あやし事務所
わたちょ
プロローグ前
紅色に世界が染まり始める夕暮れ時、一人の少年がとある公園でじっと地面を見つめていた。辺りが薄く橙色に染まる中、それよりも鮮やかな赤い色がこびり付いて汚れた地面をじっと見つめていた。
ーどう?ー
そんな囁き声が聞こえてくる気がしていた。
じっとじっと見つめながら……。
「何してるんしゃい」
不意に聞こえてきた声に少年は後ろを振り向く。そこには知らない一人の少女が立っていた。答えないで少年はまた地面を見つめる。横に並ぶ少女には興味の欠片も見せずにただじっと一点を見つめ続ける。赤く汚れたそこを。そんな少年の視線の先を追った少女はその顔をすぐに歪めた。
「それは……、何しゃい」
嫌悪するような声が少年の耳に入る。それにも何の反応も見せずただ少年は見つめ続ける。
真っ赤な血で濡れた地面を。その中心に位置するものを。
「こんな物じっと見るもんじゃないしゃいよ」
それは、折り重なる四羽の小鳥の死骸だった。たくさんの血を流し、明らかに不自然な誰かの手による死に方をした哀れな小鳥の姿。
「……」
少年は少女に対してなにも言わなかった。ただその目を死骸から反らさない。それに片眉を少しだけ上げ、少女は不快に顔を歪める。
「にしても、誰しゃいかね。こんな悪趣味なことをする奴は」
そう言いながら少女はカメラを手に持ちその場を撮影し、そして家庭用のゴム手袋とビニール袋をポッケトの中から取り出しては死骸の処理をしていた。その様子を少年が眺めた。
「ん? どうしたしゃい」
見つめてくる少年に少女が首を傾げる。何も言わない少年だがその目は少女が持つビニール袋を見ている。
「ああ、これのこと。まあ、仕事柄こういうもの見る機会も多いしゃいし、処理することもよくあることだから一応持ち歩くことにしてるんしゃいよ」
教えても少年は何も言わなかった。納得したのかどうかも怪しい。そもそもこのことで当たっているかもどうかも。ただ少年の目は見てくるだけだ。何も言わない。まるで口がきけないようだと少女は思った。だがそうではないとも分かっていた。少年の見つめてくる目は少女に対して何の興味も抱いていない。不思議には思っても聞く必要などは感じていないだけなのだ。
少年の視線が少女から離れた。
何を見るのかと思いおえば、それはまた赤い血が染みた地面を見ている。
「何を考えているのか知らないしゃいけど、あんまり死の影は見ない方が良いしゃいよ。気分が悪くなるしゃいからね」
少年の瞳は動かない。肩を竦めた少女は別のビニール袋を取り出すとその土をスコップで掘り出していていた。
それが終わると少女は一つため息を吐く。
少年は掘られたその後もじっと見つめている。
「もう、いい加減やめんしゃい」
少女の制止の声に少年は反応を示さない。
そんな少年を見ていた少女だったが、一つ息をつくと背を向けた。
「早く帰りんしゃいよ」
少女の声が少年の背に届く。
少年はずっと地面を見ていた。
これが後に物語を動かす鍵と歯車の中心である、少年と少女の出会い であった。
1
少女がそこに来た時すでにその死骸が出来上がっていた。それは猫の死骸だった。首輪がはめられていないところを見ると野良猫の死骸だろう。足があり得ない方向に曲がり、背に大きな刃のきり傷が出来ている。
それを見下ろして眉を寄せながら、少女の目は横にいる存在を見た。
そこには少年がいた。
またじっと死骸を見下ろしている。
その少年は公園の中にいた。
公園のベンチに腰掛け、静かに本を読んでいる。公園は住宅街から多少離れたところにあり、大抵の家庭が晩の準備をし始めるこの時間には少年以外の人影は見当たらなかった。
「やあ、こんにちはしゃい」
そんな少年に掛けられた声は昨日の少女のものだ。独特な語尾で顔を上げなくとも分かった。顔をあげなかったのはそんなことが理由ではなかったけれど。
「昨日はあの後、早く帰ったしゃいか」
聞いてくる少女に少年は何も言わない。目線をずっと本に向けている。まるでそこに少女がいないかのように
「人の話は聞くもんしゃいよ」
唇を尖らした少女の拗ねたような言葉にも返ってくるものはない。顔も上げない少年に少女はため息を吐いた。だけどすぐに気を取り直して少女は少年からその目をそらす。
「変わったところは特になし……と」
あたりをそれとなく見回し少年に聞こえないよう小声で呟いた少女。その姿を目線だけで少年は見ていた。その目にほの暗い色をたたえて。それに少女は気づかなかった。完全に少年からは視線を外しており見ていない。そして再びその目が少年に向いた時にはもう少年は少女を見てはいない。
「じゃあ、しゃいね。また縁があれば会いましょうしゃい」
二人の視線がまじり合うことのないまま少女がそう言って手を振った。当たり前のように少年はそれに何も返さなかった。少女もまたそのことを気にすることなくその場を去っていく。
去っていた少女に少年はただ本を見ていた。
少女の背が完全に見えなくなるとどこからともなくくすくすと笑い声が聞こえだす。
「変な奴もいるもんだね」
笑い声と共に少年が座るベンチの後ろから男があらわれる。突如現れた男さえも少年は気にしなかった。視線の一つも動かすことなく本を見続ける。そんな少年にもかかわらず男は楽しげに笑い続ける。まるで猫の様に少年の首にすり寄りながら至極楽し気な笑みを浮かべる。その笑みは楽し気でありながらどこか恐ろしさを感じるものだった
