舞原詩織③

Side 舞原詩織


「ウエ……」


 ホムラ君と再会したあの日から、何度も何度も吐き気に襲われていた。

 原因はわからない。

 心当たりは一つあるのだが、検査はしていないので理由は判然としないままである。


「ホムラ君……」


 あれから、ずっと学校を休んでいた。

 家に閉じこもり、布団で丸くなって涙を流す日々。

 そんなことをしていても贖罪になんてならないとわかっていたが……学校に行って、ホムラ君と顔を合わせるのが怖かった。


(彼はただ復活したんじゃない。不思議な力を手に入れていた……)


 正体はわからない。

 だが……詩織にはわかる。

 ホムラ君が手にしていたあの力は人間が扱う呪術じゃない。

 黄泉の力が込められていた、あの世の霊力だ。


(ホムラ君は堕神になってしまったの? それとも、何らかの方法で十種の宝と同じものを手に入れたの?)


 わからない。

 確かめなければいけないのはわかっているが……その勇気さえ、今の詩織にはなかった。

 もしもしっかりと確認をして、それでホムラ君が堕神になってしまっていたら。

 その時は、今度こそ殺さなければいけない。

 それが退神師の役割だから。『十種の冥宝』を受け継いだ人間の義務だから。


「嫌だ……嫌だよう……」


 殺したくない。絶対に。


 私はかつてホムラ君を殺した。

 その時、どうしようもないほどの絶望と虚無感に襲われた。

 同じことをするなど、まっぴらごめんである。


「ウッ……」


 そうして悩んでいる間にも、何度も吐き気に襲われた。

 私は吐しゃ物を撒き散らし、涙がにじんだ瞳で汚れた布団を見下ろして……ようやく、その言葉をつぶやいた。


「戦おう……ホムラ君と」


 そして、殺されよう。

 私は彼を殺したのだ。ならば、同じように殺されなければ罪はなくならない。

 ホムラ君と戦って、殺されよう。

 それが私にできる唯一の罪滅ぼしに違いない。


 不思議なことに、命を捨てる覚悟を決めると途端に気分が軽くなった。

 吐き気が収まって、体調も良くなる。

 やはり身体の不調は精神的なものだったようだ。


「あ……」


 決意を固めて、シャワーを浴びて。

 明日、改めてホムラ君と会おうと決めた矢先、強烈な気配を感じた。

 この気配は間違えようがない。堕神と呼ばれる邪悪な神の気配である。


「……行こう」


 堕神は斬らなければいけない。

 それは死ぬ覚悟を決めた今でも、変わらない。

 どうせ私はホムラ君に殺されるのだ。最後に人間の敵を倒して人助けをするのも良いかもしれない。

 そんな思いで気配を追っていた私であったが……そこに彼がいた。

 ホムラ君が。私が愛して、そして殺した男性がそこにいたのだ。


 状況はわからない。

 だが……彼の傍には堕神がいた。

 正確には堕神になってしまった女性が。

 蛆のように身体を這っている触手の下に見えるのは、ホムラ君と同じクラスに転校してきた女子生徒の顔である。


 ホムラ君は彼女のことを助けようとしていた。

 自分以外の女の子を思いやっているホムラ君の姿に、私は嫉妬と安らぎを同時に感じる。


(ああ……やっぱり、ホムラ君だ)


 命を懸けて、必死に誰かを助けようとしているのは鬼島焔。

 ありのままの彼の姿である。

 堕神が入り込んだ偽物なんかじゃなかった。彼は彼だったのだと確信する。


(良かった……ホムラ君が無事で……)


 どうして、彼が生き返ったのかはわからない。

 それでも……ホムラ君が生きているという事実が嬉しい。

 自分の罪が消えてなくなるというわけではないが、心から嬉しい。


 だから……私は飛び込んだ。立ちふさがった。

 ホムラ君の前に。彼の盾になるために。


「あ……」


 尖った触手に貫かれながら、私は安堵の溜息をついた。

 ホムラ君が驚いたように私を見つめてくる。

 私に向ける瞳はずっと無感情だったが、唖然とした表情は初めて彼を意識したときのよう。

 教室で泣いているところを、見られたときの顔だった。


(ありがとう……そして、ごめんね……貴女も)


 転校生……名前は萌黄さんといっただろうか?

 彼女の身体から出た触手が、何本も私に突き刺さっている。

 そのいくつかは臓器を貫通しており、どうやっても命が助からないことが自分でもわかった。


(予定とは違ったけど……いいよね、この結果で……)


 全身を痛みに襲われながら、私は酷く落ち着いた気持ちになっていた。


 落ち込んでいた心が晴れている。

 鉄サビによく似た血の匂いに包まれながら、不思議と爽やかな風が吹き抜けていくような心地良さを感じた。


(ホムラ君に殺されようと思っていたけど……こっちの結末の方が満足かな? 彼のために死ねるんだからね)


 私は心から満足して、瞳を閉じた。

 もう二度と目覚めることはないのだろうと、確信しながら。

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