プロローグ 後
3
道を歩いていた少女は不意にその足を止めた。歩いてきた方角を見つめると走り出す。
少女が訪れたのは、公園だった。
先ほど訪れたばかりの公園では、ベンチに座っていた少年が立ち上がりじっと地面を見ている。無造作にベンチのところで投げ出された鞄。少女の背中に冷たい汗が流れ落ちた。
「なに、してるんしゃい」
少年は振り向かない。
少年の足下に血が流れているのが見えた。近付いていくと少年に隠れていた猫の死骸が見える。少女が顔を歪めた。
少年は何も言わずただ見ている。
じっと少年と猫の死骸を見ながら、少女はそれを片づける作業に入る。写真を撮り、ビニール袋に死骸を入れていく。あらかたのすべてが終わった時、その一連の動きを見ていた少年がぽつりと呟いた。
「鬼が……」
「え?」
振り向いたその時、もうすでに二歩離れた場所にいる少年の顔は窺えなかった。そんな中で無表情なのだろうと思わせるような黒い瞳だけは確かに少女の目に映った。 少年はもう一度、鬼がと呟いた。
4
「鬼、ですか」
「鬼しゃいよ」
部屋の中、青年が興味深そうに呟くのを、少女は紙が乱雑に積まれたディスク越しに見ていた。その目はどこか疲れたように淀んでいる。そんな少女を気にすることなく青年は穏やかに笑い語り掛ける。
「もしそれが犯人について言われているとしたら、もうそろそろこの事件も終わりを向かえるかもしれませんね」
「そう、しゃいね……」
躊躇うように答えた姿にも青年は躊躇することをしない。ただ穏やかなままに先の言葉を続ける。口元には慈愛にも似た笑みを浮かべながら。
「鬼は、見た人を殺すと言いますから」
青年の言葉に少女はため息を吐いた。その顔がゆがむ。だが青年は気にしない。
「囮みたいになるしゃいね……」
「まあ、それも仕方ないことでしょう」
「そうしゃいね」
答えた少女は青年から視線を外し淀んだ目で自分の手を睨み付けた。
………
夕暮れ時、少年は公園の中にいた。こないだと同じ公園。そのベンチにすわり少年はいつもと変わらず本を読んでいる。
本を読んでいる少年は不意にその視線をあげた。その眼が細められる。
鞄の中に本を無造作に詰め込み、横へと飛ぶ。少年がいなくなったベンチが鋭く切り裂かれた。
少年がベンチだった物を見た。その上に小さくごつごつした肌の頭に角を付けた鬼の姿がある。鬼が憎らしそうに笑う。
「やはり、見えてたな」
鬼が言葉にする。
その鬼を少年は見た事があった。それもつい昨日のこと……。
鬼を睨み付け、少年は距離を保つ。鬼が距離を詰めようとかけてくるのを横に避ける。鬼の早さは異常だった。風のように一瞬にして少年がいた場所を切り裂いてくる。
鬼を見つめながら少年が唇か噛みしめた。すっと腰を落とす少年は、されど、その動きを途中で止めた。地面を蹴ろうと足に込めた力がなくなる。
鬼が襲ってくるのにほんの僅かだけ上体を後ろに反らした。
鬼の鋭い爪が少年の首元を狙うが、すんでの所で阻まれる。
少年の首と鬼の爪の間に冷たい鉄の塊、……銃が入り込んでいた。少年と鬼の眼が突然の乱入者を見る。乱入者は少女だった。
「お前は……」
鬼が震える。
「人間とあやかしの秩序を保つため、ちょっとお縄について貰うしゃいよ」
少女が銃口を鬼に向ける。逃げようとした鬼だが僅かに遅かった。引き金を引いた少女。
鬼が地面に倒れ伏した。
「安心しんしゃい。ただの麻酔弾しゃいから」
少女を少年が見る。見られていることに気付いた少女が気まずそうに目線を逸らす。
「その大丈夫だったしゃいか?」
少年は何も言わない。
「その、あんたに一つ謝らないと、いけないことがあるんしゃいけど、そのね、実はちょっとあんたを囮にさせて貰ったしゃい」
なにも言わない少年は、でも今までと違い少女に視線を合わし睨んできた。
「その、昨日鬼って呟いたでしょ。鬼は見られることを嫌うから、見られたら見た者を殺しに来るかなって思ったんしゃいよ」
「……」
少女の説明に一度考え込むように目を伏せた少年がまた睨む。
「それにしては、目の前で昨日殺していたけど」
声が少年から漏れた。
「それは……、多分見られるとは思ってなかったんしゃいよ。基本は普通の人には見えないはずしゃいから。時たま、あなたみたいに見える人もいるしゃいけど……。だからね」
「……そう」
「で、あの、もう一つ言わなきゃいかん事があるんしゃいけど」
納得した様子の少年に少女が困ったように笑う。
「あなたはあんまり困惑してる様子もないしゃいし、元から見えてたんだろうとは思うんしゃいけどね。一応仕事上、見られたら記憶を消せっていうのが、うちの会社での鉄則になっていまして……」
「止めときなよ」
少女が一番大事なところを言う前に少年が止めた。
「え?」
「どうせ意味ないから……」
ポツリと落とされた言葉。少女は言葉の意味を考える。だが理解できない。
「どういうことしゃい」
「さあ?」
首を傾げるその仕草の白々しいこと。何かあると少女に告げる。静かに少年を見据え始める瞳に、少年は何処か別のところを見た。歩き出し、自分の鞄を拾う。
「あんた、名前は」
少女が問うのに一度だけ振り返り、そして、
「尾神蓮」
少年は歩いていく。
「そう。私は中川理矢。縁があったら会いましょう。なんだか会えそうな気がするしゃいよ」
少年は振り向かなかった。少女がそれを見送る。
これが始まり。
公園から出て少女から見えなくなったところで少年の元に男が突然現れていた。
「駄目じゃん。名前教えたら。契約違反だよ」
くすくすと笑う男に少年、蓮は何も言わなかった。
「君は僕のモノなんだから」
男のまがまがしい声が、少年と男、他に誰もいない公園の中に空しく響き渡る。夏の終わり生ぬるい風がねっとりと辺りを包み込んだ。
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