「迷惑きわまりない奴だと思わないかい?」
少年の首に腕を回す男。本の上に薄い影が落ちる。たったそれだけのことで読みづらくなった本を少年越しにみながら男は問う。少年は視線をあげることもなく単調な声だけを返した 。
「あんたが俺にとっては一番迷惑きわまりないよ」
「あれ? まあそうかな」
くすくすと笑い声が響く。邪険にされながらも男の楽しそうな様子は変わることはない。少年もまたずっと変わることのない態度のまま平坦な声を出す。
「分かっているのならそこからどいてしばらく俺に話し掛けないで。日が完全に落ちる前に読み終わらせたいから」
ぺらりと少年の白く細い指がページを捲る。その動作に男の笑みがやみ、がっかりしたように肩が落された。
「ああ、何だーー。そっちのこと」
「他に何があるって言うの」
「まあ、色々かな」
少年の感情を感じさせない声による返しに対して男は再び笑みを取り戻した。薄く軽薄な笑みを浮かべて男の目は少年を見る。ぎゅと首に回している腕に力を込めながら、少しずつ笑みを深めていく。それに対し少年は何の反応を返すこともしなかった。視線は変わることなく本に向けられている。その顔だけがほんの僅かながら苦しげにゆがめられていた。
男の笑みがゆがんでいく
「ああ、楽しいね」
「何がか分からないけど、まあよかったんじゃない」
心の底からそう感じているのが分かる声で男は告げる。変わることのない声で少年は答える。それが当然だというように男はさらに腕に力を込めていく。少年の背に男の体重が乗りかかった。
「うっふふ。そうだね」
バランスを崩す体に黒い少年の目が初めて不快気に揺れた。
「ねぇ、重い。のし掛からないでくれる」
固い声がその口から漏れ出す。押しつぶされた体制。胸元で本がつぶれて読むこともままならない。少年は読めなくなった本を読むためその体を起こそうと力を込めている。
「駄目?」
男のあまやかな声が少年の耳をくすぐる。ただの悪戯をしているだけのような軽い、子供がわざと甘えているような声。そんな声を出しながらも男はその腕の力を微塵も緩めはしなかった。ぎりぎりのラインで力を籠め続ける。
「駄目に決まっている」
少しかすれた否定が男の耳に届く。男はさらに少年に体重をかけながらくすくすと笑うだけ。腕に込めた力さえも強めようと体全体に力を込める。ぐっと苦しげな声が少年から出ていく。それにさえも楽しげに笑ってもっともっとと力を籠めようとした男。
だけどその動きは唐突にやんだ。
どさりと音を立てて少年の体が地面に叩き付けられる。急に腕の力をといた男。そのずっと少年を見ていたその目さえも別の場所に向けていた。起き上がり体をもとの場所に戻した少年はそんな男をじっと見つめた。そんな少年の様子にさえ気づかず男はある場所をじっと見ていた。
「あれ……」
男の言葉に少年が視線を男の見ている方向に向ける。 そこには一匹の黒い猫がいた。赤い首輪を付けた猫。翡翠色の目が少年の瞳を見ていた。
ちりんちりん、と尾についた鈴が涼やかに鳴り響く。
「猫、がどうかしたの」
「いや……。なんにも、」
問いかける少年に返す男の声は何処か普段と違っていた。それに不思議に思う少年。唐突に男はその目を覆い隠した。
「なにするんだ」
「見ちゃ駄目」
「何を」
「猫を」
男の言葉に少年から訝し気な声が上がる。意味が分からないと言いたげな目が男を見つめた。
「僕のものだから」
わざと舌の足らない子供のような声で男は言葉を口にした。そんな男の姿に少年はため息を吐く。その手もまた無理やり外そうとはせずに、ずっと持ったままの本を強く握った。
「見ないからこの手をどけろ。本が読めない」
「どうしようかな」
男が楽しそうに笑う。不意にその空気が変わった。
「どうした?」
「遊びはここまでみたいだ」
どういう事だと少年が聞こうとした時、少年の目から男の手が外されていた。背中に掛かっていた男の重みもなくなる。
男はいなくなっていた。
忽然と姿を消した男。少年はその事には驚かずただ真っ直ぐに前だけを見ていた。その視界の先にはあの猫の姿がある。まるで夜の空のように真黒な輝きの毛並みを持つ猫は今もずっと少年を見ていた。 ちりんちりん 鈴の音が響く。何もかもを映し出すかのような翡翠の目で少年の姿を捉えながら、猫の口元が奇妙に笑ったように見えた。 思わず少年が視線を外そうとしたその時、それは起きた。
突然風が吹き荒れる。
そして、それが止んだ瞬間には黒い猫の背中から血が溢れていた。それでも猫は優雅に佇んだままだった。翡翠は少年から外されることはなく何かを語り掛けるように穏やかにゆがむ。そしてそんな瞳のまま崩れ落ちていく。
その動きにもう一度風が吹いた。
何かが折れる音が響く。
猫の叫びにも似た鳴き声が響いた。だけどその目はやっぱり少年を見ていた。あの目のまま。
ぴくぴくと痙攣しながら見つめ続け、そのままばったりと息絶える。
その光景を少年はじっと見ていた。
突然吹いた風の中には黒い鬼がいた。
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