第33話 美少女 × 美少女

 異界が崩壊して、気がつけば進路指導室に戻っていた。

 もちろん、上下は逆転していないし赤黒く染まってもいない。

 巨人によってぶち抜かれて壊されたはずの校舎も元通り。否、そもそも、最初から壊れていないのだろう。


「鬼島君!」


「わっ!」


「大丈夫ですか!? 怪我はないですか!?」


 萌黄さんが駆け寄ってきて、俺の身体にペタペタと触ってきた。


「あ、ああ。大丈夫だよ」


 あの巨大禍津霊に殴られたせいで服はボロボロになっているが、とりあえず怪我はしていない。

 萌黄さんも無事なようだ。俺は胸を撫で下ろす。


「素晴らしい、素晴らしいよ。幽霊君!」


「わっ!」


 次に襲いかかってくるのは視界を覆う黒色。顔をフニュリと包み込む柔らかな感触である。

 黒いローブを身にまとった少女、キサラが俺の顔に飛びついてきたのだ。


「まさか君の力がこれほどとは思わなかった! とても良いものを見せてもらったよ! 最高だ、幽霊君!」


「こ、コラ! 離れろ!」


「あははははははははははっ! わはははははははははははっ!」


 慌てて八雷神を身体に収納して、キサラを引き剥がそうとした。

 しかし、キサラは俺の顔面に組み付いたまま、コアラのようにしがみついてくる。

 身体は小さいくせにあちこち発育が良くて、どこを掴んで引き離せばいいのかわからずに混乱してしまう。


「君の身体に宿っているのは素晴らしい力だ! 果たしてその力は君の一代限りのものなのか、それとも遺伝されるものなのか……今すぐにでも君の子供が産みたい気分だよ!」


「ハアッ!? 何をトチ狂っていやがる!?」


「そうですよ、キサラちゃん! 協定違反ですよ。やめてください!」


 放心した様子で座り込んでいた萌黄さんが立ち上がり、キサラの肩を掴んだ。

 とても助かるのだが……『協定違反』という単語が妙に気になる。


「ん……ああ、すまない。ついつい興奮してしまった。申し訳なかったね」


 萌黄さんに止められて、ようやくキサラが俺から離れてくれる。

 今日は本当に絶好調のようだ。今日一日だけでキサラの笑顔を一生分、目にしたような気がする。

 キサラは腕時計を確認して、「ほう?」とパチクリ瞬きをする。


「時間は……七時か。うんうん体感時間では三時間ほどに感じていたのだが、一時間ほどしか経過していないようだな」


「何だか、すごく不思議な体験をしてしまった気がします……」


「不思議な体験で済ますことができるあたり、バンシーちゃんはなかなかに豪胆だね」


「……『バンシーちゃん』?」


 萌黄さんとキサラの会話に首を傾げる。

 キサラは気に入った人間を妖怪やモンスターの名前で呼ぶ悪癖があるのだが、いつの間にか萌黄さんをおかしな名称で呼ぶようになっていた。


「いや、だからって『バンシー』はないだろ。酷くないか?」


 バンシーというのはアイルランドの妖精で『死神』のような扱いをされている存在だった。

 死期が近い人間がいる家に現れて泣き叫ぶ声を上げるとされており、日本語では『泣き女』と訳される。


「幸薄くてトラブルメーカーの空気がしたからね。だからバンシーちゃんだ」


「いや、絶対に誉め言葉じゃないだろ。萌黄さんも嫌だったら嫌って言って良いからね?」


「いえいえ、キサラちゃんなりの友情の証ですよね? オカルト研究部の部員になったわけですし、それくらいは従いますよ」


「部員……?」


「はい、キサラちゃんに誘われまして、オカルト研究部に入ることになりました。部活探しをしていたので丁度良かったですね」


「…………」


 笑顔で両手を合わせている萌黄さんに唖然としていた俺であったが、やがてキサラを睨みつけた。


「キサラ! お前、何を萌黄さんを巻き込んでいるんだよ!」


「おおう、見当違いな抗議が来たな。バンシーちゃんを巻き込んだのは君じゃないか」


「そうだった!」


 そうでした。

 萌黄さんを……ついでにキサラを巻き込んだのは俺だった。


「いや、そうなんだけど……うーん?」


「いやいや、物は考えようだよ。幽霊君。バンシーちゃんは明らかに面倒ごとに巻き込まれそうなタイプの人間だし、中途半端に関わらせるよりも近くで守ってあげた方が良いじゃないか」


「そう……なのか?」


 キサラの言葉に納得しかねている自分がいる。

 狒々神に襲われて、禍津霊との戦いにも巻き込まれて……確かに、萌黄さんは何か良からぬ存在を引き寄せる才能があるのかもしれない。

 自分がいないところでおかしなところに巻き込まれるよりも、目が届く場所に置いておいた方が良いという見方もある。


「鬼島君、ダメでしょうか……?」


「うっ……」


 萌黄さんが不安そうに顔を覗き込んでくる。

 縋るような瞳に、俺は喉元まで出かかっていた言葉を飲み込んでしまう。


「もしも鬼島君が私をお邪魔だというのであれば、私はオカルト研究部に入るのをやめます。ただ、もしもそうでないのなら……鬼島君を手伝わせて欲しいんですけど……」


「う……ぐ……」


「……ダメでしょうか?」


「…………わかった」


 もう一度上目遣いで訊ねられて、俺は陥落した。


「いいよ……これからは同じ部員だ。よろしく頼むよ」


「はい、こちらこそよろしくお願いします!」


 萌黄さんがパアッと表情を明るくさせる。

 先ほどまで俺のせいで危険な目に遭ったというのに、どうしてさらに深入りできるのだろう。


「それじゃあ、これからは私のことを優菜と呼んでください」


「…………へ?」


「キサラちゃんのことを呼び捨てにするのに、私を苗字呼びするのはおかしいですよね? だから、私のことも優菜と呼んでください!」


「…………」


 輝くような笑顔で……けれど、有無を言わせぬ迫力を孕んだオーラを背負って、萌黄さんが詰め寄ってくる。

 俺は顔を引きつらせて硬直していたが、やがて震える唇をゆっくりと開いたのであった。

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