第19話 未練 × 無関心
詩織に導かれるがままに路地裏へとやってきた。
通りから外れたビルの隙間には自分達以外に人影はなく、生ゴミが散乱していることによる腐敗臭だけが漂っている。
「『閉』」
詩織がポケットからお札のようなものを取り出して、小さくつぶやく。
途端に周囲の空気が変わった。生ゴミの匂いが消えて、遠くから聞こえていた車の音や人の話し声も消失する。
「これは……」
『空間を閉じたようじゃな。即席の異界に取り込まれたようじゃ』
(異界?)
『結界のようなものじゃよ。より強い力によって打ち破るか、術者であるあの娘を倒さぬ限り外には出れぬ』
(へえ……逃げ道を塞いできたってわけか。物騒なことをするじゃないか)
「それで……俺に話というのは何だい? こっちは君と話すことはないんだけど?」
「…………」
詩織が俺のことをまっすぐに見つめてきた。
揺れるその瞳にはいくつもの感情が浮かんでおり、指先で髪の先端を弄っている。
詩織が迷っている時に見せるクセだ。それがわかってしまうことが鬱陶しかったが。
「あなたは……本当にホムラ君なんですか?」
「……どういう意味かな?」
「先ほど、ホムラ君の遺体を預けたお寺に連絡を取りました。若い住職さんを問い詰めたところ、遺体が荼毘に付す前に起き上がり、どこかに逃げてしまったと認めました。すぐに連絡してくれなかったのは自分のミスを隠したかったみたいです」
「へえ……それがどうしたって?」
「答えてください。貴方が本当の鬼島ホムラなのか。それとも、堕神が彼の遺体に乗り移って操っているのか……!」
「…………!」
詩織が虚空に手をかざすと、そこに白い剣が現れた。
かつて俺の胸を貫き、ポケットのスマホごと串刺しにした剣である。
『……
(八雷神?)
『斬られぬように注意せよ。小僧、あの刀はそなたを殺せるぞ』
(……知ってるよ。もう殺されたことがあるからね)
八雷神の言葉は気になるが、俺は意識を詩織の方に戻した。
詩織は相変わらず瞳に迷いをのせて、こちらを睨みつけている。
「また、その剣で俺を殺すのか?」
「ッ……!」
質問で返すと、詩織の肩が大きく震えた。
刀の切っ先がガタガタと見る影もなく揺れており、とてもではないが戦えるような精神状態ではないことが素人目にもわかる。
「そんなに泣きそうな顔をしないで欲しいな。まるで、こっちが虐めているみたいじゃないか」
「答えなさい! 貴方は本当にホムラ君なの!? それとも、ホムラ君の身体を奪った魔性なの!?」
感情の昂ぶりに応えて、両の眼からボロボロと涙の粒がこぼれ落ちている。
「…………」
そんな姿を見ても、怒りも悲しみも反対に胸のすくような高揚感も感じることのない自分に、やはり違和感を覚える。
(八雷神、お前は本当に俺の感情を食べたりしてないよな?)
『しておらぬぞ。妾は、な』
(その言い方が気になるんだよ。もしかして、お前以外にも俺の中にいたりするのか?)
『その質問に答えてやる時間も道理もない。それよりも……小娘を放っておいても良いのか?』
(ム……)
「うわあああああああああああああっ!」
詩織が感情を爆発させ、こちらに斬りかかってきた。
上段に構えた刀をまっすぐに振り下ろしてくる。
「おいおい……チャンバラごっこじゃないんだから」
俺が軽く横に身体をずらすと、斬撃が大きく外れて地面を
お粗末な一撃だ。明らかに精神の均衡を欠いている。
「お前さ……もしかして、覚悟ができてないんじゃないか?」
真実を聞く覚悟も。
かつての恋人をもう一度、斬る覚悟も。
どちらも詩織はできていないように見える。中途半端でどっちつかず、つまらない剣である。
黄泉の神の加護によって感覚や運動能力が上がっている今の俺なら、目をつぶっていても避けられるかもしれない。
「うるさい、うるさい、うるさい、うるさいっ!」
詩織が叫びながら、ブンブンと刀を振り回す。
相変わらず精彩のない斬撃を何度も繰り出す。俺は溜息をつきながら、後ろ歩きで詩織の間合いから距離を取った。
「堕神なんていなければいいのよ! お前達がいなければ、私はこんなことにならなかった! あんな男に抱かれずに済んだし、ホムラ君のことを殺さずに済んだ!」
「…………」
「ホムラ君を返してよ! 私の恋人を……返して! 返してよ、返して!」
「うるさいのは君だよ、詩織」
「…………!」
苗字ではなく名前を呼ぶと、詩織の動きが一瞬だけ止まった。
その隙をついて刀をかいくぐり、懐に入る。隙だらけの腹部に拳をめり込ませると、崩れ落ちるようにして詩織は倒れた。
「あっ……」
「俺が何者であるかなんてどうでもいい。君に話す義理はないよ」
「ホムラ、君……」
詩織が地面に倒れると、「パリン」とガラスが割れるような音がした。
周囲の空気が元に戻る。通りから喧騒が聞こえてきて、生ゴミの匂いが鼻を突く。どうやら、結界が破れたようだ。
「用事がこれで終わりだったら、今度こそサヨウナラだ。次は俺を斬る覚悟を決めてから来ると良いよ。俺もそうするからさ」
俺は倒れている詩織を放置して、そのまま裏路地から出ていこうとする。
「いや……いかない、で……」
背後から子供が泣きじゃくるような嗚咽が聞こえてくる。
俺は振り返ることなく、右手を挙げた。
「勘違いしないで欲しいけど……君を見逃すのは情けじゃない」
そう……かつての恋人を斬ることなく見逃したのは、情けをかけたからではない。
転校生を迎えためでたい席に、身体に血や死臭をつけて戻りたくなかったからである。
「次に斬りかかってきたときには、容赦なく『正当防衛』をさせてもらうよ。そのつもりでいてくれ」
一方的に言い置いて、返事を聞くことなく路地裏から出ていった。
「ううっ……えぐっ、えぐっ……」
(詩織……)
かつての恋人の嗚咽に懐かしい過去の記憶が喚起されるが、すぐに何かに喰われたようにして消えていった。
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