孤軍撤退
カイルはサーデュラスを撃破した後すぐにアラキバマの対空陣地から撤退をし、朝を迎えた森の中をくぐって慎重に激戦のど真ん中からの撤退をしていた。ジームダルの攻撃作戦の影響で時折爆音が響く森は空を隠すほどにうっそうとしていて日が高くなってもその下は薄暗く、カイルのツァリアスをその陰に隠してくれていた。
じりじりとした戦場でカイルが警戒をしなければいけない相手は自らを狙っているジームダルだけではない。ここはアラキバマが支配している場所であるからして当然、敵であるアラキバマの兵の方が衝突する可能性は高い。
特に、森は奴らのテリトリーである。ジームダル側の第56軍はこの森を使ったアラキバマの待ち伏せ攻撃に手こずり大きな損害を出していることはカイルも知っていた。
「頭の中がチリチリしている……」カイルは一人の操縦席で自らの感覚の変調を感じた。モニターやゴーグルを見つめ続ける自分の視野が狭まっているような気がしてくる。そういえばと、輸送機に乗って以来何も口にしていないことに気づいたカイルは積んである戦闘糧食の中から甘味の袋を出す。それにいくつか入っている茶色い塊を一つ抓んでカイルは口へと放り込む。
それは、砂糖と乳と植物油脂を穀類と共に煮詰めて固めたものでたっぷりのカロリーと糖分と満腹感を手っ取り早く補給することができる糧食だった。砂糖や乳と言う菓子のような材料をふんだんに使い、その見てくれも菓子のようにしているがその味はうまくはつくられていない。わざと味を悪くしてある。最後の最後何も残ってない非常時に餓えから生き残るための栄養を補給するためのものであり嗜好品ではないと言う理由からあえて不味くしてあるという非常にいやらしい食い物だった。
カイルはジームダルの戦場で食べなれてしまったそれを口の中でふやかすように転がしながら周囲の警戒を続ける。
「!?」ふいにモニターの向こうにヴァスキスが見えたのではないかとカイルは感じる。ツァリアスの脚を止めると突撃機銃をそちらに構える。衝動的に生存本能が引き金に手を駆け、絞りそうになるがカイルはそれを自重する。
「索敵機器には反応がない。しかし、ここは森の中だ。」熱源探知のカメラと集音探知を起動して再度確認する。
「集音探知にも反応がない。だが、」熱源探知は森の切れ間に本当に僅かで小さな遠くの熱源反応をとらえていた。カイルは、フッと一つ息を吐き心を落ち着けるとツァリアスをしゃがませ射撃体勢をとる。熱源探知カメラの望遠を強くして遠くにある熱源を精査する。
「頭頂の高さからするとヴァスキスか。単騎でいることはあるまい。」コンソールのダイヤルを回して熱源探知の感度を上げる。奥におぼろげに2機の反応が追加で現れた。
「3機。動いていないところを見ると待ち伏せか?。ならば。」カイルはしゃがんだままのツァリアスの前脚の膝に上から突撃機銃を押し当てて固定し、狙撃体勢をとる。突撃機銃の設定を連射から単射にする。
「この銃でも距離は足りるはずだ。まずは一番手前から行こう。」銃の跳ね上がりを止めるため空いている手を銃の上に乗せ照準を一番手前のヴァスキスに合わせて引き金を優しく絞る。炸薬の破裂と共に銃弾が飛翔を始める。彼我の距離があるため着弾までは時間がある。カイルは着弾を確かめず次の目標へと銃を向ける。その動く照準の端で探知していた目標の一つが大きく、赤い風船のように膨らんですぐにしぼんだ。
「思ったより大分遠いな。単発では不安があるな。」カイルはその変化に動揺することなく二機目に目掛けて引き金にふれる。二回。またも結果を確認するよりも前に三機目へと照準を向ける。三機目は表示される反応の背が高くなっていた。回避のために機体を立ち上げたところのようだ。敵が動き始めようとする状況ならば普通は引き金を引きたいと気が急くものだが、カイルは落ち着いて照準を定め一発撃つ。一呼吸ほどの時間の後で照準の向こうで反応が赤く大きく膨らみ、すぐにしぼんだ。照準の倍率を下げ、撃破した3機の周囲に変化が無いかをわずかに警戒し、合わせて集音探知が取得する周囲の状況に気を配る。静かな森の中にしばしの間ツァリアスの人工的な駆動音だけが薄く広がっている。
「変化なし。反応なし。どうやら3機編成だけでの待ち伏せか。」カイルは警戒を解き大きく一つ息を入れる。そして、頭の中で感覚で自分の今いる場所と地図とを符合させる。
「今いるここら辺りはもう大分ジームダル寄りのはずだが、アラキバマがこのあたりですらも待ち伏せを張っているということはあの作戦への反撃かもしくは待ち伏せではなく全く別の浸潤作戦でも行っているのか?」アラキバマの
「…まだ、気は休まらないか。」カイルは目を閉じ、呼吸を止め、腹に力を入れてゆるみ始めた気と意識をギュッと引き締め、昼なお暗さが深い森の中でツァリアスをまた歩ませ始める。孤独に。
撤退を続けるカイルは平地をいくつも横切り、森を幾度も跨ぎ、遭遇した
「やけに暗い。」また、視野が狭窄しだしているのかとカイルは考えるが、しびれる様なあの頭の感触はない。頭の状態は平常であるようだ。意識が外への警戒から自分へと戻ったカイルはそこでふと気づいて、今の時間を確認する。
「もう、夕暮れだったか。」彼が見た時間の表示はすでに夕を過ぎ薄暮の紫が迫る時間だった。降下作戦のため基地を飛び立った時を含めればほぼ丸一日気を張っていたことになる。
