第19話 陰にいる者

 一助は幸田留美の休みの日に向島百花園近くの自宅を訪れた。

「殺された飯田律子さんが経営する宝飾店で窃盗事件があって、関係する先を全戸訪問しているんです」

訪問理由をそう告げる。

幸田留美は何か納得していないような目付きで一助を見るが、質問を始める。

「今は『居酒屋とんぼ』でまかないを一人でやってるんでしたね」

「そうよ。調べたの?」

幸田留美は警察でもない探偵になんで答えなきゃいけないのよ隙あらば文句を付けてやろう、と言いたげに眉間に皺を寄せていて口調が強い。

「えっ、いや、息子さんの友人に岡引数馬っていると思うんですけど……」

一助はその勢いに押され弱腰に言う。

「え~、探偵の岡引くんね、……あっ、あんたそこの人?」

幸田留美が数馬の家族と知った途端に眉を広げ微笑みを浮かべる。

 ――あ~、数馬の家族で良かったぁ。

「はい、実はそうなんです。だからちょっと訊きずらい所もあるんですが、仕事なもんで」

「あ~そう。名前なんて言ったっけ?」

「岡引一助です。数馬とは従弟なんですが事情があって十六歳から一緒に暮らしてるんです」

「そう、だったらいいわ、何でも話してあげるからどんどん訊いて」と幸田留美は笑う。

 ――そう言ってくれて少しは訊き易くなった。

「親戚に、息子さんくらいの若い人います?」

「え~と、北海道に幸田諭美と高松に幸田夏鈴というのがいるけど」

「二人とも女性ですね。男性は?」

「男ねぇ……」

幸田留美は少しの間考えているようだったが

「……男は爺さんばっかりだね、ははは」

と、笑う。

「そうですか、北海道に高松じゃめったに会えませんね」

「そうね、何時だったかなぁ、もう覚えてないくらい昔に会ったきり……顔見たいわねぇ」

幸田は懐かしく昔を思い浮かべているようだ。

「いや、分かりました。ありがとうございました」

一助は一応の目的は果たしたので帰ろうかと思ったのだが、

「えっ、もう良いのかい? 飯田の事とか訊きたいんじゃないの?」

と逆に質問され、何か言ってくれるのかと思って

「はっ、……実はそうなんですが、何か未だに引きずってることとかありますか?」

と、尋ねる。

「あるわよぉ、殺したいくらいってね」

そう言う幸田留美さんは笑っている。

「うそ! うそよっ! もう顔も忘れたわねぇ。忙しくって、息子ともあんまり喋る時間ないくらいだもの、再婚したって聞いたけどその先は知らない」

「あ~、そんな感じですか」一助はちょっとがっかり。

 ――その程度の事なら引き留めなくても良かったんじゃないか? ……。

「ふふふ、若い時なら惚れた腫れたとかあるだろうけど、歳行くと面倒なだけ男はもう沢山よ」

「わかりました。ありがとうございました」一助はどう返して良いのか分からず笑って誤魔化した。

「いいえ、どういたしまして。今度は店に飲みに来てね。話してあげたんだから絶対だよ!」

「はい、数馬と行きます」

一助は笑って辞去した。

 

 その後、飯田不動産へ向かった。歩いても十分か十五分といった距離だ。

飯田不動産はビルの一階にある。玄関を入るとそこそこ広いロビーがあってカウンターの奥が事務室になっているようだ。そこに今は三十代だろう制服姿の女性が一人だけいた。

その女性に名刺を渡し探偵だと名乗る。社長以下男性社員は営業で外出していると言う。

「申しわけないけど、九月に入ってからの社員の出勤簿を見せて欲しいんですが……」

一助がそう訊くとちょっと困った顔をするので

「見せて良いかどうか社長さんに聞いてもらってもいいですよ」

とアドバイスすると、社員はにこりとして

「そうですね」

と言って受話器を取った。

――この事務員さんイレギュラーなことは苦手のようだ。

 

 一助はカウンターの外で暫く待たされた。応接室へ通されることもお茶を出されることもないまま時間が過ぎて行く。

二十分余り待たされて、その女性がコピーを数枚カウンターに置いて

「これでいいです?」と訊く。

 コピーを見るとき女性の左手薬指には光るものが無いことに気が付いた。

「あ~、これでいいです。頂いていいですか?」

にこりとして頷く彼女は妙にセクシーで、ひょっとして社長の愛人の一人? などと勝手に想像してしまった。

 

 その出勤簿によれば社長以下男は五人で、事件のあった日は日曜日だったが全員出勤している。

「日曜日も毎回皆さん出勤されるんですか?」

「えぇ、私は日曜日はお休みなんですが、営業の人はお客さんが土日多いので出るみたいですよ」

 

 

 数馬は駿太に、めぐは爽香にいつものファミレスで四人で会おうと連絡した。

数馬はそこではっきりさせようと思ったのだ。

 

 四人が揃って夫々好みのメニューを注文してすぐ数馬が口火を切った。周囲にも客がいるので小声で話し始めると自然と皆顔を寄せあう。

「駿、お前の隠し事が分かった。信じられないが、……」

言いかけた数馬を駿が遮った。

「流石、名探偵一家だ。数馬、俺、自分から話すよ……」

そう言って一呼吸置いてから続けた。

「俺、飯田真二の最初の妻仁徳和子の息子なんだ。母さんは俺が小学生の時離婚して高校二年生の時、それまでの無理が祟って倒れてそのまま逝ってしまった。だから、俺は飯田真二のせいで母さんが死んだと思って怨んでいたから親父とは音信普通にしてたんだ。

 それが一年ほど前、突然俺の前に父親だと言って現れてさ……

俺は顔見たらすぐ分かったんだが無視してたんだ。

そしたら俺の勤める保険会社に来て生命保険に入りたいと言ってきたんだ。

俺は営業じゃないから経理部の自席で仕事をしてたら上司に『下にお父さんきてるから行って挨拶位してきなさい』って言われ仕方なく顔を出したんだ。

 それから何だかんだと理由をつけて顔を見せるようになって、で、殺人事件のあった数日前、飲みに誘われたんだ。それは爽香も知ってるだろう」

爽香は静かに頷いている。

 ――数馬もめぐもそれは聞いていた。

「そこで、妻の律子を殺してくれと頼まれたんだ……ごめん、爽香にこないだは金盗んで来いしか言わなかった」

駿太が爽香に頭を下げる。爽香は青ざめた顔を駿太に向けたまま身じろぎもせず駿太を見詰めている。

数馬はやはりと思った。

めぐもショックだったんだろう顔色を失い固まっている。

 

 「……でも、断ったさ。人殺しなんか出来るはずもないし、俺には爽香との未来があると思ってるから、それを台無しにするようなことは出来ない。けど、しつこくずっとその話で、具体的な手順まで喋り、仕舞にはその時に着る服装まで用意してたんだ。それがこれだ……」

駿がバッグからマウンテンパーカーの上下に帽子、手袋、スニーカー、サングラス、マスクとロープなどをテーブルに並べた。どれも新品のようだった。

 数馬は駿太の告白に愕然とする。

「それで、お前本当に殺ってないのか」

 ―― 数馬は心のどこかで殺ってないと信じたかった。

爽香は泣いていた。

めぐも。

 駿太が答えるまでの時間がやたらに長い……。

周りの騒がしい音が聞こえなくなってゆく。

四人以外の存在が薄らいでゆく。

しじまが重く四人を押し潰そうとしているかのようだった。

 ――どのくらい時間が経ったのだろう。

 

 そのしじまを駿が切り裂いた。

「でも、俺は殺っちゃいない! 頼まれて、うんとは言ってしまったけど、怖くて出来ないと思ったし、爽香の存在が俺を止めてくれたんだ……」

そうはっきり言って爽香を凝視してぽたりと涙を零した。

「え~、ほんとうなの? 駿! 本当?」爽香が青ざめた顔のまま震える声でそう訊いた。

 ――その涙声が胸に突き刺さる。

駿に目をやると、駿は頷いて

「本当なんだ。でも、頼まれたのも本当なんだ。凶器も。でも本当に殺してないんだ。信じて……」

駿は爽香を凝視しまた涙を零した。

「爽香や数馬に何度も言おうと思ったけど信じて貰えなかったらどうしようって……」

俯いた駿太からぽたぽたと涙がテーブルに滴る。

「ばか、私が駿を信じないわけ無いでしょ!」爽香が震える声でそう言って両の手で顔を覆い声を上げて泣きだした。

周りの客がちらちらこちらを見ている。

めぐが爽香の背中をさすり耳元で何かを囁く。

 そこへウエイターが食事を運んできて一人ひとり注文を確認しながらテーブルに置いてゆく。

会話が途切れる。

 ――ウエイターの仕草を眺めながら深呼吸していると気持が徐々に落ち着いてくる。

 

 配膳が終わり、めぐが

「じゃ、食べよっか」と明るく言って笑顔を作ってハンバーグ定食に箸をつける。

数馬もそれに引きずられるように

「食べてから話そう」と言って箸を取った。

駿と爽香も涙を拭って食べ始める。

 何口か食べているうちに、美味しいとかそっちの味どう? とか少しずつ会話が始まり食後のコーヒーを飲む頃には賑やかな何時もの雰囲気に近づいていた。

 ――数馬はこの後どう話そうか食べながら考え続けた……。

 

 そして数馬は駿に話しかけた。

「駿、俺もお前えを信じてる、これからこれ全部持って家に行って一心に全部話す。そして警察にもだ。その先は俺が駿を守るし、真犯人を挙げてやるから、警察に一旦逮捕されるかもしれんが信じて待っていてくれ」

「駿、私も手伝うから、信じて警察に話そう」おしぼりで涙を拭きながら爽香が言う。

「私もそれが良いと思う。数馬を信じて」めぐが力強く駿に語りかける。

駿は頷き頭を下げた。

 

 

 遅い時間だったが数馬から電話があって家族全員で仁徳駿太を出迎えた。

駿太は頭を下げて「よろしくお願いします」とだけ言った。

「彼を助けるため真実を明らかにして下さい」

河合爽香がいつのまに用意したのか「調査費用」と書かれた封筒を応接テーブルに置いた。

一心はちょっと困ったが、

「爽香はん、これは一旦預からさせて貰いまひょ。せやけど、仁徳はんが無実と知れたらお返しします。そうでなかったら頂くことにします。よろしおすな!」

静が有無を言わせぬような迫力と眼差しで爽香に「うん」と言わせた。

 一心は美紗に証拠品を写真に撮らせ、

「背後に飯田真二がいる。彼はすべてを知っているはずだ。明日、飯田に会いに行く。数馬! 丘頭警部に電話入れとくからこれから仁徳くんを浅草警察署へ連れて行ってくれ。証拠品も持ってな」

そう言ってケータイを取り出した。

証拠品はビニールに入っている状態だが、見る限り監視カメラの映像と同じように見える。

「警察で、袋を開けて詳しく調べるだろうから。数馬気を付けて扱えよ」

 

 数馬が三人を連れて事務所を出てから一時間ほどして丘頭警部から電話が入った。

「一心、明日飯田の所へ事情を聞きに行くけど、どうせあんたも行くんでしょ。一緒に行こう」

断る理由もなくオーケーした。――デートのお誘いだ。

 

 数馬が彼女を送り届け事務所に戻ったのは日付が替わってからだった。

「数馬、明日警部と飯田真二に会いに行くがお前も行きたいだろう?」

勿論と言う顔をして数馬は頷く。

「ここからが正念場だぞ! 数馬確り訊けよ!」

「おー、とことん突っ込んじゃる」数馬に気合が入っている。――いつもその調子で頼みたいもんだ……。

「明日、九時には警部来るからな、ちゃんと起きろよ」

「もち」そう言って数馬は三階の自室へと消えた。

 

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