第6話

 目を開けて。最初、昼なのか夜なのかわからなかった。ただ、つけっぱなしの電気が眩しくて、煩わしかった。やけに身体は重くて、頭が痛い。握ったままのスマホを見れば、二時十分を時計が示していた。どうやら眠っていたらしい。

 姫さんの夢を、あの日の夢を見ていたようだ。

 身体を起こせば部屋の中が見渡せる。殺風景で、衣服が乱雑に置かれていて、少しゴミがたまっている。私にしては綺麗だけれど、一年前はもっと愛らしい部屋だったことを私は知っている。姫さんが住んでいたころは、ぬいぐるみとか星形の写真立てとか、愛らしいものであふれていた。今はそれが無い。でも、それでも構わなかった。この部屋に住めさえすれば。

 姫さんは言った。 

「私。姫ちゃんのこと、そういう意味で好きだよ」。

 それを聞いた時、私は夢でも見ているんじゃないかと思った。

 私のこの恋は、叶わないものだと思っていたし、告げるつもりもなかった。姫さんの親友という座に収まって、彼女の幸せを遠くから見守る心積もりでいた。

 愛らしい姫さんのことだ。そのうち彼氏ができて、結婚をして、そして幸せな家庭を築くのだろうと信じていた。そこに私の入り込む余地はないが、代わりにずっと居心地のよい場所に収まっていられる。そう思っていたのだ。だから。

 夢みたいだと思った。驚いては思わず言葉も出ないほどに。

 ……夢みたいだと思った。

 そして自分も伝えなくてはと思った。

「私もそういう意味で、君のことが好きだよ」。

 それを。伝えなくてはと思った。

 だから電話をかけたのだ。けれど。いつまでたってもコール音が続くばかりで、電話がとられることはなかった。

 あの電話が。

 あの、電話が最期になった。

 姫さんは死んだ。

 部屋のなかで後頭部から血を流して倒れていた。警察は事故死と判断して、そして恐らくそれに間違いはないのだろう。

 なにか棚の上の物を取ろうとして椅子に乗って、けれど足を滑らせた。インテリアの植木鉢に頭をぶつけて死んだのだと。

 その時、玄関の扉は鍵は施錠されていたし、防犯カメラには不審者は映っていなかった。ならば、多少不可解であっても、そう考える他、あるまい。

 あの日の前日、この部屋に遊びに行ったけれど、棚の上には何もなかった。それに姫さんは部屋のなかには植木鉢を置いてはいなかった。僅かな違和感はあった。ただ、きっと事故死に違いはなかった。それでも。私と同じように不審に思った人はいたのだろう。

 暫くして直ぐに、姫さんの部屋の噂話を耳にするようになった。

 女の人の姿が現れると。

 それはこの間、亡くなった女性で、そして、己の死を嘆きながら彷徨っているのだと。

 その噂話を裏付けるように、新しい部屋の住人が、直ぐに引っ越すようになった。姫さんのいた部屋は空き部屋になり、再び住人がやってきても、すぐに引っ越して空き部屋になる。

 それが三度繰り返されるあたりで。

 ふと思ったのだ。

 魔が差したという感覚に近いかもしれない。

『この部屋、二人でも余裕で暮らせるよ』。

 姫さんの言葉を思い出したのだ。

 姫さん。私、貴方に好きだと言うつもりでいた。

 そして言いたかった。

 いつか話したように、あの部屋で一緒に暮らそうって。けれど。

 それは叶わない。叶わない、かなわない。

けれど。ふと思ったのだ。

 あの部屋で。姫さんが今でも彷徨っているというのなら。私もここに住めば、彼女と同棲できるのではないだろうかと。

 噂の通りに姫さんが現れるとは限らない。幽霊の女というのは姫さんではないかもしれない。そもそも噂自体が確証の無いものだ。現実的に考えれば、私はもう、二度と、姫さんには会えない。都合のいいことなんてない。会えない。わかっている。

 わかっている。

 けれど。

 それでも。この部屋に住んでいれば。

 姫さんのようにインテリアに拘らずとも。部屋が乱雑になろうとも。

 この部屋に住んでさえいれば。

「姫さん、私は君と恋人になりたかったの」

 そうっと呟いてみて。弱々しい言葉が妙に部屋に響いて。けれど静寂が広がった。

 恋人にはなれなかったけれど、この部屋に住みさえすれば、同棲をしていると言えないこともないと思えた。だから。この部屋に住みたかった。これは、私にとって、幽霊になった姫さんとの、それでも確かな同棲だった。

 だから。


 ひとつ、溜息を吐く。

 明日、隣の住人について管理人に相談しなくては。もしくはこういうことは警察に行った方がいいのだろうか。こういうことは 億劫だが、それでも。

「私は君と、ずっと同棲していたい」

 独りよがりでも、けれど。

 その為には、この部屋に居続ける方法を考えなくてはいけないのだ。姫さんがいるかもしれない、この部屋に。居続ける方法を考えていたいのだ。


 ……電球がパチリと瞬いた。

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