第6話 帰宅 × 出動

 バスに乗った俺は駅まで移動して、そこからさらに電車に乗って自宅の最寄り駅まで帰り着いた。

 駅から歩いて自宅までやってくると……一日ぶりに帰ってきた我が家に、涙が出てきそうになる。


「帰ってこれた……良かったあ」


 彼女の浮気を確かめようとしただけなのに、まさか刺されて死ぬことになるとは思わなかった。

 俺は安堵の息をつきながら玄関の扉を開き、そのまま靴を脱ぎ捨てて前のめりになって廊下に倒れる。


「ただいま……父さん、母さん……」


 などと口に出してみるが、玄関に両親が現れることはなかった。

 二人とも仕事で海外に赴任しているため、自宅を空けているのだ。

 両親には俺が刺されて死んでいたことも伝わっていないはず。そうでなければ、自宅がこんなにも静かなわけがない。


「このまま寝オチしちゃおうかな……もう、クタクタだ……」


 俺は廊下に倒れたまま、目を閉じる。

 本当は風呂に入りたかったし、腹も減っていた。

 しかし……それ以上の精神的な疲労が身体を支配していて、睡眠を欲している。


「色々あった。あり過ぎた……だから、今日くらいはここで寝たって良いよね……?」


 俺はそのまま瞼を閉じて、廊下で眠ろうとする。

 夢の世界に意識を飛ばし、睡魔の手を取ってダンシングをしようとしたのだが……急にブワリと背中に悪寒が走って、慌てて身体を起こす。


「ッ……な、何だあ!?」


 ビシビシと細い針が肌に刺さるような感覚。

 生まれてから一度として感じたことのない不気味な感触。

 得体のしれない何かの気配を感じる……気配は外から、おそらく、自宅から見て西の方角から伝わってくる。


「何だよ、これ……俺の身体に何が起こってるんだ……?」


『何をしておる。小僧、約定を果たせ』


「…………!」


『生き返らせてやる条件として出したじゃろう? 黄泉から逃げた堕神を討つのじゃろう!?』


 耳朶を冷たく震わせてくるのは……間違えるはずがない、死後の世界で会った『常世の媛』と名乗る女性の声だった。

 慌てて周囲を見回すが誰もいない。

 いったい、どこから声が響いてきているのだろう?


『わかっているじゃろう……小僧、お主が約定を果たさぬのであれば、それで終いよ。与えた物を返してもらうことになるぞ?』


「それは……」


『死にたくなければ、さっさと約定を果たせ。為すべきことを成すのじゃ!』


「…………」


 繰り返し要求されて、俺は仕方がなしに立ち上がる。

 玄関で脱いだばかりの靴を履き直し、重い身体を引きずるようにして夜の町に飛び出した。


「クッソ……本当に最っ悪だ……!」


 玄関にカギをかける手間すら惜しんで、気配がする方角に向けて走っていく。


「ああ、畜生め! これも全部全部、詩織が浮気したせいだ!」


 大声で悪態をつきながら、全力疾走でアスファルトの道路を駆け抜ける。


 わかる。

 わかってしまう。

 先ほどの声は……『常世の媛』の言葉は、脅しではない。

 もしも、俺が約定を果たさなければ……『常世の媛』に命じられたように、堕神とやらを討たなければ、彼女は容赦なく与えた物を奪い去るだろう。

 俺を殺して、与えた命を持っていくに違いない。


「死にたくない……もう、二度と死にたくなんてない……!」


 一度、命を失くしたからこそ、いっそう生に執着してしまう。

 もう二度と、誰にも命を奪われたくはない。殺されるわけにはいかない。

 生きるためならば、誰が相手でも戦う。

 堕神だろうが、人間であろうが変わらない。


「フウッ……ここだな」


 全力疾走で走ること五分。目的の場所に到着した。

 やってきたのは住宅街にある公園である。

 昼間であれば多くの子供と保護者がいるのだろうが、時間が時間だけあって、誰の姿も見えなかった。


「文字通りに生まれ変わったみたいだな……本当に生きてるって素晴らしいよ」


 ペース配分を考えずに走ってきたはずなのに、不思議なことに疲れはない。

 これも『常世の媛』から与えられた力の影響だろうかと首を傾げていると、どこからか悲鳴が聞こえてきた。


「キャアアアアアアアアアアッ!」


「…………!」


 悲鳴は公園の奥から聞こえてきた。

 おそらくではあるが、若い女性のものである。


 悲鳴がした方角に走っていくと、そこでは同年代と思われる少女がゴリラのような人型の生き物に襲われていた。


「あれは……!」


『あれは『狒々神ひひがみ』じゃな。年を経た猿が神格化しおったもので、人をさらって喰らい、堕神となったものよ。若い娘を犯してから喰らうという習性を持った醜悪極まりない怪物じゃよ』


『常世の媛』の声が補足する。

 黒い体毛を生やした怪物猿はごちそうを前にしているかのように舌なめずりをして、へたり込んで震える少女に手を伸ばしていた。


「危ない!」


 考えるよりも先に身体が動いた。

 咄嗟に地面を蹴った俺は、勢いをつけて怪物猿の横っ腹に飛び蹴りを喰らわせたのである。

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