第38話 詩織 × 優菜

 気がつけば、背後に詩織が立っていた。

 頭上を見上げるとうっすらと半透明のドームのようなものが公園を覆っている。

 異界の顕現。人払いのための結界である。


(どうして、詩織がここに……ずっと学校を休んでいたじゃないか……!)


『あの刀を見よ。どうやら、娘の気配を感じ取ったようじゃな』


 詩織の右手には一本の剣が握られている。

 かつて俺を刺し貫き、黄泉に送った剣……『黄泉霊斬剣ヨモツチギリノツルギ』であった。


(あの刀、まさか……!)


『娘を狩りに来たのじゃろうな。退神師として、堕神となった娘を』


 殺すというのか。

 優菜を。俺を刺し殺したように。

 そんなことが許せるものか。絶対にやらせない。


「……帰れよ。お前に用はない!」


「その人……もしかして、ホムラ君のクラスに入った転校生? どうして、そんな姿に……?」


「いいから帰れ! 今すぐに消えろ!」


 俺は声を荒げる。

 詩織はここにいてはいけない。

 彼女の存在は起爆剤だ。絶対に良くないことになるという確信があった。


「ううっ……あああああああああっ!」


「優菜!?」


「あああ、アアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」


 優菜が突如として頭を抱えて、絶叫した。

 先ほどまで理性を保っていたはずなのに……瞳が赤く染まり、腹部からどんどん黒い触手が流れ落ちる。


「舞原詩織……ホムラさんの彼女、恋人……ホムラさんを殺した。殺した殺した……!」


「優菜!」


「下がって、ホムラ君!」


 大声を発して、詩織が白刃を手にして前に出る。


「この人はもうダメよ……祓わないと!」


「うるさい! そもそも、お前が来なければ……!」


「シネエエエエエエエエエエエエエエエエエッ!」


 優菜が地面を蹴り、詩織に向かって飛びかかる。

 詩織は刀でそれを迎え撃とうとしていた。


「ッ……!」


 俺は迷うことなく、二人の間に割って入る。

 詩織が振り下ろした刀を八雷神によって受け止め、反対の腕で優菜の攻撃を抑え込む。


「ホムラ君……!」


「グッ……!」


 腕に鋭い痛みが走る。

 優菜の爪が腕に刺さって、血がにじみ出た。


「ホムラ君……どうして!?」


「手を出すな……さっさと消えろって言ってるだろ!」


「アアッ!」


「ッ……!」


 鬼女のような形相になった優菜が短く吠える。

 抑え込んでいた腕に触手が巻きつき、そのまま俺の身体を投げ飛ばした。


「グアッ……!」


 植木の一本に背中から叩きつけられる。

『常世の媛』の加護が無ければ、背骨が折れていたかもしれない衝撃だった。


「ホムラ君をよくも……このっ!」


「カレにサワルナ!」


 優菜が触手をムチのようにして、詩織にぶつけようとする。

 しかし、詩織が触手を刀で斬り落として、攻撃をふせぐ。


「『バク』!」


 詩織が懐から御札のようなものを取り出して、優菜に向けて投げつける。

 まるで生き物のように御札が飛んでいき、優菜の身体に貼りついた。


「アアッ……!」


 御札が白いロープに変わって、優菜のことを拘束する。


「鬼神調伏……急々如律令!」


 詩織が握りしめた白刃が白いオーラを纏い、輝いていく。

 そのまま身動きが取れなくなった優菜に向けて突進し、その胸を貫こうとする。


「『黒雷』!」


「ッ……!」


 だが……やらせない。

 自分の身体を雷に変えて優菜の前に立ちふさがり、刺突を叩き落とす。


「ホムラ! 邪魔をしないで!」


「殺すのか!? 彼女を……俺を殺したみたいに!」


「…………!」


 詩織が愕然とした表情になり、動きを止める。


「退け!」


「カハッ……!」


 詩織の腕を掴んで、そのまま投げ飛ばす。

 詩織は何度か地面を跳ねて勢い良く転がっていくが、意識はあるようですぐに身体を起こそうとする。