カイルは、戦闘や警戒で疲れがある頭を休めるために適当な真っ暗がりに一度ツァリアスを止め今までとこれからを考えることにした。体と頭がエネルギーを欲しがっている。無意識にあの戦闘糧食に手をのばすが、その袋はすでに空だった。長い逃避行で無意識のうちに体が求めるままに食べてしまっていたらしい。
「仕方ない。」カイルは糧食のパックから硬いパンに塗るために入っている指ほどの大きさをした橙色のスプレッドを取り出すとその封を破り口に咥えて直に絞りだす。
大量の糖分を使ったスプレッドなのだから当然甘い。
しかし、今カイルが食べているこれは加減を知らぬほどに甘かった。
口にしてすぐに甘味で舌が麻痺してしまい何味のスプレッドなのかもわからなくなるほどにただただひたすらに甘い。
乱暴にして粗野な味付け。
もはや甘さで食う者を殺しに来ているとしか言えぬひどい味をしていた
普通の状態であればこれだけではまず喉を通らず、場合によっては吐き気を催すであろうほど不味い甘さをしているスプレッド。
その味を至福の甘露に、快感に感じてしまうほどにカイルは疲労していた。
目を閉じて大きく深く呼吸をする。ツァリアスの操縦席の中が甘ったるく糖臭いだけの空気に満たされるほどに深く何度も幾度も。そうやって頭を落ち着けたカイルは水で口を潤して思案を始めた。
「あのサーデュラスの動きからして俺がジームダルから切られたことは間違いないだろう。」自陣営採用のツァリアスを見て確認もなしに攻撃を仕掛けてきたことから彼はもう、そこだけはそうであろう確信していた。
「そうなると、このままジームダルの陣地へと戻ってもおそらくいい結果にはならないだろうな。」カイルは暗い操縦席の中で地図を広げ、わずかな明かりを頼りに突破口を探る。アラキバマ陣地へと大きく食い込んでいた降下地点からは大分ジームダル陣地方面へと戻ってきてはいるが、今いる場所は前線。アラキバマの支配地にもジームダルの支配地どちらにも行ける場所ではあるとは言える。
「…だが、かといってアラキバマ側へと向かう選択肢はないな。」メリトーサでさんざ敵として相対して殺し続けたアラキバマの支配地に向かったとして、向こうにカイルがジームダルの傭兵であったことが分かればただでは済まないことは明白である。
カイルは地図のアラキバマ側には早々に見切りをつけてジームダル側で生き筋を注意深くたぐる。
今いる前線につながっている大きな都市はここらの地域での中心都市のラパイナム。
そこは、この地図上でも主要幹線道路や鉄道路線が蜘蛛の巣のように書かれて、大都市の繁栄と威厳を見せている。
「今いるここから、主要な街道を通りラパイナムへというのは? このルート。…いや、これは間に幾重にもあるジームダルの陣地を躱して行くことはまず無理だろう。ましてや狙われているであろうツァリアスに乗ったままではな。」カイルは最初に考えたラパイナムへ抜けるルートをあっさりとあきらめる。そして今度は彼が今いる前線からは後方にあり、かつラパイナムより手前の場所。前線とラパイナムの間にあるアカカマという町に眼をつけた。ここまで行ければ人に紛れてジームダルから消えることができるかもしれないと。
「目立つツァリアスを放棄して徒歩でアカカマへ抜けてそこから離脱する。これならいけるか?」狙われているのはツァリアス。機体を捨てカイルの生身でさらに徒歩であればジームダルからの粛清の追撃を警戒する必要はかなり低いものになるだろう。
「いや、だが遠い。距離がある。徒歩で達成できる確率は……低いな。限りなく。」アカカマまでのルートを徒歩で踏破するとなると数日はかかるだろう。それに外はいまだ爆音がなり双方が撃ち合う戦争の最中である。その中をわざわざ徒歩で行くというのは奇跡を無邪気に祈る無茶と言うよりほかはない。
カイルはツァリアスの状態を確認する。突発的で無茶な降下と2度の戦闘、さらに狭い森を移動し続けていたことでツァリアスの状態は当然ながらますますもって悪化していた。特に左前脚は先ほどの陣地での戦闘の折にサーデュラスに叩きつけて武器にしたためひと際に悪化している。しているが、操縦でケアすれば戦闘が出来ないというほどの物ではない。破裂音が遠くに近くに聞こえる中、カイルは短時間で結論を導く。
「まだ動ける獣兵を持っているのにわざわざ徒歩は無謀すぎる。馬鹿のすることか。」
併せて兵装の確認もする。残っている武器で頼れるモノといえば手持ちの突撃機銃が一丁のみ。
「多少とはいえ、頼める程度には突撃機銃の弾はまだある。航続可能距離も脚もまだ余力はある。目立ちはするが行けるところまでは森の中をこのツァリアスで行くのがいいか。」これからの行動の指針を立て終えたカイルは休みもそこそこにすぐ様に行動に移ることにした。
「少なくとも、攻撃が近くで飛び交うここらからは無理にでも早々に下がった方がいい事だけは確かだな。それから先、アカカマまでの本格的な移動は夜になってからだ。」カイルは、足が踏みしめるペダルの感触を確かめ、滑らかにツァリアスを起こすと森の中を一路アカカマ方向へと走らせていった。ひたすらに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます