバイト、外出先に、この黒い小鳥が現れた後、必ずバリカにメッセージが送られる。そこには彼女の様子や買ったもの、食べたもの、学校やバイト先での出来事……そして、誰も知らないはずの自室での生活まで詳細に書かれていた。

『……おかえり……』

 突然、部屋に男とも女ともつかない割れた声が流れる。

「ひっ!!」

 思わず悲鳴を上げる。多分機械で変えてあるのだろう。声は空中に静止した小鳥から聞こえていた。

『……男と一緒に帰ってきただろう……その男とは……』

 つらつらと割れた声が時折笑い声を含みながら話していく。バイトの終了時間、少し前に彼が迎えに来てくれたこと。バイト中の出来事。バイトに向かう途中、軽く駅のカフェで軽食を取ったこと。昼前に家を出た時間。出掛けるまで書いていたレポートの内容。朝食のメニュー。起床時間。志穂の今日、これまでの行動を順に遡って楽しげに明かしていく。

「やめてっ!!」

 余りの気持ちの悪さに志穂は小鳥から後ずさり、窓に向かって逃げた。

「開けて!」

 ガラス戸を後ろ手で叩いて命じる。カチン! 錠が外れる。ガラリとガラス戸を引いて、狭いベランダに出る。降り続いている細かな雨が恐怖に震える身体を濡らすが、構わず志穂はとにかく小鳥と距離を取ろうと後ろに下がった。背中にベランダに設置された転落防止の柵が当たる。

『……無駄だ……俺はお前の全てを知っている……お前のことは何から何まで解る……』

 小鳥がゆっくりと羽ばたいて近づいてくる。

「いやあっ!!」

 なぶるような声と迫る小鳥から、必死に離れようと思わず柵の上に身を乗り出す。そのとき雨に濡れたベランダの床に足が滑った。

「……あ……」

 ぐるりと天地がひっくり返る。そのままコロニーの疑似重力に引かれる。志穂の身体は下へと、マンションの敷地の砂利の上へと落ちていった。

 

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 銀河歴G.C.107年7月1日

 女子学生専用マンション、メゾンドコレーの二階四号室のベランダから住人が転落。

 原因は不明。

 事件、事故、自殺の観点から今も捜査中。

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