第2話

 右に電球をクルクルクル。

脚立の上、爪先立ちで電球を入れ替えた。

途端、パチリと玄関が明るくなる、が。

「……しまった」

 やってしまった。

 買う電球を間違えたことに気づいてしまった。

 電球の型番に間違いは無かったのだが、もっと初歩的なミス。蛍光灯と白熱電球とを間違えたのである。

 だから、玄関は明るくなったが、その色は橙の暖かい色合いではなく、無機質な白いもの。ホラー映画に出てくる廃病院のような色合いになってしまった。

『家に着いたらホッとするような玄関にしたいんだぁ』と話していた姫さんの理想とは大違いである。

 なんとも気落ちしてしまう。

 そのうえ、これから脚立を返しに行かないといけないかと思うと、ますますもってうんざりした。

 というのも、脚立は隣の部屋の男性が貸してくれたのだが、正直、顔を合わせるのは億劫だからだ。

 隣の部屋の彼は親切だ。

 マンションの殆どの人が、事故物件に住み続ける私を気味悪がって近寄らないなか、彼だけが声をかけてくれる。

宅配や新聞勧誘の人が来てたよとか、夜遅くまで電気が着いてたけど寝不足には気をつけるんだよとか、なにかと気にかけてくれる。今日も出掛けようとしたら行き先を問われた。玄関の電球が切れたので買いに行くと言えば、脚立を貸してくれたのだ。

 だからとても親切だ。とても親切なのだが、なんだかその距離感が近くて、私は苦手に感じている。

 この脚立も最初は断ったのだが、何度も勧めるものだから、結局借りてしまった。そして、借りたからには返さなくてはいけない。なので、しぶしぶ隣の部屋のインターフォンを推せば、五秒と待たずに隣人は顔を出した。

「本当に俺が手伝わなくて大丈夫だした?」「俺だったらそんなに時間かけずにできますよ」「女性が独りで暮らすのはなにかと大変でしょう」

 矢継ぎ早に言われるそれは、親切からくるものだとわかってはいるのだが、どうにも距離が近すぎる……気がする。けれど、だからといって無下にするのも難しい。

「あの部屋に二か月も住んでいるなんて、姫ちゃん、凄いですねぇ。実は霊媒師とか祓い屋とかんですか?」

 だから妙におだてる言葉に曖昧に笑顔を返して場を濁した。

 名前で呼ばれたことに、一瞬、顔が引きつったが、耐える。

 ご近所付き合いは大切だろう。だって、親切ではあるし。

だからどうにか笑って。なんとかお礼を言って。けれど、部屋に戻た途端、それでもどっと疲れが出てしまった。

やっぱりあの人は苦手だ。

 もうすっかり見慣れた玄関でほっと息を漏らす。

 あの人と話すよりも、この部屋にいるほうがずっと安心する。

 事故物件にいて安心するというのも返かもしれないが、それが私の本心だった。

 この部屋にいるほうがずっとずっと安心する。

 ずっとここに住みたかったし、念願叶って住めるのだから、それは当然なのかもしれない。この部屋は私にとってとても特別だ。

 だから部屋の中で迄、嫌な気分は引きずりたくない。

 私はもう一つ、息をついてから靴を脱いだ。

電球を買うついでにドーナツも買ってきたのだ。姫さんが好きなドーナツ屋のものである。私は甘いものは苦手だけれど、あそこは野菜で作った甘さ控えめのドーナツもあるから好きだ。

「よし。お茶の時間にするかぁ」

 だから気を取り直して呟けば、まるでそれに応えるように、電球がチカチカと瞬いた。

 さっき変えたばかりなのに瞬くなんて、ちょっと変な気もするが、それが気持ちを切り替える合図のようで、自然と笑みがこぼれてしまった。

 やっぱり隣人と話すより、この部屋にいるほうが安心する。

 居心地がよくて、しっくりと収まるようで。

 多分それは。


 ここは、姫さんが選んだ部屋だからだと思う。

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