虚偽の作戦
カイル達、傭兵が乗っている輸送機が出撃したのはジームダル軍の前線基地イオメンタ。その指揮所では彼らを見送った同基地隊長のバルーノがイオメンタよりさらに後方にあるネイナート基地にいる上司のエルスターに作戦状況の報告をしようとしているところだった。バルーノは鏡の前で髪を櫛と整髪剤で入念に整え、しわひとつなく整えた軍服を羽織る。いつもはそこらに無造作にほおったままにしている軍帽をかぶると鏡で身なりの出来具合を入念に確認していた。
彼は作戦が開始されてからずっと作戦の成否よりもどう報告すればエルスターの中で自分の評価を最大限あげられるかだけを考えていた。鏡でもう一度自らの風貌を確認していたバルーノは、自らの顔面に大きな不備があることに気づいた。。
「むぅ、いかん。髭を剃り忘れていた。」顎にまんべんなく生え散らかした無精髭。それを見とがめたバルーノは顔をしかめ、顎をじゃりじゃりと撫でながらエルスターへの報告を多少遅らせてでもこれをさっぱりと剃るかどうかを鏡の中にいる野性的な顔つきになっている自分と共に考える。
「いや、このままの方が前線で戦っている感がでるか。…ならば多少髪も崩した方が―」バルーノは思い立って軍帽の下にある今しがたせっせと整えた髪に手をさし入れて一度崩すと大雑把に手櫛で持ち上げて軍帽でその髪を乱暴に押しつぶす。ついでに手に着いてしまった整髪料を顔に塗り付け油が浮いたようにする。さらに腕や腰をぐるりぐるりと何度か回してせっかく整えた服もわざと着崩し、作戦のために駆けまわったような風体に自らの容姿を作り直す。
「よし、この程度でいいだろう。多少は苦労した様にエルスター中将に見せんとな。じゃねぇと時間も金もかけたってのに売れる恩の量が減っちまう。」バルーノは咳払いをして喉を確かめると通信のスイッチを入れる。少しの呼び出しの後に通信モニターに相手の映像が入る。そこには整った白髪をした理知的な顔の、いかにも士官学校上がりと言った生粋の軍人顔をした老年の男がバストアップで映っていた。
「エルスター中将。件の輸送機から作戦を開始する旨の通信がありました。」バルーノはビッと手をあげ敬礼をしてからその白髪の男をエルスターと呼んだ。
「そうか。バルーノ大佐。その様子からすると急な作戦立案と開始にと段取りを整えるのには骨が折らせてしまったようだ。無理を言って申し訳なかった。」通信の向こうのエルスターはバルーノの様子を見て彼の献身をねぎらい軽く頭を下げる。
「頭を御上げください。ジームダルの勝利のためです。苦労など、何もありません。ここより先にあるアラキバマの陣地を根絶やしに撃滅せねばすべての前線を押し上げることができないことは皆が十分に理解できております。」バルーノはしてやったりの感情を隠して軍人の物言いでエルスターの行動をすべて肯定してみせる。
「その通りだ。この戦域においてアラキバマの奴らは地の利を生かし戦っている。まことに忌々しいことだが、奴らは森の中に対空陣地を多数構えそれらを頻繁に陣地転換させ特定と壊滅を困難にさせている。」エルスターの顔は屈辱に少し歪むも、すぐに平静に戻り話を続ける。
「これを発見殲滅せねば係争地の支配権を正当に主張することもまた困難。どうにかして早期にこの問題を解決する必要があった。」通信の向こうのエルスターは目をつむり、苦渋の表情でそう言った。
「それゆえの囮を使ったつり出しですな。」バルーノは妙に自信ありげに話す。
「囮の輸送機に向こうの対空部隊が掛かった後に露見した陣地に攻め入るための部隊はどうなっている?」
「同士討ちを避けるため、囮とは機種を変えサーデュラスを主力に構成してすでに展開済みです。囮部隊につり出された対空陣地をサーデュラス部隊で破壊し終えた後に、ツァリアスで数を揃えて構成した後詰の制圧部隊を送り込み周囲の制圧と支配を確立する予定であります。」バルーノはツラツラと作戦を語る。
