萌黄優菜①

Side 萌黄優菜


 目の前で鬼島君が戦っていた。

 私達を守るために、不気味な巨人に立ち向かっている。

 映画かアニメのワンシーンとしか思えない光景だ。

 自分がそんな空想の登場人物になっていると思うと、いまだに夢ではないかと疑いが生じてしまう。


「あ……そっか」


 戦っている鬼島君の姿を見て、ふと記憶の琴線が弾かれるのを感じた。

 連鎖的にいくつもの記憶が蘇ってくる。

 公園で夜の散歩をしていた際に大きな猿に襲われた記憶。

 危ういところで見知らぬ少年が駆けつけてきて、自分を救ってくれた記憶。


 どうして忘れていたのだろう?

 鬼島ホムラ君こそが私の命を救ってくれた恩人だったというのに。


「…………」


「不思議な顔をしているね、バンシーちゃん」


「キサラちゃん……」


「どういう心境なのか訊ねても構わないかい?」


 隣で鬼島君の戦いを見ていたキサラちゃんが声をかけてきた。

 おかしな格好をしている不思議な子だが、こうして近くで見ると可愛らしい顔立ちをしている。

 背丈もちんまりとして愛らしいし、猫のように悪戯っぽい顔にミステリアスな空気を纏っていた。


 鬼島君とは中学からの付き合いだと聞いたが……私の知らない彼を知っているのだと思うと、妙に胸の奥が重苦しい気持ちになってしまう。


「おや? また表情が変わった。もしかして、私のことが嫌いになってしまったのかな?」


「い、いえ。そんなことはありません」


「そうかい。ところで……君は随分と熱っぽい目で幽霊君のことを見つめていたようだけど、彼に対してどんな感情をいだいているのかな?」


「どんな感情って……」


 改めて問われると、よくわからない。


 大猿から助けてもらったことへの感謝はもちろんある。

 どうして彼があんな力を持っていて、化物と戦っているのかという疑問と興味も。

 それらとは関係なく、隣の席に座っていて安心する気持ちがあって。

 授業で先生から指されて慌てている姿や、一緒に食堂で昼食を食べていてカレーうどんを制服にこぼして落ち込んでいる姿を見て、可愛いと思ったりもして。


 そして……彼が別れた恋人に決別の言葉を口にする場面を見て、無表情ながらもどこか切なそうな彼の横顔に胸が締め付けられるような庇護欲が湧いてきた。


 この感情をいったいどう表現すればいいのだろうか?


「なるほど……それは、アレだよ」


「アレ……ですか?」


「うん、アレだ。『性欲』だね」


「違いますけどっ!?」


 キサラちゃんの思わぬ発言に大声を出してしまった。

 驚かせてしまったかと鬼島君の方を見るが、彼は空を飛びながら黒い巨人と戦っている。

 私の声も聞こえなかったようだ。


「へ、変なことを言わないでください……そこはせめて、その……『恋』とか言う場面じゃないんですか?」


「フム? 恋なのかい?」


「違っ……うかどうかはわかりません。どうなんでしょう?」


 鬼島君が好きか嫌いかと二択で迫られたら『好き』だと断言できる。

 だが……この複雑な感情をそんな一言で表せるとは思えなかった。


「一緒にいたい。でも、傍にいると落ち着かない。触れてみたいけど恥ずかしくてできなくて、守ってあげたいけれど守られてばかり。それでも不快感はなくて安心して、胸がドキドキして……」


「…………」


「本当に、この気持ちは何なんでしょう」


 私は胸に手を当てた。

 バクバクと心臓は高鳴っており、少しも収まる気配がない。

 私はいったい、鬼島君をどうしたいのだろう?


 懊悩する私だったが、キサラちゃんの言葉でさらに困惑することになる。


「私はね、バンシーちゃん。将来的に幽霊君の子供を産んでも良いと思っているんだよ」


「はい!? 今なんと!?」


 聞き違いでなかったのなら、子供を産むと言ったのか。鬼島君の。


「き、きき、キサラちゃん! いくら男の子が聞いていないからと言って、そんなことを口にしたらダメですよ!? えっちです、いやらしいです、ふしだらですっ!」


「うんうん、最後まで話を聞きたまえ。首を絞めるんじゃない。苦し過ぎて逆に気持ち良くなってきたぞ……」


「あ、ごめんなさいっ!」


 慌てたせいで、キサラちゃんの細い首を掴むような形になってしまった。

 キサラちゃんが息を整えるのを見て、私もたかぶった気持ちを抑えるために深呼吸をする。


「私はね、幽霊君のことを好いているんだ。別に恋人になりたいというわけではない。同じくらい入道君……村上武夫にも好意を持っている。あの二人にならば、突然押し倒されて子供を仕込まれてもギリギリ許せるくらいだ」


