第18話 脱出 × 珍客


「やれやれ……困った連中だよ」


 隙を見てカラオケルームから抜け出して外に出て、俺は深々と溜息をついた。


 時刻はすでに夕方の六時を過ぎている。

 駅前はこの時間でも人通りが多く、会社帰りのサラリーマンやOL、遊び歩いている高校生や大学生が道を歩いていく。

 カラオケボックスの建物の外壁に背中を預けながら、俺はぼんやりと道行く人の姿を眺めている。


「それにしても……本当に騒がしかったな」


 何故か距離を詰めてくる転校生の萌黄さん。

 俺と萌黄さんの仲を囃し立ててくる女子クラスメイト。

 嫉妬と怨嗟を向けてきて、血の涙を流しながら攻めてくる男子クラスメイト。


 本当に騒がしい連中ばかりである。

 おかげで、遊びに来たはずなのに体も心もグッタリだった。


『そのわりには楽しそうに見えたがの』


(八雷神……)


 胸の内から話しかけてくる彼女に俺は眉をひそめた。


『女を奪われて殺された男とは思えぬような顔をしているぞ?』


(……そうかな。いや、正直自分でも驚いてはいるんだけど)


 恋人を寝取られて、その恋人に刺されて死んで……復活して、黄泉の神様の手先になった。

 自分に起こった出来事を考えると、こうやって馬鹿騒ぎの中心にいられることは奇跡のようである。


『自覚はないようじゃが、お主もまた剛の者じゃ。自分が殺されたことも、お姫様の手の者となって堕神を狩ることも、文句を言いながら平然と受け入れておる。与えられた使命に押し潰されることなく、くだらんことで一喜一憂しているのだから大した精神力だと呆れるばかりじゃよ』


(……もしかして、褒めてくれたのか? お前が?)


 八雷神から褒められたのは初めてかもしれない。

 俺は高く評価されたことへの喜びよりも、気持ちの悪さを先に感じた。


『失礼な小僧じゃのう……せっかく、この妾が評価してやったというのに』


(いや、だけど……うーん……?)


『もう良いわ。そんなことよりも……客が来たようじゃぞ』


(ん……?)


 八雷神の言葉に顔を上げると、駅前の通りを行き交う大勢の人々の間に見慣れた顔を発見した。

 その人物は迷うことなくこちらに近づいてくる。偶然ではなく、あらかじめ俺がここにいると知っていたかのように。


「ホムラ君……」


「……やあ、舞原さん」


 声をかけられたので、仕方がなく応じた。


 やってきたのはかつての恋人。

 大学生らしき彼氏、あるいは婚約者に奪われたはずの女性……舞原詩織だった。


「どうして、俺がここにいるとわかったのかな? もしかして、ストーカーだったりする?」


「……友達に聞いたのよ。今日はこの店で転校生の歓迎会をするって」


「ああ、なるほどね」


 歓迎会のことは別に隠しているわけではない。

 クラス中の人間を誘っているのだから、聞かれたら答える奴くらいいるだろう。


「口が軽い奴はどこにだっているからね。でも、場所がわかったからって誘われてもいない歓迎会に来る理由はないよな……何の用だ?」


「……話があるの。ちょっと来てもらえるかな?」


 詩織が通りから外れた路地裏を指差した。

 人気のない場所である。そんなところに男を誘うのだから、尋常の理由ではあるまい。


「もしかして、エッチなお誘いかな? そういうのは婚約者さんとやったらどうかな……舞原さん」


「…………」


 あえて名前ではなく苗字で呼ぶと、詩織が辛そうに表情を歪める。


 どうして、そんなに泣きそうな顔をしているのだろう。

 泣きたくなるような目に遭わされたのはこちらの方だというのに。


(まあ、泣かないんだけどね。別に悲しくもないし)


 こうやって詩織と話していても、やはり負の感情は湧いてこない。

 悲しいとも憎いとも感じられない。まるで悪意を身体の内側にいる何かに喰われてしまったようである。


『面白いたとえをするのう。まあ、間違ってはおらぬが』


(八雷神……)


『念のために言っておくが妾ではないぞ? 勘違いをするなよ?』


(だったら、誰がやっているって言うんだ……いや、どうでもいいけどさ)


 そう、どうでも良い。

 舞原詩織に対する感情なんてもはや必要ない。

 愛情も憎悪も、残らず畑の肥やしにでもしてやろう。


「いいよ、付き合おう」


 どうせ断っても、付きまとわれるだけだ。

 ならば、ここで決着をつけてやろうではないか。


「来て……ホムラ君」


「フン……」


 いざなう詩織に応えて、俺は言われるがままに暗い路地裏へと進んでいった。

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