「少々、手間と時間がかかりましたが中将のご要望を満たすだけの部隊を十分に準備させてあります。」バルーノは自信ありげに恩を売りこむための言葉をつなぐ。
「囮部隊だけではなく、よくそれだけの部隊をそろえてくれた。重ね重ね感謝する。」
「運よく耐用年数を迎えた輸送機が手元にありましたからな。囮の方は、飛ばせるアシさえ用意できれば後は造作もありません。傭兵などは見せ金を積めばいくらでも雇えますからな。」そのバルーノの物言いにエルスターは瞬間、眉をしかめた。それは、通信相手のバルーノどころかエルスター本人も気づかぬごくごくわずかな時間だけ。隠していた彼の良心がそうさせたのだろう。
「第56軍は貴官の尽力を決して忘れはせん。成功の暁には新たな良い席を用意することを約束しよう。貴官からのよい報告をネイナート基地で聞けること、切に期待する。」
「エルスター中将の格別のご期待に添えますようわが部隊の全てをもって尽力いたします。」エルスターの言葉から、通信が終了することを悟ったバルーノはまたビッと切れよく敬礼をしエルスターが通信を終えるのを待った。少しして、向こうからの通信が切れたのに反応してモニターがプツッと消える。バルーノはエルスターが通信を切っても直立不動をすぐには崩さなかった。
そして通信が完全に切れていることを確認するとすぐに手と顔をだらけさせ椅子へ腰をドカリと下ろしてぼやき始める。
「しっかし、実に無茶なことを頼んでくれたもんだぜ全くよぉ。対空戦力をあぶりだすためにわざとアラキバマに落とさせる部隊を一つ用意しろ。だなんてよぉ。」頭の上に乗っかっていた軍帽を机のどこぞへとポンとほおりとばして彼は愚痴る。
「はぁ、俺も早くアイツみたいに後ろでふんぞり返って思ったことを指示だけして稼ぎたいぜ全くよぉ。」真面目ぶってかゆくなった頭と髪を無造作に掻き崩しながらさらにごちる。
通信では指揮官然としたそぶりを見せていたが、バルーノ自身は根っからの軍人というモノではなく、金しか信じていない。金を楽に稼ぐためだけに軍に入り、より楽に金を稼ぐためにその原資となる自らの昇進に誰よりも意地汚さが強かった。
自らの出世のためであれば部下を部下とも思わず浪費するし、金になるなら無茶もするし、またさせる。それで結果を出しているからこそ彼は大佐まで登ってこれているのだが、その軍人らしからぬふるまいは当然彼を煙たいモノにしてしまい、軍団内で孤立させていた。
そんな彼に軍団を指揮する中将のエルスターから秘密裏の作戦依頼が来た。
それは攻めあぐねている地域を無理に切り取るために死ぬこと前提の囮を使うと言う軍人が立てたとは思えない外道な作戦。正しき規範を護る軍人が忌避し実行を拒否、あるいは中止を具申する様な代物だが、自らの金と昇進を信条とするバルーノにとってそれは出世の絶好の好機でしかなかった。
「こんなムダ金ぶっこむ様な作戦考えるなんてなぁ、軍人の鑑とかもてはやされてるエルスター中将の首も寒くなってんのかねぇ。もしそうならこれが終わったら新しい相手見つけとかねぇとなぁ。」
バルーノは無断で録音をしていた先ほどのエルスターとの通信を慣れた手つきで再生する。
「ボロとはいえ落としていい輸送機を数日で用立てるのもいくらかかったと思ってんだクソ。ツァリアスもだ。ゴミ同然のパーツをそう見せないようにくみ上げさせるのに整備士にいくら握らせたと思ってんだ。それにつむ傭兵だって手付積んで集めて、さらに報酬だって……あー、こいつらに払う報酬の方はどうせこりゃタダか。全員殺すんだからな。」タダと言う言葉にバルーノはにへらと笑うが、人的損失が生む頭の痛い出費が一つあることを思い出した。