「こ、子供って……」


「これは好意ではあるが恋愛感情ではないな。性欲がもっとも近いと思うが……どうなのだろう。バンシーちゃん。この感情にどのような名前が付けられると思う?」


「え、ええっと……わ、わかりませんけど……?」


「その通りだ。わからないのさ」


 キサラちゃんがうんうんと納得したように頷いている。

 私は理解できないことばかりだというのに、勝手に自己解決しないでもらいたい。


「人間の……特に対人関係における感情に対して安易に答えを出すべきではないと、私は考えている。答えがわかってしまえばそれで終わり。解答を知ってしまったクイズや数学の課題を何度も解き直したりはしないだろう? 答えがわからないからこそ、相手のことを深く追及したいと望むのさ」


「追及……」


「恋愛感情も殺意もオカルトへの興味も根っこの部分では同じさ。未知のものへの探求心を持ち続けること。それが大事なのさ」


「…………」


 私の疑問に答えてくれるようで、全然関係のないことを話しているようにも聞こえる。

 私は返す言葉もなく黙り込んだ。


「かつて……幽霊君は恋人に浮気をされて、フラれてしまったらしい。『彼女』に刺されるという最悪な形でね」


「え……?」


 私はキサラちゃんの言葉に唖然とした。

 浮気をされて別れたというのは聞いたような気がするが、刺されたというのは初耳である。


「幽霊君はそのことがきっかけで『彼女』に対する感情に『無関心』という答えを出してしまったらしい。だが……私に言わせるのであれば、どうして『彼女』がそんなことをしたのか、どんな思いを胸に抱いていたのか……すぐに答えを出さずに、もっと追及するべきだったと思うんだ」


「……そんな酷いことをされたんだから、嫌いになるのは当たり前じゃないんですか?」


「そう考えるのは自然だが……結論を出せばおしまい。答えを出してしまえば、それ以外の全ての可能性が閉じてしまう。もっと良い決断があったかもしれないのに、それらがすべて失われてしまうんだ。それは悲しく、恐ろしいことだと私は思う」


「……わかりません」


 私は首を振った。

 わかり合えない人間はいくら話し合っても無駄である。

 それは私自身の実体験から・・・・・・・、学んだことだった。


「わからない。それで結構。わからないことを楽しみたまえ。幽霊君に対しても私に対しても、そして『彼女』に対してもね」


「…………」


「もしも君がその『未知』を追求したいというのならば、オカルト研究部に入るといい。君だったら歓迎するよ」


 全てを知っているような口ぶりでありながら、何も知らずに適当なことを話しているようにも見える。

 ただ……わけのわからない言葉の中にも共感できた部分はあった。

 私は鬼島君に対して興味を持っている。もっと彼のことを知りたい。

 それでいて……全部を知りたいというのとは違う。鬼島君にはミステリアスなままでいてもらいたい。


「わかりました。オカルト研究部に入ります。よろしくお願いします」


「ウムウム、結構だ」


「ただし……抜け駆けは禁止ですよ? 約束……いえ、これは協定です」


 愛や恋とは違うかもしれないが、私はこれからも鬼島君と一緒にいたいのだ。

 そのためであれば、オカルト研究部だろうが喜んで入ろう。


「おや……見たまえ、決着だよ」


「あ……」


 鬼島君が巨人に向けて剣を振り下ろした。

 特大の雷が巨体を包み込んで、跡形もなく焼き尽くしていく。


「素晴らしい! あの力、是非とも研究したい……ああ、胸とか触らせたら見返りに解剖させてもらえないかな!?」


「キサラちゃんってば、またそんなことを……ひゃっ!」


 世界にひび割れが生じる。

 赤黒い空間、逆さまになった校舎が砕け散り、その空間に入ってしまう前にいた生徒指導室に戻っていた。

 私は終わってしまった特別な時間に安堵と空虚さを同時に感じた。


「鬼島君!」


 少し離れた場所に、刀を振り下ろした体勢のままの鬼島君がいる。

 私は感情に突き動かされるがままに彼の名前を呼んで、駆け寄っていった。

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