「ダメよ……ホムラ君、その子はもう……!」


「それをお前が決めるなよ! 黙ってここから……」


「ホムラサン!」


「グッ……!」


 拘束を解いた優菜が背中に組み付いてきて、俺の首に噛みついてきた。

 尖った牙が皮膚を貫いて、ドクドクと血が溢れ出る。


「ホムラサン……ホムラサン……!」


「ゆう、な……!」


『いかん! 小僧、さっさと引き剥がせ!』


 八雷神が焦った声を発した。


『力を吸われておる! このまま霊力を奪われたら、お主でも死ぬぞ!?』


「そんなことを言っても……!」


 引き剥がそうとするが、まるで巨獣に掴まれたかのようにガッチリとしがみついてくる。

 俺の力を吸ったためなのか、数を増した触手も絡みついてきた。


「ホムラサン……ゴメン、ね。ゴメン……!」


「優菜……」


 優菜は泣いていた。

 泣きながら、俺の首に牙を突き立てている。

 その悲しそうな声を聞いてしまうと……俺の手から力が抜けていく。


『小僧……!』


「……もういい。静かにしてくれよ」


 もういい。

 本当に、もういい。

 俺は手から八雷神を消して、そのまま棒立ちになる。


(優菜を助けることができないというのなら、このまま食い殺されるのも悪くないかもしれないな)


 そもそも、優菜が禍津霊に憑かれてしまったのは俺の責任なのだ。

 俺が彼女を巻き込んだ。そのせいで、怪物になってしまった。


(もしも、ここで俺が優菜を殺してしまったら……それは詩織がしたことと同じじゃないか)


 詩織のことを加害者として責めておいて、同じことをするなんて許されない。

 そんなことをするくらいだったら、このまま殺された方がマシだ。


『小僧……貴様……!』


(悪いな……八雷神。どうやら、俺は馬鹿だったようだ)


『ああ、大馬鹿者め……つまらぬ決断をしおって……!』


 身体に収納した八雷神がグチグチと説教をしてきた。

 その声もこれで聞き納めかと思うと、寂しささえ湧き上がってくる。


(お姫さまにはアッチで謝るよ。だから、これで……)


「うああああああああああああっ!」


 心中するくらいの覚悟を決めるが、野暮な横槍が入った。

 先ほど、投げ飛ばされて地面を転がっていたはずの詩織が起き上がり、触手を斬り裂いたのだ。


「ホムラ君を離しなさい!」


「おい、詩織……!」


「ホムラ君は黙ってて!」


 抗議をすると、詩織が怒鳴り返してくる。


「私だってあの時、ホムラ君のことを助けたかった! 殺したくなんてなかった! だから……もう二度と、貴方を目の前で殺させない!」


「ッ……!」


「うあああああああああっ!」


 詩織が俺から優菜を引き剥がす。

 血を吸われて消耗していたため、そのまま無様に地面を転がってしまう。


「離れろ!」


 詩織が叫んで、優菜に向けて白刃を投擲した。


「キャアッ!?」


 投げた白刃が優菜の肩に突き刺さった。

 傷口から黒い靄が血のように吹き出すが、致命傷には程遠い。


「カレをカエセええええええええエエエエエエエエッ!!」


 優菜が怒りの絶叫を上げて、全身から大量の触手を吐き出した。

 腹部の傷跡からだけではない。皮膚を悔い破って出現した数百の触手が先端を尖らせ、槍の雨となって俺達に降りそそぐ。


「これは……!」


 避けられない。避けるつもりもないが。

 俺は地面に転がったまま、無防備に触手の攻撃にさらされる。


「…………!」


 しかし……いつまで経っても、痛みがこない。

 当然だろう。俺はほとんど触手の攻撃を受けていないのだから。


「あ……」


 俺の前に赤い影がある。血まみれの、鉄の臭いを纏った人影だ。


「無事、なの……ホムラ君……」


「詩織……」


 両手を広げた詩織が盾になって俺の前に立ちふさがり、無数の触手に身体を貫かれていたのである。

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