「それにしたって囮の輸送機を運用させるためだけに乗せる正規兵は痛かったなぁ。落とすためだけに正規兵を使うかぁ。正規兵は傭兵と違って死んだ後も金がかかるってのに。しかしなぁ、さすがに機長以下輸送機の乗組員まで全部傭兵ではちゃんとアラキバマの対空網に突っ込むか信用できんからな。」バルーノは机に脚を乗せて組むと部屋の
「結構要ったがこれから先の昇進のためには必要経費か。エルスターにゃ、べっとり恩を売っとかねぇとなぁ。」バルーノは確認した先ほどの通信を録音したデータを自前のオーディオプレイヤーに移しながら煙草に火をつけ指揮所で一人くゆらせ宙に漂う煙を眺める。
「少しの間かなり懐が寒くなっちまうなぁ。だがまぁ、これがおわりゃぁ俺も晴れて将官様ってことも十分に見える。そうなりゃぁさらに楽にジャブジャブ稼げるようになるかもしれねぇぞ。」バルーノはこれから増えるであろう稼ぎに堪える事が出来ぬ大声で笑う。皮算用であると言うのに。
「あのような者を使わざるを得なくなったとは私も追い込まれたものだな。だが、あのような作戦。私の軍内には奴以外に受けるやつもいまいて。」ネイナート基地の指令室でバルーノとの通信を切ったエルスターは、56軍内で悪名しかとどろいていないバルーノが指揮する愚連隊めいた部隊を頼らざるを得なくなっている自分の不甲斐なさを一人自嘲していた。
「奴に恩をやればそれを使ってたかりに来ることは明白だ。しかし、ただ、私も、わが軍もここで結果を出さねば首が寒くなる。」エルスターが指揮するジームダル第56軍は同係争地域に展開する他の軍に比べて戦果が劣っていた。それも明らかに突出して劣っていた。
その原因は、ひとえに先ほど通信に上ったアラキバマの対空陣地の頻繁な陣地転換と森と平地が混在した地形の影響にあった。敵の対空網の見えない堅牢さのおかげで輸送機を使った
「さらには、アラキバマの
そこで一発逆転とばかりにエルスターが繰り出した苦肉の作戦が、囮の航空機を突っ込ませることでアラキバマの不明な対空陣地をあぶり出し、それらが移動する前に地上部隊で電撃的に強襲を仕掛けていくと言う兵器と兵の確定的な損耗を前提とした作戦だった。
「作戦とも言えぬな。……部下を失うことへの覚悟というものは軍人として当然持つべき、持たなくてはならぬものであるが、部下の命を、さも物か数字かのように軽々に扱う上官など本来軍におってはならん。―軍人としては失格だな。私は。……しかしそれでも。」エルスターの心に確固としてある、軍人の持つべき規範、心意気、理想、有り様、模範と言った物。それらがこの作戦をとってしまったエルスターの心、特に良心をひどく揺らし侮蔑していた。しかしそれでも、それらの光を失っても失いたくないものというのがエルスター個人には確実に一つだけあった。
「…それでも、どれだけの部下を失おうとも私はなおこの席にいたいのだ。この席にいなくては私に意味などないのだ。なんとしても。何をしても。」それは今の彼がついている第56軍司令という役職。自らに長々と富や、栄誉や、名声などの利を与え続けていたのは自分個人ではなくこの軍司令というこの座、椅子。もし、ここから立たされてしまえば、そしてここから立ち去れば、そうなってしまった彼には何も残ってなどいない。
それを失う可能性に直面したエルスターは軍人としての何を失おうともこの居場所を手放したくなかった。
誰にたりとも渡したくはなかった。
彼は何を犠牲にしてもそれを死守する決意から自然と両の手で椅子のひじ掛けを強く握りこむ。
「すまん、すまんな。」エルスターはうなだれ自然と謝罪の言葉を口にした。その謝罪が自己の利のためだけに何も知らせずに囮として散らすことになる部下に対してか、自ら泥を塗った自分を支えていた軍人としての矜持に対してか、何に対しての謝罪なのかは彼にすらもわからない。
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